第39話 告白
ジョセフが姿を消してから数日。
遂に勘当されてしまった私は、安宿に身を置いていた。一ヶ月間の宿代と食費を計算してみたが、ギリギリ給料内で賄える。思い切って家を借りた方が安く済むのだろうが、初期費用を貯めるまでは動けない為、もう暫くはこの生活を続けるしかないだろう。
とはいえ、生活の不安はあれど、贅沢をしなければ十分やっていける。それに、毎日のお母様の小言からも解放され、肩の荷がおりた。一人暮らしというものは大変だが、なかなか悪くない。
お店に出勤して、更衣室のドアを開けようとした時、中からアナとリンダの話し声が聞こえてきた。
咄嗟にノブに伸ばした手が止まる。
「退職までまだ期間があったのにね」
「それが、発注してた素材を紛失してたんだって」
「だからずっと製作がストップしてたってこと? 結局、社長がコレクションを引き継ぐんでしょう?」
「やば。そんな重要な事をずっと隠してたなんて……!!」
「責任者としてどうなのかしらねぇ……」
職場でのジョセフの評判は、すっかり地に落ちてしまった。
一緒に働いてきたスタッフの間には、急に姿を消したジョセフへの不信感が募るばかりだ。無理もない。ジョセフのした事はそれだけ会社に迷惑を掛けたのだから。
深呼吸してから、思い切ってドアを開けた。
「おはようございます」
私が挨拶すると、アナとリンダが慌てて口を閉ざした。
二人とも、やばい、という文字が顔に出ている。それから余所余所しく挨拶を返してきた。
「あ、おはよー」
「おはよー、ルーちゃん」
私は何も聞いていないふりをして荷物を置いて店頭へ向かった。
「聞かれなかったかな?」二人が小声で話しているのもしっかり聞こえたが、複雑な気持ちで聞き流すしかなかった。
夕方、仕事を終えて店を出ると、ノエルが待っていた。その様子を、通りすがりの女性達が視線を送っては頬を染めている。
ノエルは私を見つけると、はにかんで駆け寄ってくる。
きっと、多くの女性が憧れているシチュエーションで、他人から見たら私は幸せ者なんだろうな、なんてどこか他人事のように思った。
「ルーシーさん!」
「ノエル様、外で待って頂かなくても従業員に声をかけて下されば──」
「いえ、たいして待ってないですよ。それよりも、大事な話があって……夕食、まだですよね?」
「まだですけど……」
「良かった。行きましょう」
ノエルは安心したように微笑むと、なかば強引に私の手を引いた。
しかし食事の最中も、ノエルはどこか落ち着かない様子だった。
帰りに公園を歩きながら、会話が続かず、二人とも無言になる。妙な居心地の悪さに、帰路が長く感じた。
──大事な話ってなに?
そう、こちらから訊ねてもいいのだろうか。迷っていると、遂にノエルが本題を切り出した。
「実は、少し前からルーシーさんのご両親から婚約の申し出があったんです」
「また勝手に……! すみません。無視して頂いて良いので」
「いえ──、お受けしようと思うんです」
「──え?」
聞き間違いだろうか。
審議を確かめるために、ノエルを見やる。ノエルの横顔は、少し強ばりつつも真面目な表情をしていた。
「少し早いかもしれませんが、ルーシーさんとなら大丈夫だと思うんです。今後のことも、お互いに話し合いながら決めていけば良い。僕は、ルーシーさんのやりたい事を応援したい」
ノエルがこちらに向き合って、真剣な面持ちで問う。
「僕と、婚約して頂けせんか?」
それは、ずっと待ちわびていた言葉だった。それも、こんなに優しくて理想的な人に言ってもられるなんて……。
これは現実だろうか、と自問自答する。いざ憧れが現実になると、飲み込むまでに時間がかかった。それでもノエルは辛抱強く待ってくれている。
ノエルのような、理想的な人からのプロポーズ。こんな奇跡のような出来事は、今後二度と訪れることはないだろう。
嬉しい。嬉しい気持ちでいっぱいなのに、胸の内に引っかかるものがある。今思えば、随分前からあったのに、それが何かを知ろうとしなかった。
ノエルのプロポーズがもう少し早ければ、答えは違っていたのかもしれない。
しかし、見て見ぬふりをするには、もう手遅れだった。
「ありがとうございました!」
突然頭を下げた私に、ノエルが戸惑っているのを感じる。
「あなたは私には勿体ないくらい素敵な人だし、きっともう二度とそんな風に言ってくれる人は居ないと思うから……本当に、嬉しかったです」
「な、何言ってるんですか。頭を上げてください」
慌てて頭を上げさせようとするノエルに構わず、私は続けた。
「だけど、私……私は──」
「……ジョーさんとは何でもないんですよね?」
私が言う前に、ノエルからその名を口にした。
恐る恐る顔を上げてノエルを見上げたが、彼は私ではなく、隣の地面を見ていた。その表情に胸が痛む。
「……ええ」
「いずれは婚約を解消するんですよね?」
「──そのはずだったんです。でも、出来なかった。ジョーのお父様から、婚約を解消してもいいって言われた時、それだけは嫌だなって思ってしまったんです」
「そうですか……」
ノエルがなんとか笑みを浮かべる。無理に微笑む表情に、さらに罪悪感を覚える。
「──あはは、今更気付いたところで、もう遅いんですけどね……。本人がどこへ行っちゃったかわからないし。もしかしたら、もう船の上かも……」
「そんなことは……」
自嘲気味に笑う私に、ノエルが言いかけた言葉を途中で止めた。無責任な慰めは逆に酷だということを、彼は分かっている。
──こんな人と結婚したら、きっと幸せなんだろうなあ。
心から、そう思う。
けれど、それは私じゃない。私よりも、もっと相応しい女性がいる。
「送ってくれてありがとうございました。ここで大丈夫です」
暗くなった空気を払拭するように、できるだけ明るく言った。
「でも暗いし、一人じゃ──」
「大丈夫です。もう慣れっこなので!」
もう一度、心からの感謝を込めて頭を下げる。戸惑うノエルに満面の笑みを向けると、踵を返して歩き出す。
「そういう問題じゃないんだけど……」
後ろから呆れたような呟きが聞こえた気がしないでもないが、足を止めたりはしない。
──たとえ一人だって、私は大丈夫。
私の選んだ道の先に、あの人がいるとは限らない。もしかしたら、もう二度と会えないのかもしれない。
けれど、前に進むと決めたのだ。
「──来週です!!」
ノエルが叫んだ。
え? という顔で振り返ると、すまなそうな顔をしていた。
「来週の月曜、うちの貿易船にジョーさんを乗せる約束をしているんです」
「友達の船って……ノエル様だったんですか?」
知らなかった。
いつの間に、二人が仲良くなっていたなんて。
「今は港近くの宿に宿泊しながら、次の出航までに私物を倉庫へ運んでいます。準備が整ったら、あなたにも会いに行くと言っていました。先に僕が教えるのもどうかと思って……黙っていてすみません」
そう言って、ノエルは頭を下げた。
ジョセフはまだこの国にいる。
準備が整ってからって、私の優先順位は最後の最後ということか。
少し……いや、かなり不満だ。あんなに友達だのなんだのと言っていたくせに、肝心なことを話してくれないのは、何も変わっていないじゃないか。
ふつふつと煮えた不満は、怒りへ変貌を遂げる。
「──えて下さい」
「……え?」
ぽかんとしているノエルに向かって最速で距離を縮め、その両肩を掴んで詰め寄った。ノエルの肩がビクッと跳ねる。
今、私の目は完全に据わっていることだろう。
「居場所を教えて下さい。今すぐ!!」
「……あ……はい」
ノエルが頷いたのに満足して、拘束を解く。
案内している間も、ノエルは何やら頭を悩ませていたが、きっと気のせいだろう。
それよりも、あいつに言いたいことが沢山ある。
──会ったら、ガツンと言ってやる!!!!
溜まった不満を一字一句逃さぬよう、脳内で何度も繰り返していた。
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