第25話 拒絶

 クロードと二人取り残され、微妙な空気が流れた。


「ありがとう、もう大丈夫だから」


 背を向けて立ち去ろうとしたが、手首を引かれて引き寄せられた。背中に手を回される。


「会いたかった」


 腕に力が込められる。ジョセフに言われたことを思い出した。ここで一線を引かなければズルズルいってしまう。

 両手でクロードの胸を押した。


「やめて。私はそういうの、もう終わりにしたの」

「俺はそうは思ってない」

「ううん、終わったんだよ」

「なら、静かなところに行って話そう。俺たち中途半端だったから、今後のことも一緒に考えよう」

「今後のこと……?」


「今後のことってなに?」伸びてきたクロードの手を逃れた。声が震えないように、お腹に力を込めた。


「マリーの両親に交際を認めて貰えなかったからそんなこと言うの?」


 クロードの目がわずかに大きくなった。分かってはいたが、また心が傷付けられる。


「さっきの奴らにだって、私とのことを好き勝手言ってたんでしょう!」

「言ってない!」

「じゃあ何で知ってるのよ!?」


 クロードが一瞬、息をのむ。それから「奴らには、言ってない……」と蚊の鳴くような声をだした。


「別の人には言ったってこと!?」


 返事は返ってこなかった。それは紛れもなく肯定を意味した。

 深く突き刺した傷口から、ずっと堪えていたものが溢れ出てくる。


「バカにするのもいい加減にしてよ!」


 ぼやける視界の中心で、クロードが口を半開きにして驚いている。

 気がついたら泣いていた。慌てて涙を拭って、立ち去ろうとしたが、再びクロードに腕を掴まれて阻まれる。


「ごめん、ごめんルーシー。落ち着いて話そう」


「離して──」手を振り払おうとした時、クロードを呼ぶ声がした。

 二人同時に静止して声の方を見やると、ノエルが落ち着いた足取りで歩み寄ってきていた。クロードが慌てて手を離した。


「クロードさん。姿が見えなかったので、てっきりもう帰られたのかと思っていましたよ」

「いや……」

「姉が部屋から出てこないんです。いま一緒にいてあげられるのは、恋人のあなただけだと思うんです」


 クロードがこちらに視線を向けてきたが、目をそらすと、諦めたように背を向けた。

「──あ、それから」ノエルが思い出したように言うと、クロードが振り返った。


「そろそろ腹を決められた方がいいですよ。あなたがハッキリしないと、周りはどうしていいかわからなくなると思うんです。……なんて、生意気を言ってすみません」


 ノエルは冗談っぽく笑って頭を下げると、クロードは何も言わずに去っていった。


──早く忘れよう。じゃなきゃ、自分がダメになっていく。


 遠のいていくクロードの背中を見ながら思った。


「大丈夫ですか?」

「──あ、はい……」


 涙でぐちゃぐちゃの顔を隠すように俯いて返事をした。


「恥ずかしい所を見られちゃいましたね」


「全然」冗談っぽく笑って誤魔化すと、ノエルはいつも通りの穏やかな笑みで首を振った。


「少し、歩きませんか」


 軽い口調で誘われて、流れで頷いてしまった。ノエルは無邪気に笑うと、会場とは逆の方向へ歩き出した。

 この人は、私たちの事をどこまで知っているのだろう。


 突然、ノエルがプッと小さく吹きだした。


「それにしても、さっきは笑わせてもらいました」

「さっき……?」


 首を傾げると、ノエルに「あそこはたしか、養豚場ですよね」と言われて、顔から火が出たのではないかと思うほど熱くなった。

 そこから見られていたのか……!


「いやあれは、その……お恥ずかしい」

「そんなことないです。かっこいいと思います」


 そんなふうに言われるとは思わなかったので口ごもってしまう。なんだか少し照れる。

 顔を見られないように、ノエルよりも一歩遅れて歩いた。


「──僕の姉さんは、泣き虫なんです」


 しばらく歩いた所で、ノエルが穏やかに口を開いた。


「それに姉さんが泣くと、周りも過剰に反応してしまうんです。なんでもない事なのに、そのせいで時々厄介なことになる」


 厄介なこととは、私にも見に覚えがある。いじめだと騒いだのはマリー自身ではなく、周囲の人間達だった。


「周りがどうこう言っても、どうするかを選ぶのは当事者の自由です。姉さんも……ルーシーさんだって、もっと自分の気持ちを主張していいんですよ」


 立ち止まって振り返ったノエルは、気遣うように言った。


「ルーシーさん、姉に遠慮しないでください」


 何も知らず、無邪気に振る舞っているかに見えたがそうではない。この人は全て知っている。


「僕も遠慮しないので」


「え……?」なんの事だか分からず聞き返したが、聞こえなかったのか、ノエルは「いえ、なんでも」と微笑むと、私の着ているドレスに視線を移した。


「そのドレス、いいですね」


 そう言って、屈託のない笑みを浮かべた。



***



 会場に戻ると、アナが慌てて駆け寄ってきた。


「ちょっと、大丈夫だったの!?」


「うん、もう平気」笑って頷くと、アナは「もう、心配かけないでよ」と、冗談混じりに頬を膨らませた。

 辺りを見回すと、ジョセフの姿がない。夫人は公爵と共に談笑している。


「ジョーは?」

「ああ、なんか適当なところで休んでるって。その辺にいるんじゃないかな?」

「そっか、ちょっと探してくる」


 クロードのことを報告するべきだと思った。それに夫人とのことも気になる。


 ジョセフは屋敷の隅に設置された椅子に腰掛けて、ぼんやりと会場の方を眺めていた。その表情が曇っているようにも見えたが、私に気付くと、いつも通りの憎たらしい笑みを浮かべた。


「出すもの出したか?」

「サイテー……」


 ムッとした私を見て、可笑しそうに肩を揺らす。そんな心配の仕方があるか。

 あー、やっぱり腹立つ。ムスッとしながらも、一人分の間をあけてジョセフの隣に座った。


「どうしたんだよ」

「クロードに会った」

「へえ、やっぱり来てたのか」

「一線、引いてやったよ」

「そうか」


 ジョセフが小さく頷くのを横目で見て、少し迷ったが打ち明けることにした。


「あの人、私たちのことを他の人に話してたみたい」

「クソだな」


 ジョセフが小さく舌打ちをしたのが聞こえた。完全に目が据わっている。貴族紳士とは思えない悪態に多少驚いていると、突然ジョセフが立ち上がり、低い声で問われた。


「あいつはどこだ?」

「──え?」

「俺がガツンと言ってきてやるよ」

「い、いいって! いいから!」


 クロードを探しに行こうとするのを、必死で引き止めると、ジョセフは「ああいう奴は、痛い目見ないとわかんねぇんだよ」と、しぶしぶ諦めた。

 そんな様子を見て、少し胸が軽くなったような気がした。


「あんな奴のことなんか早く忘れろ」

「私も、それがいいと思った」


 小さく頷いて答えた。

 沈黙が流れる。夫人とのことを聞くなら今だ。思い切って疑問を口にする。


「……なに話してたの?」


 ジョセフは首を傾げたが、私の表情で読み取ったのか「ああ」と納得した声をもらした。


「他愛ない、昔話さ」

「断れば良かったのに」

「無理言うなよ」

「どうして? 公爵様は穏やかな方だし、断ったって怒らないよ」


 それを聞いたジョセフが「いやいや」と、苦笑いした。


「怒らせちゃいけないのは夫人の方さ。表向きでは旦那を建てているが、実際、力関係は夫人に傾いている。天性の才能なんだろうな、男の手懐け方を心得てる。公爵は完全に尻に敷かれているよ」

「へえ、それであんたも手懐けられたわけだ?」

「──ばっ、違ぇしっ!! 俺のはアレだよ……逆に遊んでやったんだ!!」

「嘘つき」


 顔を紅潮させながら大見栄を張るジョセフに冷めた眼差しを向ける。ジョセフは盛大な溜息をつくと、背もたれに身を預けた。


「怖い人だよ……」


 ぽつりと呟いたジョセフの言い方は、どこか悔やんでいるようにも聞こえた。

「帰るか……」冷めたように言うと、ジョセフは立ち上がった。私も同調して立ち上がった。色々あったせいで、もう夜会を楽しむ気分にはなれない。


「あら、もう帰ってしまうの?」


 いつの間にか、目の前に夫人が立っていた。

「もっと楽しんでいったらいいじゃない」どこか愉しげな口調で、形の良い唇の両端を持ち上げた。


「十分だよ」


ジョセフは笑みを貼り付けたが、目が笑っていない。

 夫人の視線が私の顔から、着ているドレスに移った。


「そのドレス……あなたあの時の──!」

「ただの従業員さ」


 すかさずジョセフが言った台詞に、夫人の眉がピクリと動く。無言の威圧感たじろぐ私を、夫人は小さく鼻で笑う。


「──まあ、別に構わないけれど」

「妙な勘違いはしないでほしい。こいつはなんでもない」

「勘違いって何かしら。何も言ってないじゃない」


 張り詰めた空気に包まれる。


「ジョー、あなたは結婚に興味がないから魅力的だったのに。それとも、それが口封じの条件なの?」


 ギクリとする。夫人の予想はあながち間違いではなかった。不倫のことをネタに、偽装結婚を迫ったのだから。

 しかしジョセフは、淡々とした態度で否定した。


「関係ないと言ってるだろ」

「じゃあそのドレスは?」


 夫人が、私のドレスを顎でさした。


「どうして彼女が着ているのかしら」

「店のものだ。従業員が着たっておかしくない」

「それは私の為に作ったものでしょう!?」


 夫人の声に憤りが混じった。


──夫人の為にこのドレスを……?


 自分のドレスをまじまじと見る。

 一番最初に一目惚れしたドレスを、バックストックの中から探し出して買ったものだ。それが、ジョセフが夫人の為にデザインしたものだったなんて──。


「お客様のために作った。それが手元に無いということは、あなたの為の服ではなかったんだ」

「相変わらず屁理屈が好きなのね」


 二人が言い合っているのを聞きながら、複雑な気持ちで漆黒のレースを見つめていた。

 心から気に入っていたのに、夫人のものになるはずだったのだと思うと、途端に気持ちが萎えてしまった。自分が着るべきものではなかったのだ。


「あなた、本気にしない方が身のためよ」

「アン──」


 ジョセフの手を逃れて、夫人が私に顔を寄せる。


「この人と結婚したら、破滅するわよ」


 夫人は囁くように言うと、踵を返して夫の元へと去っていった。

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