婚約破棄された悪役令嬢に理想の結婚をさせる為の婚活指南書
真義える
第1話スキャンダル
二十二歳の春、大学卒業という良き日。
私、ルーシー・アランは婚約を破棄された。
それから数日後──。
「人生終わった……」
そしてたった今、路頭に迷っている。
アラン家は貴族といえば聞こえは良いが、くらいの弱小貴族で、元婚約者であるクロード・デ・シャンタルとの婚約は、誰もが羨む──まあ、簡潔に言えば〝玉の輿〟だった。それが突然、白紙になってしまい、私はすぐには現実を受け入れられない程に落ち込んだ。そんな傷付いた娘を労り、慰めるのが親の務めであると思うのだ──が、シャンタル家との婚約を、娘以上に期待していた両親からは〝家の恥〟と追い出されてしまった。まさかの事態に、私は頭が真っ白のまま、言うとおりに家を出たのだ。
そして今に至る。
すぐに許しを乞えば良かったのかもしれないが、どうやら私の体は、思考回路がショートすると、逃避するように出来ているらしい。今となっては、すぐに頭を垂れなかったことを後悔している。
「どうしよう……このまま野垂れ死んでしまうのかな……」
卒業したらすぐに嫁ぐ予定だった為、就学中に必死に勉強することなんてなかった。当然、自分で生計を立てなければならなくなるとは考えはなかったし、仕事をするにも、何から手をつけたらいいのかもわからない。そのぶん、礼儀作法は、徹底的に叩き込まれた。だがそれも、それなりの家督があり、茶会などの集まりに招待されてから発揮されるのであって、今の私ではその能力を使う機会はやってこない。
しばらく泣きじゃくったが、手を差し伸べてくれる者は誰もいない。そのうち涙は枯れて、私は再び立ち上がった。そして行くあてもなく、ふらふらと歩き出した。
元婚約者のクロードとの縁は、私がまだ幼少の頃、父親の仕事の関係でできた些細な繋がりが始まりだった。これは大チャンスとばかりに、両親はシャンタル家との親睦を深めるため、それはそれは死に物狂いで尽くしたらしい。そうして、やっとの事で娘──もとい、私の縁談を結ぶことに成功した。
だから物心がついた頃には既に婚約者として扱われていたのだ。けれど、私は一目見た瞬間からクロードに恋をしていたから、この婚約には何の異議もなかった。
しかし、暗雲が立ち込めたのは大学に入ってからのことだった。──いいや、本当は高等部の頃から、クロードの様子に違和感を感じていた。
ジオルドは、大学で出会った同級生のマリー・プリドールと深い関係になってしまったのだ。
「ああ……思い出したくない……」
そのことが頭にチラつく度に、急激に気分が悪くなる。
よりにもよって卒業式に言う奴があるか、と文句のひとつでも言ってやりたかったが、それも出来なかった。どうせ言ったところで、クロードの気持ちは変わらない。
それに、私の言うことには誰も耳を貸さない。
私は皆に嫌われていた。
クロードとマリーができている、という噂を耳にし、いてもたってもいられなくなった私は、マリーを校舎裏に呼び出した。クロードに直接聞くのが怖かったのと、最悪の場合、女同士ならば交渉の余地があると踏んだからだった。
噂の真偽をはっきりさせようと、私は彼女に詰め寄った。すると、マリーは肯定するなり、泣き出してしまった。
もしかしたら、私の言い方がキツかったのかもしれない。けれど、泣きたいのは私のほうだ。私だってクロードを本気で愛しているし、当然別れたくない。私たちの関係を邪魔して欲しくもない。だからつい、口調が感情的になってしまったが、断じて手を出したりしていないし、あくまで一対一での出来事だった。
しかし運悪く、その場面を他の生徒に目撃されていたらしい。私が〝婚約者を取られた腹いせに、マリーをいじめている〟という噂がたちまち学園内に広まったのだ。当然クロードの耳にも入り、十年以上続いた関係は、ほんのわずか一瞬で壊れてしまったのだ。
挙句の果てに教員室に呼び出され、個人面談までさせられる始末。当然弁解はしたが、ほとんどは信じてくれていないか、単なる生徒同士の喧嘩と解釈された。
場所が人目につかない校舎裏での出来事だった為に、〝
一度ついたレッテルは簡単には剥がれない。そのせいで、私の楽しい青春は一転、地獄と化した。
「それも卒業までの辛抱と我慢したのに、よりにもよって卒業と同時に捨てるなんて……!!」
絶望感に耐えきれず、傍にあった鉄柵にしがみついた。
結局、クロードが私を信じてくれなかったのが、一番辛い。私たちの十年は、ほんの出会ってすぐの縁よりも薄っぺらいものだったのか。
大きなため息が出た時、男女の微かな笑い声が聞こえた。耳を澄ませると、寄りかかっている柵の向こう側から聞こえてくる。
──まさか、今の独り言を聞かれた!?
恥ずかしい、と思ったが、その感情はすぐに薄れた。その代わりに今度は、ふつふつと怒りが湧いてくる。
──人の不幸を笑うなんて、許せない!!
人間、失うものがなくなると大胆になるのかもしれない。文句のひとつでも言ってやらないと気が済まない、と柵に沿って行くと、そこは国随一の財力を誇る公爵の寄付金で建設された庭園だった。公共施設とはいえ、使用するのは貴族ばかりで、平民にとっては足を踏み入れにくく、ほとんど貴族専用と言っても過言ではない。長年利用しているが、平民で足を踏み入れた猛者を未だ見たことがない。
こんな状況でなければ、よく整備された花壇に目を奪われていただろうが、今は花を楽しむ余裕などない。
足早に草木の中を突っ切っていくと、やがてさっき聞いたのと同じ、男女の笑い声が聞こえてきた。しかし、改めて聞くと、様子が違っている。声を押し殺したような、けれど満更でもない甘い声。
先程は自分が笑われたのではなく、単に男女がイチャついていただけだったのだ。
──人がこんな辛い思いをしている時に、真っ昼間から逢い引きしてるなんて!!
ほとんど言いがかりだが、非常に気に食わない。顔くらい見てやろう、と野次馬根性で身近にある木陰からこっそりと様子を伺うと、背の高い若輩の男と、上品だが艶のある三十代前半くらいの女が密着している。
咄嗟に身を隠す。途端に覗いたことへの後悔が押し寄せた。
私はその女を知っている。むしろ、彼女のことをこの国で知らぬ者はいないだろう。それも、今いるこの庭園の建設に多額の寄付ができるほどの財と地位を持つモーリアック公爵の奥方、アンリエット・モーリアック公爵夫人だからである。
つまり私は〝大物有名人の不倫〟という、国中が腰を抜かす程の大スキャンダルを目撃してしまったのだ。
衝撃的事実に冷や汗と手の震えが止まらない。
──み、見なかったことにしよう!!
急いで身を翻し、立ち去ろうと一歩踏み出した。が、独りでは抱えきれない秘密に動揺したせいか、誤ってスカートの裾を踏んずけてしまい、バランスを崩した身体はそのまま前へぐらりと倒れた。
盛大な音を立てて転倒する。雑草の青臭い香りが、つんと鼻をついた。
「──だ、誰!?」
女の声。思わず振り返ると、夫人と男の大きく見開かれた目がこちらを凝視していた。
──この人、どこかで見たような……?
「──あー……キミ……」
男の歯切れが悪い。どうしたら目撃者の口を塞げるかを考えているのかもしれない。夫人は顔面蒼白になって口を覆っている。その顔が、今見た事が見間違えてはないことを裏付けている。
──って、ぼんやりしている場合じゃない!!
私は我に返ると、相手が言葉を探しているうちに急いで立ち上がった。
「──み、見てません!! 見てませんから!!」
どう考えても無理矢理な言い訳をすると、自分でも驚くくらいの猛スピードでその場から走り去った。
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