第2話 あこがれ

 四



「副長」

「……なんだ」

「行方不明になった隊士の件ですが」

「見つかったのか」

「いえ、それがまだ。しかしそれらしき人物を見たとの情報を掴みました。これは私の予想ですが脱走と結論付けるのは尚早かと」

「そうか。まあお前が言うんならそうなんだろう。引き続きよろしく頼む」

「承知」




 五


「……父ちゃんに怒られるかも」

 道中、子犬のようにしゅんとした勝太を見て総司は思い切り吹き出した。この青年、笑いの沸点が低いようである。

「なんで笑うのさ」

 勝太は不満げに尋ねた。

「いやぁ、ごめん。新選組の屯所に単身で押し掛けた勇気ある少年がまさか家の心配をするなんて」

「す、するよ! だって無断で出てきたんだから……。夜だったらみんな寝てるから奇襲がかけられるって思って出てきたのに……」

「……っくく、随分厄介な奇襲だったよ。おかげで私はもうへとへとだ」

 総司はそう言って欠伸を零した。

 勝太の新選組大阪屯所奇襲から一夜明け、今朝。「新選組見習い」なんて前例の無い対処を勝太に下し、屯所への住み込みを許可した土方の名を受けて、総司はひとまず勝太を家に送り届けることにした。勤務時間外のため、だんだら模様の羽織ではなく別な冬用の羽織に腕を通している。

 総司は勝太が屯所に飛び込んできたことよりも、むしろ、これから屯所で暮らすなんて言う方を親御さんが了承するか否かが気になっていた。

「一体土方さんは何を考えているんだか」

 隊士、ではなく、あえて「見習い」という臨時役を設け、勝太には自由な往来を許可している。住み込みとは言うものの、別に強制はしてない。提案をしてみたら勝太が乗り気になっただけなのだ。これ以上はない待遇である。

 土方は決して気分のみで動くような人間じゃない。だからこそ総司には真相が掴めなかった。

「ねぇ、総司兄ちゃん」

 勝太がまた袖を引いた。

「新選組って何をしているんだい?」

 意図していなかった質問に目を丸くした総司はそうだなぁと空を仰いだ。

 冬の風が凪ぐ。凛とした清浄な空気が二人の頬を撫でた。

「都の治安維持と、将軍警護。京都にいる時は市中の見回りをして不逞浪士の取り締まりをしているんだよ」

「ふていろうし……?」

「悪い奴らってことさ。………………どうしてそんなこと聞くの」

「だって、おいらの周りの人達はみんな兄ちゃんたちに近づくなって言ってんだもん」

「……はははっ、どこに行ったって嫌われてるなぁ!」

 豪快に笑う総司に「何笑ってんのさ」と勝太は眉をひそめた。

 総司の頭に土方の声が流れた。京都にいた頃、総司が面白半分で「私たち嫌われていますねぇ」と呟いたことがある。

 そのとき土方は「農民上がりなのが気に食わないんだろう」と気に留めていなかった。

 無骨で野生動物のような田舎の泥臭い侍が、煌びやかな京都では浮いて見えるらしい。

 それは大阪にいても変わらないようだ。

 屯所で話した時、勝太は新選組のことを「壬生狼みぶろ」と呼んだ。大人が話しているのを耳にしたのだろうが、それが全てを語っている。

 単に「田舎者」の烙印を押したいだけなのか、おおかみのように屍体を漁る集団だとでも思われているのか。

 新選組はともかく、壬生に住む人にとってはひどく迷惑な話である。




 勝太とは道中で別れた。

「ここまで来ればおいらひとりで平気だよ」

「あ、そう。……あ、言い忘れてた」

「……なんだい?」

「あの時突き飛ばして悪かったね」

 あの時、とは総司が土方に連れられて勝太と対面した時だ。あまり大声で喚くものだから寝起きで不機嫌な総司は思わず手を出してしまった。

「おいらが悪いんだ、勝手に夜中に押し掛けたのはおいらなんだから。……じゃあまたね、総司兄ちゃん!」

 勝太はそのまま総司に背を向けて走り出した。




 六



 総司が勝太と別れ、屯所に戻るのと入れ違いに巡察の隊士たちが出ていくのが見えた。その中に見知った顔を見つけて駆け寄っていく。

「源さん!」

「おや、総司じゃないか。こんな朝早くどうしたんだ」

 源さん、と呼ばれた男は人当たりの良い笑顔で総司の頭を撫でた。

 彼の名を井上源三郎いのうえげんざぶろうという。井上もまた総司と同じく副長助勤を兼ねた六番隊組長だ。

 また、総司とは一回り近く離れており義兄弟の関係に当たる。局長の近藤よりも四つ歳上で皆から「源さん、源さん」と親しげに呼ばれるほど隊士からの信頼も厚く、総司も井上を本当の兄のように慕っていた。

 井上の手を退けながら総司が応える。

「ちょっと野暮用。源さんは今から巡察?」

「ああ。……聞いたか総司、近頃妙な事件が多いらしいぞ」

 総司は首を傾げた。

「妙?」

「若い娘が忽然と姿を消すんだと。神隠しだなんて言う者もいるみたいだがおおかた人攫いじゃあないかな、と、副長が言っていた」

「…………へえ! そりゃ大変だ」

 今朝の勝太の件と話が繋がって合点がいった総司はわざとらしく驚いてみせた。隊務のひとつとしてそれとなく土方が情報を流したのだろう。

 まんまと策に乗せられた井上はそれに気づかず「目を光らせとかないとな」と真面目な顔をして意気込んでいる。

「策士だなぁ」


 だが、本当に人攫いがあちこちで起こっていたことなど今の総司が知る由もない。




 七



 屯所に来客があったのは日が傾き始めた頃だった。丁度巡察から帰ってきたばかりの六番隊と鉢合わせし、井上が門前で話をしていると傍から総司が顔を覗かせた。

「あ、総司兄ちゃん」

 何やら荷物を抱えた少年が親しげに総司を呼ぶ。なんのこっちゃと井上が眉を顰めると「副長命令ですよ」と総司が連れて行ってしまった。



 八



「よく来たな」

 土方は書き物の筆を置いた。

「おいらは本気だよ」

 正座で土方の背を見つめながら、勝太は力強く応えた。

「そうか、それなら結構」

 土方はくるりと身を返して勝太と向き合った。それから低い声で告げる。

「新選組には鉄の掟がある。これを破れば切腹だ」

「切腹……」

 身震いした勝太に、まぁ落ち着け、と土方が手元の書き物を手渡した。


「一つ、士道に背くまじきこと。……武士らしくあれ、ってことだ。


一つ、局を脱するを許さず。……局長や副長の許可なく勝手に新選組を辞めることは許さねぇ。決めたからには最後まで責任を持て。


一つ、私闘を許さず。……まぁ、隊士とは仲良くやりな。


今日からこれがお前の法度だ。破れば他の隊士と同じく切腹だが、この掟がお前を強くする」

「おいらを強く……?」

「ああ、どんなに挫けそうでも法度がある限り嫌でも逃げられねぇ。ここは戦場だ、一瞬でも怯めば次に目を開けた瞬間ときには首がすっ飛ぶ。姉さんを助ける前に死んじまったら元も子もねぇだろ」

 勝太はごくりと唾を飲み込んだ。

「……ま、そうならねぇように一番隊がしっかり面倒見てくれるさ。ところでお前、親父さんをどうやって説得してきた? 俺はお前が来ない方に賭けてたんだが」

 土方の問いに少し視線を落とした勝太は何かを思案したのち、ぽつりと呟いた。

「……飛び出してきた」

 ほう、と土方の口から感嘆が漏れる。

「壬生狼には関わるなって、仕方ないから姉ちゃんは諦めろって言うんだ。冗談じゃないやい。『父ちゃんの弱虫!』って喚いて出てきたよ」

「あっはっはっは! 最高じゃねえか。よく言った! お前はもう立派な武士だ」

 ぽん、と勝太の頭に土方の手が乗る。

 それを見上げたまま、勝太はひとつ疑問に思った。

「おいらは農民の子だから武士じゃないよ」

 土方は何処か自慢げに答えた。

「馬鹿言え、見習いとはいえ新選組に入ったらお前も武士の一員だ。俺たちは会津藩お預かりの身として動いているが、新選組にいる大体の奴は農民上がりなんだぜ。俺も、局長もだ」

 驚いた勝太は目を丸くした。

 農民の子にとって、武士は当然のように憧れの存在だ。

 上には立派な将軍がいて、その下で刀を振って、歴戦覇者のように次々と敵を倒していく。そんな武士憧れたやんちゃ坊主のほとんどが勝太のように道場に通っていた。

 けれど所詮、蛙の子は蛙。農民は死ぬまで農民で、身分の差を越えることは出来ない。



 ────出来ないはずだった。



「薬を売り歩いていた農民の俺が、今じゃ刀を下げてお上の為に働いてんだ。夢見てぇな話だよ。


 腕に覚えがある者なら誰だって武士になれる、今はそんな世の中だ」


 愉しげな土方の声だけが勝太の耳に届く。

 あの怖い顔で優しい局長も、鬼のように淡々としてる副長も、元はおいらと変わらない。


 ──武士になりたい。


 ただの夢で終わるはずものが、勝太の胸を熱くする。


 ──武士になりたい。


「お、おいらも武士になりたい!」


 勝太は思わず叫んでいた。

 頭の上の手にわしゃわしゃと乱暴に撫でられると、目の前の土方がにぃっ、と笑った。

「何言ってんだ、もう武士だって言ってんだろ」

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