第2話新たな縁談
なんてツイてないのだろう。
婚約は破綻するし、家を追い出されるし、おまけにとんでもない現場を目撃してしまった。災難が一度に起こりすぎて、心にそれらを抱えられるだけの空き容量はない。
「──って、私顔見られた!! まさか、口止めしに来るんじゃ……!?」
いやいや、と首を横に振る。
相手はあのモーリアック公爵夫人だ。そんな大物が私のような一介の弱小貴族を知っているはずがない。
──まさか、身元を調べられたりとか……!?
相手には、腕利きの探偵を何人も雇えるだけの財力があるのだ。やりかねない。
──ということは、暗殺者も雇えるんじゃ……?
「ど、どうしよおおおお!?」
そんなの回避出来るわけがない。失恋して、家を追い出されて、そのうえ二十二歳で寿命を終えるなんて、いくらなんでも悲しすぎる。
暴走する妄想でパンクしそうな頭を抱え込み、その場に蹲った。
──それにしてもあの男。どこかで会ったことがある気がする……。
記憶を探るが、どうにも思い出せない。もしかしたら、ぼんやりとしか覚えていない別の誰かと勘違いしているだけかもしれない。
「……気のせいかな」
それよりも問題なのは、一晩こせる場所がないことだ。身も心も打ちひしがれているというのに、時間は容赦なく過ぎていく。暗くなる前に宿を見つけなければならない。かといって、急に追い出された為、お金も持ち合わせていない。弱小といえど、一介の貴族の令嬢に野営する根性があるはずもない。
──も、もう一回、平謝りして許してもらうしかないわ。
両親は鬼のように厳しく、顔を合わせるのが怖いが、外で夜を過ごすよりはマシかもしれない。
スカートについた汚れを落とし、すごすごと来た道を戻った。
家の前に着くと、使用人達が門の前で何やら大騒ぎしている。何事かと近付いていくと、私の姿を見るなり、全員駆け寄ってきた。
「ルーシー様!! ああ、ご無事で良かった!! 皆でお探ししていたのです」
「だって、出ていけって言うから……」
「とにかく、奥様がルーシー様にお話があるそうです」
「……話?」
ということは、今晩の心配はしなくて済みそうだ。
一旦はほっとするものの、話の内容についての恐怖心で、今度は胃がキリキリ痛み出した。
玄関ではお母様が、焦った様子で右往左往していた。私と目が合うなり、すごい剣幕で接近して来たので、防衛本能で後退りしてしまった。
「た、ただいま……」
「どこをほっつき歩いていたのよ!?」
──出ていけ、と言うから出ていったのに叱られるなんて……。
あまりの理不尽さに愕然としていると、お母様は文句を言い終えるなり、なにか重要な事を思い出したようで、急に神妙な顔をした。
「そんなことより!!」
「そんなこと……」
娘の身の安全より大事なことがあるのか、と身のうちで悪態をつく。無論、死んでも口には出せないが……。
「あなたに最後のチャンスをあげます」
「……チャンス?」
わけも分からず困惑する私に、お母様は手に持っていた手紙を押し付けるように渡してきた。
「な、なんですか?」
「あなたに縁談です」
「縁談!?」
この短時間で二度も愕然とさせられるなんて、国中探してもアラン家だけだろう。
婚約破棄されてまだ日が浅というのに、もう縁談の話を持ってくるなんて、用意周到というか、面の皮が厚いというか……。なによりも、まだ心の傷も癒えぬ間に次の縁談なんて、気が進むはずがない。
「急に婚約破棄なんてされるから、慌ててあちこち探し回って、何とか話をつけてきてあげたのよ!? きちんとした家柄で、この歳でもまだ婚約していない相手を見つけるのが、どれほど困難なことか分かりますか!!!?」
「……は、はい。ごめんなさい……」
娘が行くあてもなく徘徊している間に、そんな事をしていたのか。それにしても、執念深いおかげか、仕事が早い。
全然嬉しくないし、しばらくは放っておいて欲しいのだが、勘当されるのが怖くて逆らえないという板挟みに、心の中で滂沱の涙を流す。それはもう、砂漠に川が形成される勢いだ。
「いいですか、ルーシー。この縁談を成功させなければ、今度こそ、本当に!! この家から出ていってもらいます!!」
「そんなあ!?」
無茶な要求に絶句する。
目を白黒させて真偽を問うが、母の眼は少しも揺らぐことはない。
──これは本気だ。本気の目だわ!!
今目の前にいるのは母親という優しげなものではない、悪魔だ。魔王だ。悪の化身だ。
私は立っていられないほどの重圧に卒倒しそうになりながら、なんとか疑問を口にした。
「……で、でも、こういうのはお相手の好みというのもあるし……」
「なら、その好みに合わせたら良いでしょう」
「そんな無茶な──!!」
「無茶でもなんでもありません!! それくらいできて当然です!! 婚姻さえ結んでしまえば、生涯安定なんですから。良き妻として夫を支え、子を育ててゆけばいいのです!!」
無茶苦茶な事をあたり前のように言われても、無理なものは無理だ。それができたら、そもそも婚約破棄なんてされていない。言い返したい言葉は沢山あるが、それを口にしたら火に油を注ぐことになる為、怖くて言い返せない。下手をしたら、今すぐにでも追い出されそうだ。ここは一旦、話をのんで時間を稼ぐしかないだろう。
「……そ、それで……、そのお相手とは……?」
「ジョセフ・ウィルソン様よ。ウィルソン家の一人息子の。あなたも顔くらい知ってるでしょう」
「……ジョセフ……ジョセフ、さま?」
緊張のせいか、頭がうまく回らない。目を閉じて集中しても〝ジョセフ〟と〝ウィルソン〟の文字だけが目の前をグルグルと泳いでいる。
──だ、誰だっけ? そもそもウィルソン家なんて接点あった? でもどこかで聞いたような気がしないでもないような……。
「まあ、産業で中流から上流に成り上がった一族だから、
お母様が何か言っているが、思い出そうと考え込んでいるせいで耳に入ってこない。いくら考えても全く顔が浮かんでこない私に、お母様は煮えを切らした。
「あなた、ついこの間まで同じ大学に通っていたでしょう!!」
「ええ!? 同期にそんな方いたかし……!!」
その瞬間、頭の中でようやく記憶のピースがカチリとはまった。
──いた!! 直接話したことはなかったけれど、思い出したわ!!
噂を聞いたことがある。数々の女性と浮名を流していた、とんでもない女たらしの名前──。
ついさっき目撃してしまったスキャンダル。モーリアック公爵夫人と一緒にいた男の顔──。
──
最悪な事態から、さらに底辺の底を掘るような状況に陥るなんてことが、人生でそうそうあるだろうか。そのわずかな可能性を引当ててしまった自分の不運を、ただただ恨むしかなかった。
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