第5話 乗船

「結婚したければ、俺の言う通りにしろ」


 その言い草は〝死にたくなければ手を上げろ〟のニュアンスに近い。


「昔から言うだろ? 魚のことは魚屋に聞けって」

「いや、聞いたことないけど……」

「男のことは、男に聞くべきだ。けどな、誰でもいいわけじゃない」

「は、はあ……」

「その生態を知り、分析している奴じゃないと良いアドバイスはできない。──つまり、俺が適任だ!!」

「ちょ、ちょっと、事態が飲み込めないんだけど──」

「──いいから言う通りにしろよ。おまえみたいな年増、後がないんだぞ」


 またさらりと毒を吐かれて、ムッとして睨みを効かせたが、その攻撃はいとも容易く弾かれた。


「もうこういうのはやめにしたんだけど、背に腹はかえられないしな」


 ジョセフは腰に手をあて、独り言のように呟いている。


──別に頼んでないのに。


 やれやれ、とわざとらしいため息をついている男に、冷ややかな視線を向ける。


「私の好きなタイプはあなたとは違う。というか、全く説得力がないんだけど……」


 終わったとはいえ浮気するような奴だし。なんて、口には出せないが、私が結婚したいのは誠実な人であって、目の前の男とは正反対のタイプだ。同じ男性とはいえ、この男にそういうタイプの男の気持ちなんてわかるのだろうか。


「へえ? じゃあどういう男がいいんだ?」

「それは──」


 不覚にも、元婚約者クロードの顔が浮かんだので、慌ててかき消した。今聞かれているのは、特定の人物ではない。あくまで人物像だ。

 うーん、と唸りながら、理想の男性を思い浮かべるが、なんだか漠然としている。


──改めて聞かれると、難しい……。


 けれど、一つだけすぐに思いついた。最近の不幸な出来事。

 できればもう、あんな悲しい想いはしたくない。


「一番は、私だけを好きでいてくれる人」

「そんなの当たり前だろ」


──お前が言う!? 


 と、心の内で突っ込んだのは言うまでもない。


「……うーん、優しくて、リードしてくれて、あと経済力もそれなりにあれば見た目はそこまで気にしないかなあ」

「それは建前だろう」


 即座に否定されて呆気にとられている間に、ジョセフは自説を述べる。


「容姿の美醜を言うのはイメージが良くないし、自分でも悪いことだと思い込んでいる。体裁を保つ為の予防線にすぎない。〝顔では選ばない〟は、嘘だ。本当はどうでもよくない。実際、みーんな心の中では無意識に選別してる。これはもう本能なんだから、善も悪もない。気にするな、別に軽蔑したりしないから」

「でも本当に、顔が良くなきゃいけないってわけじゃないもの。そ、そりゃあ、良いに越したことはないけれど……」

「許容範囲であれば、って言いたいんだろ?」

「ま、まあ……」

「じゃあその許容範囲を言ってみろ。正直に」


 うーん、と斜め上を見上げて思い浮かべる。許容範囲といっても、その線は曖昧で表現しづらいが、とりあえず思い浮かんだままを口にした。


「顔は薄めの爽やかな感じで、髪が黒くて短髪で、肌は白い方が好みかな。あと背が高くて、筋肉質よりかは細身がいいなあ。あ、でも、全く筋肉がないわけじゃなくて──」


 建前という名のたがが外れると、それはもうスラスラ出てきた。許容範囲どころか、いつの間にか高スペックな王子様像になってしまっている。

 それにしても、なんだか身に覚えのある人物像だ。


「──クロード・シャンタルのこと?」

「ち、違っ!! たまたまだよ!! たまたま!!」


 ギクリとしたが慌てて強く否定すると、ジョセフは「ふーん……」とすんなり引き下がった。同じ学園出身だから、あの件を知っていて当然かもしれないが、改めて言われると物凄く恥ずかしい。

 確かに、言われてみれば、容姿はクロードにピッタリ当てはまった。


──いい加減、吹っ切らなきゃいけないのに……!!


 クロードの容姿が好みだったのは事実だ。なんせ、一目惚れをしたくらいなのだから。しかし、あんなことになって、なるべく思い出さないようにしていたのに、無意識に想像してしまっただなんて。

 自己嫌悪に苛まれるのを、私は作り笑いで誤魔化した。


「……あはは、理想高すぎかな」

「それだけはっきりしているなら結構」


 てっきり否定されると思っていた。呆気にとられている私を、ジョセフは部屋の隅に立ててある姿見の前に連れていき、全身が見えるように立たせた。


「なら、その男の隣に、鏡に映ったままの自分を添えてみろ」

「……」


 鮮明に思い浮かべていた王子様が、煙に巻かれたように消滅してしまい、自分ひとりが取り残されて、ぽつんと立っている。それも、一緒に鏡に映っているジョセフにすら違和感を覚えた。なんだか自分ひとりが、ひどく霞んで見えるのだ。


「つり合わないって言いたいんでしょ!? そんなこと言われなくてもわかってる!!」

「そうか、よかった。お前はまともだ。ちゃんと現実が見えているぞ。もし「お似合いー」なんて言い出したら、もう俺の手にも負えない」


 たまに居るんだ、と笑いながら、ジョセフはほっとしたように胸をなで下ろした。


「そんな自意識過剰じゃないです!! だから妥協した方がいいと思って──」

「妥協? 冗談だろ」

「──へ?」

「生涯共にする相手を妥協するなんて愚の骨頂」


 予想外の反応に目をぱちくりさせる。今さっき現実を見ろと言ったのと矛盾してはいないか。本当に、何が言いたいのかわからない。


「だとしても限界がある。素敵だなって思う人にはお似合いの相手がいるし。誰だって、綺麗な人に目がいくじゃない。顔は変えられないし。私より美人な人なんて沢山……」


 脳裏にマリーの顔が浮かぶ。小さなハート型の顔に、腰まである柔らかそうな金髪ブロンドは、細いのに癖がない。青天の瞳は透明感があり、まるでお人形さんのような彼女を、部屋に飾りたくなる衝動に駆られるのは、決して男性だけではないだろう。

 あんな女の子が現れたらひとたまりもない。いくら努力したところで、結局、整った顔には勝てないのだ。


「確かに、顔の良い奴は得だ。それだけで価値が高い。けどな──〝結婚〟というフィールドでは、顔の良さは驚異ではない!!」


 まさか、と雷に撃たれたような衝撃が走る。


「それに、歳だって若い子のほうが──」

「若さにこだわる男なんてな、まだの皮も剥けてないような──」

なにの皮?」

「──忘れてくれ。とにかく、そういう奴はまだ脳が恋愛止まりなんだ。恋愛と結婚の違いをわかっちゃいない。むしろ自分のことすら理解できていない可能性もある。どちらにしろ、お前の相手としては結婚向きじゃないし時間の無駄だ、相手にするな」


 皮の話は気になるが、重要ではなさそうなので忘れることにした。けれど、ジョセフの意見には多少なりと興味を持った。そんなことを言う人は初めてだったので、新鮮さを感じたのだ。


「顔がいいほうがいい。歳は若いほどいい。確かにそうだ。だがそれはいずれ衰える。自分と共に。つまり、衰えることのないものがあれば、どんな美人をも出し抜ける」

「それはなに?」

「半年後には身についているさ」


 含んだ言い方をされると、ますます気になる。どうやら簡単には教えてくれないらしい。


「仮にそうだとしても、そもそも理想どおりの人なんて滅多に──」

「いない。完璧な相手ってのは本当にいない。男女共にな」

「それじゃあ、やっぱり……」

「それでも理想を追い求めるのはいいことだと思う。その理想が高ければ高いほど、努力する。頑張ったぶんだけ自信がつくし、自信がある人は魅力的だ」

「でも、理想は捨てた方がいいって言うし」


 それは違う、即座に否定される。


「理想を語るだけで努力しないってのが問題なんだ。言うだけなら簡単だからな。まあ、役者になりたいとかいう類いの夢と一緒で、それを叶える為には並大抵の努力だけでなく、気が遠くなるほどの労力と時間を費やさなければならない。ついでに言えばコレも」


 ジョセフは人差し指と親指でを作ってみせた。

 努力が必要、というのはわかる。けれども、妥協せずして、理想に近づけるのは、一生無理な気がする。まして私には、たった半年しか時間がないのだ。


「理想の相手を手に入れるには、おまえと付き合うことで、相手にとってどんないい事があるのかを提示できなきゃならない。それも相手の趣味嗜好に合っていて、他の魅力的な女性達よりも特別だと思わせる必要がある」


 理想が高ければ高いほど、競争率も上がる。いじめっ子という風評被害に遭っている真っ只中で、容姿も至って普通な自分に、他の沢山の女性達より優れているものなんてあるとは思えない。


「……なんかもう、絶望感でいっぱい」

「とはいえ、実はわりと簡単だぞ」

「そんなわけないじゃん」

「勝手に小難しく考えるからだ。ひと口に努力といっても、何をどう頑張ったらいいか分かっていないから、難しく感じるんだ。でも、その実は至ってシンプルだ」


 首を傾げると、ジョセフは私の視線に合うように、少し屈んだ。


「──〝ニーズ〟だよ」


 商売人らしい例え方だと思った。


「いわば〝価値のものさし〟だな。相手の〝ニーズ〟を引き出し、そのとおりの役を演じる。ただ、それだけ」


 そう聞けば、確かに簡単そうに感じる。しかし、恋愛は感情でするものなのに、そう上手く事が運ぶとは思えない。


「そんな簡単にいくかなあ……」

「そう悲観的になるなよ」


 ジョセフの態度は、こちらの気持ちとは相反している。まるで、失敗なんてありえない、とでも言いたげだ。


「とにかく、俺の言うことを実行すれば、絶対に上手くいくんだから、大舟に乗ったつもりでいればいいさ」

「その自信は一体どこからくるの? だいいち、根拠がないし」

「根拠のない自信は信用できるぞ」

「はあ?」

「根拠以上の努力をしてこないと湧いてこないからな」


 この人の言うことはよくわからない。が、とにかく人一倍自惚れが強く、自信家であることは間違いない。


──なんか、変な人と関わっちゃったな……。


 俯いていると、目の前に手を差し出された。見上げると、さっきまで私の家族に向けていた親しみのある笑顔があった。


「ジョー・ウィルソン号はどんな荒波みがこようとも、絶対に沈まない豪華客船だぞ。もう乗るしかないだろ?」

「すでに沈没フラグたってるんだけど」

「救助ボートも積んであるよ」


 つまり沈む可能性もあるってことじゃないか。

 だが、巻き込んだのはこっちだし、私が結婚できなければ、ジョセフにとっても困ることになる。

 半信半疑でその手を取ると、自信たっぷりに握り返された。


「よろしく、ルー」

「こ、こちらこそ……ジョセフ、さま」

「ジョーでいい」


 いきなりで戸惑っていると、ジョセフは苦笑いを浮かべた。


「そっちのが気が楽なんだ」

「じゃあ、ジョー」


 互いをいきなり愛称呼びには、慣れるまで少し時間がかかりそうだが、まあ、悪い気はしない。

 こうして私たちは、一方のみが固いというアンバランスな握手を交わしたのだった。

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