第43話 冗談

  積もる話もあるだろうと席を離れようとしたが、ジョセフに引き止められた。

「こいつと親しい人なら構わない」レオさんもそう言ってくれたので、座り直す。それから二人は思い出話に花を咲かせた。


「アレも覚えてるか? レオが海老が食いたいって言い出した時のこと」

「そーそー。二人で川行ってさ、ザリガニ捕まえて食ったんだよな」

「ザリガニも海老も一緒だって思ってたんだよな」


 ザリガニを食べる、という発想はなかった。驚きと共に興味が湧く。


「ザリガニって美味しいの?」

「「全然」」


 ほぼ同時に即答した。


「食った瞬間、二人共ゲロっちまった」

「あれは酷かった。生臭いやら泥臭いやら……」

「食う前に泥抜きするなんて知らなかったからさぁ」


 その光景が目に浮かんで、思わず笑ってしまう。

 少年時代の二人は、かなりやんちゃだったようだ。

 他にも、パンを盗んで店の親父さんにゲンコツを食らってこっ酷く叱られたが、説教後に形が悪くて売り物にならないパンをもらった話も聞いた。なんと、それがおかみさんのパン屋なのだそうだ。


「あ、そうだ。お前この話知らないだろ?」


 突然、レオさんが得意げに笑って言い出したので、ジョセフと私はほぼ同時に首を傾げた。

 そして、またしても衝撃の事実が明らかになる。

 レオさんが言うには、ウィルソン家が土地開発を進めた時に、パン屋の主人は店を畳む気でいたが、なんでもジョセフの父親が移転を頼み込み、今の洋装店の近くに移転したらしい。


「何年か前に、俺の母さんがおかみさんから聞いたんだってさ。俺が知ったのは今の仕事に就く前だよ」


 当時、土地開発のデモ運動に参加してしたレオさんは、お母様からその話を聞いて、製糸工場への就職を決めたらしい。

 ジョセフはまだ半信半疑のようで、抗議的な口調で反論した。


「そんな話知らない。おかみさんだって、何度も顔を合わせてるのに何も言ってこない」

「それは、お前の親父が口止めしてたからさ。頼むからには資金提供もするだろ? おかみさんの店だけ特別扱い、なーんてみんなが知ったら不公平だって思うだろ。そしたらおかみさんのとこだって反感を買うことになる」

「まあ、そうだな……」


 ジョセフは不服そうに頷く。


「__でも、お前の親父さん、特別扱いしなさそうなのに。そんなにあそこのパンが好きだったのかな」

「…‥親父があのパンを食べたのは一回きりだよ」

 

 笑って冗談を言うレオさんに対し、ジョセフはどこか憤ったように呟いた。



***



 酒場を出る頃には、ジョセフは千鳥足になるくらい出来上がっていた。


「れめー、連絡くらいろこせぃ!」

「はいはい、わかったよ」


 うまく回らない滑舌でレオさんに絡み、上機嫌なのか不機嫌なのかもわからない。そんな酔っ払いの扱いに慣れているのか、レオさんはやれやれとあしらう。


「帰ってきたら顔見せろよ。見てのとおりボロ家だけど、茶ぐらいは出せるぜ」


 店を出たあと、レオさんはそう言って笑った。

 ああ、とジョセフが頷く。


「おー! また来るぜ! 約束だ!!」


 二人は固い握手を交わし、抱擁すると、笑顔で離れた。

 ジョセフの顔は、ここへ来た時とはうって変わって、つきものが落ちたようにすっきりとしていた。それから「帰りは歩きたくない」と言って、大通りに馬車を探しに行った。


「__ルーシーさん」


 ジョセフの後を追おうとした時、レオさんに引き止められた。


「ありがとう。あんたがあいつを連れてきてくれたんだろ?」

「ほとんど勢いというか、ただの私のお節介だったんです」

「どんな経緯だったにしろ、今日、話せて良かった。あいつも、俺も。……これからもあいつの事、頼むよ」


 そう言ったレオさんは、とても穏やかな表情をしていた。


「あの、私たちは__」

「ルー! 行くぞー! 今日はハシゴだー!!」


 ただの友達だから、と言い終わる前に遮られた。ちょうどジョセフが二人乗りの馬車をつかまえたところだった。

 続きを言うべきか迷ったが、レオさんの想いを無下にしてしまうような気がして、思いとどまった。


「じゃあ、元気でな。ハシゴはしないでちゃんと帰れよ」

「はい、そうします。レオさんもお元気で」


 レオさんに促されて、ジョセフのもとへ向かう。

 どこか名残惜しさを残しつつも、下町を後にした。


 待っていた馬車にジョセフを押し込み、自分も乗り込んだ。


「もう、飲み過ぎよ」

「ナメるな、俺ぁまだ飲める!!」

「はいはい」


 運転手がこちらを見ている。

 ウィルソン家の住所を告げようとして、思い止まる。ジョセフは父親に勘当されたばかりだ。家出した息子が泥酔して帰ってきたら火に油だろう。とはいえ、私の家に連れていくのも罰が悪い。私自身も家出したばかりだ。


「どちらまで?」


 痺れを切らした運転手に行先をたずねられ、ジョセフが身を寄せている宿の住所を伝えた。手間賃として、一晩だけ泊めてもらおう。

 静かに馬車が動き出す。


__まったく、手のかかる上司だ。


 けれど、ようやく過去の過ちを清算できて、肩の荷が降りたのだろう。いつも陽気に振舞っているが、心のうちではプレッシャーに押し潰されながら、もがき続けている。


__それなのに、私の面倒事まで請け負うなんて……。


 今日くらいは羽目を外してもいいのかもしれない。

 急に静かになったので、寝てしまったのでは、とジョセフの様子を伺うと、じっと窓の外を見つめている。どうやら少しは落ち着いたようだ。

 何を考えているんだろう。

 いつも騒がしい奴が、借りてきた猫のように大人しいと心配になる。けれど酔っているだけなら、そっとしておいた方がいいのだろうか。


「ツイてたのは俺かも……」

「__え?」


 あれこれ考えていると、ジョセフがぽつりと言った。突然だったせいでよく聞き取れずに聞き返すと、ようやく私の方に振り向いた。

 ついさっきまでヘラヘラしていたくせに、やけに神妙な面持ちで見つめてくる。

 意図が読めない。いつもは考える必要もなく察知できるのに、なぜか今だけは読み取ることができない。

 居心地の悪さを誤魔化すように笑顔を取り繕って、できるだけ不自然にならないように顔を背けた。

 視線を感じながら、少しだけ俯き加減で口を閉ざす。ここから逃げ出したい衝動にかられるが、それもできない。どう動けば自然なのかが分からなくなってしまっていた。

 こんなことは初めてだ。それも、ジョセフを前にして、こんな事態に陥るとは思いもしなかった。

 混乱のなか、視界の隅で相手の様子を伺う。けれどもう、ジョセフはこちらを見てはいなかった。窓の桟に肩肘をついて、無表情のまま、ただ、前だけを見ている。


__なんだ、思い過ごしか……。


 酔っていれば意味の無い行動くらいするものだ。何を慌てていたのだろう、とさっきまでの自分に笑えてくる。

 安堵したのも束の間、互いの小指が触れる程度にあたった。たったそれだけなのに、電気を流されたような衝撃が駆け巡った。

 咄嗟に手を引っ込めようとするよりも早く、ジョセフの手の内に捕らわれてしまった。

 互いの指が絡む。

 また、わからなくなった。緊張なのか、次にどうなるのか予測ができない怖さからか、両方の感情が入り混じって手が震えた。

 酔った勢いというやつなのか、単なる気まぐれなのか__いや、友情の延長という可能性もある。


__友達同士でも手を繋ぐの?


 聞いたことがない。そもそも、自分には友達がいなかった。なら、知らなくて当然か。

 だめだ、経験値が足りない。


「ルー……」


 名前を呼ばれて、ビクッと心臓が跳ねる。

 反射的に隣を見上げてしまう。

 ようやく相手の意図が聞けるかもしれない、という安易な期待もあったが、ジョセフの目を見た瞬間、それは叶わないと知る。


「一緒に来る?」


 どこへ? 部屋ってこと? それとも__。

 その意味はわからない。当然、返す言葉も選べない。

 ひとつだけはっきりしているのは、自分がこの上なく緊張しているということだけだ。

 しかし、このままではいけないというのも分かっている。回らない脳を必死に働かせ、必要最低限の単語をやっとのことで取り出した。


「__ど、どこへ?」

「ずっと遠く……」

「ジョー?」


 ジョセフからの返答はなかった。

 本当はそこまで酔ってはいないのかもしれない。


「……ごめん、冗談」


 しばらくして、ジョセフは無表情を崩さずに訂正した。それに少しばかりショックを受ける。

 ずっと、心の内のどこかで、自分も一緒に連れていってくれないだろうかと期待していたのかもしれない。

 勿論、こちらの婚活に協力しているジョセフが、そんな事を言い出すわけがない。そんなことは重々承知だが、今のはあまり笑えない冗談だった。

 空気を壊さないよう、慌てて笑顔を貼り付けた。


「__な、なんだあ、びっくりしたー!!」

「……たぶん、酔ってるんだ」


 ジョセフがわずかに目を伏せた。

 それにつられるように目を伏せて「知ってる」と呟いた。


「__て、いうのも冗談」


 え、と隣を見上げる。

 ジョセフが目と鼻の先にあった。


「ルーシー……」


 肩を抱かれる。頬を包まれる暖かな感触に、咄嗟に目を閉じた。

 心臓が痛いほど鳴っている。


「__うっ……!」


 不穏な声を聞き取って、恐る恐る目を開けた。

 ジョセフが顔を真っ青にして口を抑えている。

 思わぬ緊急事態に、運転手に馬車を止めるように言った。運転手も何事かと驚いていたが、ジョセフの様子を見るなり状況を察したらしい。馬車が急停止した。

 乱暴に扉を開け、ジョセフを引き摺り出す。


「だめだめだめだめ!! まだ吐かないで!! 我慢して!!」

「__うっ、おえっ……」

「飲み込んで!! 飲み込むのよ!!」


 が、無常にも、私の膝に生温かな液体がぶちまけられた。

 独特な酸の臭いがツンと鼻の粘膜を刺激し、時間オーバーを告げる。


__ああ、この服お気に入りだったのに……。


 現実逃避か、諦めからか、呑気にそんなことを思った。

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