第33話 互いの距離
「……あの、今日はお誘いして良かったんですか? 婚約されているなら、ご迷惑でしたよね?」
店を出てからしばらく無言で歩いていると、ノエルが遠慮がちに聞いてきた。
「あそこで少し話しましょう」
そう言って、ノエルを近くの庭園に誘った。
変に隠したら、もっとややこしいことになりそうだ。意を決して事情を話すことにした。
ただし、婚活指南を受けていることだけは伏せた。私だけではなく、ジョセフも知られたくないだろう。前に「そういうのはやめた」と、本人が言っていた。
「つまりお二人は、勘当までの時間を稼ぐために偽装婚約している。その期限までだと、あと三ヶ月で破棄するんですか?」
「……ええ。正確にはもう三ヶ月もないですけれど」
これでノエルには、結婚にがっついている女だと思われてしまった。偽装とはいえ、ジョセフと婚約しながらも、片手では婚活しているなんて、完全に引いただろう。
──あーあ、お母様になんて言い訳しよう……。
けれど、おかげて肩の力が抜けた気がする。ジョセフは、私の結婚相手にノエルを推してくるが、こんなに良い人をこちらの都合で巻き込みたくはないという気持ちもある。
「その、ジョーさんへの気持ちはあるんですか?」
「いいえ、全く」
「でも、ジョーさんの方は──」
「ないですね。全く」
「ま、全く?」
「全く!」
即答に気圧されながらも、ノエルははにかんだ笑みを浮かべた。
この人には、この先自分がどう生きて行きたいか、正直に話しておいた方がいいような気がした。
「実は、自分が本当に結婚したいのかわからなくなってしまったんです。最初は憧れてたけど、意外と結婚願望なかったのかも」
「どうしてですか?」
「友人に、結婚しないと宣言しているコがいるんです。そのコは手先が器用でセンスもあって、仕事も出来て……将来の夢を語ってる時の彼女はとてもキラキラしてるんです。それを見ていたら羨ましくなってしまって。自分もそうなりたいと思ったんです」
ひとり、公園で考えた時に思った。
アナが夢を語ってくれた時、心の底から羨ましかった。自分にはないものだから。
私もアナのように、自分の夢を全力で叶えてみたい。そのためには、自立しなければならない。
「といっても、自分の夢っていうのが何なのか、見つけられていないんですけどね」
「わかる気がします」
数秒の沈黙の後、ノエルが再び口を開いた。
「僕は結婚が全てではないと思っています。けれど、ひとつの手段だとも思っています」
「手段?」
ノエルが頷いた。
「夢を追うのって、孤独との戦いだと思うんです。誰が叶えてくれるものじゃないし、辛くても自分ひとりで向き合うしかない。けれど戦友がいたら頑張れるでしょう?」
心にかかっていた霧が晴れていく。
なんて素敵な考え方だろう。自分にはない見方に感動して、つい目に熱が込み上げたが、なんとか抑えた。
「きっとルーシーさんの夢を応援してくれる人がいますよ。……なんて、年下の僕が偉そうなこと言えないんですけどね。でも、僕も応援したい」
照れたように笑った表情には、あどけなさが残っている。
心が軽くなっていく。
じーん、と感動していると、突然ノエルが笑いだした。
「やっぱり、ルーシーさんって面白いですね」
「え?」
「こう、生きることに一生懸命で、すごく逞しいです」
「前から思ってたんだけど、それって褒めてるのかな?」
「もちろん!」
笑顔で頷いたノエルに、苦笑いで返す。
全てを知られてしまったら、気が抜けて口調も砕けてしまった。
かえってこっちの方が楽で良かったのかもしれない。
──話せて良かった。
その日をさかいに、ノエルとはよく連絡を取り合うようになった。仕事が終わる時間にまちあわをして食事に行ったり、休日は演劇鑑賞や釣りに行ったりもした。
以前のように緊張しなくなったし、一緒にいるのは楽しい。
自然と、ノエルのことをもっと知りたいと思うようになっていた。
***
店に出勤すると、ジョセフが専属のパタンナーに型紙をひき始めるよう指示を出したことを、リンダから聞いた。もう半月はジョセフを見かけていない。ほとんどアトリエの方で仕事をしているのかもしれない。
コレクションに出す服のデザインは変えることは許されず、期間も迫っている。使用する材料は海外の企業にオーダーメイドで依頼した特注品で、国内では手に入らないものらしい。再度注文した所で衣装の納期には間に合わない。
こうなったら何としてでも、材料を盗んだ犯人を見つけ出し、取り戻さなくてはならない。
久しぶりにジョセフに会えたと思ったら、なんだか様子がおかしい。接客している時以外は難しい顔をして何か考え込んでいるし、店を留守にすることが多くなった。
「あの」
「……」
話しかけてみたが、反応がない。どこを見ているのか、目の焦点も合わない。どうやら、まわりが見えなくなるほど考え込んでしまっている。
「あのー……聞いてます? ……ジョー!」
目の前で手を叩くと、ようやく焦点が合った。
「──あ? なんだ、お前か」
「なんだってことないでしょう。なにか手伝うことありませんか?」
「やることないなら売り場のメンテでもしてろよ」
「それはわかってます。そっちじゃなくて──」
目が合うと、言わんとしていることを察したようで、罰が悪そうに「ねぇよ」と返された。
「でも、たった一人で犯人を探すなんて無理よ。みんなにも手伝ってもらいましょう!」
「駄目だ。これは俺がやらなきゃならないんだよ」
「そんなこと言ってる場合じゃないでしょう。早く警察に届けるべきです」
「必要ない」
「でも犯人がわからないんじゃ──」
気まずそうに目を逸らした。
「──まさか!」
ジョセフは気まずそうに目を逸らすと、わずかに頷いた。
嘘でしょう、と両手で抑えた口から絶望の声がもれる。
『いい返事を待ってる、って伝えておいて』
夫人の台詞の意味がわかったと同時に、消えた材料の在り処も明らかになった。
「材料は取り戻すから、余計な心配してないで、店のことを頼む」
余裕そうに笑うが、簡単にはいかないだろう。なぜなら──。
「──いったい何を要求されたんですか?」
「ははっ、なんだそれ。演劇の見すぎか?」
「茶化さないで! この間、その……偶然、夫人に会って、あなたへの伝言を頼まれたんです」
夫人からの伝言を伝えると、ジョセフはほんの僅かに目を細めた。
夫人は〝いい返事を待っている〟と言った。ジョセフに取引を要求しているのは明らかだ。
取引内容を聞き出そうとしたが、ジョセフは「別になにも」と答えるだけだった。意地でも言う気はないらしい。
返してください、と頼んだところで、夫人が素直に返してくれるとは思えない。そうだったら、そもそもこんなことはしていない。
だんだん腹が立ってきた。ふんす、と鼻を鳴らしてジョセフに提案する。
「警察に行きましょう! 偽造された名刺もあるし、店の人達も証言してくれますよ」
「だから?」
「こっちが有利です。全部警察に言って、盗んだものを返してもらいましょう!」
「それは無理だ」
熱くなって言うと、ジョセフは自嘲気味の笑みを浮かべると、ため息混じりに言った。
「どうして!?」
「名刺の偽造なんかシラを切られたら終わりだ。どうせ印刷所もグルだろ」
「でもうちのスタッフだと偽って品物を奪ったんです。それをマルクさんに証言してもらえれば──!」
「奴らはちゃんと金を払ってるんだ。店側の不手際ってことになるだろうな 」
「でも──」
納得がいかない私を、ジョセフが冷静な口調で遮った。
「警察だって俺らなんかを相手にしないさ。このくらいの不正を揉み消すは、あの女にとっては肩についた埃を払う程度のもんだよ」
「でも、警察は公的機関でしょう。不正を黙って見過ごすなんて」
「あの公爵だぞ? 当然、警察上層部にもコネがある。寄附金の額も半端じゃないだろう。加えてこっちは一代貴族。こんな階級制度推進の国じゃ、影響力に差がありすぎる」
「そんなのおかしい!!」
肩を落とす私に、ジョセフは「世の中そんなもんだろ」と、自嘲気味に笑った。
「それに、これは俺自身の問題だ」
腹を括ったというより、どこか諦めたような口調だった。
夫人の言うことを聞くしかない。そう言っているように感じた。
「私にできることは?」
「他言無用」
つまり、何も無いということじゃないか。ふつふつと不満が募っていく。
不機嫌に黙り込んでいると、急に背中を叩かれた。振り返ると、ヘラヘラ笑っているいつものジョセフがいた。
「大丈夫、なんとかする」
貼り付けたような笑みが、私の怒りの火に油を注いだ。
どうにか出来るのなら、こんな事態にはなっていない。追い詰められているくせに、相談もしてくれないどころか、これ以上は踏み込むなと、一線を引かれた。私の婚活にはあれこれ口を挟むくせに、自分のことは秘密主義だなんて不公平だ。どうやら私とジョセフとでは、互いに抱いていた距離感が違っていたようだ。
頭の中で何かがプツリと切れる音がした。
「いったいどうするっていうの? 夫人の言うことを聞くつもり?」
「そうは言ってない」
「だったらどうするのかをちゃんと話してよ」
「お前には関係ないだろ。誰にも迷惑はかけないから放っておいてくれよ」
「もうかけてるじゃない!!」
気付いたら声を荒らげていた。ジョセフの表情が曇る。
しまった、と思った時にはもう遅く、張り詰めた空気へと変わった。
けれど、もう自分でも止められなかった。
「私の
勝手に口が動いてしまう。
「そんなに踏み込まれたくないなら、最初から関わらなきゃ良かったのよ!!」
フッ。と、ジョセフの目から光が消える瞬間を見た。それが意味するのは、怒りでも悲しみでもなく、私に対する興味が失われたのだと、瞬時に理解した。
「そうか、悪かったな。だからこれ以上、首を突っ込まれる筋合いはない」
初めて浴びせられた冷ややかな声が、胸に突き刺さる。
ジョセフは上着と鞄を手に取ると、私の横を通りながら吐き捨てた。
「俺たち所詮、赤の他人だろ」
それは明確な拒絶だった。
怒りを向けられた方がまだ良かったと、途端に後悔の念がおし寄せるのだった。
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