第29話 誘拐
僕は、あの一件で気を失った。まあ、気絶と言ってもほぼ仮死状態だ。痛みですぐ眼は覚めた。全身火傷に、たぶん両腕両足の骨折だ。あと十分もしないうちに、僕の命は失われるだろう。前にも見たことがある気がする。
ただ、今回は話が違う。前死にかけたのは、シュヴァルツの炎で焼かれたからだが、まだその時は水蒸気の量に余裕があった。水が十立方センチでもあれば、止血はできるし体温調節も可能だ。しかし今この部屋の中は異常なまでに乾燥していて、一立方センチすら集まらない。
さっきの爆発は、ビルが半壊するのではないかという衝撃だった。ほかの三人には外傷はないが、全員意識がない。正体を明かしたルミさんは捕まらないだろうかと考えながら、僕はできるだけ足掻いた。
「早く、医者を…治癒術師を呼ばないと…」
出口に向かって手を伸ばすと、その手を誰かが受け取った。え?
「誰だ?」
「えーっと、黒髪青眼の16歳男子、君だね!」
何やらメモ帳を見ながら笑みを浮かべる少女は、ルミさんよりも白い白髪と、エメラルドグリーンの目をしていた。
まず間違いなく初対面の彼女はああ、ごめんごめんと振り向いて、
「私はだれか?それは後で答えるよ。それに今は急いでてね。悪いけどほかの質問も受け付けられない。」
彼女はしゃがみこんで僕と同じ視点でになると、さらに続ける。
「じゃあ、あなたは私と一緒に来てもらいます」
「は?」
彼女は満面の笑みを浮かべる。
「誘拐だよ」
「そんな笑顔で言うことじゃ…」バタッ
頸椎のあたりに衝撃が走り、僕はその場でまた気を失った。
★☆★☆★☆
「時道奇等ねえ。きら、きら、きらきら星。星の名前なら、ベガ、アルタイル、シリウスなんかもあるね。」
謎の少女と会話をしてから、意識が戻ったのは、そんな声が聞こえた時だ。
「ん…あ、いたた。」
「やあ、起きたかい?少年」
その声は思ったよりもとても近くから聞こえた。囁かれているのかと疑ったほどだ。
「…夢じゃなかったのか」
そういいながら目を開けると、先ほど見た少女の顔が、至近距離にあった。
しかもこの角度は
「何のつもりだ」
「何って、キスでもしようかと」
僕を膝枕するその少女の言葉は、顔色だけでは嘘か本気かわからない。
「断る」
「えー」っと彼女は頬を膨らませながら言う。
「もう少しいい反応してくれてもいいじゃない?」
状況が状況だから、そんなことをする気には到底なれない。
「まあいいよ。こうして君を膝枕しているのは、君が暴れないようにするため。私はあなたのお目付け役だからね」
僕の頭を優しくなでながら、彼女は言う。
「気分はどう?」
「まだ手と足がよく動かないけど、痛みは感じない。治療してくれたのか?」
「それは企業秘密で。」
人指し指を口に当てる仕草で、誤魔化された。
意識がはっきりしてくると、外の音も聞こえた。どうやら自分たちがいるのは車の中らしかった。
「じゃあ、さっきも言ったけどあんたは誰だ?」
「ああ、そうだったね。…んー、じゃあリゲルで」
は?今悩まなかったか?名前に?
「え、ああ、それじゃあリゲル(?)」
「うん、その代わり君はシリウスって呼ぶから」
「なんでそうなる!?」
僕の頭の中は混乱しているが、彼女はご満足のようで、まるで僕の話を聞き入れようとはしない。
「で、リゲルはなぜ僕を誘拐したんだ?」
さっきまで笑っていた彼女が、ピタッと止まる。
「シリウス、君はあの場にいられると困るんだよ。とても」
真剣な顔で僕の目を見る彼女には、なぜか妙な信頼感があった。
「いいかい、あのまま上手くいけば、君が魔族と人間を和解させて、関係をつくることも可能だろう。ただ、それは一過性のものでしかないんだ」
悲しそうに、あるいは悔しそうに、彼女は続ける。
「君は、魔界には、魔族の国が複数あることを知っている?」
僕は無言で首を横に振る。
「魔族の国と言っても一つや二つじゃないんだ。国の数だけ思想や価値観がある。
君が先ほどまであっていたルミエール姫は、かなり大国のアルバンという国の出だ。ただ、仮にアルバンと人間側が国交を結んでも、ほかの国は?アルバンと人間の間柄はよくなったとしても、ほかの魔族の国から戦争を仕掛けられたら?人々はそれを区別できる?」
「それは…」
「そこから内戦が始まって、崩壊だよ。国交ってのは、簡単じゃないんだ」
だから、と彼女は繋げる。
「君はいずれ来るその戦いのために生き残ってもらわなければいけない」
「リゲルの言いたいことはわかった。でもまだことが起こったわけでもないのに、僕は指をくわえて待っていろと?」
唇をかむようにして彼女は答える。
「シリウス。私もできるだけ被害は少なくしたい。
でももう夢を見ていられない。これが現時点での私たちの最善案」
「そうだとしても」
僕は起き上がってリゲルの隣に座る。
「まだ納得できない。もし戦争が始まったら、僕は意地でも止めに入るよ」
「無理だよ。魔族を一人も殺さずに戦争を止めるなんて不可能だからね」
「っ………」
言葉につまる。魔族が、さっきまで話していたルミさんのような人たちなら、人殺しと変わらない。
「それに私がお目付け役としてついている間は、あなたを逃がしたりはしないから」
急な殺意を帯びた言葉に、僕は固まった。
「ナンバー2、ご到着です。」
車が緩やかに停車し、前座席から声が聞こえる。
戸が開くと、リゲルは僕の手を取りながら車から出る。
「拘束はしないのか?」
「手錠なんてつけたところで、あなたの奇術じゃないのと変わらないでしょう?
あえて言うなら、私がいることが君にとっての拘束と同意義だよ」
確かに彼女はただならぬ雰囲気を漂わせているが、僕と大して年の差はないだろう。この少女はこれまでにどんな経験をしてきたのだろうか、ふと気になった。
車が止まったのは純白の大きな教会の前だった。ただっぴろい敷地内に青々とした芝生が広がっていて、とても日本国内とは思えない場所だ。
教会の中は至って普通で、どこからか『悲愴』が聞こえてきた。
「なんで教会なのにピアノなんだ?」
「ここは教会じゃないよ。それに彼女はパイプオルガンが嫌いなんだ。
それよりも――」チリンチリン
不意に、リゲルがどこから取り出したのかもわからない鈴を鳴らすと、
綺麗なピアノの音色がピタッと止まる。
奥の扉が重々しく開き、栗色の髪をした少女がひょこっと顔を出す。
「姉さま、お疲れ様です!そちらの方は…?」
まるで太陽のような笑みを浮かべる少女は、こちらの方を見ると、少し困惑した顔で言った。
「例の少年だよ。ペテルギウスはいるかい?」
「いえ、ナンバー1は今不在です。あ、申し遅れました。私はナンバー4の、カペラと申します」
「血はつながっていないが、私の弟子のようなものだよ」
丁寧にお辞儀をする彼女も、リゲルと同じ考えなのだろうか。
「そうか、なら待つしかないな。そうだ、ここの警戒態勢を上げておいてほしい」
「了解しました。カノープスに結界を張るように頼みましょうか?」
「ああ、それと――――」
リゲルはいきなり拳銃を構えると、僕たちが入ってきた扉を三発撃った。扉の奥で、バタっと何かが倒れた音がする。
「私は外に出るから、カペラはシリウスを頼む」
すると、カペラは少し驚くと、首を縦に振る。
「もう追手の方々が…?」
「ああ、協会の連中は鼻がいくつ付いてるんだか…」
じゃあ、あの音は――
「リゲルは、協会の人たちと戦うのか?」
「ああ、でも殺しはしないよ。ちょっと眠ってもらうだけ」
直後、彼女の瞳孔が水色に染まっていることに気づく。
「それが、リゲルの奇能なのか?」
「まあ、そうだね。まだ全部は教えないけど、人を眠らせる能力とでも思っておいて」
それだけ言うと、彼女は真正面の扉を開けて外に飛びだしていった。
「それでは行きましょうか。シリウスさん?」
「あ、ああ…はい」
自分の味方から逃げながら守られるなんて、僕もなかなか人気になったものである。僕の頭の中は完全に混乱していて、なんなら彼女からなら逃げられるんじゃないかと愚考していた。
それが思いついた直後、信じられないことが起こった。
カペラさんの目が琥珀色に光ると、足元のレンガがいくつか浮き沈みし、地下へ続く階段が現れた。
「今日スカートを履いていなかったら、スライダーにしてもよかったんですけどね」
今解った。この人から逃げるのもやめた方がいい。
「なんか余裕ですね」
案内されるがままにできたばかりの階段を歩きながら、僕は問う。
「…言ったでしょう?彼女はこの組織【Stella《ステラ》】のナンバー2なんですよ。そんな簡単には死にませんから。」
確かに彼女ならやりかねない、となんの根拠もなしに思った。しかし、現実的に、殺さないというハンデを背負って、あのビルの住民を倒すことは可能なのだろうか。
すると、そのことを読んだのかのようにカペラさんは補足する。
「今回の追手の方々の戦力なら、ということです。こちらの情報では、1級はほとんどの方が遠征でご不在、1級の方で今この場にいらっしゃるのはあなたと、石影来斗、
そのうち炎豪明はもう戦闘不能状態ですけどね、と続ける。
「はあ……え!?」
なんでルミさんと花蓮さんが一緒にいるんだ?あと炎豪明って誰だ?
『主が「カウンターの人」と呼ぶ男だ。』
懐かしい声がした。
『懐かしいとはなんだ。主と話してから、まだ数日しか経っていないぞ?』
体感だよ、で?なんで今の今まで助けてくれなかったんだ?
『主がそう命じなかったからだ。……展開が面白かったから、というのもあるが』
絶対そっちが本音だろ!と云うか、この会話、彼女にバレてないか?
『ああ、さすがに儂のことまでは気づいていないみたいだ』
そうか、なら――
『やめておけ』
なんでだ?と云うか思考を読むな!
『まあ、待て。このまま儂が主を助けて逃げることもできるだろうが…』
できるだろうが、なに?
『それじゃあ面白くない。』
おい、やっぱり遊んでるんじゃないか。
『まあまあ、折角なのだから、調査員にでもなったつもりでいたらどうじゃ?』
それで大事になったらどうするんだ。
『…………』
それ以上、そのドラゴンは一切喋らなかった。
「さあ、もうそろそろ着きますよ。」
何の仕掛けもトリックもない壁から、階段が作られるのにも見慣れたころに、カペラさんはそう告げた。
「はあ、さっきとまるで景色が変わっていないように見えるんですが」
「まあ、地面の中ですからね」
「そうですか…」
何も教えてはくれない。そういう意思を感じた。
不意に土質が変わったと思うと、すぐに地下室についた。思ったよりもその部屋は広く、そして少し湿気っていた。
「カペラ嬢ちゃん、なにか用かい?」
奥の方から、太いバリトンが聞こえてくる。
「はい、結界のお仕事です。」
「おや、もう戦争が始まったのかい?」
天井が蛍光灯がに順番が光りだしながら、こちらに足音が近づいてくる。
「そんなはずないですよ。いい加減カレンダーと時計ぐらい置いてください。日付がわからないんじゃ色々と困りますよ。」
その声に怖がる様子もなく、カペラさんは声主の生活習慣を注意する。
「ああ、そっかそっか。でも私にはあってもなくても同じだから」
目の前に姿を現した男は、身長は2メートルはあろうという巨体で、灰色の濁った眼と茶髪、アロハシャツを身に着けていた。
「それで、その子が例の少年かい?」
「はい、姉さまは彼のことをシリウスと呼んでらっしゃいました」
すると、その男は自身の無精ひげを撫でながら、ほお、そうかと言う。
「その目が…」
その一睨みで、すべてを見透かされた気がした。
「あなたが、カノープスさんですか?」
「ああ、いかにも、私がカノープスだ。よろしく」
握手に応じると、彼の手が傷だらけであることも分かった。彼もまた歴戦の戦士なのだろうか?
「ゆっくりお茶でもしたいのだが、あいにく仕事が先でね」
そう言うと、彼は地面に手を付ける。彼の目が白く光り、地面を全体に振動が伝わっていく。時間差で白い光が伝わっていき、地面に核のようなものが作り上げられる。
「さあ、井戸水で乾杯でもするかい?」
さも簡単そうにオリジナルの結界奇術を作り出すと、おじさんは地下何メートルかもわからない完全な密室で、お茶会の開会を宣言した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます