火遊び
雁鉄岩夫
第1話 火遊び
これまでの兵役法なら学生は26歳まで徴兵検査を延期することが出来たが、戦況の悪化と共に法律が改正され、その時20歳の大学二年生だった私は、春に行われた徴兵検査で甲種という極めて良好で頑健な体と判定され、大学で支那の言語を習っていた為、大陸の関東軍へと配属された。
戦争は嫌いだったが、図らずも専門の研究分野の現地に行くことが決まった私は、期待と不安が入り混じった、複雑な感情で支那へと向かった。
夜行列車で北九州の門司まだ向かい、船で大連に向かうと再び列車に乗せられ新京で乗り換え再び列車に乗り、ついた先は広大な荒野にちょこんとある日本人街と、その街から3キロほど離れた場所に、木造の兵舎が幾つも集まって建っている、こじんまりとした駐屯地で人員は全員合わせて三百人も居ない小規模なものだった。
街から、基地まで、約100人の新兵が隊列を作り慣れない行進をし駐屯地まで向かう。
初夏だと言うのにこの地域は日本ほど蒸し暑くはなく、空にはどこまでも薄く広い雲が太陽の光を遮り雲の中で乱反射させ光度を下げた薄暗い光が、駐屯地の外で訓練を行なっている兵士達の顔から精気を奪う様に暗く照らした。
長旅で疲れ切っていた私達新兵は、やっと一休みできると思っていると、行進は屋外の大きな広場で止まりその場で数分待っていると、基地の偉いであろう人間が私たちの前に現れ、到着を労う言葉を勇しく私達に叩き付けると各自、内務班に割り当てられ、指定された兵舎の大部屋で教育担当をあてがわれた。
教育担当の男は自分のベッドの上で寝転がりながら文庫を読んでいて、教育係の上等兵がそのベットの横で直立不動で敬礼した。
「伊藤兵長、新人の初年兵を連れて来ました」
伊藤兵長と呼ばれた男は文庫を脇に置きベットの上で起き上がると私の方を見た。
彼の頭はとても小さく肌が色白で、一重の細長い瞳は爬虫類のような鋭さをたたえていて、体の線が細くしなやかな印象を与える為、まるで蛇のような、女のような印象があった。
「君が神岡君か」と伊藤兵長は私に向かって握手を求めるように細く綺麗な手を出し、私はそれに応えるように手を握ると、今が夏だと言うのに彼の手はひんやりと冷たくその感覚が彼をより一層蛇のような印象を私に刻んだ。
初年兵のベットは教育担当の者の隣になる事が慣例となって居たので私のベットは彼の横にあった。
ベットの頭の方に自分の荷物を置いている途中、部屋の扉が開く音がして振り向くと一人の体躯のいい背の高い男が入って来て、それを見た伊藤兵長も含め着替えをしてる最中のものも含めた全員がその人間に向かって敬礼をし、それを見た初年兵も一拍遅れて敬礼をした。
男はあたりを見回すと伊藤兵長に向かって「伊藤兵長、初年兵は揃ったか?」と聞いた。
「三河班長殿、たった今、初年兵六人全員到着しました」
班長は軍服の上からでも分かるほど筋骨隆々で、顎の中央に小さな窪みがあり顔の堀の深さも相待って、アメリカ映画に出てくる俳優のようだった。
班長は全員を見回した後大きく野太い声で「初年兵着任ご苦労、君達は今まで血の繋がっている家族と暮らして来たと思う。しかし、軍隊で生活するこれからの2年間は君たちの横にいる仲間が、親であり兄弟であり、女房である。お互い助け合い、認め合い、思いやりを忘れず、2年間を過ごしてほしい」といい終わると、初年兵全員が「はい」と答えた。
***
駐屯地には酒保と呼ばれる売店がありアンパンや酒など飲食物やちり紙などの日用品を売って居た、しかし初年兵は入隊して4ヶ月半の入隊訓練期間には酒保に入ることは許されておらず、新人の初年兵は、教育係や他の気のいい古参兵に買って来てもらうのが常だったが、しかし軍隊とは時に運隊と呼ばれることがある様に、入隊した内務班や同僚の良し悪しによってその後の2年間が決まるとも言われており、凶を引いた者は、日用品すら十分に手に入れることが出来ない事があると言う話だが、私の場合にはそう言った事がなく伊藤兵長は親身に軍隊の規則を教育してくれた。
ある時、いつもの様に訓練を終え、風呂に入ろうとして居た達、歩兵の人間が入浴所に入ると中に別の兵科の人間が何人か入って居て、それを特に気にせずその時は入浴したが、その後の自由時間に、私だけ砲兵の連中に駐屯地の近くにあった丘に呼び出された為伊藤兵長に申告をして向かった。
それまで平和に軍隊生活を送って居た私は特に考えもせず向かうとそこには入浴所にいた人間が待って居た。
「貴様、初年兵だな」
「はい」
「わしのことがわかる?」
「いえ」私ははっきり答えた。
「歩兵じゃあ上官の顔も覚えさせんのか」と興奮した男は周りにいた3人に目配せをすると、3人は私の服を剥ぎ取り、上半身裸の私の体を抑えて地面に腹這いに押さえつけると、最初の男がベルトを外し始めた。
必死で3人から逃げ出そうと暴れるが、流石は軍隊といったところか3人は石にでもなった様に私の体を押さえつけびくともしなかった。
ベルトを外した男は私の横に来ると持って居たベルトを鞭の様に背中に叩きつけ始めた。
ベルトが背中に当たると、その場所は刃物で切られた様な鋭い痛みとその後から猛烈なヒリヒリとした痛みがやって来た。
男は何度も何度も私背中を叩き線状の痛みが走った。
もう10回以上は叩かれたその時だった、聞き覚えのある野太い声が聞こえた。
「貴様ら、何をやっている」
その瞬間ベルトは止み、3人組は私から離れ直立不動で敬礼した。
立ち上がることが出来ない私は声の方を見るとそこに居たのは班長だった。
「何をやってると聞いてる」
「はい、班長殿、こいつは上官に敬礼をしなかった為、教育して居ました」
「わかった。だがこれは少しやり過ぎとらんか?軍規では私的制裁は禁止しとるはずだぞ」
「はっ。ただいま終わったところであります」
「ならよし、お前達、自室に戻れ」と言うと3人一斉に返事をし駐屯地に戻って行った。
班長は私の傍にしゃがみ込むと顔を覗き込み「随分酷くやられたな。立てるか」と言った。
私は「はい」と言うと痛む背中をあまり動かさない様に立ち上がった。
班長は私を自室に招いて、背中に消毒液を塗りながら話しかけて来た。
「お前の教育係は?」
「伊藤兵長です」
「ちゃんと面倒見てるか?あいつ」
「はい」
「上官の官姓名は教えられんかったのか?」
「習いましたが、あの人は習いませんでした」
「伊藤、サボったな」と一人でぼやいた三河班長は何か思いついた様に私に向かって「お前、明日から自由時間に毎日茶を持ってこい。砲兵に目を付けられても迂闊に手を出せんだろ」と言われ、上官に逆らうこともできず承諾した。
***
入隊して4ヶ月目のある日、訓練後の軍服の直しが長引いた為入浴時に髭を剃ることが出来なかった私は自由時間の夜八時に洗面所の鏡を見ながら石鹸を泡だて、顎に当て馴染ませて居た。
その時洗面所の扉がガラガラと開き目を向けると、小さな紙袋をもった伊藤兵長だった。
私はその場で直立不動で口元に泡をつけながら敬礼をした。
「そんな格好で敬礼しないでもいいから続けなよ」と言わ「はい」と素直にしたがい鏡を向き直した。
軍服姿の伊藤兵長はコツコツ地面を鳴らし歩いて私の横に来ると洗面器の端に紙袋を置き、鏡の中の私を見て、「班長にお茶を届けてるんだって」と、歌舞伎の女方の様な流し目で話した。
「あ、はい、今日もさっき」
「で、班長はなんて?」
「不味いそうです」
「言ってくれればいいのに、僕はお茶を入れるのがうまいんだ。実家が東京にある旅館だからね」
「いえ、いつもご迷惑かけてるので」
「迷惑なんて思ってないよ」と色っぽく言った後、私の前の洗面器にためた湯の中から剃刀をとり、ゆっくりと私の背後に立つと。
「髭、剃ってあげようか?」と私の首元に剃刀の刃を軽く当てた。
何かの冗談かと思い「いえ」いい剃刀を奪おうとすると、急に真面目な声になり「動かないで」と言い刃を少し肌に押し当てた。
伊藤兵長の剃刀を持って居ない方の手が私の顎を柔らかく弄び「君の少し窪んだ顎はケーリー・グラントみたいで可愛いね」と言う。
「兵長、冗談はやめてください」と言うとその手がヒュッと下がり服のボタンの列をなぞりながらベルトの留め金に向かい外したので「なんかの冗談ですか?」と尋ねるが何も答えず、ズボンの列になったボタンを一つ一つ外して行った。
「兵長、人が来ますよ」
「来ないよ。そうしてあるから」と兵長が言うと、私のズボンは地面に下がり兵長の手が私の下着の中の性器を弄び始め、私は勃起した。
次第に私の亀頭の先端から透明な粘液が出て、兵長の手はそれを亀頭に塗り込む様に繊細な手つきで私の性器をしごき、とうとう私は洗面台に向かって射精した。
「何を・・・」と最後に言うと伊藤兵長は剃刀を少し引き、私に浅い切り傷をつけた後、「誰にも言っちゃいけないよ」と言うと剃刀を洗面器の中に投げ込んだ後、「その紙袋あげるよ」と言って出て行った。
紙袋の中にはアンパンが二個入っていた。
洗面所の一件の後の伊藤兵長は、いつもの面倒見のいい兵長に戻っていて、あの時言われた様に、次の日お茶の入れ方を教えてくれ、後日そのお茶を班長に出すと少し驚いた後、「美味くなった」と喜んでくれた。
***
入隊訓練期間が終わろうという頃、駐屯地ではある噂が飛び交っていた。
その噂とは南方の戦況の悪化に伴いこの駐屯地から応援を出すとの話だった。
このご時世にありながら日ソ不可侵条約のお陰でこの辺りでの戦闘はほぼなかったこの駐屯地では地獄の様な戦闘が繰り広げられているとの噂がある南方に行きたがる人間はいなかった。
そんな中、私は三河班長から呼び出しを食らい、私が南方へ送られるのだと覚悟して班長の部屋をノックした。
しかし話の内容は全く別だった。
「新京の本部で中国語が堪能な人材を求めているから、お前行かないか?」
「新京ですか」
「ああ、お前学生だったしここの生活より本部の方が向いてるんじゃないかと思ってな」
私はすぐに首を縦にふった。
結局南方へ応援に送られる事になったのは私のいた内務班だった。
通り道である為、内務班が南方へ移動するのと同じ日に私も新京へ移動する事になり、内務班の人間は新京で乗り換える予定だった為最後に班長と兵長を探しに人混む駅の中を探し回ると、二人が、楽しそうに話しながら次の列車に乗り込むのを見て私は彼らに話しかけるのをやめた。
戦後知った話ではあの部隊は南方で全滅したそうだった。
火遊び 雁鉄岩夫 @gantetsuiwao
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