第45話 追込み

 洋装店に顔を出したジョセフは、従業員全員に深々と頭を下げた。

 久しぶりに姿を見せたジョセフへの視線は冷たいものだった。突然店を辞めたかと思えば、不祥事で解雇、そのままなんの説明もなく姿を眩ませたのだから無理もない。

 その視線を一身に浴びながら、ジョセフはこれまでの事情を全て話すと、一人一人を見返しながら言った。


「俺の身勝手な行動で、皆さんに大変迷惑をお掛けしました。本当に、申し訳ありませんでした」


 深く、深く頭を下げた。

 みんなは動揺しているようだった。


「決して頼める立場ではないけれど、ショーまでの間、どうか手伝わせてくれませんか」


 ジョセフは頭をあげようとしない。

 しばらく顔を見合わせていたが、最初に口を開いたのはローランだった。


「まあ、あなたに振り回されるのはいつものことですけど」


 それにリンダが続く。


「まったく、手が掛かる上司なんだから……って、もう上司じゃないのか」

「そっか。じゃあ、こき使ってあげるから覚悟してよね」


 アナの言葉にみんなが笑った。

 ジョセフはホッとしたような、でも嬉しそうな笑顔を浮かべると、もう一度、今度は感謝を込めて頭を下げた。


「ありがとう。最後まで頑張ります」


 ジョセフが戻って来た店は、以前のような活気が戻ったようだった。その違いなんて、この店をよく知る者にしか分からないほど、ごく些細なものだろう。皆、態度には見せなかったものの、きっと心の中では心配していたのだ。

 ジョセフはその足で、本店へ向かった。本店の後には工場にも顔を出さなければならないらしい。自己判断で衣装の製作期間を縮めてしまい、多大な迷惑をかけている。当然、歓迎されないだろうが、けじめはつけなければならない。


 コレクションの衣装製作はアトリエの人員だけでは到底間に合いそうもなく、各店舗でも手伝うことになった。針仕事はみんなが手慣れているが、私はボタン付けや、表からは見えない部分の仮縫いくらいしかできない。それでも猫の手も借りたいほど追い込まれているらしく、任されることになった。

 シーズン中は馬車馬のように働くことになるが、相応の手当も出るし、ショーが終わったらまとまった休暇もくれるらしい。お金を稼ぎたい私にとっては悪い条件ではない。

 休憩をとりながら働いている中、ジョセフだけは食事以外は手を休めることなく作業を続けている。


「アイオ……アイロンかけへぇ〜……」


 これはまずい。目の焦点が合っていないし、呂律も回っていない。ゲシュタルト崩壊まで起こしている。そろそろ栄養源が必要だ。

 私は棚の奥から大きめのマグカップを取り出した。真っ白で柄も描かれていないシンプルなカップ。ジョセフ専用マグカップが割れてしまって以来、不便そうだったので商店街で買っておいたのだ。慣れた手つきでコーヒーを淹れると、ジョセフのもとへ持っていく。


「はい、どうぞ」


 ジョセフは手元を見ないまま一口、二口飲むと、真新しいカップに気がついた。


「……はれ、これ誰の?」

「買っておいたんです。前のは割れちゃったので」


 ジョセフが眠たげな目で私をまじまじ見るので、やましいことがないのに内心焦る。


「今、気絶されたら困りますから」


 咄嗟に言い訳をしてツンとそっぽを向いくと、自分の持ち場に戻った。


(今のはちょっと冷たかったかな。不自然だったかも……)


 席についてすぐに自問したが、すぐに首を横に振って、余計な心配事を頭から追いやった。

 今は修羅場で話している時間も惜しい。

 自分の仕事に集中しよう。

 昼間は、その陽射しでなんとか身体を動かし、限界がくれば交代で十分ほど仮眠をとって、また作業に戻る。それを延々と繰り返す。深夜になると、何もないのに急に一人が笑い出し、伝染するように全員が意味もなく笑い出す、という現象も起きたりした。寝不足のせいか、全員様子がおかしい。かくいう私もその中の一人なのだが……。

 そしてある日の夜__。


「ぬぁあああああ!! もう間に合わないよーーーー!!!!」


 最初に根をあげたのはアナだった。

 ジョセフは聞こえていないのか、聞こえていても反応する余裕がないのか、焦点の合わない目のまま一心不乱にミシンを動かしている。

 しかし私にも掛ける言葉も思い浮かばないし気力もない。誰か声をかけてあげてくれないだろうか、と(正直、丸投げの気持ちだったが)隣のリンダに視線を送った。

 黒いクマを蓄えたリンダは「このドレス窓から放り投げてやりたい……」と、呪文のようにぶつぶつと呟いている。

 これは駄目だ、と察して諦め、さらにその隣へ視線を移す。いつも冷静、穏やかなローランが舌打ちをしたのを見逃さなかった。

 まずい、みんな末期だ。


「もっと人手増やせないの!? もっと人を雇えー!!」

「予算がね……」

「ポケットマネーでなんとかしてくださいよ」

「親父に言ってくれ」


 人が変わったように文句を言うアナに、ジョセフが枯れた声で返した。会話だけ聞けば、まるでカツアゲ中の不良とお爺さんのように聞こえる。


「ああもう! クソくらえ!!」


 アナが悪態を吐いた。

 はしたないわよ、なんて消え入りそうな声で注意するものの、この状況、アナの意見には共感だ。

 その時だった。店の扉のベルが鳴った。


「誰よ? この忙しい時に……」


 不良娘と化したアナが一番元気そうだが、一番下っ端の私が重い腰を上げ、様子を見に下へ降りた。

 突然の来店客は一人ではなかった。彼女達を見るなり、私は思わず顔が綻ぶ。

 少し元気が出た私は、階段を駆け上がり、報告をした。


「みなさん! ヘルプが来てくださいましたよ!」


 皆の視線は私に集まり、それから背後に移った。

 救世主の正体を見たジョセフは、よろけながら立ち上がった。


「アリス!? みんなもどうして__」

「声をかけたら、みんな快く手伝いたいって言うから連れてきたのよ」

「声くらいかけなさいよね、水臭いんだから」

「皆様方も、お久しぶりですわ」


 アリス達は全員にお辞儀をした。

 そうだった。彼女達も私と同じように、ジョセフの教え子だったのだ。

 ジョセフは状況を飲み込むのに少し時間を要していたが、やがて申し訳なさそうに「すまない」と、申し出を断った。


「気持ちは嬉しいんだけど、予算がなくて給料が出せないんだ」


 そんなジョセフに、アリスが軽快に笑う。


「そんなの良いわよ。ボランティアのつもりで来たんだから」

「なんだかんだでいつも相談にのってもらっちゃっているしね」

「わたくしは子供を預けている時間だけになってしまうのだけれど……」


 口々に応える彼女達に、アナやリンダ、ローランにもいつもの笑みが戻る。

 ジョセフは込み上げるものを堪えているようだった。


「それでも助かる。ありがとう」


 ジョセフがそう言うと、アリス達は嬉しそうに笑った。

 希望が見え、死んだ魚のようだった皆の目に、正気が戻る。

 アリス達はジョセフの指示を受けて各々に割り振られた作業を始めた。もとは洋装店で仕事をしていただけに裁縫の腕は熟練されている。慣れた手つきですいすいと針を動かし、見るからに作業効率が上がる。思わぬ助っ人達のおかげで、私たちにも再び力がみなぎったようだった。


 コレクションの納期が迫る。ラストスパートだ。

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