第42話 修復

 ジョセフがレオの名を呟くと、店主も驚いたようだ。


「お前さん達、レオの親戚だったのかい」

「親戚?」


 非常にまずい。

 そういう設定だったが、まさかの本人登場。

 そんなのすぐに嘘だとばれる。


「__あの、私たち……!」


 咄嗟に間に割って入る。意地でも誤魔化さなくちゃならないのに、言葉が出てこない。

 これは嘘をついていたから気まずいという話だけじゃないのだ。

 ウィルソン家はこの辺の土地を買い占めては無理矢理開拓を進めた。それによって住む場所を追われた人達もいるなか、少なからず恨みを買っているはず。もしジョセフの身元が知られたら、酷い仕打ちにも遭いかねないのだ。

 良かれと思ってついた嘘が仇となってしまった。


「この子ら、お前さんに挨拶しに来たんだってさ」

「挨拶? なんで?」


 レオさんはどこか冷たい物言いだった。その死角で、一人だけ空気を読めずにいる店主が誇らしげな顔で、ほら言ってやれ、と顎で合図している。

 私は笑顔を崩さないまま皆に背を向けてから、頭痛がしてそうな頭に手を当てた。


__おじさん、余計なことを……!


 結婚するというのも嘘なのに!

 久しぶりの再会に、初っ端から盛大な嘘はつけない。

 張り詰めた空気のなか、ついにジョセフが切り出した。 


「……レオ、あれからどうしてるか気になっていた。それなのに何もできなくて、すまなかった」


 そう言って頭を下げたジョセフを、レオさんが気を呑んで見ていた。

 驚いたのは私もだった。貴族が平民に頭を下げるなど、あってはならないからだ。

 二人の様子に、ようやく店主も何かを察したらしい。急に思い出したような素振りを見せると、忙しなく仕込みの準備を始めた。


「__わざわざそんなこと言いに来たのかよ? つか、今更じゃね?」

「許せないのはわかってる。それだけの事をしたんだ。でも最後に、もう一度会いたかったから」

「最後? ……まさかお前、病気?」

「いや、病気じゃない」

「なんだ、びっくりさせんなよ。昔から辛気臭ぇ顔しやがって、紛らわしいんだよ」


 その言葉に、ジョセフがムッとする。


「顔のことは言うな。俺は母さん似なんだから」

「は、マザコンは健在かよ」


 互いに睨み合っていたが、一転、表情を緩めると手を取り合い、堅く握手をした。


「変わらねぇな」

「お前も」


 ジョセフもどこかほっとしているようだ。

 肝を冷やしながら二人を見ていたが、どうやら思い過ごしのようだった。

 屈託なく笑うレオさんからは、悪意のようなものを感じない。


「その人は? 奥さん?」

「友人のルーシー」

「は、はじめまして!」


 店主が、「え?」という顔をしたが、誤魔化す隙がない。つい、スカートを摘みあげそうになったのを寸前で止めて手を差し出した。しかし、レオさんは私の顔と手を交互に見るだけで、この手を取ることはなかった。


「俺みたいな平民が、良いところのお嬢さんに触れるなんて畏れ多いんで……」

「そんなことないです‼︎」

「__やっぱりな」


 しまった、と口に手をあてたが、もう遅い。

 レオさんは、鋭い眼をジョセフに向けた。


「おい、こんな下町に貴族の娘さんを連れてくるなんて、どうかしてんじゃねぇの?」

「言い出したら聞かないんだ」

「あんたも、興味本位で来るもんじゃないぜ。帰り道の背後に気をつけな」


 これは本気の忠告だ。

 向けられたレオさんの眼光は、厳しい環境を生き抜いてきたであろう彼の生き様を物語って、お母様とはまた違う威圧感がある。その眼から逃れたいのに逸らすこともできず、思わず生唾を飲み込む。

 レオさんはジョセフの隣に腰掛けると、一転して軽い口調で訊ねた。


「で、なんの用? こんなところで油売ってていいのかよ。お貴族様って暇なんだな」

「近々、国を出るんだ。その前に会っておきたかったから……」

「……ミラニアム国か?」


 ジョセフが頷く。

 そうか、とレオさんが物思いに耽るように呟いた。


「へぇ、マジだったとはな。ガキの夢物語だと思ってたけど。金がある奴は違うぜ」

「そうでもないさ。渡航費用だけで殆ど使っちまったから、あっちでの生活は貯金切り崩しながらギリギリ。状況はずっと悲惨だよ」

「なーに言ってんだよ。あんた貴族だろ。親父を頼れよ」

「あいつに頼る気なんかねぇよ」

「犬猿の仲も変わらねぇな」


 レオさんは呆れたように、しかしどこか懐かし気に笑った。

 そんな旧友に、ジョセフが訴えるような口調で捲し立てる。


「お前だってあいつがどんな奴か知ってるだろ。危篤の母さんよりも仕事を優先して、葬儀にすら顔を出さないような奴だ。それだけじゃない。たかが貴族称号欲しさに、生まれ育った土地からお前や皆を追い出すような__」

「__ま、待て待て!」


 延々と続きそうな勢いだったが、レオさんが途中で待ったをかけたので、ジョセフは不完全燃焼という顔でしぶしぶ口をつぐんだ。


「お前、なにか勘違いしてねぇか?」

「__勘違い?」

「俺ら庶民が一番困るのは食えなくなる事だ。食えさえすれば生きられるんだから、住む場所は二の次だよ。おっさんが工場を作るってんで、多くの世帯が立ち退きになったけど、その代わりに希望者は優先的に雇ってくれた」


 ジョセフは初耳というような顔でレオさんを見た。

 逆にレオさんは、ジョセフの反応に「知らなかったのか?」と驚いている。


「……つーか、正直俺も最初は憎く思ったよ。突然、家がなくなるって聞いて「なんで俺たち家族がこんな目に遭わなきゃならねぇんだ」って、そう思ってた。だからデモや暴動にも参加していた。……まあ、ガキだったんだ」

「あの頃は酷かったよな……」


 呟くジョセフの目はどんよりとしていた。

 レオさんは自嘲気味に微笑っていたが、気遣うように明るい声で訊ねた。


「覚えてるか? 昔はこの辺一帯、スラム街だったんだ。無職だったり、日銭を稼ぐので精一杯な人達が住んでた。学も教養もない人間を雇ってくれるところなんかない。でもそんな奴らにウィルソン家が、工場ができたら仕事をくれるって言うんだよ」

「でも、全員は雇えなかった。路頭に迷った末に亡くなった人もいた」

「確かにそういう人もいた。そもそもスラムじゃあ日常茶飯事の光景だったけどな。けどさ、年端もいかない子供が、飢えを凌ぐ為にパンを盗んでいたのが、今じゃあ〝盗みはいけない〟って教えられて育ってる。それは悪い変化じゃないだろ?」


 ジョセフは黙ったまま、頷くことすらしない。今まで信じてきたものが事実と違っていた事を、まだ受け入れられない様子だ。


「自分や家族を食わす為なら、俺たちはどんな仕事だってする。最初こそ慣れない仕事で苦労したけど、結果的に俺の生活は安定した。おかげで妻も子供も養えてる。未だに恨み事を言うのは、定員から落ちた奴や、変化の波に乗れなかった奴らだけだ」

「でも、そういう人達はどうなる?」

「そんなん知らねぇよ」


 投げやりなレオさんの言葉に、ジョセフはぽかんとする。


「知らんって……お前……」

「俺が言いたいのは、悪い事ばかりじゃなかったってことだよ! あの時、路頭に迷った人も確かにいた。けどな、親父さんのおかげで救われた人がいるのもまた事実だろ。それを忘れちゃいけねぇ。不幸になっちまった人のことも、救われた人のことも、お前は両方忘れるな」

「忘れたことなんてないさ。そもそも土地改革なんてしなければより不幸になる人だっていなかったかもしれない」

「人生なんてそんなもんだろ。生まれとか、変えられないものはどうしようもない。でもスタートが違うだけで、いつどうなるか分かんねぇのはみんな一緒だろーが」


 ジョセフは黙ってしまった。何かを考え込んでいるようだった。


「成り上がり貴族だって結構じゃねぇか。先々代の夢を何代にもわたって追いかけ続ける、なんてなかなか出来ることじゃない。むしろその執念深さに狂気すら感じるね。俺なら、ウィルソンだけは敵にまわしたくねぇわ」

「それ褒めてんのか?」


 ジョセフが睨むと、二人は同時に笑った。

 その様子に、私はようやく安堵した。

 レオさんは、もうウィルソン家を恨んではいない。

 一度は壊れてしまった友情が、十数年越しの復活を遂げたのだった。

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