第21話 招待
お昼過ぎに出勤すると、ジョセフが来店客の採寸中だった。輝きを放つ金髪が眩しく、存在感を放っている。その男子は私を見ると、にっこり微笑んだ。
「こんにちは、ルーシーさん」
「──こ、こんにちは」
ぼんやりとしながら応える。
マリーの弟、ノエル・プリドールだ。一瞬見間違いかと目を擦ったが、ちゃんと現実だった。パーティーでの約束どおり、本当に来店してくれたのだ。
「いらっしゃいませ」
邪魔にならないように横をすり抜けていくと、ジョセフが視線を合わせて頷いた。
〝お茶を出せ〟そういう意味だと瞬時に理解し、私は頷くと店の奥へと引っ込んだ。
更衣室に荷物を置いて休憩室へ行くと、リンダがお湯を沸かしている最中だった。
「もうすぐ沸くから、お菓子を出してくれる?」
「はい」
棚からパウンドケーキを出して、一人分の大きさにカットしていると、リンダが興奮したように口を開いた。
「彼でしょう? 噂のぶっかけ王子」
「リンダさん!」
その呼び名、いつの間に浸透していたのだろう。当然、広めた犯人は一人しかいないが、リンダまでそのあだ名を口にするとは思わなかった。
時折、下から笑い声が聞こえる。
「優しそうだし、可愛いじゃない! 目の保養だわぁ」
「良い人ですけど、知り合いの弟さんなんです」
「どんな知り合い?」
「……いやあの、マリーの──」
「略奪女の!?」
リンダは叫ぶと、慌てて口を塞いだ。聞こえたら、失礼どころの話では済まない。ハラハラしながら階段の方へ行き、手すりの間から下の様子をうかがうと、ちょうどジョセフがうまく誤魔化したところだった。
窓の外を指さしてノエルの視線を逸らした隙に、ジョセフがこちらに鋭い目を向けたので、咄嗟に身を引いた。間を置いてから、もう一度恐る恐る覗くと、何事もなかったかのように談笑している。
「さすが、ボス」
「あとで怒られますよ……」
感心しているリンダの隣で、私は頭を抱えた。
その時、お湯が沸いた音がしたので給湯室に戻り、リンダが紅茶を淹れるのを眺めた。
用意した紅茶をお菓子を持って一階へ下りると、採寸を終えた二人はソファで談笑していた。
「失礼致します」
お茶を出すと、ノエルがにこやかに「ありがとうございます」と言った。
立ち上がろうとした時、突然、ジョセフに手首を掴まれて、挙手のように持ち上げられた。
「ほら、犯人捕まえたぞ。煮るなり焼くなり好きにしていいんだぜ」
「いやいや」
ノエルが笑いながら手を振る。葡萄酒をぶちまけたことをネタにされるとは……。
私も座るように言われて、戸惑いながらもジョセフの隣に腰掛けた。姉との揉め事もある私が同席しても大丈夫なのだろうか。
そんなことを考えていると、ノエルが言いにくそうに口開いた。
「実はあの日、縁談の相手に会いに行くところだったんです
」
「──す、すみません……」
「いや、違うんです」
私が謝ると、ノエルは慌てたように片手をあげた。
「どうお断りしようか考えていたんです。そしたら困っているルーシーさんがいて……。汚れた服で遅刻して行ったら、断る理由を考えなくてすみました」
それから「なんか、僕の方こそすみません」と苦笑いした。
「だから、ルーシーさんは本当に気にしないでください」
「……はい。でもどうして……」
つい、立ち入った質問をしてしまったと思ったが、ノエルは気にした様子もなく答えた。
「父は早いうちに落ち着かせたいみたいで、次々縁談を持ってくるんです。でも僕は、腑に落ちない部分があって……」
「なんですか?」
「相手のほんの一瞬しか見ていないのに婚約するのって何か違う気がするんです。──あ、縁談を否定しているわけじゃないけれど!」
慌てて両手を振るノエルに、ジョセフが核心をついた。
「単にピンとくる相手がいなかったんだろう?」
「そうなのかな……そうかもしれません。でも僕は、ちゃんと相手と関わって、自分で決めたい。相手だって、僕のこと何も知らないまま一緒になったら後悔するかも」
それはない、と心の中でつっこんでしまった。
たぶん、君と結婚したい女子はたくさんいる。だから縁談が途絶えることがないんだよ。そう言いたい気持ちを、ぐっと堪える。
崖っぷちの自分とは真逆の存在だな、と羨ましい反面、悲しくなる。
「それに、独身のうちに出来ることは全てしておきたいと思うんです。勉強とか仕事とか、趣味も……何かで失敗しても、独り身なら相手に迷惑かけずに済むしょう?」
「同感だ」
ジョセフが意外だったような顔をしながら深く頷くと、ノエルは少し嬉しそうに微笑んだ。
「今は大学と仕事の両立で忙しいので、結婚はもう少し先でもいいと思うんです。学生で結婚している人も沢山いるけれど、僕は仕事が安定して、家庭のこともちゃんと考えられるくらいの余裕が持てるようになるまで待った方がいいのかな……。──といっても、良い人がいればしたいですけどね」
そう言うと、ノエルは照れ笑いを浮かべた。その笑顔に、思わず胸が高鳴る。ふと、視界の隅にリンダの姿がはいった。ちょうど私のぶんのお茶を持ってきたところだったが、ノエルを見つめる顔がだらしなく緩んでいる。ニヤけるあまり、ヨダレが垂れそうになったのを慌てて啜っていた。
──プリドール家の遺伝子が恐ろしい……!
そんなことにも気付かないノエルは、呑気にケーキを頬張り「あ、これ美味しい」と呟いている。それを見つめながら、母性をくすぐられるというのはこういうことなのか、と内心で納得していた。
突然、ノエルが何かを思いついたように「あ」という顔をした。
「今度、うちで夜会を開くんです。洋服のお礼と言ってはなんですが……良ければ来ませんか?」
リンダと、店の奥にいるローランにも笑顔を向けると「みなさんも、ぜひ」と気さくに誘った。リンダは好奇心をくすぐられたように、目がいっそう輝いたが、ジョセフは曖昧な笑みを浮かべながら、首を捻る。
「嬉しいけど……、お店として、お客様のお宅に伺うのは……」
「なら、友人として。日頃お世話になっている方々を呼ぶので、大人数になる予定だし、そんなに堅苦しくもないですから」
すかさずノエルが言い方を変えた。友人、と言われると、ジョセフも断りづらくなるだろう。穏和な雰囲気なのになかなか機転が利く。
「友人としてなら、断るわけにはいかないな」
「良かった! ルーシーさんも来てくれますよね?」
「──えっ、は、はい」
急に振られたので、咄嗟に頷いてしまった。
「楽しみだなあ」
ノエルは無邪気に笑うと、紅茶を飲み干した。ローランは丁寧にお礼を言い、リンダは小さくガッツポーズをしている。隣ではジョセフが「お詫びのつもりが、逆に申し訳ない」と微笑んだ。
だが、私だけは心中穏やかではない。プリドール家に行くということは、マリーと会うことにもなる。ノエルにとっての私は、姉の彼氏の元婚約者で、痴情のもつれで姉を泣かせた女なのだ。その辺、ノエルはわかっているのだろうか。
楽しげに談笑するノエルを見やりながら、絶対わかってないな、と内心思っていた。
ノエルを見送るため、ジョセフと共に店の外に出た。
「すっかり居座ってしまってすみません。なんだか楽しくて、つい時間を忘れちゃいました」
「嬉しいことです。次は仮縫いの時に」
ジョセフが言うと、ノエルは「はい」と笑って頷いた。深く頭を下げたまま、その背中を見送る。ノエルは最後にもう一度振り返って、お辞儀をすると去っていった。
「……良い奴だな」
「うん……下品じゃないし」
「おい、誰と比較した?」
「別にぃ」
とぼけて店の中へ入ろうとすると、「なあ」と呼び止められた。
「おまえ、わかってるよな?」
「何が?」
「プリドール家の夜会だよ。世話になってる招待客のなかに、奴がいるかもしれないってことだよ」
「──やつ……?」
あ、と声をあげた。クロードの顔が浮かんで、途端に気持ちが萎んでいく。マリーの事しか頭になかった。
「───その日、熱出したら失礼かな……」
「仮病か」
「夜会には行きたいけど、会いたくない」
「そうだな」
あの日以来、クロードからの連絡は全て無視している。そのうち手紙が届くようになった。最初は約束をすっぽかした理由を追求するものだったが、そのうち内容は、音沙汰がない私の身の心配をするものになった。一応、届く手紙には目を通しはするが、返事は書かずにいる。時々、無視するのも可哀想に思えて気持ちが揺らぎそうになる時もあるけれど、その度に自分を律してきた。
もう情にほだされることはないとは思うが、直接会うというのはまだ気が引ける。深く考えずに行くと言ってしまったことを後悔した。
ジョセフは考え込んでから、「──いや」と思い直したように言った。
「プリドール家の招待だなんてビッグチャンスだぞ。ハイスペックがうじゃうじゃ集まる。俺はコネクション作りに奔走できるし、おまえにとっても恰好の餌場だ」
「もう、下品な言い方しないでくれない? 私は本気でピンチなのに」
「だからこそだ! 辞退するのは勿体ない。それにおまえ、悠長に構えていていいのか? おまえには時間がないんだぞ」
ぐっ、と言葉に詰まる。
「でも、ばったり会っちゃったらどうしたら……」
「もうその気はないと、はっきり拒絶してやれ。今のままじゃ相手は宙ぶらりんだ。個人的にはいい気味だが、生殺しは尾を引くぞ」
あのクロードが、まさか。とは思うが、想像するとゾッとする。
「もう関わりたくないな……」
「どうしても嫌なら無理に来いとは言わないさ。でもその日はアイツらも一緒だし、しつこく絡むことはないと思う」
店の中を親指で指す。
「もうあんたには興味ないです、って面しておけばいい」
アナ達も一緒というのは、ひとりになる心配もないし確かに心強い。異業種交流パーティーの時に比べれば状況はマシかもしれない。
すると突然、ジョセフが話を変えた。
「おまえ、ノエルには興味ないのか?」
「え、なんで? ──いや、まさか!」
質問の意味がわかって「だって、マリーの弟だよ」と勢いよく首を振ると、平然とした顔で「だからなんだ」と返される。
だからなんだと言われても、私はそこまで図太くない。
「クロードがタイプなのに、ノエルはタイプじゃないのか?」
「タイプとかそれ以前に、私は姉を泣かせた悪者なわけで……」
「あっちは好意的に見えたけど」
どこか楽しげなジョセフに口をつぐんだ。
こいつ、面白がってないか。
悶々と考え込んでいると、軽く背中を小突かれた。
「──ま、来るか来ないか、決めるのはおまえ自身だ。でもよく考えるんだな」
軽い調子で言うと、ジョセフは店のなかに戻っていった。
でも、確かに時間がない。偽装婚約解除まで残り四ヶ月しかないのに、未だに相手もいないのだから。
──私はそれまでに結婚できるのだろうか。
できなければ勘当。
漠然とした不安を抱えながら、店のドアを開いた。
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