第20話 自分磨き

 アナと店に戻ると、二人分のたまごサンドが用意されていた。


「でた! お得意のやつ」

「幽霊みたいな言い方してんじゃねえよ」

「いいかげんレパートリー増やしなよ」

「うるせえ、俺はタマゴが好きなんだよ」


 アナとジョセフが軽口を叩き合うのを聞きながら、たまごサンドにかぶりついた。

 うん、美味しい。自然と笑みがこぼれる。

 また熱いものが込み上げてきた。誤魔化すように食べ進めると、パンが喉につっかえて上手く呑み込めなくなったので、それを紅茶で無理やり流し込んだ。

 気がつくと、アナがじっと見つめている。


「──ん?」


 首を傾げると、アナは「なんでもない」と笑って顔を振った。その様子を見ていたジョセフも、ふと一瞬笑ったような気がした。


「決めた!」


 淹れてもらった紅茶を飲み干し、私は宣言した。二人の注目が集まる。カチャ、とカップが音を立てた。


「クロードに関係するもの全部捨てる」

「断捨離ってこと?」

「うん。──じゃないと、また思い出しちゃうから」


 すぐに気持ちにケリをつけるのは難しい。だから心が揺らがないように、徹底的にやろう。あとは時間が解決してくれるはず。


「いいんじゃない? わたしも手伝ってあげる!」


 アナは嬉しそうに言うと、「──って、ただルーちゃんの家に行ってみたいだけだけど」と恥ずかしそうに告白した。


「あたしもあたしもー!」

「男子禁制!」


 ジョセフも手を挙げてアピールしたが、アナに一刀両断された。



 私はクロードの呼び出しを無視し、アナを家に招待した。急なことに両親も驚いていたが「良かったら泊まっていらして」と、快く受け入れてくれた。私が友達を連れてくるのは初めてだったからか、どこか嬉しそうだった。


「友達の部屋って、なんかテンション上がる」


 アナははしゃぐように言った。さらりと〝友達〟と言われたのが嬉しくて、胸が高鳴る。たまごサンドや友達とのお泊まり──恋愛じゃなくたって、心を揺さぶられることは沢山あるのだ。クロードのことなんか、ちっぽけに思えてきた。


「わ、これまだ着るの?」


 クローゼットを開けたアナが、古い洋服を広げて見せた。もうずいぶん前から袖を通していない。流行遅れだし、もうクロードの趣味に合わせることもないのだから着ないだろう。


「ううん、もう着ない」

「でもいい生地……。要らないならもらっていい?」

「いいけど、そんなの着るの?」

「リメイクすれば可愛くなるよ」


 アナは裁縫が得意で、自分が着る洋服を作ったりもしているらしい。店でも時々、お客様の洋服のお直しを任されているのを見かける。


「好きなだけ持っていってよ」

「ありがとう!」


 アナは嬉しそうに洋服を鞄に詰めた。

 自分もなにか技術が欲しい。そうすれば、少しは自信が持てるようになるかもしれない。

 そう思って「その代わりと言ったらなんだけど……」と、お願いしてみる。


「今度、お裁縫教えてほしいなー、なんて……」

「うん! もちろんだよ!!」


 なぜかアナのほうが目を輝かせるので、なんだか可笑しくて笑ってしまった。「なんでもないよ」と誤魔化すが、不思議そうに首を傾げるアナを可愛いと思った。

 思い出の品、というのは一つ一つは小さいものなのに、集めると結構な量だった。それらを全てゴミ袋に放り込みながら、好きな人にまつわるものをなんでもかんでも取っておくのはいけないな、と反省した。


「──あ、これは?」


 アナが手にしたのは指輪だった。いつかクロードと復縁できるかもしれないと思っていて、捨てられずにいた。長い間ケースの中で眠っていたのに、宝石の輝きはあの時と変わらない。

 私はおもむろにケースの蓋を閉めた。


「これは、あいつに突き返してやるの」


 そう宣言すると、アナは「それいいね!」と笑った。私はいつも持ち歩いているバッグに投げ込んだ。約束をすっぽかされて怒ったクロードが、いつ目の前に現れても良いように。

 心を強く持っていよう。胸の前で拳を握った。


「──あららー! ルーちゃん、こんなのつけてるの?」


 アナが冷やかすような声で言った。

 目を向けると、私の下着を自分の身体にあてている。ボッ、と顔が熱くなる。


「やだ! 見ないでよ!」

「これ勝負下着? だいたーん!」

「──ちが、ちょっと……返して!」


 からかわれながら、下着を取り返そうとするが、当然すんなりと返してはくれない。逃げるアナに抱きついて捕まえると、二人で一緒にベッドに倒れ込んだ。そのままじゃれあいながら笑い転げる。


──楽しい。こんなに楽しいのはいつぶりだろう。


 なぜか目の奥が熱くなる。けれど、少しも悪い気はしない。

 夢見ていた青春が、遅れてやってきたようだった。



***



 店で働いてから、もう二ヶ月が経とうとしていた。自分の弱さのせいで貴重な時間をロスしてしまったが、惜しんだところでタイムリミットが延びるわけでもない。


「失恋の傷には、新しい恋よ!」


 というアナのアドバイスを信じ、今はとにかく人脈を広げることに時間を使おうと決めた。あと、趣味を増やしたい。自分の用事に没頭できる環境を作れば、自分磨きもできるし、余計なことを考える暇もなくなるので一石二鳥だ。

 さっそく、異業種交流パーティーで名刺交換をした人達に連絡をとってみることにした。交流を深めれば、知り合いを紹介し合ったり、さらにご縁が広がるかもしれない。


「──というわけで、自分をもっと磨きたいんです」


 ジョセフに自分の考えを伝えると、「ふーん」と興味なさげな声が返ってきた。


「で、具体的に何をどう磨くんだよ?」

「どうって……なにか身になることをしたいんです。今は裁縫教えてもらっているけど、ダイエットもしたいし……あとは外国語習ったりとか」

「しょうもな」


 心にグサリと刃が突き立てられる。

 人がせっかく前向きに頑張ろうとしているのに、揚げ足を取るようなことを……!


「おまえは海外移住して国際結婚でも狙ってんのか」

「違いますけど……」

「だったら必要ないだろう」


 すっぱり言われてムッとなる。


「別にいいじゃないですか! 自分に自信をつけたいんです!!」

「なら、男のニーズに応えることに時間を使え。男はプライドに生きる動物なんだ。自分より有能な女と居たって、気持ちも息子も萎えるんだよ!」

「下品! ──この人、下品です!!」


 ちょうど通りかかったローランを巻き込んだら「知っています」と冷静に返された。その返事に、ジョセフは顎を高くあげて、私をさらに上から見下ろした。

 いや、ドヤ顔の意味……。


「有能な女は、気立ても良くなくちゃならない。たとえ正論でも、ダメ出しなんてしたら愛想尽かされるからな。キャリアウーマンの落とし穴だ。俺に言わせれば、普段は気丈に振舞っていても、必要ない時はサクッとプライドを捨てられる、それが本当の〝できる女〟だと思うね」


 なんだか奥が深いな。下品なくせに妙なところで感心させられてしまう。


「それをふまえて、外国語でもなんでも習えばいいさ。どうせ暇だろうし」


 嫌味な言い方に、ムッとなる。

 口を尖らせつつ、文句を言いたいのをこらえた。


「──じゃあ、私はどうしたらいいんですか」

「磨くなら見た目に限定しろ。服のドレンドとか、スキルアップとか、男はそんなの求めちゃいない」

「じゃあ、ダイエットします」

「ダイエットはするな」


 「はあ?」と、つい声が大きくなる。

 矛盾している。いったい何なんだ。


「女のダイエットなんてクソだ」

「──く、くそ……!?」


 はっ、と口を抑えた。しまった、つい汚い言葉を繰り返してしまった。


「苦しい減量してるところ悪いけど、ただ細いだけの身体に色気も何もあったもんじゃない。女が憧れる体型と男が好きな体型は違う」

「なら、男が好きな体型ってなんですか?」


 ジョセフが私を見据え、口を開く。


「──健康だよ」


 なんだか拍子抜けだ。てっきり〝ぼんっ、きゅっ、ぼん〟とでも言われるのかと思っていた。


「バランスよく食って運動していれば、勝手に痩せるし、スタイルも維持できる。規則正しい生活を心掛けろ。体重なんか見た目じゃわかんないんだから、数字にとらわれるな」

「そ、そうなのかなあ……」

「おまえは姿勢も悪いんだから、それを直すだけでも全然違うぞ」

「えっ、それだけで痩せるの?」


 姿勢が悪いと筋肉使ってないからな、と頷いた。


「なんでそんなことに詳しいの? あんたって女子力高いよね」

「バカか。俺の職業はなんだよ? モデルやら女優やら、ガキの頃から腐るほど間近で見てきてんだよ。そいつらプロが言ってるんだ、間違いない」


 驚きの声をもらす。有名人にコネがあるなんて知らなかった。でも考えてみれば、ウィルソンは国を代表するブランドと言っても過言ではないのだから、とくに不思議ではない。口が悪いし下品だから忘れていたけれど、ジョセフはブランドの後継者なのだ。

 改めて認識すると、とんでもない人に偽装婚約を迫ったのか、と自分が怖くなった。


「できるだけ人が集まる場へ足を運ぶようにしろ。人に見られていれば、自然と綺麗になっていくもんだ」


 以上、と話を切り上げられそうになったので、慌てて引き止めた。実は、もうひとつ相談があった。


「なんだよ?」

「これ──」


 持っていた手紙をジョセフに渡す。


「異業種交流パーティーで知り合った人で、連絡が来たのはいいものの、内容がよくわからなくて……」

「そんなの適当にやれよ」

「そうしたいんだけど、それも出来ないくらいわからなくて……」

「そんなわけないだろう」


 ジョセフが文章に目を通す。

 相手はパーティーで一番最初に声をかけた、謎の乗り物の絵について熱心に語ってくれた人だ。この手紙にも、レールがどうとか馬力がなんだとか、まるで呪文のような文言が並べられている。三回ほど繰り返し読んだものの「つまりどういうことだ?」と理解不能だった。

 自分の理解力が足りないからなんじゃないかと思い、いろんな業種に人脈のあるジョセフに翻訳を願い出ることにしたのだ。

 ジョセフは「なるほどな……」と呟きながら、便箋を封筒に戻した。


「──つまり、何が言いたいんだと思う?」


 期待を込めて尋ねると、手紙を押し付けるように戻された。


「うちは無宗教です。って、言っておけ」


 愕然としながらジョセフの背中を見送る。


──結局、アンタもわからんのかい!


 と、口の中でつっこんだ。

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