だんだらの兄ちゃん!
喜岡せん
第1話 みならい
一
文久四年、一月三日。
囲炉裏の温もりはとうに尽き、気が滅入るほどの寒さが屯所を覆っていた。
隊務用に仕立てた羽織に手を伸ばし、気休めで羽織ってみるものの寒さが和らぐことは依然として無い。昨夜くるまっていた毛布の所在が掴めず「はて」と首を傾げていると、隣で寝ていた隊士が余分に温もっていることに気が付いた。仕方ないな、と溜息を吐く。雑魚寝をしていればこういうことも一度や二度ではない。
もう一度寝付こうか、いや目が冴えてしまったと押し問答を繰り返していると部屋の戸が人一人分だけ開いた。外はまだ随分と暗い。
そこからのっそりと中を覗く影があった。
「なんだ、総司起きたのか」
聞き馴染みのある声だった。
「……土方さんこそこんな早くに何してるんです」
「野暮用だ。起きてるのがお前なのは都合が良いな、ちょっと出てこい」
「厭です、寒いのに」
「副長命令だ、それに俺だって寒い」
命令ならばと、総司と呼ばれた男は枕元の愛刀に腕を伸ばして寝間着に羽織姿のまま外に出た。
二
頭のてっぺんで結わえていても目の前の黒髪は随分長い。総司は馬の尻尾のようだと思いながら土方の後ろを朧気な足取りで追った。
付き合いが長い総司には頑固で負けず嫌いの兄ちゃん、くらいの印象しか持てない。
部屋を出ても何も言わない土方を茶化すように、総司はおちゃらけて話しかけた。
「一体何なんですか。月見酒ならおひとりでやってくださいよ」
「…………」
「やっと昨日、
「説明は着いてするから黙っとけ」
総司は黙ることにした。
口数が少ないのは普段通りである。聞く耳持たずとも喋らせるだけ喋らせて自分は片手間に仕事をしながら何も返さないのが土方の常套手段だが、逆にこうして誰かの話を中断することは滅多にない。そういう時は大抵、解決策が見つからない
下坂したばかりなのにもう狼藉者が出たのか、それとも単に眠いだけなのか。総司が図りかねているうちに目的の場所に着いたようだった。障子から微かに蝋燭の灯が漏れている。
「近藤さん、助っ人だ」
土方が障子を開けた。総司も後に続いて部屋に入る。
障子の先には見慣れた角ばった顔があった。新選組局長の近藤勇である。
握り拳がすっぽり収まることを大層自慢している口が、今は困ったように「への字」に曲がっていた。総司にはそれが随分おかしく見える。
しかしそれよりも目に留まったのが、近藤の目の前に正座をしている小さな少年であった。齢は、九か、十か。
日に焼けた色の髪を雑に括っている。
振り向いた少年と目が合った。
「この色だ! おいらが見たのはこの色の羽織なんだよ、やっぱりお前らが姉ちゃんを連れてったんだ! おいらの姉ちゃんを返せ!」
「――うるさいなぁ」
総司は後ろ手で障子をぴしゃりと閉めると、掴みかかってくる少年の額を思い切り突き飛ばした。突き飛ばされた少年は近藤の前に派手に尻餅をついて、それでも憎いように総司を見上げている。
「おい、小僧」
土方が壁を背にして座った。
「此処がどこだが分かってて来たんだろうな?」
「知ってるよ、
「それなら結構だ。ってんなら、男としての覚悟は出来てんだろうな?」
「……まあまあ待て、その言い方はないだろう歳」
近藤が諌めた。
「歳も、きみも落ち着いてくれ。何も俺たちは見境なくお上の民を殺めるような集団じゃない」
そうしてこほん、とひとつだけ咳払いをした。
「俺はこの新選組の局長、
「……
「…………そうかそうか、良い名だ! では勝太くん、悪いがもう一度、今度は落ち着いて説明をしてほしい」
人当たりのいい微笑みで近藤が言う。勝太はしばらく不審な目で睨んでいたが観念したように呟いた。
「……分かったよ」
そうして三方を囲まれたまま、居住まいを正して話し始めた。
「おいらはここの近くに住んでるんだ」
三
「姉ちゃんがいなくなっちまったのは一昨日の日が暮れる頃だ。父ちゃんの手伝いでおいらと一緒に畑仕事に出ていって、頃合だから帰ろうかって時にふと気づいたら姉ちゃんの姿がなくてさ。そしたら遠くで助けて、助けて、って叫ぶ姉ちゃんの声が聞こえたんだ。おいら、父ちゃんを引っぱって慌ててそっちに走ってったらでかい男が姉ちゃんを担いで走ってってるのが見えたんだ。必死に追いかけたんだけどさ、父ちゃんの足じゃ追いつかなかったんだ」
「その男とやらの羽織が我々と同じ色をしていたと?」
「色だけじゃないやい、そのお山の模様のやつもついてたよ。だからおいらは新選組に姉ちゃんが攫われたんだって思ったんだ」
「だとしてもおかしいな」
思案するように顎に手を置いた土方が呟いた。
「小僧、お前の姉さんが連れてかれたのは一昨日の日暮れだと言ったな?」
「うん、言った」
「でも俺たちが
「でも土方さん」今度は総司が尋ねた。
「この子が言う、山の模様がついた浅葱色の羽織なんて新選組以外に見たことないですよ。というか目立つから私は最近使わないんですけど」
「問題はそこだ。浅葱なんて切腹に使う色を俺たち以外が好き好んで使うとは考えられん。が、……監察方を動かすか。仮に俺たちだとしてもこの数日の隊士の行動を洗えば尻尾くらいは掴める」
総司は目を丸くした。
「意外と乗り気なんですね。てっきりさっさと追い返すのかと」
「馬鹿野郎。俺たちの評判が落ちる所まで落ちてるのは知ってんだろうが。家茂公の護衛で下坂してきたってのに新選組は人攫いをしてるなんぞ言われてみろ、俺たちを受け入れてくださった会津の尊顔に泥を塗ることになるぞ」
「そ、それはいかん!」
近藤が盛大に叫んだ。人一倍武士としての形に拘っているからであろう、決して小さくはない事の次第に身震いをした。そうして勝太の両肩に手を置き、大きく頷く。
「少年! 心配することはない、必ずや我々新選組が姉上を探し出して見せよう!」
「ほ、本当に?!」
「ああ、勿論──」
「タダでとは言わねぇけどな」
土方がぴしゃりと言った言葉に、勝太と近藤が身を固くした。堪らなくおかしくなった総司が声を上げて笑っている。
「ったりめぇだろ。俺たちは遊びで大阪に来たわけじゃねぇ、将軍警護っていうでかい仕事があるんだ。京都に戻る予定は五日後だがその間でも隊士にはきちんと隊務をこなしてもらう」
「ええ? まさか
声を上げたのは総司だった。土方は当然だ、と言わんばかりに睨み返す。
「全員を一気に駆り出すわけじゃない、今の人数から細分化して交代制にする心算だ。沙汰は追って出す。……ところで小僧、剣は使えるか?」
「つ、使えるよ! おいら道場に通ってんだ!」
腰の小刀の柄を握った勝太の大きな目に、土方の姿が映る。他人の瞳に自分の顔が見えたことがおかしかったのか、土方は「ふっ」と吹き出すように笑った。
それから勝太に語りかけるようにゆっくりと続ける。
「さっきも言ったが、俺たちは暇じゃねぇ。自分の姉さんなら自分の手で見つけて助けてやれ、その『手伝い』くらいならやる時間はある。まあ、お前が見た浅葱色の羽織の野郎と俺たちとが何の関係もないとは言い切れん部分もあるしな。
小僧、本気で姉さんを助けたいか」
「……!」
勝太は大きく頷いた。
「どんなに恐ろしいことがあっても逃げないと誓うか」
勝太はまた大きく頷いた。
「決まりだ」
そう言って勝太の頭をわしゃわしゃと乱暴に撫でる。そんな土方が一瞬だけ優しい顔をしているように見えた。
傍の近藤は何かを察したようで困ったような喜んでいるようななんとも判らない顔をしている。総司は未だなんのことが分からないふうに首を傾けていた。
土方が声を張って言う。
「こいつは今日から新選組見習いだ。総司、お前んとこの一番隊で面倒を見ろ」
「……………………は?」
総司の口から、自分でも驚くくらいに素っ頓狂な声が出た。
薄明の空で星がぽつぽつと輝いている。次第に星の輝きは薄れ、数刻も経たないうちに陽の光が浮世を照らした。朝が来たのだ。
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