第22話 運動

 後日、夜会招待の話を聞いたアナは、駄々をこねるように言った。


「えー、私も見たかったよ! ぶっかけ王子!」

「その呼び名やめてったら!」


 すっかり定着している。本人の前でポロっと出てしまったらどうするんだろう。


「でもどっちにしろ会えるのか。へへ、楽しみだね!」

「いや、私は欠席しようかと思って……」


 ノエルがマリーの弟であること、そしてクロードも夜会に来る可能性があることを教えると、アナは驚愕した。


「世間は狭いねぇ!?」


 どこかで聞いた台詞だな。私は口をすぼめて頷いた。


「会いたくないけど時間がない、か……。板挟みだなあ……」

「うん。でもやっぱり会いたくないが勝っちゃうから。せっかくだけど……」

「でも、ぶっかけ……ノエルさんに行くって返事しちゃったんでしょ?」

「そうだけど……」


 しぶっていると、アナは思い直したように朗らかな笑みを浮かべた。


「でも絶対に来るとは限らないわけだし! それに、みんなと一緒なら話しかけてこないって! わたし、ルーちゃんから絶対離れないようにするよ」

「アナ……!」


 友よ、と言いながらきつく抱き合う。やはり持つべきものは信頼しあえる友人だ。


「そこの仲良しのお二人さん。手が空いてたらディスプレイ変えてくれますか?」


 表のディスプレイは鮮度を大事にする為、毎週変えることになっている。ローランから指示書を受け取り、アナと二人で作業にとりかかる。指示書を見た私は、洋服を片付けながら疑問を口にした。


「あれ……、もう黒のドレスは飾らないんですか?」


 毎週飾る洋服の中に、必ず黒をとり入れたものがあったのだが、今回の指示はそれがない。

 ローランは「あー……」と眉尻を下げた。


「ジョーの指示です。彼は色への偏見をなくしたいと、黒を推していたんですが……。何かと嫌われる色ですから、なかなか難しいでしょうね」


 この国では、黒という色は嫌われている。黒魔術や悪魔的な悪いイメージが定着していて、洋服として着る人はまずいない。

 だけど、初めてこの店に来た時、私は表に飾っていた黒を使ったドレスに目を奪われた。自分が好きなものが表から消えてしまうのは悲しい。


「ボスの黒服シリーズ良かったよね」


 新しい洋服を飾りながら、アナが言うので、「私も好きだったのに……」と、頷いた。


「わたしも黒は嫌いじゃないけど、さすがに着て歩く勇気はないかなー……」


「注目浴びるし」と、苦笑いをするアナを、私は困惑しながら見返した。

 確かに、黒を着て歩いたら悪い意味で注目を浴びることになる。それを気にしない人が何人もいない限り、黒色への偏見がなくなることはないだろう。

 いつも自信満々なジョセフでも、こればっかりは諦めざるを得なかったのだろうか。

 撤去した黒いレースのドレスを見つめながら、何かいい方法はないかと考えを巡らせたが、何も思いつくことはなかった。



***



『ダイエットはするな。健康な体をつくれ』


 そう言われて以来、週三で公園を歩くようになった。運動とダイエットに関する書籍を調べて分かったことだが、いつもより歩幅を大きく、地面を蹴るようにして歩くと普段使っていない股関節が動いて、太ももの引き締めに良いらしい。腕はピンと伸ばして後ろへ引くのを意識すると二の腕痩せにもなる。激しい運動はしなくても、姿勢や普段の生活の動作で気をつけていればスタイルをキープできるのだとわかった。

 それから積極的に水を飲むようになった。最初は浮腫むような感じがしたが、続けているとそれもなくなって肌の調子が良い。余計な脂がなくなって、ニキビができにくくなった。

 そうなると俄然やる気がでて、食べる物にも意識を向けるようになった。食べるのが好きな私は、食事はしっかり食べようと思った。朝は軽めにして、昼食は定食スタイルのものをしっかり食べる。夜は野菜中心のものにした。食べる量は減ったのに、不思議といつもより満足感があった。甘いものを我慢するのは辛いので、少しずつ減らしていくようにした。食べ過ぎた時は、後の二日間でその分を控えるようにして相殺すると問題ない。数字にすると気にしてしまうので、体重は計らないようにしていたが、体のラインにはあきらかに違いがでた。

 ダイエットだと辛くなるが、健康になる為と思えばさほど辛くはなかった。ほんの少しの違いだが、大きな効果だ。


 公園の大池に沿って歩いていると、以前ジョセフと歩いたことを思い出した。いつもの自論を持ち出したあとに、安売りするな、と散々言われた。軽く酔っていたし、ふざけていたから重く受け止めなかったが……。


──あの時、もっとジョーの忠告に耳を傾ければよかった。


 今さら後悔しても、もう遅い。

 ドン。突然、背中を小突かれた。

 驚いて小さく悲鳴をあげて振り返ると、悪戯な笑みを浮かべたジョセフが立っていた。


「脅かさないでよ! てか、なんでいるの?」

「体力づくりだよ。服を着こなすのに毎日のトレーニングはかかせない」


 ジョセフはシャツをめくりあげ、割れた腹筋を見せてきた。太陽の光に当たって、じんわりと滲む汗が光った。咄嗟に顔を逸らすが、こっそりと腹筋を横目で見てしまう。

 クロードほどではないが、なかなかのものだ。


「今さら恥じらうなよ。男の体なんてさんざん見たろ」


 プチッ、と耳の奥で音がした。気づいたら目の前の腹筋に正拳突きを喰らわせていた。


「最っ低!」

「──ずびばぜん……」


 腹をおさえながら謝るジョセフを無視して早足で歩く。せっかく気持ちよく運動していたのに、一気にストレスがたまった。また肌が荒れたらどうしてくれるんだ。

 だが、ジョセフはすぐに追いついてきて、隣を歩いた。


「私のことはほっといて、さっさと追い越して行ってくださーい」

「あー、そういうこと言っちゃう? 俺とおまえの仲なのに」


 どんな仲だよ。口の中で毒づいた。

 歩くスピードを上げると、ジョセフも早足になった。


「あのさあ……」


 呆れながら言いかけて、ふと、ディスプレイのことを聞いてみようかと思った。

 ジョセフは「ん?」という顔をしている。


「……黒はもう作らないの?」


 思い切って聞いてみると、ジョセフは「あー」と呟いた。


「粘ってはみたものの、まだウケないからなあ」

「私は良いと思うけど……。アナだってそう言ってた」

「俺だって良いと思うから作るけど、こういうのはチャンスがこないと世間は受け入れてくれないさ」

「チャンス?」


 ジョセフが頷く。


「価値観を変えるくらいの衝撃インパクトかな。人気女優が着てくれたらいい宣伝になるんだけど、叩かれるリスクもあるから誰も着たがらない」

「コレクションは? シーズンごとにファッションショーをやるんでしょ?」

「オーナーが許さないからね。黒を毛嫌いしてる」

「お父様が……?」


 ジョセフはまだ正式に継いだわけではないから、父親に全ての決定権があるのか。店で働いていても、ジョセフはいつも陽気だし、ふざけて笑っているから、そんなしがらみを抱えているなんて思いもしなかった。でも、会社なり団体なり、人が集まって組織になれば、しがらみはつきものなのだ。


「創り手が食わず嫌いしてたら、新しいものは生み出せないのにな……」

「ジョー?」

「ま、別の手を考えるさ」


 一瞬、声のトーンが下がったような気がしたが、すぐにいつもの調子に戻ったので、気のせいだったのかも、と思い直す。


「まさか、いっちょまえに俺の心配でもしたのか」

「ち、違うし!! ていうか、って失礼じゃない?」

「三十年はやい」

「さ、三十……!? 私たち、同い歳タメだから!」

「頭も胸も成長しなかったんだな」

「はあああ?」


 残念そうな目を向けられて、再びストレスが上昇する。

 不貞腐れながら、ジョセフを睨んだ。

 あーあ、心配して損した。


「──で、いつまでついてくるの」

「ついてきてませーん。方向が一緒なだけだし、自惚れないでくれる?」


 あー、鬱陶しい。なぜこの人は、いちいち小学生のように絡んでくるんだ。


「私は、ひとりで歩きたいの!」

「ひとりじゃないか。そして俺もひとりだ。ひとり者同士がたまたま同じ方向に歩いてるだけだ」

「へ理屈!」


 言い合いながら徐々に小走りになり、気づいたら競争になっていた。スカートの布が風を受けて重いし、脚にまとわりついて走りにくいが、意地になって走った。ジョセフもムキになってついてくる。

 すれ違う人々が皆、スカートで走る私を見て驚いている。淑女は走ってはならない、と教えられてきたけれど、いざ疾走してみると頬を撫でる風が心地よい。人目を気にしせず好きにしていいのだと、自由になった気がした。


 さすがに疲れて足を止めようとした時、慣れないことをしたせいで力が抜けた。足を外側に捻ってしまい、バランスを崩しそうになった。

 次の瞬間、ジョセフに腕を掴まれて体を支えられた。


「──あ、ありがと……」


 いきなりの事で、不覚にもドキッとしてしまう。ジョセフのスキンシップなんか慣れているはずなのに、なんだかおかしい。

 勇気をだして顔を上げると、ジョセフは真顔でこちらを見ている。


「腕、ムッチムチだね」


 ははは、と悪びれもなく笑われて、顔が熱くなる。


──あー、腹立つ!!


いつまでも二の腕を触っているので、仕返しに膝の裏を蹴ってやった。

 意外にもジョセフは、抵抗なく崩れるように転倒した。散々走った直後からの競走だったせいか、よく見ると脚がプルプルと震えている。

 あれ、追いかけてきたのは爺さんだったっけ。いい気味で、思わず吹き出した。


「ダッサ!」


 笑い転げていると、ジョセフはムッとして抗議した。


「ダサいとか言うな! 生まれたての子鹿みたいでキュンとするだろ」

「お爺さんの間違いでしょ」

「は、俺は可愛いバンビちゃんだ!」

「いやいや、全然可愛くないですよー」


 いつもひどい弄られ方をされるストレスを発散できて、胸がスッとした。不満げに見上げるジョセフを、清々しい笑顔で見下ろす。なんだかすこぶる気分がいい。

「お前には心がないのか」と、鬼でも見るような眼を向けられたが、すぐに「あ、胸がないもんな」と納得したように呟いたので、可愛げのない子鹿を置き去りにして撤収した。

 後ろから「この人でなしー!!」と叫ばれたが、他人のフリをすることで、周囲の視線を回避した。

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