第16話 心配

──まずい、これは非常にまずい。


 マリーの弟ならば、私のあの噂だって……むしろ、本人から泣かされたことを聞いているはずだ。


「そういえば、まだ名前聞いていなかった」


 きたー……! どうしよう。でも答えないわけにもいかない。けれど、軽蔑されるのは耐えられない。

 葛藤していると、突然、背中を叩かれた。見上げると、ジョセフが「胸を張れ」と口ぱくで言った。もう、覚悟をするしかない。今言わなくたって、どうせバレるのだから。


「ルーシー・アランです。マリーとは同級生でした」

「え、ルーシーさんって……」


 意を決して自己紹介をすると、ノエルは


「てっきり、同い年くらいかと……! すみません、馴れ馴れしくしてしまって」

「──へ? あ、いえ、全然!!」


 そっち? てっきり、姉を虐める悪い奴、と責められるかと思っていたのに。ていうか、同い年なわけないじゃない。お世辞か? それとも、天然なの?

 思っている事が顔に出ていたのか、隣から「──お世辞だな」と囁かれたので、背中をグーで殴った。ぐふっ、とジョセフが小さく呻く。

 ノエルが不思議そうな目でジョセフを見たので、誤魔化すように紹介した。


「こ、こちら、職場の上司なんです!」

「そうなんですか。はじめまして。僕、ノエル・プリドールです。在学中なので、仕事はまだ、父の見習いみたいなものなんですけど……」


 ノエルがにこやかに挨拶した。どうやら上手く誤魔化せたようだ。


「あの、プリドールのご子息でしたか! どうもはじめまして。わたくし、店主のウィルソンと申します。気軽に〝ジョー〟と呼んでください」


 先程までの偉そうな態度から一転、ノエルに擦り寄る上司の姿を、私は冷めた目で見つめた。プリドール家は、今この場にいる家柄の中で一番階級が高い。マリーにはやらなかったのに、急激な手のひら返しだ。


「その節は大変失礼致しました。よければ今からでもお詫びをさせて頂きたい」

「いえ、僕は全然、気にしていませんから」

「いえいえ、そうはいきません!」


 にこやかに応えるノエルに、ジョセフは名刺を差し出した。


「うちの洋服で弁償、というのも大変おこがましいのですが……是非一着、お作りさせて頂きたい」

「はあ……でも本当に──」

「いやいや、こちらの気が済まないんです!」


 ジョセフの魂胆がわかるのは、おそらく私だけだろう。あわよくば、ノエルを顧客にしようとしている。目が完全にお金になってしまっている。


・ウィルソンさん……確か、ブランドを創設した──」


 名刺を受け取ったノエルが呟いた。ジョセフのミドルネームがあっただなんて、私は初めて知った。


「……曾祖父母の名です。よくご存知で。でも、ジョーでいいです」

「はい、ジョーさん。名前を受け継ぐのって、素敵ですね」


「どうも」と、ジョセフが少し投げやりに答えた。ノエルは屈託のない笑みを向けると、ジョセフの誘いを受け入れた。


「──じゃあ、是非今度……」

「お待ちしてまーす」


 満足げな笑みを浮かべる上司を、なんとも言えない気分で見やる。


「──俺にはくれないのかよ、商売人?」


 完全に存在を疎外されていたクロードが、バカにしたように言った。ノエルが来たことにより、ジョセフの身元がバレてしまった。ウィルソン家はシャンタル家よりも階級が低い。にもかかわらず、ド失礼な態度をとっていたジョセフに、文句を言いたげな様子だ。

 しかしジョセフは臆することもなく、すっかり忘れていた、とでも言いたげに、大袈裟に口を覆ってみせる。


「──これは失礼。もちろん、君のご来店もお待ちしてるよ」


 馴れ馴れしく言うと、クロードのジャケットの胸ポケットに名刺を忍ばせた。


「定価でのご案内だけど」


 にこやかに、しかしハッキリと言い放つと、「商売だからね」と付け足して、背中を叩いた。

 あきらかに、挑発している。

 クロードの眉間に筋が浮かんでいるのに気付いて、私は内心ハラハラしていた。しかしジョセフはそんなことは気にもとめずに、愛想を振りまきながら丁寧に挨拶をする。


「それじゃあ、我々はこれで失礼するよ」

「──え? もう?」


 つい本音を口に出してしまった。見上げると、ジョセフが他の三人に隠すようにして威圧的な視線を送ってくる。〝余計な事を喋るとその口を縫い合わせるぞ!〟おそらくそう言っている。私は大人しく沈黙した。


「もう少し、ゆっくりされたらいいのに……ね、姉さん?」


 名残惜しそうに引き止めたのは、ノエルただ一人だった。かなりの天然なのか、この場のピリついた空気にも気付いていないようだった。

 同意を求められたマリーは、顔を真っ青にしてクロードの顔色を伺い、クロードに至っては、余計なことを、という目をノエルに向けている。


「いやあノエルくん、キミとはもっと話がしたいよ。でも残念ながら、この後予約が入っていてね。お客様を待たせるわけにはいかないので」


 完全に嘘をついている。今日はパーティーの為に非番にしているのだから、私たちが店に戻ることはない。なぜジョセフが早くに切り上げようとするのか、その意図は読めないが、私はジョセフが作る流れのままに動くしかないのだ。


──本当は、クロードともっと話がしたいんだけど……!!


 湧き上がる欲求を押し込め、促されるままに三人に背を向けた。その時、そっと腰に手を回され、心臓が飛び跳ねる。驚いてジョセフを見ると、ちょうど、意味ありげな視線をクロードに送っているところだった。


──なぜ喧嘩腰!?


 そこまであからさまな挑発をする意味がわからない。だが、クロードが完全にその挑発に乗っているのは、その表情で明らかだ。

 ジョセフと付き合いがあることで逆に嫌われやしないか、とてつもない不安に襲われながらも、私たちはその場をあとにした。



***



 姿が見えなくなったところで、ジョセフは私から身を離した。


「見たか、あの二人。あそこだけ〝おとぎの国〟だったぞ」


 ジョセフが苦々しげに言う。付け加えるように「いい奴だったけど」と呟いた。

 きっと、自分が下品だから、純潔なものに苦手意識でもあるのだろう。


「まさか、あのぶっかけ王子がマリーの弟だったはなあ……世間は狭いな」

「やめてよその呼び方、なんだか下品よ」

「え、下品? もしかして〝ぶっかけ〟の部分? ねえ、想像したの?」

「別に、何も!」

「でも、ぶっかけたのはキミだよね? 一体、を……」

「──う、うるさい!!」


 ニヤニヤしながら、わざとらしく聞いてくるジョセフを無視して早足で歩く。墓穴を掘った自分が恥ずかしくて、顔が熱くなった。


「待って待って! せっかく非番なんだから、メシ行こうよ!」

「前から思ってたけど、あなた、言葉遣い悪いわよ」

「はいはい、さーせんね」


 その態度から、直す気は毛頭ないらしい。不服そうに「〝も〟って、なんだよ」とか「あなたは、俺のお母さんですか」などとブツブツ呟いている。

 そのまんまの意味だ、と身のうちで毒づいた。



 ジョセフが酒が飲みたい、と言うので、職場の近くの酒場にやってきた。おつかいの時に行きそびれた青果店の店主が、隣の空き家を改装し、夜の副業としてやっている酒場だ。聞く話によると、もともと家庭用に葡萄酒を造っていたのが、いつの間にか趣味を通り越して商売にしてしまったのだとか。その熱意もあり、この店の葡萄酒は絶品だ。他にも沢山の酒を取り揃えている。

 たまにアナやリンダ達とも飲みに来ていて、もうすっかり行きつけの店になっていた。


「──でも、クロードにあんな態度とって、大丈夫なの?」


 ジョセフがエールを一気に飲み干し、二杯目を注文した。一仕事を終えたような表情かおで、気分も良さそうだったので、話を切り出した。


「いいのいいの。ああいう脳筋には、少し過剰なくらいでちょうどいいんだよ。まんまと挑発に乗ってただろ」

「私のじゃなくて、立場の話よ」

「ま、大丈夫だろ。俺からお前を取り戻したら、勝手にスッキリして忘れてくれるさ」


 呑気に言うが、そう上手くいくだろうか。私とジョセフが付き合っていると思われたかもしれない。


「取り戻しにくるとは限らないじゃない。逆に身を引いちゃうんじゃないの?」

「お前の目は節穴か! もっとよく観察できるように両目ともボタンホールにしてやろうか!!」

「やめてよ、とんだサイコホラーだよ」


 やれやれ、とジョセフは首を振ると、断言した。


「アイツは必ず、取り戻しに来るぞ」

「どうしてそんなこと言いきれるの?」

「わざわざ引き止めただろ。それも、マリーの目の前なのにもかかわらず、だ。今の彼女より、手前のプライドが勝ったのさ」

「マリーより?……そんなことあるかな、あんなに可愛いマドンナを連れてるのに」

「は、マドンナ? あんな女、ブランドのバッグみたいなもんだろ」


 ひ、ひどっ!! 思わず絶句する。マリーをバッグ呼ばわりする男は、国じゅう探しても、おそらくジョセフこいつくらいだろう。


「ちょっと、言い過ぎよ」

「そうか? なら言い換えるよ。〝都合のいいお人形さん〟だ」

「それも酷いってば」

「──高級ダッ〇ワイフ」

「もうそれ以上は言わないで!」


 ダメだ、どんどん酷くなっていく。しかもお下劣げれつな方に。


「マリーに恨みでもあるの?」

「ない。ただの八つ当たりだ」

「はた迷惑な奴……」


 呆れて呟くと、「俺のは八つ当たりだけど、おまえは言う権利あるぞ」と当然のように言われた。愚痴ってもいい、そう言ってくれているのはわかったが、一度、痛い想いをしているので、毒を吐き出すのには抵抗がある。

 口をつぐんだ私に、ジョセフは話を逸らした。


「けど、自分の男が他の女を呼び止めたのに、あの女、文句のひとつも言わない。普通、嫉妬するもんだろ。信じられない」

「あの美貌だし、自信があるとか?」

「そうは見えなかったけどな」


 ジョセフは不思議そうに言うと、つまみの肉を口の中へ運んだ。


「あんな腹の中が見えない女より、おまえの方が何倍も人間味があるよ」

「──えっ?」


 口に運ぼうとしたそら豆を、ポロリと落とした。そんなふうに言われたのは初めてだった。


「ま、マリーはきっと純粋なのよ。私と違って……」

「何をされても抵抗しない人間なんて、逆に怖いよ」


 あんたが捻くれているせいなんじゃ……。

 でも、世の中にマリーのことを怖いだなんて言う奴がいるのかと、少なくとも私は衝撃を受けていた。


「──なんで、そこまでしてくれるの?」


「ん?」とジョセフが顔をあげた。ずっと怖くて聞けなかったのに、つい、口に出してしまった。途端に、後悔が押し寄せる。


「そんなの、半年後困るからだろ。──もう五ヶ月もないけど」

「それはそうなんだけど、普通、ここまでしないじゃない。私が無理に頼んだことなんだから、期限が来たら婚約を破棄すればいいだけのことでしょう?」


 すると、なぜか鼻で笑われた。

 え、私、何かおかしなことを言っているだろうか。


「そんなことより、おまえは次の心配をしろ」

「次の心配?」

「奴は必ず、あの手この手で関係を迫ってくる。自分のものだと思っていた女が、階級が下のいけ好かない野郎に狙われているんだ。しかも、かなり色男だ」


 自分で言うか! と、身のうちでつっこんだ。


「そしてプライドを誇示する為に、おまえの気持ちを確かめようとするだろう。けど──」


 関係、というのはおそらく体の関係のことだというのは、聞かなくてもわかった。


「絶対に股を開くなよ」

「──ブッ!!」


 飲み込もうとしていたものが、変なところに入って噎せる。隣のテーブル客がこちらをチラチラ見ている。恥ずかしさのあまり、顔から火がでそうだ。


「なんてことを言うのよ!!」

「はっきり言わないとわかんないかと思って」


 だからってどストレートに言う奴があるか!! しかも食事中に!!


「ここが踏ん張り時なんだ。もしここで関係を持ったら、せっかく上げた価値が大暴落する。二度と修復できなくなるぞ」

「わかってるよ、もう……!!」


 まだ熱が下がらない顔を、手で仰ぐ。

 女同士ならまだしも、異性から言われるなんて。というか、この男こそ、こんなデリケートな話をよく平然と言えるな。


「あんたって、絶対モテないでしょ」

「は、モテるし。女が列をなして順番待ちしてるくらいだ」


──そんなバカなことがあるか!!


 その後はずっと、口の減らない大きな子供との言い争いだった。「下ネタくらい慣れとけよ」とか「年増が恥じらってもサムいだけだ」だの、散々言ってくるのに対し、「ずっと彼女いないくせに」「下品だからモテないのよ」と応戦する。

 互いにムキになって、くだらない言い合いをしているうちに、結局、私がずっと抱いていた疑問の答えは聞けなかった。

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