第14話 再会

 異業種交流パーティーの会場は、モーリアック公爵の寄付により建てられた、庭園だった。そう、現上司の不倫現場を目撃してしまった、いわく付きの場所である。


──よりにもよって、ここ?


 愕然としている隣で、ジョセフは涼しい顔で微笑んでいる。


「懐かしいなあ……。な、ルー?」

「いや、どうして笑っていられるわけ? 私はどういう心境でいればいいのかわかんないよ」

「今となっては、いい思い出です」


 その図太さは一流だなあ、と、ある意味で感心する。だが、その反応からするに、本当に夫人との関係は過去のものになっているようだ。


「ここで俺たちは出会った。そして今日、おまえは最良の伴侶と出会うかもしれない。ルーにとって、まさに始まりの場所というわけだ」

「よしてよ」

「俺にとっては終わりの場所だけど」

「その冗談ジョーク、寒い通り越して凍てつくわ」


 なんとも言えぬ顔で見やると、ジョセフが「今は冬ではないぞ?」と、おどけてみせた。その表情かおが可笑しくて、つい笑ってしまった。スベると顔芸に頼るのは反則だ。

 笑いも落ち着いたところで、ジョセフが腕を差し出した。男性が女性をエスコートをするのは至極当然のことだが、なんだか、私たちには似合わないように思えた。


「綺麗だよ」


 普段、散々ばかにしてくる人が珍しく褒めてくると、つい照れくさくなってしまう。急に緊張してきて、身体が縮こまる。

 ありがとう、と小さく返して、その腕をとった途端──、


「はい、姿勢!!」

「──わあ!? すみません!!」


 突然の指摘に、反射的に背筋が伸びた。いつも注意されるせいか、頭よりも先に、体のほうが慣れてしまった。

 見上げると、ジョセフは真面目な顔をしている。


「いいか、ルー。顔見知りがいても気にするな。噂なんて不明瞭なものに振り回されるな。堂々と、胸を張っていいんだ」

「……う、うん」

「なんてったって、同伴なんだからな」

「──結局、そこ!?」


 ガクッと肩を落とす。

 軽快に笑っているジョセフを見ていると、不思議と緊張が解けていく。


「今日のおまえは、誰よりも輝いてるよ」


 自信満々に向けられたのは、照れや緊張とは無縁だが、そっと背中を押すような、そんな笑顔だった。私も笑って頷くと、今度は満足そうに微笑わらった。

 そうして私たちは、一緒に庭園のなかへと足を踏み入れた。



 会場の中は、既に大勢の人々で賑わっていた。その中で、会場の至る所で一人グラスを傾けている人もいる。軽食に手をつけている人もいれば、まわりの様子を伺っていたりと様々だ。隅っこの方に腰掛けている人に至っては、完全に自分の世界に入り込んでしまっている。開き直ってしまったのか、交流する気さえないようだ。


「き、緊張する」

「大丈夫だ。相手だって交流しに来てるんだから無下にはされない」

「そっか、そうだよね」

「アパレル系は人気もある。着飾り方を知ってるからな。自信もて。──ほら背筋伸ばして!」

「わっ、また!?」


 また注意されてしまった。緊張すると前屈みになってしまう癖を直さなければ。


「ジョー!! やっぱり来ると思ったわ!!」


 振り向くと、三人の貴婦人が集まっていて、あっという間にジョセフは女達に囲まれてしまった。その勢いに圧倒されて、私は思わず身を引いてしまう。


「手紙読んでくれた?」

「全然返事くれないじゃなーい!」

「つれないわね」


 デスクで見てしまった手紙の束を思い出す。あの差出人たちだろう。全員、年上の綺麗なお姉さま方だ。年上好きのジョセフのことだ、そしてこの状況。もう、疑う余地もなかった。

 そっと立ち去ろうとした時、ジョセフが簡潔に吐き捨てた。


「おまえらはもう、管轄外だ」


 その一言に、「ええー!」と批難の声が上がった。


「自分のことは自分で考えるんだな」


 野次を飛ばす淑女たちの様子に、何か、違和感を感じた。自分もそうなので最初は気にならなかったが、よく考えてみれば、貴族の娘が公の場でとる言動ではない。とてつもなく、ラフな態度だ。

 呆然としていると、ようやく女達の一人が私の存在に気がついたようだ。


「あら? やめるって言ってなかったかしら?」


 全員が、私に注目する。


「じゃあなに? 彼女ができたの?」

「うそー! いやだわ、それならそうと、言ってよね!!」

「安心したわ。あなたったら、私たちと噂になっていたから、なかなか女の子が寄り付かなかったじゃない」


 てっきり、ジョセフの取り巻きとばかり思い込んでいたが、どうやら違うようだ。

 否定も肯定もする間もなく、女達たちは、すっかり盛り上がってしまっている。思い込みが独り歩きしないうちに、ジョセフがその流れを断ち切った。


「違う! 今回のは成り行きで……。──これで、本当に最後だ」


 ジョセフに背を押されて、女達の前に立たせられた。


「こちらルーシー。ルー、アリスとマルシア、それからエレナ。みんな、先輩方だよ」

「──先輩?」


 女達に目を向けると、全員が左手を顔の横にかざした。その薬指には世の女性達が憧れている輝きを放っている。


──まさか!?


 ジョセフを見ると、彼は頷き、肯定を示した。


「うそっ!?」


 思わず声量を抑えられずに叫んでしまい、会場内の注目が集まった。場をわきまえろ、とジョセフに呆れられたが、先輩方はクスクスと笑っている。

 ということは、私はずっと勘違いをしていたことになる。学生時代は女性との噂が絶えず、てっきり、店に女を連れ込んでいるのだと思っていたが、そういう事だったのか。

 私は、ジョセフこの人のことを、ずっと勘違いしていたのだ。


「少しの間、ジョーを借りてもいいかしら?」


 アリスが訪ねてきた。淡い水色のドレスを着た赤毛の美女だ。


「緊急事態なの!」

「夫婦にも色々あるのよ」


 エレナとマルシアも食い下がる。彼女たちにとって、ジョセフはすっかり、お悩み相談所になってしまっているようだ。

 必死に訴えてくる彼女たちを無下にはできず、私は頷いてしまった。


「俺は仕事をしにきたんだけど……」


 完全に乗り気でないジョセフを引っ張って行ってしまった。

 

 一人取り残され、改めて周りを見回した。突然知り合った先輩方の存在で、ジョセフの言うことに信憑性が増した。最低五人にこちらから話しかける、というミッションに少しやる気も出てきた。

 改めて周りを見回した。すると、ある人物が気になり、目がとまった。その男は、パーティーの為に用意された席が沢山あるのにも関わらず、会場の片隅にあるベンチに座って、手に持っている紙を穴があくほど見入っている。まるでずっと前からあるオブジェくらいにでも思われているのか、誰一人として、男に近寄るものはいなかった。


──あの人に話しかけてみよう!


 よし、と身のうちで気合を入れて、男に近寄った。男がずっと覗き込んでいるのは、絵だった。黒く、ゴツゴツした箱のようなもので、底には車輪がいくつもついている。正面の図は気高ささえ感じさせるほど雄々しく、側面の図はヘビのように横に長い。


「──わあ、素敵な絵ですね! これは何ですか?」


 自然と出た言葉に、自分でも驚いた。まるでお客様を接客している時のような感覚だった。あんなに酷かった人見知りを、すっかり克服できたような気がした。


「君、女性なのになかなか見所があるね」

「え?」


 男はチラリと私を見やると、軽く眼鏡を摘んで持ち上げた。


「これはつい最近、特別なルートで外国から入手したばかりの最新型の図面でね、本来のものは鋼鉄製のレールに接する車輪の摩擦が少なく一トンの貨物を運ぶのに要する力はわずか一馬力。これを人を運ぶのにも使えないかという話で、その試作品がこれなんだけれども、まあ実際もう試験走行はしたものの、馬の速さとはどっこいどっこいだったわけで──」


 急に饒舌じょうぜつに喋りだした男の隣で、呆然と遠くを見た。舌を噛まずに一気にまくし立てられるのは、ある意味で感心すらするものの、全く内容が入ってこない。今、私の目は白目を剥いていることだろう。


「──ち、ちょっと、私、お花を詰みに……あっ、よろしければ、コレ、私の仕事です!」


 ついに耐えきれなくなって、適当な言い訳をすると、半ば押し付けるように名刺を渡してその場から逃げ出した。

 執事にドリンクを頼んで、一息つく。


──どうしよう、何ひとつ理解できなかったわ……。


 同じ業界の人なら、話についていけたのだろうか。だが、とりあえず名刺は渡せた。相手のは貰えなかったが……でも、これで一人目。ジョセフに課せられたノルマまで、あと四人。

 気を取り直して、別の人を探した。今度は、ワインを傾けながら、会場の人々を眺めている男が目に止まった。賑やかさの中心にいくよりも、雰囲気を楽しんでいる、という感じだ。私は深呼吸すると、その男のもとへ向かう。


「今日はお一人で参加されたんですか?」

「ん? ああ、まあ。こういう雰囲気が好きなんだ」

「私はこういうの初めてで、沢山お友達が出来たら嬉しいです」

「あ、そうなの。初めてなのに、僕に目をつけたのは流石だよ」

「──は、い?」


 急に、自分が何か、間違いを繰り返したような気がした。相手に不安を悟られまいと、笑顔を取り繕うが、男はこちらの心境の変化に全く気がついていないようだ。


「俺の部署は、上司も含めて仕事ができない奴らばっかで──」

「そうなんですか」

「むしろこっちから指示してやらなくちゃ──」

「そ、そうなんですねー……」


 男が自分の話ばかりするので、相槌しかうてない。こちらのことには興味を持ってくれないのかと、少し腹立たしく思った。が、ぼんやりと、男の姿が以前の自分と重なった。

 私はずっとクロードとの結婚を、心から待ちわびていた。けれど、幼少から決まっていた婚約にかまけて、クロードのことをちゃんと見ていなかった。だから彼の気持ちの変化に、最後の最後まで気付いてあげられなかったのだ。クロードとマリーの関係以前に、ずっと私の気持ちだけが独り歩きしていて、それを周りに押し付けていた。


──私だってそうだったんだ……。


 ふと、虚しくなった。

 できることなら、最後にクロードに謝りたい。けれど、それはもう叶わないだろう。むしろ、今更そんなことされても、迷惑かもしれない。


「──だから僕が、こう言ってやったんだよ。全部お前の──」

「あの、知り合いが見えたので、失礼致しますね」

「──せいだろ、ってね……?」


 ポカンとしている男を置いて、そろそろとその場を後にした。

 庭園の花をぼんやり眺めていると、心が落ち着いてきた。植物には不思議な力がある。儚くも、強く美しい姿に、見ているだけで癒される。その姿に、近づけたらどんなにいいだろう。


──変わらなきゃ。


 終わった恋に、いつまでもウジウジはしていられない。散々、自分の不幸を悲観していたが、今やっと、あの時のことを客観視できる余裕ができたのだ。ほんの些細なことだけれど、今の自分はほんの少し、以前よりもマシになれた気がする。

 

──ジョー、早く戻ってこないかな。


 無性に、ジョセフと話がしたくなった。鼻で笑われてしまいそうだが、この僅かな心境の変化を、聞いて欲しい。

 ジョセフに出会わなければ、今、私はこの場に居なかったのだから。


──戻ってきた時、驚かせてやろう。


 俄然、やる気が出てきた。課されたノルマ以上の成果を見せつけてやったら、どんな顔をするだろう。ジョセフの大袈裟に驚く顔を想像して、一人で笑ってしまった。



 なんとか三人目と話し終えたあたりから、今度は男性の方から声をかけられるようになった。こちらが積極的に交流していたことで、自然と話しやすそうに見えたらしい。そのおかげで、すでに七名と連絡先を交換することに成功した。ジョセフに雇ってもらう前の私とは思えない成果だった。


──これはさすがのジョーも、感心するんじゃない?


 いつも見下してくるあいつの、度肝を抜かしている姿を想像し、ふふん、と得意げになっていると、また声をかけられた。


「──ルーシー……?」


 聞き慣れた声だが、なんだかとても懐かしい。振り返るとそこには、かつての婚約者──クロード・シャンタルが立っていた。

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