第37話 解雇
「お前の方は順調そうで良かったな」
「なんの話?」
「とぼけるなよ。彼氏の話」
彼氏、という言葉にピンと来なくて考えていると、先にジョセフが答えを言った。
「ノエルのことだよ。上手くいってるようだな」
「別に、付き合ってるわけじゃないわ」
「その気はあるだろ?」
どうなのだろう、わからない。
そりゃあ、ノエルのような素敵な人と付き合えたら幸せだとは思うけれど。
「告白もされてないのに、そんな……」
「なら早々に確認した方がいい」
「そんなこと聞いたら、急かしてるみたいじゃない。がっついてるみたいで、みっともないわ」
「悠長に待っていられる余裕はないだろ。ここでたたみかけないと、ズルズル先延ばしになったらどうする? ノエルはいくらでも出会いはあるだろうが、お前には後がない」
「後がないって……失礼ね」
「男と違って、女には年齢とは別のタイムリミットがあるだろ? 子供を産むには体力がいるし、身体への負担もある。そうした負担をなるべく抑えたいから、若いうちに産みたい。そうなると結婚も急がなきゃならない」
「ええ、そうね」
「男はそのへん漠然としてる。細かいことには疎いんだ。教えてくれないとわからない。……教えられてもわからないかもな?」
宙を見上げながら訂正した。
一体どっちなんだよ、もう。
「とにかく、はっきりさせた方がいい。お前には時間がないんだから。ダメなら切り捨てて、次だ次」
胸の内を誤魔化すように生返事を返した。
「こうして口を挟むのも、最後かもしれないな」
「でもあと一ヶ月でしょう?」
「そんなには必要ないだろ。明日で俺たちの婚約も解消になるだろうから」
──え? と、見上げる。
ジョセフは苦笑いすると席を立ち、珈琲豆が入った瓶を手に取った。コーヒーが飲みたくなったらしい。しかし、食器棚の定位置に愛用のマグカップが無いことに気が付いた。数日前に、親子喧嘩の拍子に割ってしまってから、まだ新調していなかった。少し悩むと、仕方なさそうに来客用のティーカップにコーヒーを注いだ。
「──明日、親父に正直に言うよ」
振り返ったジョセフの目には、決意が浮かんでいた。
「夫人とのことも、そのせいで材料がパーになったことも、全部話す。コレクションの担当は降ろされるだろうけど、仕方がない。自分がまいた種だし。もっと早くそうすべきだったよ」
「あなたのお父様、誰が材料を盗んだのかを知らないんだっけ」
「親父はライバル企業の仕業だと思い込んでる。もう何年も前だけど、かなり無茶して企業を買収しては土地を買い占めていたから。おかげでウィルソン家は上流階級に格上げされたけど、代わりに色々な人からヘイトを買ってるんだよね」
「そんな話、知らなかった」
「知らなくていいさ。胸を張れることじゃないし」
ジョセフがカップの中身を見つめながら言った。
「でも、そんなことしたって……コレクションはどうなるの?」
「それを決める資格は俺にはないよ。……でも、もし許されるなら、雑用でもなんでもいいから手伝わせてほしいな」
ジョセフは自嘲気味に微笑うと、カップに口をつけた。
***
次の日、店内に響き渡る罵声で目を覚ました。テーブルに突っ伏していた顔を上げると、窓から差し込む陽射しが眩しくて、思わず顔をしかめる。話し込んでいるうちに、そのまま眠ってしまったらしい。時計を見ると、まだ開店までだいぶ時間がある。
そこで二度目の罵声が轟いて、完全に目が覚めた。ジョセフの父親の声だ。
様子を見に下へ降りると、血管が浮き出るほどに激昂している父親が、ジョセフに向かって怒鳴り散らしていた。話の内容を察するに、どうやら衣装製作にストップをかけている縫製工場から、直接社長に苦情がきたらしい。
「デザインは描き直す。とはいえ、もう間に合わないのは確実だろうがな。コレクションで未納だなんて前代未聞! 赤っ恥もいいところだ!!」
材料が盗まれた経緯を正直に話して謝罪する息子を、父親は思い切り頬を殴った。床に尻もちをついたジョセフの頬は、赤く腫れ上がっている。
「この大馬鹿者め!! よりにもよって公爵夫人と──!!」
ジョセフは押し黙っている。
「今のお前を母さんが見たらどう思うか──!! クビだ。即刻出ていけ。二度とその面を見せるな」
ジョセフは立ち上がると、店の鍵をデスクに置いた。それから父親に深く頭を下げると、何も言わずに出て行ってしまった。
そのあとを追いかけようと父親の横を通りすぎた時、厳しい声で止められた。
「婚約を破棄した方が良いのでは?」
振り返ることも出来ず、立ち尽くす。
「本当は迷っていたんじゃないのか? こんなことになって、いい加減に愛想も尽きたことだろう。誤魔化して結婚するよりも、君から振ってやるのが優しさってもんじゃないのかね?」
ついに、この時が来たのだ。
ここで頭を下げて、謝罪と共にお断りすれば、穏便に婚約解消が出来る。その後にノエルと付き合うのは体が悪いが、ジョセフさえ承知していれば問題ない。そもそも、最初からその予定だったのだから。
「──嫌です!」
しかし、口から出たのは、予定とは逆の言葉だった。
──あれ……? 私、今なんて言った? もしかして「嫌だ」って言った?
思わぬ発言に、自分自身が一番混乱している。
せっかくの好機を自ら無下にするなんて、自分で自分がわからない。
ジョセフの父親の表情が厳しくなる。まずい。
「あいつには、仕事も金も、階級すら、もう何も残っていない。そんな男にしがみついて何になる。君のようなお嬢様には、とてもついて行けるとは思えない。君も破滅したくはないだろう」
「破滅なんてしません。彼はただ、自分の実力を試したいだけなんです。私は応援したいと思っています!」
「綺麗事を言うな! 気持ちだけでは人生どうにもならない。たとえ才能があったとしても、それだけじゃダメなんだ!!!! 君のような苦労も知らないお嬢さんに何がわかる!?」
言い返す言葉もない。目の前の人を論破できるほど、私には経験も、知識も、何もかもが足りない。
「あいつはな、意地になっているだけなんだよ。 一丁前に海外だなんて! 才能も、自信もないくせに……──ったく、名前がなんだっていうんだ」
「……名前?」
「なんだ、聞いてないのか」
ふん、と鼻で笑われる。
「何も知らないで、よくもまあ結婚しようと思えるものだ」
「……」
それについては言い返すわけにもいかない。
別に結婚しようとまでは……、と身のうちで言い訳した。
確か、ジョセフという名は曽祖父の名前だと聞いた。異業種交流パーティーの時、ノエルがそのことに触れていたが、ジョセフは軽く受け流していた。今、改めて思い返せば、少し嫌そうにも見えたかもしれない。
「実は少し前から、君のお母様から婚約解消の申し出を受けているのだよ」
「──どういうことですか!? 私は何も知りません!!」
また私に何も言わずに勝手に──。
胸の奥の熱く煮えたぎる感覚に支配されていく。二度と、お母様を許せなくなりそうだ。
ジョセフの父親は、そんな私の様子を見ても至極冷静だった。
「その時は寝耳に水だったが、まあ、アイツの所行を思えば、君の将来を心配するのも当然だろう。別の人を選んでも、君を悪く思ったりしないよ。君の人生だからね」
私は振り返ると、真っ直ぐに見つめ返した。
胸を張り、毅然とした態度で言い放つ。
「婚約解消は致しません」
返事を待たずに店を飛び出した。
なぜあんな返事をしたのか、自分でも説明できないが、きっと意地になっていたのだろう。
外にはもう、ジョセフの姿は見えなかった。
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