第31話 不仲
ガシャァアン!!!!!!
「何の実績もない若輩者が、偉そうなことを言うんじゃない!!」
出勤してくるなり、二階から地鳴りのような怒声と派手な騒音が響き渡った。突然のことに吃驚して、その場で飛び上がる。心臓に悪い。
「あーあ……後で片付けなくちゃ。あの親子喧嘩、毎回何か壊すのよね」
傍でリンダの呟く声が聞こえた。やれやれと、ため息混じりに首を振る。
ジョセフの興奮した声が響く。言い争いは最高潮に達したようだ。
「親父は考え方が固すぎるんだ!! 時代は新しくなっていく。それに合わせてデザインも変わっていくのは当然じゃないか!!」
「お父様と言え!! 口の利き方に気をつけろ!! ──ったく、お前はいつまでたっても……。とにかく、デザインを変えることは許さん!!!!」
一体何事かと思っていると、アナと目が合った。
「今ね、オーナーがいらっしゃってるの」
「オーナー?」
聞き返すと、今度はリンダが補足する。
「ボスのお父様よ」
ちょいワル風のおじ様を思い出す。ジョセフの父親は、お見合いの時に一度会っている。あの時は穏やかな雰囲気だったのに、怒るとこんなに怖いのか。
「けど材料がないんだから、あるものでやるしか──」
「それも全て管理するのがお前の仕事だろう!!!!」
ジョセフの言い分を遮り、たたみかけるように責めたてる。
「お前に任せるのはまだ早かったようだな!!」
どうやら洋服を作る為の生地や備品は行方不明のままらしい。私たちがよりも先に材料を取りに行ったのは、父親の部下ではなかったのだ。
──では、私たちから材料を横取りした男は何者? 一体、なんの為に?
何者かが、ウィルソン家がコレクションに出るのを妨害している。
状況は思っていたよりも深刻らしい。
──でも、一体なんの為に?
話をほぼ一方的に終わらせたウィルソン子爵が階段を降りてきたので、慌てて仕事に戻り、自然を装った。ピリピリと空気が張り詰める。
しかし、仮とはいえ一応婚約者であるからには無視する訳にもいかない。緊張を押し殺して、店を出ていこうとする子爵を呼び止めた。
「お、お久しぶりです、ウィルソン様。なかなかご挨拶にも伺えず、申し訳ございません」
「──ああ、ルーシー君だったね。君も無理してあんな奴と婚姻しなくてもいいんだぞ。あれと一緒になったら、苦労するのは目に見えているからな」
「そ、そんなことは──」
「今ならまだ間に合うぞ」
相当頭に血が上ってしまっている。子爵は憤慨した様子でそう吐き捨てると、こちらが否定する間もなく出ていってしまった。
──こ、怖ぁ……。
「……怖ぁ……」
呆然と立ち尽くしていると、まるで私の心を呼んだかのようにアナが呟いた。
物凄い音が鳴っていたのだから、おそらく二階はめちゃくちゃになっていることだろう。おそるおそる手を挙げて申し出る。
「……私、片付けにいきましょうか?」
リンダは少し考えてから首を横に振った。
「今はそっとしておきましょう。片付けは後からでも良いわ」
「わかりました」
ジョセフのことは心配だが、ここは一番付き合いが長いリンダの判断に任せた方が良いだろう。
店内は妙な静けさだった。微妙な空気のまま、皆それぞれの仕事に戻った。
昼になって、ようやくジョセフが顔を見せた。というより、気まずさから二階へ行けなかっただけなのだが……。
「ちょっと出てくる」
いつもと変わらない様子だが、外出のわりには鞄も持たず、かわりに手紙を持っている。どうやら郵便を出しに行くだけのようだ。
「休憩はどうします?」
「あー……じゃあ、ついでにとってくる」
「かしこまりました。行ってらっしゃいませ」
リンダが頭を下げると、やはり鞄も取りに戻らずに行ってしまった。
ご飯、どうするんだ。食欲がないのだろうかと、不思議に思いながらその背中を見送った。
「コレクション、どうなっちゃうんだろう」
「材料不足、デザイン変えるのもダメじゃ、八方塞がりよね」
不安げに呟いたアナに、リンダが共感した。
「どうしてデザイン変えたらダメなのかな?」
私が疑問を口にすると、リンダが答えてくれた。
「デザインについては散々揉めて、ようやく決まったものなの。ほら、ジョーの考えるスタイルって斬新じゃない? ブランドのイメージを崩すことになると、オーナーにとっては大問題だから」
「それって、こう……うまく両方を取り入れつつ出来ないんですか?」
「それが出来たら苦労しないわよね」
苦笑いするリンダに、「で、ですよね」と返した。世の中、上手くはいかないものだ。上手くいくことの方が少ないのかもしれない。
「ジョーって、器用なようで不器用なのよ。こだわりが強いっていうか……。まあ、芸術家は頑固でなんぼよ。だからこそ、いいものを生み出せるのかもしれないわね」
「リンダさん、なんでそんなに詳しいんですか?」
リンダはきょとんとすると、当然のように言った。
「あの親子が揉めるのなんか、今に始まったことじゃないのよ」
「そうなんですか?」
「ええ。ジョーがこの店を任された時からずっと。毎度のことで、もう慣れちゃったわよ」
「名物みたいなものよ」と微笑う表情には、母性が滲み出ている。さすがベテラン、ちょっとやそっとじゃ動じない。
「わたし、まだ慣れないですよぅ……」アナが怯えるように、心臓の当たりに手をあてた。
親子仲が悪いなんて初耳だ。
「どうしてそんなに仲が悪いんですかね?」
「さあねぇ、私たちが口を出すことでもないから」
「ていうか、怖くて聞けないわ……」
ふるふると顔を横に振るアナの背中を、リンダが優しく撫でながら嗜めている。
「ま、頑張って」ぼんやり考え込んでいると、突然リンダに肩を叩かれた。なんの事かと見やると、リンダが意地悪い笑みを浮かべた。
嫌な予感がする。
「あの家に嫁いだら大変だろうけど、応援してる」
「えっ……」
「大丈夫、骨は拾ってあげるから」
リンダの悪ふざけに、すかさずアナが悪ノリする。この、裏切り者め。
「──いやいや、ないから! 嫁がないから!!」ムキになって言うのと同時に、店の扉の鐘がなった。二人は、私の必死の否定を無視して、来店客を満面の笑みで出迎えている。
──これ、ずっと弄られるのか?
この二人ならばやりかねない。遠い目をしながら、お客様用のお茶を用意する為、二階へ上がった。
休憩室の前まで来るなり目に入ったのは、ひどい有様になった事務所だった。書類や事務用品が散乱し、ジョセフのデスクは定位置からおもむろにズレている。
思わず「うわあ……」と声がもれた。
──悪い方に想像以上……!!
お客様にお茶を出してから、事務所の片付けに取りかかった。どこから手をつけようかと見回すと、部屋の片隅でジョセフ専用のマグカップが割れているのが目に入った。ど真ん中にへんちくりんな動物の絵が描かれている、ダサいマグカップだ。飲みきった後だったのか、中身は入っていなかったが、大きく二つに割れて持ち手もとれてしまっている。
破片を拾い集めていると、不細工な動物と目が合った。なんとなくイラッとする顔だ。
──こっち見んな。
心のなかで悪態をついて裏返すと、茶渋が染み付いているのが目についた。絵柄が子供っぽいし、ふちの一部が欠けていて、かなり使い古している。今までこんなにまじまじと見る機会もなかったので、気付かなくて当然だ。
そもそも休憩室の棚には、スタッフ共用の上等な食器だってあるのに、なぜいつもこのマグカップを使っているのだろう。物持ちがいいのか
無頓着なのか、身なりには人一倍気を遣うくせに変なところが大雑把だ。
破片だけ集めて袋にまとめると、今度は散らかった書類を集める。床に落ちている紙類のほとんどは、デザイン画だった。集めるとかなりの分厚さになった。
興味本位で一枚ずつ目を通していく。それらは秋冬のアイテムで、隅に書かれた日付が最近のものだ。おそらくコレクションの為に描いたが、ボツになったのだろう。
全体的にシンプルで装飾も少ない。レディースに至ってはスカートのボリュームが抑えめだったり、パンツスタイルという大胆なものまである。おそらく機能性を重視したのかもしれない。しかし、淑女がパンツを履くという案を世間は受け入れてくれるのだろうか。
上流階級の婦人服は華やかさを重視して作られているものばかりだ。そもそも〝淑女は必要以上に動かない〟からだ。動作がゆっくりな方が優雅でおしとやかに見えるし、皆が淑女としての作法でそう仕込まれる。貴族階級には一人で着替えも出来ない者もいるくらいだ。
だから女子がパンツを履くという概念がない。あえてそこを攻めるあたりはジョセフらしいが、気品や華やかさを好む貴族にとっては、好き嫌いが分かれてしまうかもしれない。
──でも、良いと思う。
お世辞ではなく、そう思った。素人にも伝わるものがある。ブランドとしてはボツだとしても、これにはジョセフの夢が詰まっている。
この国では貴族階級での女性労働者はまだ少ないが、実際、夫の仕事を妻が手伝っている家庭もある。力仕事まではしないにしても、ボリュームのあるドレスではペチコートが邪魔で動きづらい。しゃがんだりするにも、いちいち裾に気を遣わなければならない。
「ルーちゃん? 片付けは終わった?」
一階からリンダに呼ばれて、はっと我に返る。壁の時計を見ると、三十分も経っている。いつの間にか夢中になって紙をめくっていた。
「──す、すぐに行きます!」
机を引きずって元に戻し、その上にデザイン画の束を置いた。這うように事務用品を集め、引き出しに突っ込もうとして、手が止まる。茶色い封筒が目に止まったのだ。
前にも見たことがある気がする。なんだかあやしい。
封筒の裏面を見てみる。
──送り主の名前がない。
それに上等な香水の香りがする。相手は絶対に女だ。それもやましい事がある気がしてならない。これが女の勘というやつか。
とはいえ、別にジョセフとは恋人でも何でもないのだから、自分には関係ないのだが……。
いけないと思いつつも、好奇心に負けて、便箋を取り出そうとした時──。
チリリン。
入店の鐘が鳴り、心臓が跳ね上がった。
「おかえりなさいませー」
「悪い、少し遅くなった」
ジョセフが戻ってきた。足音が階段を上がってくる。
慌てて封筒を引き出しの中に戻して、ゴミ袋を抱えて事務所を出ようとしたところで、ジョセフとぶつかった。
ジョセフはゴミ袋を見るなり、バツの悪い顔をした。
「片付けてくれたのか、悪いね」
「べ、別に、仕事ですから……!」
「次は自分でやるから」
手紙を見ようとした後ろめたさから、どもってしまった。どう見てもあやしい挙動だったが、ジョセフは気に止める様子もなく、私の横を通りすぎて行ってしまった。椅子に座ると、デスクの上に置いておいたデザイン画をぼんやり見ている。
いつもと違う様子が気になったが、どう声をかけていいかも思い浮かばず、諦めて行こうとした時──。
「──まて、ルー」
突然呼び止められ、自分でも驚くくらいの反射神経で振り返った。
いつも皮肉を言われたりからかわれたりするが、困った時は話を聞いてくれるし、婚約者のふりも完璧にこなして、仕事でもずいぶん世話になっている。
そんなジョセフが、ようやく私を頼ってきた!
──この短期間で、私も少しは成長したところを見せつけてやろうじゃない!
期待を込めた眼を向けると、目の前に紙束を差し出された。
「これも捨てといて」
「……え?」
さっき拾い集めたデザイン画だった。ジョセフは戸惑う私になかば強引に押し付けると、事務所のドアを閉めて引きこもってしまった。
手にした紙束へ視線を落とす。
本気で、捨ててしまうのだろうか。
冷たく閉められたドアの前で、しばらく動けずにいた。
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