第29話 謎の男

 待ち合わせ場所に向かうと、すでにジョセフの姿があった。

「おはようございます」と挨拶すると、「遅ぇよ」と軽口を叩かれた。時間には間に合っているのに、ジョセフのせいでまたストレスがたまった。


「今日はここに載っている店をまわる。注文の品を受け取るついでに紹介するから、ちゃんと挨拶しろよ。最初の挨拶が第一印象を決める。何事もはじめと終わりが肝心だって言うだろう」


 ジョセフから店のリストを受け取った。布地やレース、装飾の部品を取り扱っている専門店が、全部で七店舗載っている。


「結構あるね」

「前年に比べれば少ない方だよ」


 昨年まではジョセフの父親がコレクションを手掛けていた。そういえば前に、倉庫に置いてあったサンプルを見たことがある。細部まで凝った、華やかなデザインが多かった。ブランドの顔が決まる大事な仕事を、今年は息子に託したのだ。


──ジョーはどんなデザイン画を描いたんだろう。買い出しが終わったら、見せてもらえないか頼んでみよう。


 そんな楽しみができると、荷物持ちも悪くないと思えた。軽やかにスキップすると、ジョセフが不審者を見る目を向けてきたが、無視した。

 日曜の繊維街はほとんどの店が休みで閉まっているせいで人も歩いておらず、閑散としている。


「来る日間違えた?」

「間違ってねぇよ。こっちだ」


 ジョセフは迷うことなく、店の裏口にまわった。

 年に二回開催されるコレクションは世界中の貴族達が注目する。このシーズンにはいると、休日でも関係なく対応してくれるらしい。

 それなのに戸を叩いても、誰も出てこない。


「おかしいなあ。今日来ることは前もって言ってあるのに」

「やっぱり間違えたんじゃないの?」

「そんなわけないだろう」


 ジョセフは不満げに私を見やると、取り立て屋ばりに戸を叩きだした。いくらなんでもまずいだろうと思い、慌てて止めさせると、無理やり次の店へと引きずっていった。


 しかし、次の店でも、またその次の店でも同じ事が続いた。いくら呼びかけても誰も出てこない。ジョセフが日にちを間違いしているのだと疑っていたが、さすがにおかしいと思い直した。


「まさか嫌われてるんじゃないの?」

「俺が? それはない」


「みんな仲良しだよ」自信満々に言い切るのも怪しいが、人当たりの良いジョセフに限ってそんなことはないだろう。

 その謎は五軒目をまわった時に判明する。

 ドアを叩くと、店主の奥さんと思われる中年の女性が出てきた。どうやらジョセフとは顔馴染みのようで、顔を見るなり驚いたように目を瞬いた。


「あらウィルソンさん、どうしたんです?」

「こんにちは。注文してたものをとりにきたんだ」

「もう、ご冗談がお好きなんだから。昨日取りにいらっしゃったじゃありませんか」


 女は一瞬きょとんとしたあと、すぐに笑いだした。しかし、ジョセフは冗談などいっさい言っていない。訝しげに眉を寄せて、首を横に振った。


「いいや。今、はじめて取りにきたんだ」

「──え?」


 女の笑顔が強ばる。ジョセフはきょとんとしたまま一度だけ頷くと、女の顔がみるみる青ざめていった。


「そ、そんなはずは……──あんた! あんた、ちょっと早くきて!!」


 慌てた女は二階へ向かって、大声で主人を呼んだ。おそらく二階が住居になっているのだろう。パジャマ姿にガウンを羽織った店主が、ダルそうにしながら階段をおりてきた。湯気をたてたマグカップを片手に持っていて、髪には寝癖がついたままだ。瞼が眠たげに半分下げたままの目をジョセフに向けたかと思えば、腕で両目をごしごしと擦り、今度はまじまじと見た。


「──う、ウィルソンさん!?」


 夢ではないとわかると、店主は驚いた猫のようにとび跳ねた。衝撃でカップから飲み物が溢れて手にかかり、そうとう熱かったのか、もう一度飛び跳ねた。

 ジョセフは苦笑いを浮かべ、心配そうに声をかける。


「大丈夫です?」

「え、ええ。……ええ、大丈夫です! すみません、こんな格好で!! ──おまえ、ちゃんと言ってくれよ!!」


 小声で奥さんに訴えるが、丸聞こえである。

 店主はガウンでパジャマを隠しながら、満面の笑みを作って向けてきた。が、多少引きつっている。


「あ、あの、どうされたのです? ……まさか、商品になにか不備でも?」

「いえ、違います。その注文したものを取りにきたんです」

「ええ? 昨日、お渡ししたはずですが……」


 店主は動揺しながら、奥さんと同じことを口にした。その様子から、店主たちが嘘をついているようには思えなかった。


「事前に、今日取りに来ると連絡していたはずです」

「そ、それは存じております。けれど昨日、ウィルソンさんの部下だと名乗る男が着て、明日は来られなくなったから、と言っていました。代金も頂きましたし……」

「男?」

「ええ。仕立ての良いスーツをお召しの紳士だったので、てっきり……」


 ジョセフからの返事はなかった。隣を見上げると、どこか一点を見つめて考え込んでいる。ジョセフにとっても寝耳に水なのだろう。

 無言に耐えられなくなったのか、店主がおそるおそる訊ねた。額には汗が滲んでいる。


「……あ、あの、なにかとんでもない間違いが……?」

「──あ、いえ。もしかしたら、父の部下の可能性もあります。単に連絡が行き通ってないだけかもしれない。こちらで確認してみます」


 ジョセフが笑みを向けると、ようやく店主の顔にも笑顔が戻り、滝のように流れていた汗を拭った。その後ろで、様子を伺っていた奥さんも、ほっとしたように胸に手をあてている。

 二人に挨拶をして店をあとにした。

 少し行ったところで、ジョセフが訝しげに呟いた。


「……おかしいな」

「え?」

「親父はそんなことしないと思う」


 次の店も訪ねてはみたが、やはり誰も出ては来なかった。

 首を捻りながら、リストに載っている最後の店へ向かった。そこはウィルソン家が中流階級の頃から懇意にしている老舗で、ジョセフは子供の頃から父親に着いて通っていたらしい。

 老舗というだけあって、ひと目でだいぶ年期のはいっているとわかるような、手狭な店だった。外壁の煉瓦の色は薄くなり、ヒビが入っている。

 裏にまわり込んで、扉をコンコン、とノックをする。──反応がない。

 もう一度叩いたところで、扉の奥で人の気配がした。戸が開くと、私よりも頭一つ下の位置でお爺さんが顔を出した。腰も曲がってしまい動作もゆっくりだが、このお爺さんが店主だろう。

 ジョセフが挨拶をすると、店主はニッコリと微笑んだ。


「はいはい、お待ちしておりましたよ」


「例の奴、ここには来てないのかな」店主が注文の品を取りに行っている間、ジョセフがこそっと言ってきた。

 天上ギリギリまでに積まれた生地の山につい夢中になってしまう。

 暫くして戻ってきた店主に、ジョセフが親しげに話しかけた。


「おじさん、こいつ新しく入ったスタッフのルーシーっていうんだ。ルーシー、こちらは店主のマルクさん」

「る、ルーシーです! よろしくお願い致します!!」


 咄嗟に、しゃんと姿勢を正した。急に紹介が始まったので、どもってしまった。


「おやおや、可愛いお嬢さんだねえ。コレかい?」

「違うっての」


 小指をたてて冗談を言う店主に、ジョセフが笑って否定する。慣れている様子から察するに、毎度、お決まりのやり取りなのだろう。


「おじさんが居てくれて良かったよ」

「そりゃあ、今日来るって聞いてたからねえ」


 居るに決まってるよ、と店主が笑う。


「ほかの店にも行ってきたんだけど、みんな不在だったんだ」


 ジョセフが愚痴っぽく言った。五軒目の店での出来事は、あえて伏せるつもりらしい。

 店主は「そういえば」と、思い出したように呟いた。


「昨日、洋装店のスタッフだって男が来てたねえ」

「ほんと?」

「坊っちゃんが来れなくなったから代わりに来たって言ってたけど……」

「そんなはずはない」

「じゃあやっぱり、あれは坊っちゃんのところの従業員じゃなかったんだ。見たことない人だったから、突っぱねてやったよ」


 ジョセフの顔が強ばる。


「そいつ、どんな奴だったの?」

「背の高い、髪をオールバックにした若い男だったよ。たぶん、三十代くらいじゃないかねえ。質の良いタキシードを着ていたし……そうだ、名刺を渡されたよ」


 そう言うと突然、マルクは胸の前で手を叩いた。

「えーと、どこだっけ……ああ、これこれ」裁断台の引き出しから名刺を取り出し、ジョセフに手渡した。

 ジョセフの隣から背伸びをして覗きこむ。一見するとウィルソン家の洋装店の名刺だ。だが、自分の名刺を取り出して見比べてみると、細部のデザインや色が違う。良くできた偽物だ。


「わしがなかなか信じないもんだから、それを渡してきてね。帰り際に返すよう言われたけど、とぼけてやったよ。所詮、ぼけた老人だとでも思ったんだろうねえ。へっへっ」


──見かけによらず、やるな。


 してやったりな笑みを浮かべているマルクに、称賛の眼差しを向けた。


「ここまでされたら、ほかの店の人は信じてしまうかもしれないねえ」

「ありがとう、おじさん。これでおいたした奴をお尻ペンペンだよ」


 ジョセフが冗談を言うと、マルクは手を叩いて大笑いした。すると何を思い出したのか、懐かしげに昔話を話しはじめた。


「ついこの前までは、わしが坊っちゃんをペンペンしてたのになあ」

「え? そんなことあった?」

「あったじゃない。坊っちゃんが寝小便したからって、シーツを買い換えにきた時に──」

「いつの話してんだよ!」


 ジョセフの耳が真っ赤になっている。

 こんな憎ったらしい男にも、そんな時代があったのか。それにしても、いいネタを掴んだ。今度なにか皮肉を言われたら、からかってやろう。

 少しだけそんな世間話をしたあと、和やかな空気で店を出た。

「お嬢さん、また来てね」去り際に、マルクにそう言われたので、笑って頷いた。


「一応、親父のところに確認しに行ってくる。お前はこのまま店に戻ってくれ」


 最初の待ち合わせ場所に戻ってくるなり、そう言われた。ジョセフからは笑みが消えている。


「一応? ということは、やっぱり誰かが盗んだの? でもそんなことして何に──」

「まだそうとは限らないさ」


 ジョセフは否定したが、表情からはもう目星がついているようだった。


「ははっ、なんて顔してんだよ」


 あまりにも深刻な顔をしていたのか、軽快に笑うジョセフに背中を小突かれた。痛いな、と愚痴をもらす。


「でも、ギリギリなんでしょう? 材料がなくちゃ作業も進まないんじゃ──」

「大丈夫だって、きっとすぐに回収できる。じゃあな、イケメンが居ても襲うなよ」

「私、襲う側!?」


 普通逆じゃないか、まったく。

 憤慨しながらジョセフの背中を睨んだが、無駄なのですぐにやめた。


──本当に、大丈夫なんだろうか。


 空いた両手に視線を落とす。

 荷物持ちで来たはずが、唯一手に入った生地はジョセフが持っていったから、結局手ぶらで帰る羽目になった。

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