第15話 再会2

 たった今、前を向こうと決めたところなのに、まさか本人が現れるだなんて。まるで天が私の意志を試しているかのようだ。


「やっぱり……」

「──お、お久しぶりです……」

「どうした、その格好」

「へ、変ですか?」

「いや、前と違うから……。──それは?」


 クロードが私が持っている名刺を見る。なんとなく気まずくて、手の内に隠した。


「これは、仕事で……」

「仕事? お前が?」


 いつもの低い声が、この瞬間だけトーンが上がった。余程信じ難いのか「仕事してるのか?」ともう一度聞かれたので頷くと、心底驚いたように目を丸くした。


「──連絡しようと思ってたんだ」


 口調は穏やかだが、どこか言い訳のようにも聞こえた。

 何故ここにいるんだろう。というか、なぜ今、このタイミングで再会しなければならないのだろう。謝りたかったはずなのに、いざ本人を目の前にすると、どう切り出していいかわからない。


「あなたこそ、どうしてここに?」

「先輩に誘われて、断れなくてな……」

「そう……」


 歯切れ悪く言った。確かに、クロードは軍の正装着姿だ。軍関係は上下関係が厳しいと聞く。先輩に誘われたら絶対に断れないだろう。


「なんの仕事?」


 あまりにも意外だったのか、クロードが話を戻した。私の仕事に興味を示している。


「洋装店で、主に接客をしているの」

「接客? そういうの苦手だったよな?」

「最初はね。でも、職場の人はみんな優しいし、お客様も良い方ばかりだから、もう慣れちゃった。人と話すのってこんなに楽しいんだって、教えてもらった。それに、就職してからまだ日も浅いのに、色んなことに挑戦させてくれるの。大変だけど、やり甲斐もあるのよ……」


 気付いたら饒舌になって話していた。ハッとなり、慌てて「ごめんなさい、私の話ばかり……」と謝った。「別に」と、私を見つめるクロードの表情に、わずかに戸惑いが混じっている。

 沈黙が訪れる。

 何か言わなければ。会話が途切れたら、また離れて行ってしまうような気がした。


「──ごめんなさい」


 気がついたら、そう言っていた。普段はクールなクロードが、何のことか、と目を見張っている。


「あの時の私、婚約しているから結婚するのが当たり前だと思い込んでいて、あなたの気持ちをきちんと考えてあげられなかった」


 ずっと思っていたことを口にする。


「自分以外に興味がなかったんだって、気が付いたの。本当はもっと、あなたの事をちゃんと見るべきだった。そしたらもっと……。それも出来ないで結婚なんて、笑っちゃうわよね。……本当に、ごめんなさい」


 そう言って、頭を下げた。クロードは沈黙したままだったが、返事は求めていなかった。

 間違っていたことを謝りたい、ただそれだけだ。


「──ルーシー……」


 クロードが口を開いたと同時に、輝くような黄金色の髪に目を奪われた。──マリーだ。私と目が合うと、気まずそうに視線を下げた。長い睫毛まで艶を帯びている。

 結局、私の視線の先に気付いたクロードから、その続きを聞くことはできなかった。

 マリーが、おずおずとクロードの隣に並んだ。真っ白な肌はきめ細かく、触れるとさぞ柔らかいのだろうと妄想をかきたてられた。クロードが触れているのは彼女なのだと考えると、胸が苦しくなる。


「──ご、ごきげんよう、マリー……」


 当たり障りのない挨拶をすると、マリーは驚いたように顔を上げた。


「……ご、ごきげんよう……」


 蚊の鳴くような声で挨拶を返してくれたものの、その後が続かず、沈黙が流れた。肝心のクロードも気まずそうにすっかり口を閉ざしてしまった。

 今すぐ逃げ出したい気持ちを堪えて、自然にこの場を離れる為の言い訳を探した。


「──あの、わたし……」


 あっちで上司が待ってるから、と続けた声は、賑やかな話し声によってかき消された。振り返ると、ジョセフ達が戻ってきていた。彼らの関係性を知らない者の目には、美女を従える色男に見えていることだろう。


──チャラ……!!


 口のなかで毒づいた。

 ジョセフは私を見るなり、女たちに別れを告げると、アリス達は「えー」と大袈裟なくらいに別れを惜しんだ。


「次はちゃんと連絡してよね」

「はいはい」


 相談して気持ちが軽くなったのか、彼女達の表情はとても晴れやかだ。去り際のアリスと目が合うと、ウインクされたので笑顔で返した。


「──ごめんよ、一人にさせて。変な奴に絡まれてない?」


 心配だったんだ、とジョセフは大袈裟に両手を広げた。「ちょうど今、絡まれたとこ」と、喉まで出かかったが、のみ込んだ。さっきまで美女達に囲まれていた奴が言う台詞じゃない。

 視界の隅にはいったクロードとマリーが、ぽかんとしている。


「さ、あっちで飲み直そう」


 ジョセフはクロードにチラリと視線を送ると、私の手を引いた。

 なんなんだろう、この妙な茶番劇は。そんなことやってるせいで、女遊びが激しい奴って言われるのに。


「──おい」


 ジョセフの足が止まる。私にとっては、クロードが呼び止めるだなんて予想外のことだった。

 ジョセフは一瞬、獲物を捕えた詐欺師のような笑みを浮かべると、毅然として振り返り、冷たく言い放った。


「なに?」

「まだ彼女と話してる」

「そうなの? とてもそうは見えなかったけど」


 みんなだんまりだったもんで、と悪気はないという態度を見せた。クロードは少し言葉を詰まらせたが「まだ、話の途中だった」と苦し紛れに言った。そんなクロードにマリーが目を見張っている。


「そう? なら、さっさと済ませてくれる?」

「いや、お前はなんなんだよ」

「なにって──」


 ジョセフはマリーをチラリと見たが、すぐに興味なさそう視線を戻した。

 マリーは萎縮したように、視線を落としている。


「自分から名乗ったらどうなの、軍人さん」

「……クロ──」

「クロード・シャンタル、元婚約者だろ? まあ、知ってたけど」


 軽い冗談ジョークだよ、と笑う。クロードの目がどんどん据わっていく。


「でもさ、今さら〝元〟婚約者と話すことなんかないし、あるとしたら、まあ、挨拶くらい? ならもう済んだろ。君は過去の人間。そして今、彼女は同伴なんだ。一応、予定を空けているとはいえ、時間を無駄にしたくない。──わかるだろ?」


 意味深な部分をやたらと強調する。

 男なら察しろよ、と言いたげなジョセフに、クロードは完全に嫌悪の目を向けていた。

 私は内心焦った。ジョセフが茶番を演じているのはわかる。だが、そんなことを言ってしまったらクロードの心は離れていってしまうのではないか。

 突然、ジョセフに肩を抱かれたので、反射的に見上げると「俺は過去の男のことなんて全然気にしないよ、全然!」と、胡散臭い笑顔で言われた。なんなんだそれは。というか、本当に大丈夫なの、この状況。


「さあ、過去は振り返らず、共に未来へ向かおうじゃないか」


 完全に面白がっているとしか思えない台詞のチョイスと共に、身体をくるりと反転させられる。自分たちの関係を聞かれる前に、早く退散してしまおうという魂胆だろう。

 だが、またしても足が止まった。急ブレーキをかけた拍子に、ジョセフが背中に衝突し、呻き声をあげた。「おい、急に止まるなよ」と文句を言われたが、耳に入らなかった。


──うそ……!


 おつかいの帰りに葡萄酒をかけてしまった、あの王子様が向かってくるではないか。


「ここにいたんだね」


 まるでずっと探していたプリンセスを、ようやく見つけた時のような台詞と共に、白い歯を見せて微笑んだ。彼のまわりをキラキラと輝く粉が舞う。

 ジョセフはというと、初めて別の世界の生き物を見つけたような顔をしている。

 王子は私の横を素通りし、マリーの傍に駆け寄った。

 ああ、なんだ。そうだよね、と腑に落ちる。王子の隣には、やはり本物のお姫様がよく似合っている。二人の顔を見比べていると、王子と目が合った。「あ」と驚いたような表情かお、それからすぐに嬉しそうに微笑んだ。


「──この間の……! まさか、キミも参加されていたなんて」

「あの時は本当に、すみませんでした。お洋服、染みが残ってしまいましたよね」

「そのことは本当に、気にしないで」


 おい、と隣から肘でつつかれた。説明を求めるジョセフに「ほら、葡萄酒の……」とこっそり耳打ちすると、「ぶっかけ王子か!?」と最低なあだ名をつけたので、ヒールで足を踏んずけてやった。


「ノエル、知り合いだったの?」


 マリーの透き通るような声が鳴る。

 ノエルと呼ばれた王子は、首を傾げた。


「姉さんこそ──」

「姉さん?」


 気付いたら声がもれていた。


「僕たち、姉弟きょうだいなんだ」

「「姉弟きょうだい!?」」


 声が揃う。

 ジョセフは驚きのあまり素に戻ってしまっていた。

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