第8話 就職
「働かないか」と言われたが、もちろん今まで仕事などしたことがない。それに貴族の娘が手に職を持つなんて、聞いたこともなかった。
「主に接客をしてもらう。もちろん、給料も払う。自分を磨くのには金がかかるし、接客していれば人見知りもマシになるさ。それに──」
ジョセフは私に目を合わせた。
「万が一のことがあっても、仕事があれば食べていける」
婚活に失敗する可能性のことを言っているのだろう。あんなにも自信満々だったが、やはり確証はないのだろう。
「……沈まない船じゃなかったの?」
「だからといって、備えをしないのは愚考だろ? これが救命ボートさ」
若いうちの結婚が当たり前とされているなか、自立など考えたこともなかった。もし結婚相手が見つからなければ、二度目の婚約破棄になり、私は勘当される。こんなことにならなければ出てこない選択肢だが、今後の人生で強みになる。
ただ、こんな自分に接客などできるとは到底思えない。
「み、未経験だよ」
「最初はみんなそうさ」
「お店にも、お客さんにも迷惑かけちゃうかも」
「頼れる先輩達がいる」
おずおずと不安をぶつけるが、ジョセフの反応はあっさりとしたもので、そんなのは当たり前、という態度だ。
「それに、俺はクレーム処理が一番得意なんだ!!」
安心しろ、と笑って片目を閉じた。
確かに得意そうだ。この男を論破できる人は、国じゅう探してもおそらくひと握りだろう。そこまでサポートしてもらえるのなら、こんな自分でもやっていけるかもしれない。
不安が軽くなったところで、私は頭を下げた。
「精一杯頑張るので、よろしくお願いします」
「こちらこそ」
こうして私は就職することとなった。
店頭に戻り、先輩達へ改めて挨拶をすると、驚かれることもなく、すんなりと受け入れてもらえた。この流れになることは最初からわかっていたらしい。つまり、全てジョセフの手のうちだったというわけだ。なかなか食えない奴だ。とても同じ歳とは思えない。
「店頭にでてもらうのは明日からでいい?」
「は、はい!! いつでも」
「うん、とりあえず肩の力を抜こう」
ジョセフが自分の上司になったということを意識すると、急に緊張してしまう。さっきまでは普通に言い返せていたのが、一体どうしていたのかわからなくなった。自分のコミュ力の低さに、愕然としてしまう。
すかさずアナが、割って入った。
「そんなに畏まらなくても大丈夫だよ。わたしなんて、めっちゃタメ口だし!!」
「お前は逆に砕けすぎ」
「喜んじゃって」
「はっはっはー!! 面白い冗談だ」
アナの挑発に。ジョセフは大袈裟に笑ってみせた。互いに笑顔を振り撒きあっているが、妙に圧があるのは気のせいだろうか。
「ほら二人とも、お客様がいらっしゃったらどうするんです」
すかさずローランが穏やかになだめた。その落ち着きよう、おそらくこんなことは日常的なのだろう。
「奥で、ひととおりの挨拶、教えるわね」
「あ、はい!! お願いします」
二人を無視してリンダについて行くと、メイクをしてもらった部屋に再び通された。声がもれないように扉を閉めて、鏡の前に立たされる。
「い、いらっしゃいませー……」
「語尾を伸ばさない。あと声も小さい」
「いらっしゃいませ!!」
接客七大用語を何度も繰り返し言いながら、綺麗なお辞儀の練習を徹底的にやり込んだ。高級服ということもあり、買いに来る客は当然、貴族である。
「高級というのは、服の値段だけではないの。
教えている間も、リンダは笑顔を崩さない。
これから店の顔として店頭に立つ。お客様に対して一切の失礼がないように、と細かくチェックされる。立ち居振る舞いは幼い頃から叩き込まれていたので、コツを掴むのにそう時間はかからなかった。ただ、気が緩むと猫背になってしまう癖がついてしまっていて、何度も注意を受けた。
その後は笑顔の練習である。一生懸命笑っているつもりだが、リンダはなかなか頷かない。
「表情筋が固まってるのよねー」
そう言って、私の頬の筋肉を指圧した。これがなかなか痛い。普段使っていないぶん、凝り固まっているらしい。毎日マッサージするように指示された。
最後まで上手く出来ずに落胆する私に、リンダは微笑みかけた。
「これ、小顔効果もあるのよ」
「えっ、そうなんですか!? 頑張ろう……」
ならば一石二鳥ではないか、とやる気も出たところで、再び店頭に戻った。
店頭ではアナとジョセフが睨めっこしていた。羞恥心を捨てきれていないアナの変顔に対し、ジョセフは全力で顔面を崩し、それはもう破壊的だ。衝撃を受け、愕然とする私以外は、皆ほぼ同時に吹き出した。ジョセフは満足気に胸を張った。
「まだまだ〝可愛い自分〟を捨てきれてないぞ、お嬢さん」
「ほんっと、無理! どうしたらそんな顔面無駄使いができるわけ?」
「有効活用ですうー」
腰に手をあてて小学生のように言い返す姿は、
「ここはいつから顔芸大会の会場になったの?」
そう言いながらも、リンダの顔は多少にやけている。
──従業員は店の顔、じゃなかったのか?
それもオーナーともあろう立場の人間が、率先して高級服のイメージを崩壊させている。まあ、今は客は居ないのだが……。
「仕込みは終わったの?」
「料理じゃないんだから……。終わりました」
「さすが、仕事が早い」
「この子の覚えが早かったのよ」
「へえ……」
まさか褒められるとは思っていなかったので、リンダの言葉に内心飛び跳ねて喜んだ。
ジョセフはキリッとした表情に戻ると、私の肩を抱いた。それは異性に対するものというよりは、男友達へやる力強いものだった。それでも、女性ならポーとしてしまうようなものだが、先程の変顔を見てしまったが為に、アナの言う〝顔面無駄使い〟という言葉が大いに頷ける。
「──おまえに最初のミッションを与える」
「み、ミッション?」
いったい何をさせられるのかと身構えていると、メモを手渡された。そこに書かれている内容を読み上げる。
「──パンに葡萄酒、フルーツ……なにこれ?」
「スタッフの
「どこがミッション!?」
ただのおつかいじゃないか。いや、これも仕事のうちなのだろうか。思考が追いつく間もなく、ぐいぐいと店の外へと連れて行かれる。
「ま、待って!! パン屋さんってどこにあるの?」
「真っ直ぐ行って、右だか左だか……まあ、その辺の人に聞いてくれ」
「真面目に答えてよ!!」
「──姿勢っ!!」
「は、はい!!」
反射的にピンと背筋を伸ばした。
その様子を、従業員達は止めるどころか、ニコニコと眺めているだけだ。
なるほど、味方がいない。
「寄り道するなよ。──じゃ、よろしく」
「よ、よろしくって、ちょっ!?」
小さなバッグを押し付けられ、そのまま締め出された。
「……寄り道するなって、子供か!!」
だがまあ、ヘアメイクまでやって貰ったんだから、おつかいくらい安いものだ。持たされたバッグを覗き込むと財布のみが入れられている。それなのに他にはハンカチくらいしか入れられる隙間がない。
──いくらオシャレでも実用性がないのでは?
素朴な疑問を抱きながら、パン屋探しの旅へと歩みだした。
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