第32話 初デート

 週末、いよいよノエルとの初デートの日がやってきた。

 デートなんていつぶりだろう。学生時代にはもう、クロードとはそれらしいデートもしなくなったから、この歳にしてデートの経験が無いに等しい。約束の日が迫るにつれて、不安が増すばかりだった。

 一体、何を話せばいいのだろう。相手は歳下なんだから私がリードした方がいいのかもしれない。ジョセフには、薄汚い店に行けと言われたが、ノエルが薄汚い店で食事しているなんて、全く想像が出来ない。心配だったので、一応、有名な料理店もリサーチしておいた。散々調べ終わってから、私は彼氏かよ、と一人ツッコミした。


──ところでデートって何するんだっけ?


 家でノエルの迎えを待っている間、そんな疑問まで浮かんでしまった自分に愕然とした。


「いいわね、ルーシー。失礼だけはないように、上手くやるのよ」


 上機嫌の母親に念押しされて、さらに胃にストレスがかかった。そんなに言うなら、具体的に上手いやり方というのを教えてほしい。

 客間に向かうと、私を見たノエルは愛嬌のある笑みを浮かべた。途端に緊張してしまう。その場にいた使用人達も口元が緩んでいる。


「こんにちは、ルーシーさん」

「こ、こんにちは」

「──今日はなんだか、いつもと雰囲気が違いますね」


 スカートの裾を持って挨拶する私を、ノエルはじっと見るなり、そう言った。


「あ、あれ、変でした?」


 服が似合っていなかったのだろうか。もしかして、気合を入れすぎた?

 不安になっていると、ノエルは微笑んだまま首を横に振った。


「いいえ、お似合いです」


 男の人に、こんなストレートに褒められたことがあっただろうか。──いや、一度だけあった。異業種交流パーティーの時に、ジョセフが綺麗だと褒めてくれた。でもあれは私に自信を持たせるために言ったのであって、今回のとは意味が違う。


「ありがとうございます」


 冷静を装ってお礼を言ったが、心の中は小躍りしながら喜んでいた。ダイエットを頑張って良かった。


「では、行きましょうか」

「はい」


 母親から放たれているプレッシャーを背中に感じながら、ノエルの手を取った。


 ノエルが連れて行ってくれたのは、高層階にある海鮮料理のお店だった。窓の外には夜景が広がっていて、とてもロマンチックだ。

 さすが侯爵位。行きつけの店も違う、とどこか遠い存在を見るかのように感心してノエルを見やると、ふと違和感を感じた。なんだか肩に力が入っているような……。


──もしかして、緊張してる?


 意外だ。てっきり百戦錬磨かと思っていたが、実は恋愛沙汰には慣れていないのかもしれない。歳下だからだろうか、そんなところも可愛いと思えてしまう。


「こういうお店、よく来るんですか?」


 緊張を誤魔化そうと、話題を振った。

 今こそ、接客業で培った会話力を発揮する時だ。


「恥ずかしいんですけれど、私、実はこういう素敵なお店、あまり来たことがなくて……」

「そうなんですか?」


 ノエルは、意外だ、というような目を向けた。

 そう思われていたなんて、逆に意外だ。


「一人だとなかなか……。だから嬉しいです」

「喜んでもらえてよかったです。以前、取引先との会食で利用したことがあって、料理が美味しかったから覚えていたんです。でも普段はもっとラフなところに行きますよ」

「どんなお店なんですか?」

「今は貿易関係の仕事を手伝わせてもらっているので、よく海岸沿いのお店に行ってるんです」


 料理が運ばれてくる。皿の真ん中に、立派に育った海老がでんっと乗っかっている。海老を見るなり、ノエルの目が輝いた。

 なるほど、海老が好物らしい。


「いいですね。海岸沿いだと新鮮で美味しそう」

「そうなんですよ! 安くていっぱい食べられるんです。食べ放題もあるんですよ!」


 無邪気に笑って、海老を頬張っている。うん、可愛い。美味しそうに頬をもぐもぐ動かすのを見ていると、母性本能が擽られる。食べているところをずっと見ていられる。


「いいですね、食べ放題」

「興味があれば一緒に……あ、でも、ちょっと綺麗な店とは言い難いので、女性は少し抵抗あるかも……」

「そんなことないです!」


 つい力が入って声が大きくなった。ノエルが吃驚したように見ていたので、慌てて声のボリュームを下げた。

 以前の私なら敬遠していたが、ジョセフとの関わりができてからは、よく小汚い酒場に連れていかれるので慣れてしまった。それに、庶民派のお店が出す料理には、安くて美味しいものが沢山ある。巷では〝B級グルメ〟と言うらしい。その味を知ってからは、どうしてもまた食べたいと思ってしまう。シェフが作る料理ももちろん美味しいが、B級グルメは癖になる味だ。

 ノエルもまた、その虜になっていたとは。一気に親近感がわいた。


「興味はあるけれど、その、女同士じゃ入りづらくて……」


 本当は行きつけの店があることは隠した。通いつめていることを知られたら、引かれるのではないかと思い、つい見栄を張ってしまった。


「じゃあ次はそこに行きませんか? 僕で良ければ案内します」

「ぜひ! 楽しみです」


 デート開始早々、次の約束を取り付けてしまった。


──すごいわ、小汚い店!! 正直、絶対ないと思ってたわ!!


 褒めているようで失礼な事を考えながら、心のうちでガッツポーズをする。

 海岸沿いの店ということは、鮮魚店が食堂も兼業しているのだろう。生臭いだろうし、決して綺麗とは言い難い店をデートには選ばない。けれど、逆にそれを利用すれば、気軽に誘われやすくなるということなのだろうか。 

 考察していると、三つテーブルを挟んだ奥にある予約席に、一組の男女が案内されていた。背の低い小太りの中年男と、すらっとしているが出るところは出ているナイスバディな女。なんだか見覚えがある。


──げっ!


 モーリアック公爵とアンリエット夫人だ。夜会のときの高圧的な態度が思い出される。まさかこんな所で再会してしまうなんて。

 夫人は、まだジョセフに執着している。しかもジョセフと私ができていると思い込んでいるせいで、私のことを敵視している。平穏に過ごしたい私としては、一番敵に回したくない相手だ。

 できるだけノエルの影に隠れるように身を潜めていると、夫人がこちらに背をむける形で席に座った。


「ルーシーさん?」


 突然、ノエルに呼ばれて「えっ?」と聞き返す。


「なんだか様子がおかしいから、心配ごとでもあるのかと思って」

「ち、違うんです。ちょっとぼんやりしてしまって……ごめんなさい」


 慌てて首を横に振ってから「これ美味しいです!」海老を口に運んで誤魔化した。

「よかった」ノエルは微笑み、それ以上は追及してこなかった。


──モーリアック公爵とプリドール家は親しいのよね。もし、公爵の存在にノエルが気が付いたら必ず挨拶をする。そうなったら非常にまずいわ。


 幸い席は離れているし、このまま気付かれずに店を出るしかない。

 速やかにミッションを遂行し、無事帰還してみせようじゃないか。


「ジョーさんって、面白い人ですよね」


 海老が器官に入って咽る。今その名前を出す!?


「──え、ええ、まあ……」


 笑顔で誤魔化しながら、チラチラと夫人の様子を伺う。時折、小刻みに肩を揺らしながら談笑している。どうやら聞こえていないようだ。心臓に悪い。

 こちらの心中を察するはずもなく、ノエルが続ける。


「そういえば、コレクションのシーズンですよね。お仕事もお忙しいんじゃないですか?」

「これからです。といっても、私には店番くらいしかできないんですけどね。でもショーの裏側ってなかなか見られないから、すごく楽しみなんです」


 仕事の話で気が紛れたおかげで、自然と会話が盛り上がった。

「不思議だなあ……」話が一段落すると、ノエルが呟いた。


「女性と仕事の話で盛り上がるなんて、なかなか経験できないので、貴重だな、と思って」

「私の職場には、女性の方が多いんですけどね」

「僕の周りにはいないから、ルーシーさんと話していると楽しいし、そういう女性ひとって頼もしいです」


──いや、それ褒めてんの?


 つっこみたくなったが、ノエルの無邪気な顔を見ていたら、まあいいか、という気持ちになった。


 食後の紅茶もなくなってきたころ、財布を出そうとしたのを静止された。いつの間にかノエルが会計を済ませてくれていた。さっき席を立った時に、トイレに行くふりをして支払いを済ませたのだろう。なかなかそつがない。

 奇跡的に夫人にも気付かれていない。あとは速やかに店を出るだけだ。


「そろそろ行きましょうか」


 ノエルが言い出したので、待ってましたとばかりに席を立った。内心ソワソワしているのを隠しながら、ノエルの後をついて出口へ向かった。

 ウェイターがうやうやしく扉を開けた。


──た、助かった!


 一気に気が抜けた時、背後から声がした。


「あら、奇遇ですわね」


 ビクッと肩が跳ねる。ギキギ、と擦れた音が出そうな動きで振り返ると、妖艶な笑みを浮かべた夫人が立っていた。


「そんなに驚かなくてもいいじゃない」


 うふふ、と上品に笑うのを固まったまま見ていると、後ろからノエルが割って入った。


「これはモーリアック夫人、あなたもいらしていたのですね。気が付かず申し訳ありません」

「あら、お気になさらないで。あなたからは死角の席でしたから。そちらのお嬢さんは気が付いていたみたいだけど」


 心臓が跳ねる。まさかこちらに気付いていただなんて、全くそんな素振りはなかったのに。


「え? そうなんですか、ルーシーさん?」


 小首を傾げるノエルの背後で、夫人は形の良い唇を歪めた。返答に困っている私を、愉しんでいる。下手な嘘をついたら、さらに追い打ちをかけられそうだ。背中を汗が伝う。


「……じ、実は、最初からいらしていたのが見えていたのですが、ご夫婦のお時間に水をさしてしまうと思いまして、ご挨拶は控えておりました。申し訳ありません」

「あらまあ、そうだったの。気を遣ってくれていたのね」

「とんでもございません。ご夫人からお声をかけてくださるなんて、光栄至極ですわ」


 夫人から向けられる疑いの視線に気付かぬふりをして、優雅にカーテシーをした。


──すごい! この窮地を切り抜けるなんて、今日の私は天才か!? 良くやったわ、私!


 この時ほど、自分で自分を褒め称えたことはない。夫人の攻撃を無効化するなんて、普段の私からは考えられない。


「ところで、彼はこのことを?」


 喜んだのも束の間、夫人の一言で再び窮地に追いやられた。


「彼、とは?」


 至極当然に、ノエルが訊ねてくる。

 しどろもどろになっている私に、ついに夫人がトドメを刺した。


「ほら、あなたの婚約者のことよ」

「婚約者?」


 ノエルの目から逃れるように、顔を逸らした。

 婚活している事が相手に知られたら警戒されるからと、ジョセフに口止めされていたのだ。それが逆に仇となるとは……!


「引き止めて悪かったわ。それじゃあ、デートを楽しんで」


 爆弾を落として満足したのか、夫人は満面の笑みで手を振った。


「公爵様にもよろしくお伝えください。では、失礼致します。行きましょう、ルーシーさん」


 ノエルに促されたが、怖くて顔を見られない。放心状態で出口へ向かおうとした時、肩を掴まれた。


って、ジョーに伝えておいてちょうだい」


 そう耳元で囁かれ、なんの事かと夫人を見やれば、クスリと笑って行ってしまった。

 まるで、その意味すら知らないのをバカにされたようだった。

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