第27話 口実
ノエルが来店したのは夕方頃だった。今日は平日だし、おそらく学校帰りにそのまま来たのだろう。仮縫いの最終チェックを受けながらジョセフと楽しげに話し込んでいるノエルを、二階から遠目で眺めた。
食事に誘う、と言うのは簡単だ。相手はあのノエル。自分のような格別ルックスが良くもなく、かといって他人より優れている何かを持っているわけでもない至って普通の女が、皆の憧れの的であるノエルを誘うなんて、畏れ多くて尻込みしてしまう。
「ルーちゃん、もう少ししたらお茶持っていってね」
「う、うん」
「ボスの言う通りにすれば、きっと大丈夫だよ」朗らかに笑って励ますアナに「そうかなあ……」気の抜けた返事で返した。
それは数時間前のこと──。
「男を食事に誘うとしたら、どこへ行く?」
二階のオフィスに呼び出されるなり、突然ジョセフに問われた。
「うーん……内装がお洒落なお店とか、夜景が綺麗なところとか」
「それは女が行きたいところだろ」首を捻りながら答えると、ジョセフに一蹴された。
「お洒落だの夜景だの、男はそんな所に興味はない」
「じゃあ、どこならいいんですか」
不貞腐れながら聞き返した。
誘えと強要したくせにダメ出しするなんて。
「いいか、人は承認欲求を満たしたい生き物なんだ」
ジョセフはマグカップに口をつけると、おもむろにデスクに置いた。そばに重ねて置いてあった手紙が崩れた。色鮮やかな便箋が綺麗な虹色をつくる。相変わらず女性たちからの個人的な手紙だろう。
アリス達からの手紙もあるのだろうか。そんなことを考えながらぼんやり見ていると、一通だけ地味な茶封筒が混ざっているのに目がいった。
「褒められて嬉しくない奴なんていないだろう?」
「そうですね」
ジョセフに問われて頷く。
「お前がそれを満たしてやるんだ」
「どうやって?」
「なんだっていい。男に頼って、力を使わせろ。それを褒めてやるんだ。ただし──」
ジョセフは人差し指を立てて忠告した。
「そいつが難なくできる程度でだ」
ノムさんの整理券の話を思い出した。ついで程度で出来ることでなければ、ストレスに感じる。どんな些細なストレスでも、続けば重くなってしまうのだ。
「一度ついたネガティブな印象は、なかなか取り払えない。それだけは絶対に避けろ」
「大事にされたかったらな」と、最後に付け足したジョセフに、戸惑いながらも頷いて返した。
耳が痛い話だ。もしまた間違った方向へいってしまったら、クロードの時のようになってしまう。もう二度と、あんなふうに傷つきたくはない。
「頼るって、どうするの?」
「二つある」
ジョセフが即答する。
「まず一つ、相談や悩みを聞いて欲しい、という知識を求める〝窓口〟パターンだ」
「そんな都合良く悩みなんてないよ」
「でっちあげろ」
「それは無理!」
いくらなんでもそこまではできない。だいたい、嘘が顔に出てしまいそうだ。
「ならばもう一つ、気になる店があるから一緒に行って欲しい、などの精神的援助を求める〝同伴〟パターンがある。男にしてみれば、どちらも頼られていると思うだろう」
「それってベタじゃない?」
「ベタがいいんだよ」
「変な小細工はいらない。シンプルにいけ」ジョセフはまた珈琲をひと口飲んだ。
「ちなみにこの〝同伴〟パターンを選ぶなら、客層のほとんどが男性である店を選べ。女同士じゃ絶対に選ばないような、薄汚い店がいい」
「それだと逆に、女として見てもらえなくなるんじゃないの?」
「普段よりもフェミニンな格好で行ってギャップを作るんだ。女性らしさを印象づけられるし、女を連れていることで男は力を誇示できる。まさに、一石二鳥だな。あのノエル王子も落ちること間違いなしだ」
「完璧か、俺。本でも書こうかな」また自画自賛しているジョセフを見やって、やれやれ、とため息をついた。
こんなことで簡単に惚れたりしないだろうに。
「だいたい、あんな良い家柄の方が、薄汚いお店なんか行かないんじゃない?」
「いや、行く」
「なんでそんなことわかるのよ?」
「家柄はどうあれ、男は結局そういうラフな場所が好きなのさ」
「そうかなあ……」
半信半疑で呟くが、実際、ジョセフは何人もの女性を結婚に導いている。実績があるのだから、とりあえずアドバイスを大人しく聞いておくことにしよう。一応。
ジョセフとの会話を思い出すなり、ついため息が出た。
「大きな溜息」と、アナが小さく笑う。それから励ますように、私の肩に手を置いた。
「大丈夫だよ。きっと上手くいくって」
「そうじゃないの」
アナの視線を感じながら、ぼんやりと呟いてみた。
「いや、ただ……結婚って、しなくちゃいけないものなのかなって……」
「……ルーちゃん?」
本気で心配したのか、顔色を伺うように小首を傾げるアナに笑って誤魔化して「なんでもない」と、平静を取り繕った。
「そろそろ行くね」お茶とお菓子をのせた盆を持って、階段を降りていった。
ジョセフとノエルが話している間、緊張していて内容が全く耳に入ってこなかった。
時折、話を振られてなんとか相槌を返していたが、何度か返事が噛み合っていなかったようで、ジョセフがすかさず「時差でもあるのかな」と冗談を言ってフォローをいれると、ノエルはお腹を抱えて笑っていた。
つい、ジョセフを見つめてしまう。顔を合わせば人をバカにする、まるで皮肉から生まれたような男だが、こういう場面での空気の作り方が妙に上手い。この場の流れが全て、ジョセフの思い通りに運ばれているような気さえしてくる。けれど、それも悪い気はしない。
「ルー。ノエル様のお見送りを」
「あ、はい……」
ジョセフは笑顔だが、目で圧をかけている。
「ちゃんと誘えよ」そう言いたいのだろう。複雑な気持ちになりながらも、店の扉を開けてノエルを外へ促した。
「今日も楽しかったです」
外へ出ると、ノエルが朗らかに言った。
「それは、なによりです」
「仕上がり、楽しみにしています」
「はい。お任せ下さい」
誘わなければ、と内心焦った。誘う口実まで決めてあるのに、その局面になるとなかなか言葉が出てこない。断られた場合の事を想像すると、勇気が出なかった。
「それじゃあ、また」ノエルが背を向けて歩き出した。その背中に「待って、ちょっと、ちょっとでいいから足を止めてくれ!」と、念を送る。
偽装婚約解消の期限は着々と迫っている。時間は待ってはくれない。クロードと縁を切った今、ノエルが最後の砦かもしれない。
──呼び止めるんだ!……言え、言え!!
誘わなければジョセフにも怒られてしまう。
「──あの、」
「──そうだ」
少し行ったところで、突然ノエルが振り返った。
ようやく絞り出した声は、ノエルが発したものと被り、かき消されてしまった。咄嗟に平然を装う。
「すみません、被っちゃいましたね。なにか?」
「いえ、大したことじゃないので、お先にどうぞ」
言ってしまってから「私のバカー!」と身のうちで叫んだ。せっかくのチャンスだったのに、自ら棒に振るなんて。
「今度、お食事でもどうですか? 夜会では散々な思いをさせてしまったし、お詫びと言ってはおこがましいですが、ぜひ」
「は、はい。ありがとうございます。ぜひ!」
まさか、ノエルの方から誘ってくるだなんて。嬉しいのと安堵したのとで、一気に緊張が解けた。
「よかった」ノエルがほっとしたように微笑んだ。もしこの場に取り巻きの女子達がいたら、全員の意識が飛んでいたことだろう。
「──あの、僕……」ノエルが意を決したように口を開いた。
「ルーシーさんみたいな女性に出会ったのがはじめてなんです」
ノエルの真剣な面持ちに、ドキッとした。まるでこれから告白でもされそうな雰囲気だ。期待に胸が高鳴る。
「女性なのに階級にも甘んじることなく働いているし、意地悪を言われても毅然としていて……そういう強い人、今まで見たことがなかったから」
〝強い〟というワードには少し引っかかるが、思いがけない褒め言葉に、顔が熱くなる。
人からそんなふうに言われたのは初めてだ。
「なんていうか、一人でも生きていけそうで……そういう強い女性って素敵だと思います」
「──え……」
一人でも生きていけるって、それは褒めているつもりなのだろうか。だいいち、本当に一人でも生きていけるくらい強ければ、婚活で悩んだりしていない。
「ど、どうも……」紅潮した顔を隠すようにお辞儀をした。一瞬でも浮かれた自分が恥ずかしい。
「また連絡します」ノエルはそう言い残して去っていった。
釈然としない気持ちで、その背にもう一度深く頭を下げて見送った。
自分からは誘えなかったが、とりあえずデートの約束は取り付けた。これで文句は言われまい、と、すっきりした気持ちで、店に戻った。
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