第28話 幸せの価値
ノエルからデートの誘いを受けたことを報告すると、ジョセフは満足げに頷いた。
「ほら、上手くいったろ」
上手くもなにも、向こうから誘われたのだから、ジョセフの戦略が正しいかったかどうかなんてわからない。反論しようとしたが、やめておいた。どうせ、ああ言えばこう言うに決まっている。
「お前がテンパってる間はどうなるかと思ったけどな」
「す、すいません……」
冗談っぽく言っているが、言葉の節々に棘がある。
素直に謝罪した。接客中に上の空になるなんて相手に対して失礼だし、本当に反省している。ジョセフのフォローがなければクレームになっていたっておかしくない。
説教の続きを肩をすくめて待っていたが、それ以上咎められることはなかった。
「それはさておき、日曜の予定あけておけ」
「えっ、いいけど……どうして?」
まさかデート? いや、それはないか。
ありえないと思いつつも、思わずジョセフをまじまじ見てしまう。
「秋のコレクションに向けて、これからすこぶる忙しくなるんだ。今年は初めて俺がデザインを任された。まあ、スムーズとはいかなかったが、ようやくデザインがあがったし、そろそろ発注しておいた生地を取りに行かないと。だからお前もついてこい」
「ああ、なんだ」
「なんだって何だよ」
盛り上がった気持ちが、次の一言で台無しになった。なんだ、ただの荷物持ちか。
よく見ると、ジョセフは目の下にうっすら隈ができている。
店以外でも仕事していたのか。そういえば従業員がみんな帰った後も、最後まで残って作業をしていた。いったい、いつ寝ているのだろう。
だがジョセフは初めての大役に気合いが入っているのか、その表情はどこか活き活きとしている。
「呑気に構えてる場合じゃないぞ。コレクションが近くなれば俺は店に不在がちになるし、シーズン中は海外だ。お前たちだけで店を回さなきゃならなくなる」
「そんな話、聞いてない」
「今、言ったからな。お前以外はだいぶ前から知ってるけど」
「はあ!?」
知らなかったのは自分だけか。なぜそんな大事なことを、早く教えてくれないのか。
快諾するのが癪だったので、嫌味を言った。
「そんなに休みの日も私に会いたいんだ。デート相手もいないの?」
「お前がデートに誘われたのは俺のおかげだってのに、調子にのるな。こっちだって何が悲しくて休日の貴重な時間をお前なんかに割かなきゃいけないんだよ。──おら、どけ」
渋い顔でしっしっ、と追い払われる。
──犬か、私は!
しかも道をあけたのに、わざと肩をぶつけてきた。ジョセフは、ふんっ、と鼻で笑うと、謝りもせずに二階へ行ってしまった。
うわー腹立つ。ジョセフのせいで、顔にニキビができたらどうしてくれるんだ。
「もうっ、どうしてあんなに大人げないんだろうね!?」
プリプリしながら傍観していたアナに同意を求めたが、アナはやけに真剣な顔で、私をまじまじと見つめていた。
「な、なに?」
「あのさ、仲良いよね、二人」
「はあ、どこがよ。今の見てたでしょう?」
鼻息を荒くしながら反論する。
「なんか、ジョーも楽しそうだし。二人並んでるとしっくりくるよ」
「ちょっと、変なこと言わないでよ」
「いやいや本当に。──ですよね、ローランさん?」
アナが店の奥に居たローランに同意を求めた。
「ええ」突然話を振られたにもかかわらず、ローランもにこやかに頷く。
「や、やめてくださいよ」
「ありえないですから!」強く否定するも、つい熱くなる顔を隠すように、ケースに置かれている服をたたみ直した。
***
次の日、仕事から帰宅すると、玄関で仁王立ちした母が待ち構えていた。クロードから婚約破棄された時くらいの重々しい圧を放っている。
「ルーシー、これはいったいどういう事なの!?」
なにかまずいことがあったのだろうか。もしかして、偽装婚約の事がばれたのか?
喉を鳴らして唾を飲み込む。すると、目の前に私宛の封筒を突きつけられた。裏返すと、綺麗な字で〝ノエル・プリドール〟と書かれている。
「いつからプリドール家とご縁ができたの? ウィルソンさんはこの事をご存知なの? 説明してちょうだい!!」
なんだ、と身のうちで安堵のため息をついた。偽装婚約のことがばれたのではなかった。
しかしどう説明しようか迷っていると、娘の様子に何を勘違いしたのか、母は口に手をあてていっそうおおきく目を張った。
「……まさか、付き合っているの!?」
「ち、ちが──」
「いいのよ、いいの!!」
目の前に手のひらがつきつけられた。
珍しく母親の目には、歓喜の色が浮かんでいる。
「迷っているのね」
「──は?」
母は何を言ったのだろう。聞き間違えたのだろうか。
「いいえ、むしろこのままプリドール家に乗り換えなさい」
「ど、どういう意味ですか?」
「確かにジョセフさんは面白いしいい人よ。けれどウィルソン家に比べたらプリドール家は格式も上だし、財力も申し分ないわ。女としてどちらに嫁いだら幸せか、比べるまでもないでしょう」
母の言葉に耳を疑った。あれだけジョセフとの婚約を押し付けておいて、今度はやめろと言うのか。そんなのは勝手すぎる。
「ノエル様とはそんなんじゃありません!」
「ならこの手紙になんて書いてあるか、見せなさい」
「嫌です!」
手紙を奪い取られそうになり、思わず母の手を振り払った。
「口を開けば結婚結婚って、いい加減にしてください!!」
気が付くと勝手に口が動いていた。母が目を丸くして驚いている。
それを皮切りに、ずっと溜め込んでいたものが流れ出ていく。
「私は一言だって、結婚したいなんて言ってない! それなのに、勝手に話を進めて、私の気持ちを一度でも聞いてくれたことがありましたか? 私の為というけれど、思い通りにしたいだけでしょう!?」
母が息を呑むのがわかった。
反抗したのは初めてだった。親に意見するのがどれだけ怖いことか思い込んでいたが、なんてことはない。最初の一言さえ難しいが、口にしてしまえば、後は勢いに任せるしかない。
「お母様は、結婚した女は幸せで、独身なら可哀想だとでも思っているんですか?」
「その通り」
耳を疑った。「──え?」と思わず聞き返す。
「その通りだと言ったのよ」
母の表情に迷いはなかった。今度は私が息を呑む番だった。
「生きていくにはお金が必要なの。女はいつか働けなくなる。妊娠だってするし、子供を産んだって生活費は無料にはならないの。それじゃなくとも、男より定年が短いのよ。女ひとり、どうやって生きていけると思っているの?」
問いかけられだが、言い返す言葉が何も思い浮かばなかった。
「で、でも、私にはまだ結婚は早いと思うんです。仕事だって楽しいし……」
「そう言って、婚期を逃した女がどんなに苦労するか、あなたは知らないでしょう」
「そんなの、わからないじゃないですか。いくつになっても、きっと運命の相手が──」
「そんなものはいません!」
ピシャリと言い切られた。
「スタートからハンデを負った女が、簡単に選ばれるわけがないでしょう。運命なんて都合の良い言葉を鵜呑みにするのは愚かです」
以前、ジョセフにも同じことを言われたことがあるが、受け取る印象は正反対だ。こちらのは、焦りと絶望しかない。目の前が真っ暗になった。
「経験もないのに、生意気なことを言うんじゃありません」
大人しくなった娘に満足したのか、母親の声のトーンが元に戻った。
「こんな好機は二度とやってきません。上手くやりなさい」
母は私が持っている手紙に移してから踵を返した。
その台詞がやけに冷たく感じた。
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