第11話 親切の裏側

「じゃあ、僕はここで」


 洋装店の前まで来ると、荷物を受け取った。


「あの、やっぱり弁償したいので──」

「本当にいいから」

「なら、汚れを落とすだけでも……」

「いや、むしろこの方が──」

「え?」


 青年は「なんでもない」と笑うと、そのまま行ってしまった。

 その姿が見えなくなると、重要なことを聞き忘れていたことに気付く。


「──あ!! 名前!!」


 せめてどこの誰かがわかれば、改めてお詫びをしに行けたのに。

 肩を落として店に戻ると、待ってましたとばかりに、みんなが迎え入れてくれた。


「おかえりなさい!! 大変だったでしょう? お疲れさまでした」

「おかえりー!!」


 労いの言葉を掛けてもらうなか、私の抱える荷物を見るなり、アンが首を傾げた。


「──あれ、葡萄酒は?」

「実は、途中で落として割ってしまって……。ごめんなさい」


 リンダが私の全身を見回した。


「気にしないで。それより、怪我はない?」

「私は大丈夫なんだけど……」

「青果店で袋に入れてくれなかったの?」

「いえ、何も言われなかったし、私も気が付かなかったので──」

「どこのお店で買ったの?」


場所を説明すると、リンダとアンは顔を見合わせた。予想外のことだった、というような表情をしている。


「そんな遠くまで行ったの? もっと近くにあったんだけど……」

「馴染みのお店だから袋に入れてくれるんだよ」


 その事実に絶句した。人に聞きまわってまで、わざわざ遠回りていたとは、さすがにショックを受ける。


「ごめんね、それは予想外だったわ」

「文句はボスに好きなだけどうぞ!!」


 アンが半目で責任をジョセフに投げた。つまり、全てはジョセフの企てだったというわけか。本当ならばスムーズに回れるはずが、おそらくパン屋の後から予定が狂ったのだろう。思い返せば、ちゃんと教えてくれる人に当たるまで、手こずってしまった。


「私は全然!! それよりもみんなの賄いが……」


 深々と謝るが、みんなの反応はやけに軽い。食事に飲み物がないと困るだろう。それとも、代わりの飲み物があるのだろうか。


「あー、私たちは大丈夫よ」

「わたし、さっきお弁当食べたよ」


 ん?と、目を点にして聞き返した。聞いていたことと違う。いったいどういうことだ、と混乱していると、二階からジョセフが顔を出した。「なんだ、戻ったのか」と涼しげな顔をしているのが腹立たしい。


「これ賄いじゃなかったの!?」

「うち、飲食店じゃないから」


 すぐに説明を求めると、ジョセフはけろりとして答えた。


「説明になってない!!」

「ルーにやるよ。そこのパンは絶品だぞ」

「そんなこと言ってるんじゃなくて!!」

「でも、食うだろ?」


 正直お腹はペコペコだ。パンの香りが鼻腔をくすぐり、お腹の虫が鳴る。


「──た、食べるけど!!」


 はぐらかされてむくれる私を見て笑うと、ジョセフは「茶でも淹れてやるよ」と上に来るように促した。


 二階の事務所の奥には個室があり、中へ入ると暖炉の上にコンロを乗せただけの簡易キッチンがあった。その脇には小さな流しがあり、器具や食器も揃っている。簡単な料理くらいなら作れそうだ。食事をする為のテーブルと椅子も置いてある。


「うちの休憩室。悪くないだろ?」


 ジョセフはパンを受け取ると、椅子を引いて私に座るように促した。ポットをコンロにセットし、ジャケットを脱いでシャツの袖を捲りあげると、卵を取り出して慣れた手つきで調理を始めた。


「はっ!? あんたって料理できるの!?」

「軽食なら」


──い、意外すぎる……。


「意外と大変だったろ? はじめてのおつかいは」


 その後ろ姿をぼんやり眺めていると、ジョセフが振り向かずに言った。

 先程の失態を思い出した。


「そうなの!! 私、親切な人に葡萄酒ぶちまけちゃった!! どうしよう!?」

「──はあ?」


 ぐあああ、と唸りながら頭を抱える私を、ジョセフは不審者を見るような眼で見ている。

 私は葡萄酒事件の一部始終を説明した。


「それで、その男の名前は?」

「それが聞きそびれちゃって……」

「どこの誰かわからなければ、お詫びもできないしな。店の中まで連れてくれば良かったのに」

「そうしようとしたんだけど、良いからって言って、そのまま行っちゃったの」


 名前を聞きそびれてしまったことに、再び後悔が押し寄せる。


「その王子、うちの店を知ってるんだろ? 問題があれば、何かしらアクションがあるだろう。その時は、誠意で対応するさ。気にするなよ、ルー」

「──すみません……」


 溜息をつくと、ジョセフが意味ありげな視線を向けてきた。


「おまえ、本当に運だけはあるな」

「どこがよ……。失敗ばっかじゃん」

「まあ、引きが強くてもモノにできなければ意味がないな」

「じゃあ、やっぱり駄目じゃん」

「すぐに駄目レッテルを貼るのは悪い癖だぞ」


 不貞腐れていると、目の前にティーカップが置かれた。柑橘系の爽やかな香りに癒される。


「チャンスを掴むのは、ほんの些細な行動だったりする」

「……そうかなあ?」


 紅茶の水面に映る自分の顔を見つめた。ずいぶんとしょげた顔をしている。その映像をかき消すように、紅茶を一口飲んだ。


「──お、美味しい!! なにこれ、美味しい!!」


 今度はじっくり味わうように、もう一口含む。相当良い茶葉を使っているのか、それとも淹れ方が上手なのかもしれない。


「この紅茶はどこの銘柄? 高級品!?」

「普通の、その辺で売ってるやつ」

「うそっ!?」


 まるで専門店で出している紅茶みたいだ。

 感動していると、真っ白な大きいプレートを差し出された。厚めにカットされた純白の生地に鮮やかな黄色の卵が挟んである。緑黄色の野菜とフルーツがバランスよく添えられていて、コントラストが美しい。

 ファッション界の人間は盛り付けのセンスもあるのか、と感心してしまう。


──こんなの、美味しいに決まってる!!


 そう信じて一口かぶりついた。パンはかなり厚めに切られているが、予想以上に柔らかくて、口に入れると咀嚼にはちょうど良い厚さだ。厚焼きのタマゴは甘さのなかにもほんのり塩気がある。感想を言うのも忘れて食べ進める。

 片付けを終えたジョセフは、私と向かい合うように座ると、テーブルの隅に立ててあった雑誌を広げた。

「ジョーって、なんでもできるんだね」

「そう見えるか?」


 私は頷いた。


「だって、料理ができて、美味しい紅茶も淹れられて、服も作るんでしょう? ……それに社交的だし」

「そう思い込んでるだけさ」


 私の思い込みとは、どういうことだろう。

 ジョセフは苦笑いすると、急に真面目な顔で私を見た。


「それはそうと、ずいぶん遠くの方まで行ったんだってな。」

「知らないうちに遠回りしてたみたい」


 思っていた疑問をぶつけた。


「どうして道を教えてくれなかったの?」

「──あー、新入社員の恒例行事というか……。多少の荒療治も必要かと思って。今回は計算外だったけど」


 つまり、嫌でも他人に話しかけるように仕向けたのか。


「そ、そんなことだったの!?」

「ごめん。──でも、意外と効果あるんだよ」


 ジョセフはすまなそうに眉尻を下げた。普段は自信満々なジョセフでもそんな顔をするのかと、物珍しさが勝って、怒りは湧いてこなかった。

 一応、ジョセフなりに私のことを考えてのことらしい。


「でも、いい事もあったよ! パンの整理番号をゆずってもらえて──」

「──ああ、ノムさんだろ?」

「……知ってるの?」


 フォローのつもりだったが、すかさずジョセフが名前を出した。どうやら知り合いらしい。


「ノムさん、うちの女性スタッフが大好きで、うちの服を着てれば必ずちょっかい出してくる。女には整理券譲ってくれるけどさ、男には絶対くれないんだよ」

「えっ、そうなの!?」


 ジョセフは笑いながら頷いた。


「ノムさんの場合、整理券なんて毎日確保できるから、一枚くらい大したことないのさ」

「でも、お店混んでたよ? 入手困難なんじゃないの!?」

「ここだけの話、おかみさんがノムさん用にとっておいてくれてるんだ」


 衝撃的な真実に愕然とした。てっきり、貴重な一枚を譲ってくれたのかと思っていた。ジョセフが言うには、毎日必ずパンを買いに来る人には、こっそりと特別扱いしてくれるらしい。


「愉快な人だろ? 女の子に優しくすることで、自信が持てるし、自分を好きになれる。けれど、その為に頑張るのは違う。自分が簡単にこなせること、ついで程度でできる親切がちょうどいい」

「な、なんか、拍子抜け……」


 そんな私の様子を見るなり、ジョセフは吹き出し、可笑しそうに笑った。


「男なんてそんなもんだよ」

「純粋な善意だと思ったのに……」

「これもちゃんとした善意だよ。誰も損をしないどころか、お互いに得しかしていない」

「──そうなんだけど。なんていうか、そのカラクリは知りたくなかった……」

「俺だってこんなこと言いたくない。でも、現実を見るべきだ」


 ジョセフは声のトーンを落とした。


「世の中には、それを巧みに悪用する奴もいる。あたかも大層なことをやってあげたように見せかけるのが上手い奴がさ。女性が感情に流されやすいのを利用して、搾取しようとする。──だから、知っておいて欲しい。親切の裏側にある事実も見て、受け入れるくらいの余裕を持て。相手に期待したり、がっかりしたりするのは、男女お互い様なんだ」


 私は深く頷いた。

 それを確認したジョセフにもとの笑顔が戻ると、私の目の前にある、たまごサンドを指さした。


「──これだってそうだ」

「へっ?」


 思わず、素っ頓狂な声をあげてしまった。どういうことか、と目の前のお皿とジョセフを見比べる。


「ノムさんの整理券は、俺にとってのコレと一緒」

「でも、すごく美味しいし、男の人で料理が出来るなんて、ビックリしたし、すごいよ!?」

「さっき、思い込みだって言ったろ。でも褒め方には合格点をあげよう」

「えっ? なんで!?」


 何が思い込みなのか理解できず、混乱する。


「紅茶の淹れ方も料理も、さらーっと本で読んだ知識でやってるだけ。深くは知らないし、別に興味もない。でも、人をもてなすには、これで充分なんだよ」

「……それが、どうして思い込みになるの?」

「一度これを出してやるだけで、俺は料理が得意なんだと、相手は勝手に思い込む。しかも男なのに、っていう先入観で、さらに好感を抱いてくれる。家庭的なひとなんだ、ってね。でも実際は、全然やらない」

「え……? でもどう見たって、ちゃんとした料理にしか見えないよ? すごいと思うんだけど……?」


 謙遜にしか聞こえないのは私だけなのだろうか。


「こんなの具を挟んだだけだろ。葉っぱで、ちょーっと、見栄え良くしただけなんだよ!!」

「葉っぱ、て……。だけど私は、こんなに綺麗にできないもの」

「さらに言えば、本で見たまんま皿に乗せただけなんだって!! それを我がもの顔で振舞ってるだけなんだよ!!」


 ばらしたくないけどな、と口元を緩めるジョセフの頬が、ほんのり赤らんでいる。その姿を見ていると、だんだん可笑しくなってきたが、なんとか笑うのをこらえた。


「わざわざ、自分の厚意を台無しにするようなことを言わなくたって……」

「人を見る目を養え!! って、言いたいの!! 俺は!!」


 りきんで言うジョセフが可笑しくて、ついに口元が緩む。


「笑いごとじゃないんだ。まじで、本当に、こんな事で信用して何でもかんでも話してくる人もいれば、気をもつ女だっていたくらいなんだよ」


 必死に忠告してくるのを、笑い流すわけにもいかず、私は「気をつけるよ」と言って頷いた。それに納得したのか、ジョセフは落ち着いた声に戻った。


「世の奥さま方は、これよりも手の込んだものを、毎日作ってるんだぞ? そっちの方がすごいのに、パンにタマゴ挟んだくらいで賞賛されるのが不思議でならないよ」


 それと比べたら元も子もないのでは、と思うが、それは胸の内に秘めることにする。


「とにかく、人の思い込みってのは厄介なんだ。こうだと思っていたのに、付き合ってみたら違った! ──なんてことになる。勝手に思い込んで期待するからさ。悪い奴からすれば、隙だらけさ」

「怖いこと言わないでよ。私はただ、作ってくれたってことが、単純に嬉しいだけなんだけどなあ」


 ジョセフが私を見る。


「惚れんなよ」

「惚れないわ」


 即答してやった。

 満足げに笑う相手に「すぐふざけるんだから」と呆れて返すが、そう言いながらも、内心ではこのくだらないやり取りを楽しんでいる。


「──つまり、私はどうしたら正解なの?」

「めちゃくちゃ喜んで、感動して、褒めろ。でも、心は常に冷静でいるんだ」


 相手を手のひらで転がしてやれ、と黒い笑みを浮かべた。

 そんなことを言ってしまっていいのか、と疑問に思いながらも、なんともいえない気持ちでいっぱいになる。


「なんだか腹黒くない?」

「なんだって構わないさ。俺らは単純なんだよ。女に褒められ喜ばれ、頼られる度に自己承認欲求が満たさせるんだ。ふりでもいいから、大いに感動して褒めてくれ!!」


 それから、パンに具を挟む動作を繰り返した。


「褒めてくれるなら、俺、何個でもタマゴ挟んでやるよ」

「なにそれ」


 二人同時に吹き出して笑った。

 しばらく笑っていたジョセフは、思い出したように、そうだ、と声をもらした。


「ちなみにノムさんのやってること、奥さんにも筒抜け」

「ええ!? だ、大丈夫なの? 怒られない?」


 まさか、と今度は首を横に振った。


「まさか。むしろ「またバカなことやってるんだから」って笑ってる」

「余裕あるなあ……」

「よく理解してるよ、旦那の性質をさ。恋愛も結婚も、感情をコントロールできなきゃ潰れてしまうからな」


 〝余裕をもて〟と、人はよく言うが、それは相手の行動パターンをわかっているから持てるものなのかもしれない。

 自分のことすらもよく分かっていない私には、まだまだ余裕なんて持てないだろう。それでもいつかは、相手のことを理解できる日がやってくるのだろうか。

 私は残りのサンドイッチを一口で頬張った。

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