第28話 二人の姫
授業は無事に再開されたらしい。僕は体調不良と云うことで、早退になったが、帰る前に、洗面所で顔を洗っていた。
「何か飲み物はいりませんか?」
「ごめん。そんなに喉は乾いてない」
「そうですか」
声高さんの方を見ると、目があった。かなり近い。おそらくずっとこちらの方を覗き込んでいたんだろう。
「あ…」
「あ、ごめん、待ってた?」
「いや、今来たところですよ」
「そう、よかった」
肩が小刻みに動いている。そわそわしているみたいだ。
「ちなみにどのあたりに住んでるんですか?」
「ここの少し北のところかな。家、って言うか借りてる部屋なんだけどね」
「(北…?)そうなんですね!」
「声高さ…ルミさんはどこからきたの?」
「え…?」
「ほら、髪色とか肌の色とか、あんまり見ない感じだからさ」
ああ、というように声高さんは左手にポンっと右手を置く。
「まあ、結構遠いところから来ましたね」
「遠い、ところ…?」
「あ、アメリカです。すいません、日本語でどう言うか忘れてしまって」
「ああ、そっかそっか」
ここで会話は中断した。早退するのだから学校にいても仕方がないし、なにより話すことがなくなったからだ。荷物を持って、校舎を出る。
「…あんまりこういうのを聞くのはあれなんだけどさ」
「はい?」
「ルミさんはどういう奇術が得意なの?」
「そう、ですね。別に私は別になんでも…」
「なんでも…!?」
基本奇術の種類は、一人につき一つしか現れない。
「いや、強いて言うなら、熱操作が得意ですね」
「熱操作?
「あ、そうですね。確かに」
なんだか少し知識が怪しい気がする。勉強会、大丈夫だろうか?
「あなたは?」
「僕は水系統だね。相性は悪くないから、もしかしたら任務で一緒になれるかもしれないね」
「そ、そうなんですか?あんまり仕組みに詳しくなくて」
「なら、聞けばいいよ。暇な先輩も一人や二人、いるだろうし」
国道15号に沿って並ぶビルの一つが協会だ。
ほら、っと目の前にある褐色のビルを指す。
「ついたよ。普通に正面から入ってね」
「ここですか…」
普通なら圧倒されるだろう。他のビルと違ってこの場所は異様な威圧感がある。全体に結界でもかけられているのだろうか。
「何か仕掛けとかあるんですか?」
「たぶん、ないはずだよ」
さすがにハ○ーポッターのような仕掛けなどはないはずだ。異様なスピードで動くエレベータや、変形する机はあっても、隠し扉なんてものを作る必要はないだろう。第一、ここは用もない一般人は立ち入らない。面白くて僕は好きだけど。
「ただいま戻りました」
「ああ?学校サボって女遊びか?」
奥からドスの効いた声が飛んでくる。ルミさんは驚いて、ビクっと震えた。
「いいえ、ちょっと体調が悪くなってしまったので、早退しました」
「言い訳なんざどうでもいいさ、目障りなんだからとっとと上がれ」
カウンターの人はいつにもまして機嫌が悪いようだった。
「ありがとうございます」
「ん…ちょっと待て、その女…」
「は、はい?」
「ああ?気のせいか。すまん、なんもねえや」
なんだったんだろう。とりあえずエレベータに乗ると、ルミさんは膝から崩れ落ちた。顔が青い。
「大丈夫?」
「い、いえ、ちょ、ちょっと大丈夫じゃないかもしれません」
少し驚いた。確かにあの人は怖いけど、それほどなのか?
「えっと、じゃあ階段で行く?」
「なんでですか?速くしてください!」
「いや、でも階段で言った方が絶対安全――」
「速く!!」
「はいい!」
勢いに押されて僕はレバー(ここのエレベータはレバー式)を倒した。
たちまち異常な速度で床が上がっていく。
「なんですかこれ!?」
「だから言ったのに…」
思った通りルミさんは吐きそうになっていた。ただみるみる階は上がっていく。本当に、重力法則への侮辱とも言える速さだ。
「もっと速度は下げられないんですか?!」
「わからない、少なくとも僕は知らないけど――」
と云うと、彼女は口をおさえたままで“その場所をどいて”と合図してくる。確かに僕の後ろには操作パネルがある。何か見つけたのだろうか。
「よく見てください。このレバーの横のメーター、これは速度ではないですか?このエレベータは、どの奇術を使う人でもその素因子から同一の種類の術を引き出せるようになってるのではありませんか?」
「えっと、それってつまり…どういうこと?」
少しイライラしたように彼女は舌打ちした。そして、レバーに触れると力を抜くように深呼吸した。すると少しずつ、エレベータの上昇速度が下がっていく気がした。
10秒もすると、それは気のせいではないことがはっきりした。
「こういうことですよ。流し込む自分の素因子を抑え込むんです」
「あ、なるほど!」
やっと僕も理解できた。仕組みを理解して初めて、このエレベータの異常な速さに納得した。
とはいえ、あっと云う間に目的の階についてしまった。軽快なベルが鳴り、重々しい扉が横に開く。ルミさんは最初よりはずっと元気に見えた。
「もう大丈夫?」
念のため僕はもう一度聞いた。
「ええ、誰かさんのおかげでいくらか楽になりました。」
こちらの方を横目でにらみながら、皮肉気味に言う。ただ、まったく怖くなくて、思わず僕は笑ってしまった。
「なんで笑うんですか!」
彼女は起こりながらも目は優しかった。そういう性格なのだろうか。
「ごめんごめん。部屋はこっちだけど…、せっかくだから会長と話してみる?お客さんが居なかったらだけど。」
彼女は少し思案顔をして、首を振る。
「お話はありがたいんですけど、すいません」
「そっか、ま、じゃあとりあえず僕の部屋に案内するよ」
廊下を歩きだすと、住民たちの物音が聞こえ始める。
カウンターの人も一級のはずだが、仕事中なので部屋は空だ。ただ、爆音のWe will rock youが流れている。表札の名前もボロボロで読めない。
来斗の部屋は何ともない、部活だろうか?ただ、“非常用電力関係”と書かれた避雷針のようなものが廊下に無造作に置かれていてヒヤッとした。どこで使うのかわからないが危険物には変わりない。
酔京さんの部屋には「いないよ」と鉄分の匂いがするインクで書かれた張り紙がされていた。…おそらく自分の血液だろうと容易に想像できた。
「…ずいぶん、
色々な意味で、という言葉があとについて見えた。苦笑するしかない。
「まあ、慣れれば楽しいよ。寂しくないし」
実際そうだ。僕はまだここに来てから寂しいと思ったことはない。
「ほら、そこのドアが僕の部屋だ」
鍵を取り出して、鍵穴に突き刺す。あれ?おかしい、空いてる。朝、閉め忘れたっけ?ドアを開けると、靴が一足ある。高級そうな
「
反応はない。思い切って部屋に入る。そもそも自分の部屋なのだから。
花蓮さんは奥のソファで寝ていた。僕を待っていてくれたのだろうか。
「あの、私、帰った方がいいかしら?」
「いや、せっかくこんなとこまで来てくれたんだから。ゆっくりしていって」
僕は花蓮さんに毛布を掛け、コーヒーを淹れた。
「ルミさんは、甘いのと苦いの、どっちが好き?」
「私は苦い方が好きですね」
「わかった」
正直少し意外だった。大抵の女の子は甘いものが好きだと思っていたから。
それから一時間ほど勉強会をした。ルミさんの教え方はとても丁寧で、のめりこんでしまった。事実、「一息しましょう」と彼女が言ってお手洗いに行くまで、時間を忘れていた。
「はあ~」っと僕が背伸びをしていると、ソファの方でごそごそと音がした。
「起きたの?」
「はいぃ、奇等くんなの?」
「そうだよ」
寝起きの花蓮さんの声は、ふにゃふにゃとして力がなく、とても可愛い。一瞬でも気を抜けば好きになってしまいそうになる。
「んん?誰かいるの?」
「うん、
「けど、なに?」
「えっと、花蓮さんは何の用で来てくれたの?」
「…用がなきゃ来ちゃいけないの?」
「……!!!?」
…やばい、落ちそうになった。
「ま、用はあるんだけどね」
からかわれた!?この人寝起きだよね??
彼女は“近くに寄って”と、手招きする。
「このことは他人には話さないで欲しいんだけど…」
「うん」
「最近このあたりでかなり強力な魔力の痕跡が見つかったの」
「ええっ!?」
また?この頻度は明らかに異常だ。新入りである僕にも、それくらいは分かった。
「近くに魔人が来ているかも知れないの、だから――」
「時道く…ん?」
「あ、戻ったの?花蓮さん、この人が声高さんだよ」
「初めまし――」
花蓮さんは彼女の方を見ると、目を見開いた。顔が一気に怖くなる。
そして彼女の方に無造作に手をかざすと、前触れもなく光の槍が空中に現れる。
思わず見とれる。本物の、奇術を見ているみたいだ。
「あなた、どこからきたの?」
「………答えなくてもわかるんじゃないですか?」
答えるよりも速く、槍がルミさんに向かって飛んでいく。
「ちょ、ちょっと!?」
はあ、とルミさんはため息をつきながら、その槍に触れると、パンっと音を鳴らして槍が溶けた。その間、一瞬だけ彼女の目が燃えるように赤く光るのを僕は見逃さなかった。カウンターの人よりもっと明るく、透明感のあるその目は、本当に宝石を見ているみたいだ。
「赤い…」
花蓮さんが呟く。
「ねえ、どうしたの?二人とも」
「この人はおそらく魔人よ、少なくとも人ではないわ」
息を呑んだ。信じられない。ルミさんの方を見ると、肩をすくめている。
「まさかこちらのお姫様に、いきなり会うとは思いもしませんでした。」
こうなればもうプランBですね、と彼女も呟く。
全く状況が分からない。ねえ、シュヴァルツ?
『すまんすまん。しかし傑作だな、ゴジラの映画にキングコングか?いや、アイアンマンの前にジモか?』
どちらも違う気がする。
『なに?頭の固いやつじゃな。…まあ、儂も初めてみた。あんな純潔はそうそういないからな』
だからさっきから何言って――『見てればわかるさ。もう少し寝かせてくれ。まだ時差ボケが治らんのだよ』
「で、何の用なの?あなた、誰かはともかく、どうしてここにいるの?」
「前話もないのですか。
「性急で結構。ゆっくり話せる内容じゃないもの」
「ねえ、ちょっと待ってくれない?」
状況はよくわからないが、ここで戦うと危険なことは分かる。本部のど真ん中とはいえ、対奇術者用の要塞ではない。どうにかして二人を離さなければ、良い未来にはならないだろう。
「あなたは、私たちを許してくれますか?」
「え、いやとにかく、一旦落ち着こう?二人とも目が怖いよ」
「そうですか、わかりました。明日、また出直しましょう」
「待ちなさい!」
「おいおい、何の騒ぎだ?」
来斗が気づいたのか、部屋のドアを叩く。
「これ以上人に知られては困りますね」
ルミさんがドアへ向かって手を伸ばす。
「入るぞー」
「石影くんだめ!」
「入るな来斗!!」
「なんだ天王寺さんもいるのかよ。新作の話があるんだけど」
といいながら、ドアをゆっくりと開けていく。
ルミさんの手に青い炎が現れる。光景がスローモーションに見え始めた。直感だが、あれには怪我では済まない威力がある。あれを受けてしまったら確実に来斗が死ぬ。どうすれば助かる?僕に何ができる?そう考える前に体が動き始めていた。走りながら、ただ間に合ってくれ!とだけ考えた。運よく、それは叶いそうだった。
問題は一つ、誤算があった。
来斗とルミさんの間に立ちふさがった後、僕は奇術で氷の壁をつくりだした。来斗は驚いてしりもちをつき、ルミさんも戸惑っていた。
そこまではよかった。
戸惑ったルミさんは、手をあらぬ方向に向けた。すると青い炎が暴発し、部屋中が高温に包まれた。それが超低温の氷と反応して、爆発した。咄嗟に僕は全員に高水圧の膜をかけた。氷では衝撃に弱いからだ。
さっきので運を使い切ったか、自分の分の水分は空気中には無かった。そして、ビル内に轟音が鳴り響き――――――僕は気を失った。
―――――――――――――――――――
注釈
・基礎四性…奇術(または奇能力)の四大素因子のこと。火(※)、水、風、地の四系統がある。ちなみに、カウンターの人の奇能は火ではなく爆破である。
・火…素因子として存在してはいるが、火の奇能を持つ人間はほぼ存在しない。まれにその因子が発現した子供は、不穏の象徴とされ、忌み嫌われる。
・対奇術者(奇能力者)用の要塞…アメリカ支部と、イギリス支部、ロシア支部にだけ存在する。ただ兵器などに奇能力を付与することは理論上不可能なので、対人専用で、基本的に地下にあり無数の出口が存在する。奇等は協会の会長室に飾られている地図を見て知った。
お久しぶりです。少し話が長すぎましたね。自重します。
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