第23話 夜会
夜会当日、いつもは髪をバレッタでまとめる程度だが、今日はアップにするのに手間取って遅くなってしまった。急いで馬車に乗り込む。
ドレスはギリギリまで悩んだ。選んだのは、黒いレースをあしらったドレスだ。店に初めて訪れた時に、ディスプレイに飾っていて一目惚れした、あのドレスだ。店のバックストックにしまってあったのを引っ張り出して、今日の為に買っておいたのだ。
直前まで袖を通すのには勇気がいったが、家を出てしまえば後は腹を決めるしかない。そう自分に言い聞かせた。
私の姿を見るなり、父と妹は口をあんぐりと開けて、母に至っては卒倒しそうになっていたが、無視して出てきてやった。
ずっと前から夜会で着るのだと、心に決めていた。
会場であるプリドール家の屋敷前には、既にみんなが集合していた。
「ごめんなさい、待たせしまって」
早足で駆け寄ると、アナが目を丸くした。
「ルーちゃん、それ……」
リンダとローランも驚いている。
「うん、少しは宣伝になるかと思って」
なんとなく気恥ずかしくて「ほら、店員が店のモデルって言うでしょ?」と、本心を誤魔化した。本当は、単純に好きで着てみたかった、というのもあるが、ジョセフに諦めてほしくないという思いもあった。
ジョセフはきょとんとしていたが、どこか感心したような口調で言った。
「おまえ、破天荒なところあるよな」
「そうかな?」
期待していた感想とは違ったが、悪い気はしていないようだ。ほっと胸を撫で下ろす。
「行きましょうか」これ以上注目されるのは恥ずかしかったので、装飾されたプリドール家の門を真っ先にくぐった。
案内役の使用人は私をまじまじ見たが、すぐに自分の仕事を思い出したようで、屋敷の庭まで案内をした。すれ違う人みんなが、私の服を見るなり、ぎょっとしたり、コソコソ話したりしている。屋敷に来るまでは馬車を使ったので平気だったが、いざ好奇の目にさらされると罪人にでもなった気分だった。
黒を身に纏うことが、そんなに悪いことなのだろうか。
色への偏見がこんなに身近で感じることはなかった。けれどそれは、最近まで自分もそっち側だったから気にも止めていなかっただけのこと。思い込みによる偏見が知らずうちに身に浸透しているなんて、とても恐ろしいことだと、今ならよくわかる。
ぽん、と背中をたたかれた。
いつの間にか隣でジョセフが笑っている。
──あ、背中丸まってた……。
ここまでくると、言われなくとも察するようになっていた。自信がなくなると猫背になる、私の悪い癖だ。その度にジョセフは必ず背中をたたく。ほんの些細なことだが、思い返せばそれに何度も助けられた自分がいる。
ジョセフは、人以上に周りをよく見ている。最近、よくそう感じる。
プリドール家は国内でも指折りの富豪貴族ということもあり、来賓はかなりの人数だ。すでに皆、グラス片手に談笑し、優雅な音楽に合わせて踊っている。
「さすが、伯爵位以上ばっかだな」
「さて、誰から手をつけようか」と、目をお金にしながら物色しているジョセフに、ローランが「はしたないですよ、ジョー」と呆れたように言った。
ウェイトレスが持ってきたワインを受け取った時、周囲から女性たちの小さな悲鳴があがった。視線の先を見ると、屋敷のなかから年配の男が出てきた。その後ろにノエルがいる。
たぶん、あの年配の男がプリドールだ。
二人は執事からグラスを受け取ると、父親が前に出た。
「このような日を迎えられましたのも、こうしてここにお集まりいただいた皆様のお蔭でございます。本日は堅苦しいことは抜きにしましておくつろぎいただき、楽しいひとときを過ごしていただければと思います。恐縮ではございますが、わたくしの息子よりご挨拶させていただきたく思います」
父親は、ノエルに前へ出るよう促した。
「皆様、本日はお忙しい中、当家主催の夜会にお越しいただきまして、誠にありがとうございます。ご紹介にあずかりましたプリドール家嫡男、ノエルでございます」
ノエルがにこやかに挨拶をすると、再びあちらこちらから「きゃあ」という声があがった。
「あれのどこがぶっかけ!? 本物だよ、本物の王子様だよ!!」アナが興奮を抑えるように言うので、苦笑いを返した。
ぶっかけたのは、私だ。もちろん変な意味じゃない。
しかし、先程からマリーの姿が見あたらないのが気になった。立っているだけで華になるくらい美しい娘を、社交場に出さないなんて普通は考えられない。
──どうしたんだろう。
けれど、顔を合わせずに済むなら、少しほっとする。
「あいつ、来てないみたいだな」
ジョセフがさりげなく辺りを見回すと、こっそり耳打ちしてきた。マリーのことに気を取られていたせいで、ドキッとしたが平然を装った。
「──マリーもいないみたい。どうしたんだろう」
「腹でも下してんじゃないのか」
「そんなわけないでしょう」
「美人だって出すもんは出すぞ」
「そ、そういうことを言ってるんじゃないの!」
まったく、どうしてなんでもかんでも下品な方に考えるんだ。そして、なぜ嬉しそうに笑う?
黙っていれば容姿は良いのに。残念なため息が出た。
「最後に、ご臨席たまわったご来賓の皆様のご健勝とご多幸を祈念しまして、
ノエルの挨拶が終わる。まずい、よそ見をしていて全然頭に入ってこなかった。
とくに女性陣からの熱い拍手のあと、父親が再び前に出た。
「それでは皆様、本日はごゆっくりされていってください」
そう言ってグラスを持ち上げると、皆同じように高くかかげ、近隣の人同士で乾杯をした。
私たちも、乾杯をしてワインを口に含んだ。グラスを傾けた瞬間、素人でも香りの違いがわかるくらい、上等なものだとわかる。
こういうところから格差があらわれるんだな、と妙に納得しながら二口目をくちに含んだ。
ノエルは若い女性たちに囲まれて、なにやら話している。
「大丈夫だ」
突然、ジョセフが言った。
いったい、なんの話だ。
「あの女たちはただのファンだ。チヤホヤしてくれる都合のいい存在だ。だが、お前は違う。奴のニーズに応え、価値を上げれば楽勝だ」
「は?」きょとんとしてジョセフを見る。
どうやらジョセフのなかでは、私がノエルにアプローチを、かけることが決定されているらしい。
慌てて顔の前で手を振った。
「い、いやいや、私そんなこと言ってないけど」
「なに言ってるんだ、アレが嫌いな女がいるか?」
アレって、あんた……、失礼極まりないな。
「そんなすぐには恋愛感情に切り替えられないし」
「どうせそのうち好きになるんだから早いに越したことないだろ」
「ちょっと、なんでそんなに勧めてくるわけ?」
「おまえの結婚相手は、俺と同等かそれ以上でなきゃ困る」
意味がわからず、首を傾げる。
「俺にだって面子ってもんがあるんだ」
つまり、婚約破棄の際、自分より格下の相手に婚約者をとられたと思われるのが嫌なのか。
まったく、しょうもない。ムッとしてジョセフを睨む。
「だからってお節介はやめて。親戚のおばさんじゃないんだから」
アナとリンダが吹き出した。ローランも小刻みに肩を揺らしている。ジョセフは納得がいかないような顔で「せめて叔父さんにしろよ……」と呟いている。
「そうよ、ジョー。選ぶのはルーちゃんなんだから急かさなくても」
リンダがフォローにはいると、ジョセフは不満げに口をとがらせた。子供か。
その時、入口の方に人だかりができているのに気がついた。囲んでいる男たちが、うやうやしく頭を下げたり、わかりやすく揉み手しながらすり寄っている。
その中心人物を見た途端、背筋が凍りついた。
──アンリエット夫人!!
もちろん、夫のモーリアック公爵も一緒だ。しかもこっちの方へ来る。
「すごい、あれモーリアック公爵でしょ?」
「さすがプリドール家だね」とアナが感心したように言っている。
「う、うん……」内心それどころではないので、相槌がぎこちなくなった。
これは大変だ、と知らせようとしたら、そこにいたはずのジョセフの姿がない。慌てて探すと、ジョセフも次から次へと話しかけられていた。
──こんな時に人脈を発揮しないでよ!
なんとか割り込んで知らせなければ、とタイミングをみはからっていると、ジョセフの方から気づいて、私を知人に紹介した。
──違う!! 気づいて、夫人がすぐそこにいるの!!
愛想良く取り繕って挨拶をするが、内心穏やかではない。
「──あ、あの、ちょっと!」
失礼を承知で会話を無理やり中断させ、指をさして夫人が来たことを知らせようとした。
「おまえ、失礼だぞ……」ジョセフが指した先を見やる前に、しっとりとした声がした。
「あら、ジョー。久しぶりね」
一瞬、ジョセフが固まる。が、すぐに笑顔を取り繕った。
「お久しぶりです、夫人」
向き合ったジョセフは、いつもより少しだけ胸を張っているように見えた。
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