第40話 望郷

「コラー!! 居留守してないで出てきなさい!!!!」

「お、お嬢さん、困りますよ……!」


 受付にいたおじさんに止められるもそれを振り切り、ノエルから聞き出していた部屋まで突き進むと、扉をドンドン叩いた。ジョセフがボサボサの頭を掻きながら出てきた。数日剃っていないのか、髭も生えている。


「まだしてねぇだろ。決めつけるな」

「まだ? やっぱりする気だったんじゃない!!」

「いや、しないって……」

「あ、あのぅ、どうかお静かに……」


 二人の言い合いにおじさんが弱々しい声で割って入ると、ジョセフはようやくおじさんの存在に気が付いた。


「どうも、知り合いがお騒がせしてすみません」

「私が悪いっていうの!?」

「あ、あの、他のお客様のご迷惑になりますので、どうかお静かにお願いします」

「「すみません……」」


 二人で頭を下げると、おじさんはやれやれと汗を拭きながら一階へ降りていった。


「よくも、また黙ったまま消えてくれたわね!!」

「ちゃんと言いに行こうとしてた。勢いで出てきちまったし、必要なものだけ運んだら──」

「それじゃあ遅いのよ!!」

「遅い?」


 なんで? という顔を向けられて、返答に困った。


「──それは……だ、だって、おかしいじゃない。結構仲良い方だと思ってたのに!!」

「まじか。ありがとう」

「どういたしまして……って、ちがーう!!!!」

「しー! しぃいいい!!!!」


 ジョセフが慌てて口に指を当てる。

 はっ、と自分の口を塞ぐが、話がズレてしまっていることに気付いて、すぐに軌道修正をした。


「このままでいいの!? 夫人とのことがバレて、クビになって、だからトンズラ?」

「しょうがないだろ。済んだことはもう……」


 ジョセフの表情が、目でわかるほどに暗くなる。

 なんだ、と胸の内で安堵する。


──やっぱり、自分でもこんな終わり方は納得出来てないんじゃない。


 身のうちで意地悪くほくそ笑むと、挑発的な態度で煽る。


「責任とるって言ってたくせに。後始末はお父様に丸投げ? これじゃあ、逃げたのと一緒じゃない」

「別に逃げたわけじゃ──」

「逃げてるじゃない。担当を外されても手伝いたいんじゃなかったの?」

「仕方ないだろ!! 誰からも望まれてねぇんだからよ!!」

「それがなに!? そんなの理由にならない!!」


 相手が言葉をつまらせた隙に、一気に捲し立てる。


「望まれてないから何だっていうの!? 求められないから放棄していいなんて、筋が通らないわ!!  周りの期待なんて関係ない。これは、あなたの意志の問題でしょう!?」


 しん、とした静寂に包まれる。ジョセフは無言のままこちらに背を向けて、散らかっている荷物をトランクに詰め始めた。


「随分言うようになったな」

「……ごめん」


 少し言い過ぎてしまっただろうか。

 背中に向かって謝ったが、ジョセフは答えなかった。その代わりに、全く別の話題を口にした。


「俺の名前さ、ジョセフ・パロマ・ウィルソンっていうんだ」


 突拍子もない自己紹介にきょとんとしていると、ジョセフがようやく振り向いた。浮かべた笑みには自嘲的なそれも含んでいる。


「ジョセフは曾祖父、それからミドルネームのパロマは曾祖母の名前。今のウィルソン家のブランドは、この二人が立ち上げた小さな洋装店が始まりだった。俺は創設者の名前を同時に受け継いだってわけだ」


 そういえば、異業種交流会の時にノエルと名前の話をしていたのを覚えている。

 確か、その時のジョセフは──。


「〝成功したくば貪欲であれ〟──耳にタコができるくらい言い聞かせられてきた。でも俺は曾祖父とは違う。先代や親父がその意志を継いできたのは立派だと思うけど、尊敬こそしても、同じようにはできない」


 それから肩を落として、懐かしむように呟いた。


「ガキの頃は良かったな。母さんがいて、あいつとバカばっかりやるもんだから、しょっちゅう親父のゲンコツが飛んできてさ。金がなくたって楽しかった」

「あいつ?」


 前におかみさんから話を聞いていたが、知らないふりをした。


「レオっていう、つるんでた奴がいたんだ。うちの階級が上がってから疎遠になって、もうずっと見てない」

「手紙を書いてみたら? きっと喜ぶわ」

「無視だよ。工場を建設する為に土地を買った時に、そこに居た住民を強引に追い出しちまったから。俺たちは恨みをかってる」

「その中に、その子の家族もいたの?」

「血も涙もないだろ?」


 表情こそ笑っているものの、瞳の奥に黒い感情を抱いているのが見てとれた。

 この瞬間、私はようやく気がついた。

 あれは単なる親子喧嘩ではない。原因はもっと根深いところにある。

 ジョセフは幸せな日々を奪った父親のことを、未だ許せずにいたのだ。


「今、その人はどこに?」


 わかるはずもない。そう返事をするだろうと思っていた。が、ジョセフはスーツケースを開けて、ポケットから大きめの封筒を取り出し、差し出してきた。


「……実は、大学に入った頃、気になって探偵に依頼して調べてもらったんだ。でも四年も前の調査結果だから、もう居ないかもしれない」


 それを受け取って中身を見てみると、どうやらウィルソン家の所有する工場からそう離れては居ない。近くに小規模なスラム街もあり、決して治安が良いとは言い難いが、労働階級が密集している住宅街だから危険は少ないだろう。


「会いに行かなかったの?」

「行けなかった」

「だったら、今、行きましょう」


 これにはジョセフもぽかんとした。


「まだここに住んでるかもしれない」


 ジョセフが海外にってしまったら、もう簡単には戻ってこられない。その間にレオさんの行方も分からなくなったら、確かめようもなくなってしまう。

 永遠に負い目を感じて生きるよりはその方がいいだろうと考えての提案だったが、どうするか決めるのは、もちろんジョセフ自身だ。

 ジョセフは私が本気と見るや、ありえない、と鼻で笑った。


「冗談だろ。追い返されるか、最悪、袋叩きだ」

「貴族に手を出したりしないわ」

「俺はもう貴族じゃない」

「私が一緒だから大丈夫よ」


 しん、と言葉を失ったジョセフを不思議に見やると、怪訝そうに眉を寄せた。


「待て待て。まさかお前行く気じゃないだろうな?」

「もちろん行くわよ。人探しなんだから、独りより二人のが効率も良いのだし」

「簡単に言ってくれるなよ。ダメだ、ダメダメ!!」

「何よ、いいじゃない。私の提案なんだから」


 抗議するも「駄目」の一点張りで取り合う気はないらしい。不貞腐れながら文句をぶつけていると、


「面白半分で関わって何かあっても困るんだよ」

「話しかけなくたっていいじゃない。レオさんが元気かどうか、遠くからそっと見るだけよ。そしたらすぐ帰るわ」

「……街だって綺麗じゃないし」

「散々小汚い店に連れ回しておいて、今更何言ってるのよ」


 頭を抱えるジョセフをしたり顔で見ながら、内心でガッツポーズをした。

 始めて相手を言い負かしたかもしれない。なんだか、すこぶる気分が良い。


「だったら条件だ──」


 低い声で、しぶしぶと言った。


「お前にも平民になってもらう」


 え? と見返すと、ジョセフは意地の悪い笑みを浮かべていた。

 なにか悪巧みをするその表情に、私は自分の顔が引き攣るのを感じながら身構えた。

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