第6話 改造

 あの握手から一週間後。

 連れてこられたのは、高級店が立ち並ぶショッピング街、その一角にある洋装店だった。ショーケースには流行りを取り入れたハイセンスなドレスが飾られている。どれもいい仕立てなのだが、特に黒のシックなドレスに目が釘付けになった。女性らしいラインを活かした個性的なデザインで、裾には細かい柄のレースが大胆にあしらわれている。その美しさに思わずうっとりした。


「綺麗……」

「──あの黒か?」


 ジョセフに聞かれた意味は考えずともわかる。黒は、魔術や闇といった悪いイメージが根ずいてる為、衣服として着るのは好まれず、敬遠されている色なのだ。それなのに、あえて黒を売り出すだなんて、ずいぶん大胆なことをする店だ。


「うん、でも素敵な服」


 こんな服を着て歩けたらどんなにいいだろう、と思わず心の中で想像する。簡単に手が出せる値段でないことは、値札を見なくてもわかる。


「お前にしては、見る目があるじゃないか」


 ジョセフこいつの上から目線な発言に、表情かおで不服を訴えるが、内心ほぼ慣れつつある。


──まあ、どうせ私には似合わないからいいんだけど……。


 店の扉を開けたジョセフに中へと促され、遠慮がちに一歩踏み込むと、数人の声に出迎えられた。


「おかえりなさいませ」

「──お、おかえり?」


 普通、客が来店したら〝いらっしゃいませ〟のはず。まさか全員一致で言い間違えるなんてことがあるのだろうか。

 戸惑っていると、ジョセフが当たり前のように返事をしたので、驚いて振り返った。


「──おかえりなさい、ずいぶん早かったですね」


 今度は二階から、男が顔を覗かせた。歳は三十前だろうか、穏和で落ち着きのある口調が印象的だ。


「だから言ったろ。迎えに行くだけだって」

「まあ、そうなんですけど……」


 お茶くらいしたら良いのに、と男は苦笑いしながら二階から降りてくると、ジョセフにデザイン画を手渡した。


「新規のお客様から、それと同じものが欲しいとご依頼がきています。ですが、既に別の顧客様にお作りしたもので、その方が着ているのを見て欲しくなったとのことで──」

「うちは一点物オートクチュールだ。別の客に同じものを売ったら、顧客を裏切ることになる」

「ですが、その顧客様の了承も得ているとおっしゃっていて……」

「それでもダメだ。既製品との違いをあやふやにしたら、ブランドの価値が下がる。それに了承したと言っても、顧客様の本心まではわからない。単に断りづらかっただけかもしれないしな」

「──ですね。明日、来店される予定なんですが……」

「他のを何点か用意しておくから、その詳細デスクに置いといて」

「かしこまりました」


 二人のやりとりをぼんやりと眺めていると、突然腕を引かれ、従業員たちの前に差し出すかのように背中を押された。


「──それから、こいつを良い感じによろしく」


 全員の関心が私の方へと移った。

 ジョセフの言う〝いい感じ〟とは、どういう意味なのか、それが分からないのは、どうやら私だけのようだ。

 従業員たちは、私のことを穴があくんじゃないかというくらい見つめながら、各々で吟味している。


「はい、ボス」

「ボス?」


 疑問をつい口に出すと、男は丁寧にお辞儀をした。


「申し遅れました。僕はサブのローランと申します」

「サブ?」

「主にオーナーの補佐が仕事です。で、そのオーナーがジョーです」

「えっ、ジョーがオーナーなの?」

「ええ。ウィルソン家がおこしたブランドですし」


 店内にある看板のロゴを確認すると、確かに〝ウィルソン〟の文字が刻まれている。

 本当だ、と驚嘆の声をあげると、ジョセフが呆れたように溜息をついた。


「──商売って、アパレルだったんだ!?」

「おまえは、ほんっっとに他人に興味ないんだな?」

「興味がないわけじゃ……」

「見合い相手のことくらい、多少は知っておくべきじゃないのか?」

「うっ……」


──ど正論すぎて、言い返せないわ。


 身のうちで反省していると、誰かの手が肩に触れた。振り向くと、同じ歳くらいの女性店員がニコニコしながら立っていた。見るからに男性ウケしそうな、ゆるふわ女子である。


「わたし、アナ。よろしく!!」

「ルーシーです。こちらこそ、よろしくお願いします」


 互いに自己紹介を済ませると、アナは興味津々と言わんばかりに目を輝かせた。


「それにしても偽造婚約だなんて、ルーちゃん大胆!!」

「あの時は、藁にもすがる思いだったというか……」


 ジョセフに付けられた愛称が浸透していることに戸惑いながらも、フレンドリーな態度には悪い気はしない。


「で、どうやってボスを丸め込んだの?」

「──えっと、それは……」


 アナの表情は、完全に上司の弱みを聞き出して悪巧みをする時のそれだ。当然、本当のことは言えるわけもなく、言葉を濁していると、ジョセフが割って入った。


「ほぼ俺の善意であって、断じて丸め込まれたわけじゃない!!」


 アナは「嘘だあ」と疑いの目を向けたが、全く動じていない。その堂々たるや、理解不能を通り越して感心すら覚える。なぜ本人よりも自分がハラハラしているのだろう。


「──あの、皆さん、全部知ってるんですか?」

「事情はジョーから聞いてるし、個人情報は絶っっっ対にもらさないから安心してね!!」

「あ、ありがとう」


 全て承知ならば、余計な気を張らずに済む。少し肩の力が抜けた。アナは思いついたように「てゆーか」と呟くと、ジョセフと私を交互に見比べた。


「回りくどいことしないで、そのまま結婚しちゃえば?」

「「死んでもごめん!!」だ!!」


 二人で同時に即答すると、アナは可笑しそうに肩を揺らした。可愛い顔をして、なかなかキツい冗談を言う。


「アナ、冗談はそのくらいにして、ルーさんをフィッティングルームへご案内してください」

「はーい」


 ローランに急かされ、アナは気のない返事をした。


「フィッテングルーム?」


 なぜ着替えをする必要があるのか、わけも分からないまま更衣室へ案内されると、洋服を手渡された。質問する間も与えられずに「失礼しまーす」とカーテンを閉められる。


──これを着ろ、ってこと?


 とりあえず、アナに手渡された洋服を広げてみた。えりぐりが大きく開いていて、袖も短めだ。そのぶんスカートの丈が長めなのはいいが、上半身は身体のラインが出るようなシルエットで、胸が寂しい私にとっては、積極的に恥を晒しにいくようなものだ。


「服自体は可愛い、けど……」


 鏡に向かって、おそるおそる身体に当ててみる。今までで、こんなにも肌や身体の線を出したことはない。鏡に映る自分に違和感しかない。


──いや、ないな……、ない!!


 こんなの着たことないし、着て歩く勇気もない。まあ、憧れはあるが……。


「どお? 着れた?」


 迷っていると催促の声が掛かる。

 全く着れてないし、着れたとしても恥ずかしくてとても見せられたもんじゃない。


「い、いやあ……これは、ちょっと……」

「着たことがないタイプの服って、最初は抵抗があるよね。でも絶対に似合うから、思い切って着ちゃって!!」

「でも、これは……」

「着るまで出すなって、ボスからの指示が出てるの。着てくれなきゃ、わたしが叱られちゃう!!」

「ええっ!?」


 悪い顔でほくそ笑むジョセフの顔が頭に浮かぶ。


──軽く監禁じゃないか!!


 部下を巻き込んでそんな命令をするなんて、とんでもないワンマン上司だ。後で文句を言ってやらなければ。

 とりあえず今は、なんの罪もないアナが責められないよう、しぶしぶ着替えることにした。


 カーテンを開けると、アナは元々大きな目を、もうひと回り見開いて、感激したように輝かせた。


「わあ、可愛い!! 似合うよ!! 思ったとおり!!」

「は、はあ……」


 そうは言っても、自分では違和感しかない。きっと気を遣って言ってくれているんだろう。なんだか悪い気がして肩を落としていると、アナに別の部屋へと促された。

 今度は少し狭めの空間で、大きなドレッサーの前に座らされる。


「……あの、まだ何かするの?」

「もう少しだけ。──リンダさん、お願いしまーす!!」


 呼ばれてやってきたのは、先ほど店頭にいた年配の女だ。女は目を合わせると、母親のような微笑みを浮かべた。


「リンダです。ボスったら、また可愛らしいお嬢さんを連れてきたねえ……」

「また……?」


 あの女たらしは、女の子を連れ込むのは日常茶飯事なのか。というか、職場に女の子を連れ込むだなんて最低じゃないか。まあ、自分が口を挟むことじゃないが……。


「時間がないので、同時にやっちゃうね?」


 アナは、そう言うと大きな収納ボックスを広げた。中には様々なメイク道具が入っていて、その中から目当てのものを手早く選びとると、私の顔に塗りはじめた。同時に、リンダが髪を溶かし始めた。

 なにやら大改造になってきた。パーティーに行くわけじゃないのに、変身させてどうするつもりなのだろう。


──頑張って顔が変わるわけでもないし……。


 しかし、その思考に反して心のどこかではワクワクしている。

 作業が進むにつれて、着替えた時には落ち込んでいた気持ちも、いつの間にか高揚に変わっている。

 自分は一体どうなっているのだろう。早く鏡を見たい。そんな衝動に駆られていた。

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