第44話 嘘ではなく

「あれ……昨日と同じ服じゃない? しかも……クマができてるよ。寝不足?」


 午後から出勤するなり、アナにつっこまれてギクッとする。

 側から見れば、昨日は彼の家にお泊まり、な身なりだ。

 やましい事は何もないのだが、ジョセフと一緒だったなんて言えばさらに誤解を生むだろう。

 なんと言い訳しようか悩んでいると、先にアナが察したというふうににんまり笑んだ。


「ふーん、あの王子様と上手くいってるんだ?」

「違う違う! その件はお断りしたから」

「断ったって、何を?」

「結婚を前提にって言われたけど、お断りしたの」

「えっ、ええっ!? なんで!?」


 側で話を聞いていたリンダさんも加わってきた。

 上手いこと話を逸らせたようだが、これはこれで説明しづらい。


「バカね、どうしてそんな勿体ないことをしたのよ!?」

「いやぁ……、なんか好きでもないのに無理に結婚しなくても良いかなって思って」

「なに呑気なこと言ってるの。愛なんて一緒に暮らしていれば自然に生まれるものよ。相当なダメ男じゃない限りね」

「……ダメ男だったの?」

「まさか。良い人だったよ」


 即答すると、ますます「なぜ!?」という顔をされる。


「気の迷いでしたって言ってくれば? 今ならまだ間に合うかも!」


 終いには無理矢理な提案をするアナに、苦笑いで首を横に振る。

 自分が贅沢なことを言っているというのもわかる。けれど、これは自分が決めたことなのだから後悔はない。

 どう伝えたものかと口を開こうとした時。


「皆さん、お喋りはそのくらいにして仕事に戻ってください」


 店頭からローランが皆を呼ぶ声がして、二人は会話を中断すると慌ててそちらへ向かった。

 私が倉庫に着替えの服を選びに行こうとした時、在庫表を手にしながら商品の数を数えていたローランと目が合った。


「どうせ後悔するなら、自分に正直でいる方がダメージは少ないと思いますよ。まあ、僕個人の意見ですけどね」


 ローランはいつもの穏やかな笑みでそう言うと、在庫表にチェックを書き込んで別の棚へ行ってしまった。

 どうやらさっきの話が丸聞こえだったらしい。

 単に恥ずかしいからか、それともローランから言われたのが欲しかった言葉だったからか、熱くなる顔を見られないように早足で倉庫へ向かった。




 勤務時間が終わって店を出ると、従業員出口でジョセフが待っていて、私を見るなり「よう、お疲れ」と手をあげた。

 昼頃に一度目を覚ました時は酷い二日酔いだったが、ようやく治まったようだ。

「うん……」と、軽く返して歩き出す。

 いつもよりもあっさりした反応に、ジョセフが慌てた様子でついてくると。


「あれ、なんか怒ってる? 今朝のこと? ごめん、まさか俺も人様にゲロかけるなんて……」

「別にそれはいいのよ」


 それについては本当に気にしていない。具合が悪かったのだし、吐瀉物を浴びせられたのは事故だと思っている。

 というか、そんなことでモヤモヤしているのではない。


 問題は昨日、馬車の中で……。

 顔が熱くなるのをおさめようと、頭を振って平常心を保つ。


__キスされるのかと思った!


 今日はもう何度も、思い返しては掻き消す、を繰り返している。

 ジョセフにしてみれば、単に酔った勢いなのだろうけど。どうせ覚えてもいないのだろうけど!

 それなのにこの男は。

 昼頃に目を覚ますなり、真っ青な顔で自分の身なりを確認したかと思えば、ホッとしたように胸に手を当てて。

「立場が逆では?」

 と、苛立ったのは言うまでもない。

 こっちはお気に入りの服にゲロを吐かれたうえに、酔っ払いの世話に手を焼いたのだ。

 宿に着くなり、ジョセフの服を脱がせてからベッドに放り、シミにならないように急いで二人分の服を洗ってから、椅子で寝ようとしたが寒くて眠れず、悩みに悩んだ結果、ジョセフの隣で寝た。それくらい、迷惑料としては安いものだろう。

 襲われた、と疑うなんてどういう了見だろう。

 それを伝えると、再び真っ青になって平謝りされたが……。


 ジョセフは顔を赤らめながら罰の悪そうな顔で。


「ごめん……俺も女性に中身をぶちまけるなんて、初体験で恥ずかしいんだ……」

「変な言い方しないでくれます?」


 冷めた声でぴしゃりと言う。夕方の人通りが多いところで堂々と、恥ずかしくないのか。いや、この男に恥じらいというものがあるのかすら疑問だが。

 ジョセフはケラケラ笑ったあと、本題を切り出した。


「親父とちゃんと腹を割って話そうと思う」

「そっか」

「レオに会いに行って良かった。誰かが引っ張ってでも連れて行かない限り、ずっと動かなかったと思う。ありがとう」

「そんな、私はただ着いて行っただけだから」


 多分、それを伝えるためにわざわざ店まで来たのだろう。

 ジョセフは昨日までとはうって変わり一皮剥けて、表情には生命力が溢れている。

 二人が再会して本当に良かったと思う。


「そういえばノエルとはどうなんだよ?」

「あっ……」


 そう言えば、ノエルのプロポーズを断ったことは言ってなかった。

 言ったら、どんな顔をするだろう。

 あれだけレクチャーしたのに、と怒るだろうか。

 もしかしたら、仮の話だけれど、ほんの少しはホッとしてくれたりするのだろうか。


「わかってるとは思うけど、余計なことは言うなよ? せっかくのいい流れがおじゃんになる」


 余計なこととは、同じ宿に泊まったことだろうか。

 だったら知られようがもう関係ない。

 私はあっけらかんとした態度で告げた。


「プロポーズされましたが、お断りしました」

「やっぱりな! そろそろだと思ってたんだよ! いやー自分の才能が怖……え? 今なんて言った?」

「だから。プロポーズを断ったのよ」


 衝撃のあまり、言葉を忘れたようだ。

 ジョセフは口をぱくぱくさせたあと、辿々しく言葉を並べた。


「え、それは……見た目に反して性格が悪かったとか?」

「いいえ、すごく良い人よ」

「……じゃあ、他にも女がいたとか」

「まさか。稀に見る真面目な人です」

「……実は、ギャンブル依存で借金だらけだとか」

「やだ、そんなわけないじゃない」


 ジョセフはケラケラ笑う私を信じられないものを見る眼で見たあと、自分の聞き違いを疑うかのような挙動をし、いろんな憶測を呟きながら百面相している。

 初めて見る表情でちょっと面白い。


「だったらなんで? 女がよく言う、良い人だけど……ってやつか?」


 あっさりと首を横に振る。

 ジョセフはまるで、正気を取り戻せ、とでも言いたげに。


「今からでも訂正してくれば? プロポーズを断ったのは気の迷いでしたって、靴を舐めるでもなんでもしてさ」

「冗談やめて。笑えない」

「嘘だろ、この俺がスベるなんて……」

「それはわりと珍しくもないけど」


 本当に、なぜ自分はこんな奴のために悩んでるのか。

 なんだか心底馬鹿らしくなってきて、もうどうにでもなれという気になってきた。


「コレクションが終わったらちょうど半年。そしたら俺たちの契約も解消だ。俺の婚活指南の成功記録が破られる危機だな」

「解消……」


 そうだった。気がつけばもうすぐ半年が経とうとしている。

 思い返せば辛く悲しいこともあったけれど、新しい友達もできて、仕事をする大変さも知った。全部をひっくるめると、本当に楽しくてあっという間だった。

 急に足を止めた私に、数歩前に進んだジョセフが振り返った。


「……どうした?」

「婚約は、解消しません。したくありません」


 意を決して言うと、ジョセフは、えっという顔をしたが、すぐに察したというふうに笑った。


「そうそう、そういう感じでノエルに頭を下げてこい」

「そっちじゃない!!」

「え、なに? 俺とってこと? ……まさか、自分から家出しておいて、いよいよ本当に勘当されるのが怖くなったのか?」

「今更そんなことどうだって良いわよ。手に職があれば一人でも暮らしていけるもの」

「それ、半年前のお前に聞かせてやりたいよ」


 ジョセフは感慨深そうに目頭を押さえている。

 私は身の内で一歩踏み出す勇気を絞り出そうとしていた。


「私も行こうかな、海外。……ほら、私なら、販売員としても役に立てるよ」

「お前も海外行きたくなったの?」

「私に、一緒に来るかって誘ったじゃない! 昨日!」

「えっ、ええ? ……そ、そうだっけ? ……ごめん、酔ってて覚えてない」


 ジョセフは混乱しているのか、目を泳がせていていたが、やがて正直に謝った。

 そうだろうと思っていたけれど、いざその通りだと少し悲しい。

 しゅんとしながら頷くと、ジョセフは慌てて明るく振る舞い始めた。


「つまりなんだ、俺の影響で海外に興味が湧いたんだな。視野が広がるのは良いことだ。 だったら婚約とは関係ないから無理に婚約してなくていいんだぞ? そういうのは身軽になって、ゆっくり考えてからでも……」


 意を決してジョセフを見る。

 私と目が合うと、ジョセフは尻すぼみになって言葉を切った。


「婚約しませんか? 今度は嘘じゃなく」


 ジョセフは呆然としている。

 言ってしまった……!

 反応が返ってくるまでの間が焦れったくて唇を噛んで耐えていると、やがてジョセフが重たい口を開いた。


「……したところで、自分のことでも精一杯なのに、そんな余裕は……。従業員として着いて来たって給料も出せないんだから、来たって後悔するよ」

「養って欲しいわけじゃないよ。お金なら、自分で働いて……」

「だったら、やめておいた方がいい」


 はっきりと告げられた。


「それは俺の望む結婚の形ではないから、わざわざ結婚という形をとる意味がない。……すまない」


 私は振られたのだ。

 正直、もしかしたら、ほんのちょっとは希望あるかも、なんて、心の片隅で思っていた分、ショックが大きい。


「それじゃあ、しょうがないね。……うん、しょうがないしょうがない」


 気まずい空気が流れる。

 こんなことなら、告白なんてするんじゃなかった。


「なあ……」


 ふと、思い出したようにジョセフが言った。


「やっぱり、昨日の夜俺にエロいことしたんじゃブッ……!!」


 こんな時でもしょうもない事を言いだすので横腹を肘で突いてやった。

 この人のデリカシーはどうなっているんだろうか。

 でも今はそれに便乗して、後味の悪さを笑って誤魔化すことにした。

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