第26話 無理難題
夜会以来、私もジョセフも夫人のことを口にすることはしなかった。
床の掃き掃除をしながら、ジョセフを見やる。
郵便を受けとったローレンが、ジョセフに手渡している。近隣の店のチラシも混ざっているが、そのほとんどは手紙で、一通ずつ送り主の名前を確認している。
『この人と結婚したら、破滅するわよ』
夫人に言われたことが、ずっと胸の奥でつっかえている。
きっと、私をジョセフから引き離すためのハッタリだろう。あの人はジョセフとよりを戻したがっているのだから。
そう思うことで、あまり深く考えないようにした。
ジョセフが途中で手を止めて、こちらにやってくる。慌てて手を動かして、掃除に集中しているフリをした。注意されるかと思ったが、そのまま素通りして行ったので、少しほっとした。
が、突然名前を呼ばれて、上擦った声をあげてしまった。
「ぶっかけ王子とはどうなってんだ?」
「ど、どうって……、とくに何もありませんよ」
「はあ? お前、サボってる暇はないんだぞ。危機感ないのか?」
「別に、サボってるわけじゃ……」
言い返したが、語尾を言い終わる前に声が尻すぼみになって消えてしまう。
期限まであと三ヶ月と半分を切ってしまった。ジョセフの言うとおり、焦らなければならないのかもしれないが、どうにも気持ちが前向きになれない。
──いろいろあって疲れたのかもしれない。
そんな気持ちを察しているのかいないのか、ジョセフが諭すような口調で急かしてくる。
「あっちから来ないなら、お前から誘ったらいい」
「できないよ、そんなこと!」
「なぜ?」
「なんだか、がっついてるみたいで嫌だ」
「何ぬるい事を言ってるんだ。グイグイいけよ」
──いやいや、チヤホヤ要員にはなるな、と言ったのはあんたじゃないか!
愕然として見やるが、当の本人はきょとんとしている。どうやらジョセフの頭は、都合の悪いことは忘れるように出来ているらしい。
「どっちにしろ、無理だよ」
「なぜ?」
「いや、何故って……」
そんなこと言わなくたってわかるでしょう、と呆れたように見やるが、ジョセフはきょとんとしている。
「マリーのことなんか関係ない。それに、クロードから庇ってくれたんだろ?」
「そうだけど……あれは私をっていうより、マリーのこともあるし……」
「なんだ、ずいぶん悲観的だな」
悲観的というより、舞い上がった後で勘違いでした、となるのが嫌なだけだ。まるで痛い奴じゃないか。
「目の前にデカい鯛が大口あけて待ってるんだぞ? 餌を放り込むだけなのに、なぜ釣ろうとしないんだ」
「その表現やめなさいよ。失礼よ」
「でもまさに、その通りの状況だろうが。餌をやらないお前の方が失礼だぞ? 一丁前に思わせぶりやがって」
「そんなんじゃないって」
そんなにノエルとくっつけさせたいのか、この男は。でも普通、女子ならば、願ってもないことなのだろう。家柄もよく、年下なのにしっかりしていて、優しくて──おまけに眉目秀麗ときたら……。
──いやもうコレ、つり合わなくないか……。
恋愛に疲れているのかと思ったが、単につりあい取れなくて腰が引けているだけなのかもしれない。どちらにしても、こんな悩みは満場一致で贅沢だと言われるだろう。
「一番最初に教えたろ? 男のニーズを考えてみろ」
また始まった。ジョセフにばれないよう、こっそりため息をついた。
「そんなこと言われたって、わからないよ。まだ相手のこと、よく知らないし」
「相手のこと? そんなの知らなくて当然だろ。あっちだって、お前のことよく知らないんだ」
「そ、そうだけど! そういう意味じゃなくて!」
「じゃ、どういう意味だよ?」
「いや、だから、趣味とか……」
答えた途端、鼻で笑われた。やっぱりこいつ、腹立つ。
「趣味なんか知らなくたって、初デートはなんとかなる」
「ええ? 重要だと思うけどなあ……」
ジョセフは小馬鹿にしながら首を振った。
「初デートなんて、たいがいは食事からだろ。食えない物だけ知っとけば問題ないし、それは誘った時に聞いとけば済む話だ」
「まさか。そんな簡単な話じゃないでしょう」
「簡単な話なんだよ。それなのに、失敗したらどうしようとか、余計な事を考えて不安になるから、小難しくなっちまうんだよ」
まあ、一理あるかもしれない。
「アナや俺と飯行くのは簡単で、ノエルとは難しいのか」
「そりゃあ、難しいよ」
「なぜ? 一緒だろ」
「一緒じゃないって」
「一緒だよ」
ジョセフは言葉を被せるように断言した。
「じゃあ、ただの友人と食事に行くのと、何が違うってんだ?」
「だって、緊張するし……」
「それだよ。そうやって緊張するのは、格好つけようとするからだ」
「格好つけるだなんて……」
「失敗したくない、よく見られたい。格好悪いところを見せたくない──余計なんだよ」
余計と言われたって、どうしようもないじゃないか。どうしたって失敗を恐れてしまう。
「無茶言わないでよ。失敗したら次はないかもしれないし。かといって、なに話したらいいかもわからないし」
「なら喋らなければいい」
「はあ!?」
つい声が大きくなってしまった。店の奥からローランの視線を感じる。
何も喋るなって、本末転倒じゃないか。正気か、この人。
「話すことがないなら無理して話さなくていい。思いついたら言えばいい。無理して何か話そうとするから、余計わからなくなって気まずくなるんだ」
「それじゃあ、ずっと無言になっちゃうかもしれないじゃない」
「いいじゃないか、無言でも」
良くないよ、と心の中でつっこむ。しかし、そのツッコミはジョセフには届かない。
「大事なのは、空間を共有することだ」
ジョセフは言い聞かせるような口調で言った。
──空間を、共有……?
どういう意味だろう。一緒にいるんだから、共有できていて当然じゃないか。
「考えてみろ。結婚したら一緒に暮らすんだぞ? 毎日毎日、一日中ぺちゃくちゃ喋っていられるかよ」
「いや、それとこれとは──」
「一緒だ。心を許した相手なら、何も話さなくったって居心地が良い」
「でも、いきなりは無理じゃない? そういうのって、家族とか、長い付き合いの友達くらいじゃないと感じないよ」
「お前は、〝でも〟〝だって〟ばっかだな。言い訳する前に行動しろよ」
うっ、と言葉に詰まった。
「そんなんだから婚約解消されるんだ」と、呆れたような眼差しを向けられる。
それは余計なお世話だろう。言い返せないので身のうちでごちった。
「まずは自分から心を開け。相手の緊張を解くには、結局それしかないんだよ」
「そんなこと言われたって……」
「そうだな……」ジョセフは考えるように顎に手をあてると、とある台詞を口にした。
「初めてあった気がしない」
「え?」
「相手に〝初めてあった気がしない〟と言わせてみろ」
愕然とする私に、お構いなしに無理難題を突き付ける。
「すでに、俺は王子に言わせたぞ。初対面でな」
「え゛っ……」
「今日の夕方来店するから、ちゃんと誘えよ」
「──え、ええっ!?」
ジョセフは鼻で笑うと、二階へ上がっていってしまった。
──また小馬鹿にされた……。
小さくため息をつくと、集めたゴミをまとめて店の裏口へ運んだ。
路地の陰から、光がさす表通りを見る。若いカップルや中年の夫婦が談笑しながら通り過ぎていく。その光景は眩しく、自分からは遠いもののように見えたが、不思議と羨ましいとは思わなかった。
──結婚って、しないといけないものなのかな……。
ふと、そんなことを思った自分に驚いた。
そもそも、勘当されるのが嫌だから婚活しているのであって、それは自分の意思ではない。
自分は一体どうしたいのだろう。答えが見つからないまま、店に戻った。
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