第4話 第4話 大阪あいりん地区 出刃包丁殺人未遂事件 その2
さて、死の一歩手前というこの時、私の中の「日本拳法的理性」が発揮されます。それは攻撃するのではなく、逆に「待つ」という理性です。
仰向けになった私の右側30センチの所に、工具のプラス・ドライバーが転がっていることに、そしてそれを握り、おっさんのこめかみにぶち込めばすべてが終わることにわたしは気づいていました。しかし、私の理性は「待て」だったのです。
ちなみに、この手の話というものは、時と場合によるものですから、決して定型化・公式化して再現性を求めるなんてことはできない。もし私が再び、同じ場面に遭遇したとしても、同じ選択はできないのです。
ですが、あの瞬間、私は待った。
何を期待してか、何のためなのかはわからないままに。
しかし、それは決して自分が殺人者になることを恐れたための躊躇ではありません。出刃包丁を持った男にいきなり襲われ、顔面に突き立てられる直前、たまたま脇にあったドライバーで応戦したら相手が死んだという話なら、当然過ぎるくらいの正当防衛です。
あの場面でそんなことを考えることはありませんでしたが、とにかく、迷いでも躊躇でも恐れでもなく、私の理性は待つことを私に「実行させた」。
これは、30年前、南米でナイフ使いの男と対峙したときにも発揮された「日本拳法をやっていたからこそ待つことができた」という理性だったのです(後述)。
日本拳法をやっていなければ、恐怖に駆られてか本能的にか、おそらく私は、何も考えることなく相手を止める(殺す)ことに専念していたでしょう。しかし、そのギリギリのところで、私は待つことができた。
おかげで、私は正当防衛とはいえ殺人者とならずに済んだわけですが、それは結果であって、あのときの私にとって、この待つ間の数秒という時間が、戦いの相手でした。
オヤジが力を込め、出刃包丁の刃先が数センチから2センチくらいまで近づいてきた時、私がここが限度と、右手を離してドライバーをつかもうと考えるというか、感性で感じた時(ドライバーをつかむその瞬間、左手だけでは支えきれないので、出刃包丁は私の顔のどこかを削り取るでしょうが、ドライバーは確実に男のこめかみに突き刺さる。肉を切らして骨を断つということです)。
ところが、その刹那、例のギャラリーであるオッサンが「やめ、やめ」と言いながら、出刃包丁を握るオヤジを私から引き離します。
このときもまだオヤジは「殺したる、殺したる。」と大きな声でうめいています。
しかし、私の感性と悟性は「ちょっと、おかしいぞ。」と私に教えたのです。
「彼らは、俗に言う、三味線を弾いてるんじゃないか。」。つまり、二人でつるんで芝居を打っているのではないか、という疑惑が一瞬心をかすめたのです。
さて、ここからが「日本拳法による純粋理性」の発揮です。
「まあ、あした第三者を交えてゆっくり話をすればええ。」という、ギャラリーのオッサンに、私はキッパリと言いました。
「第三者 ?」「そんなものは関係ないだろう。」「これは、オレとこのオヤジ、二人のあいだの問題だ。この場で、とことん話をつけようじゃないか。」と。
オッサンは、一瞬「ウッ」とうめき、困ったような顔をすると、自分の部屋へ戻っていきました。残されたオヤジは、といえば出刃包丁を手にしてうつむいています。
私はオヤジに向かって「おい、あんた。うるさいうるさいと言うが、一体何がうるさいんだ。」と言いながら、オヤジを私の部屋に導き入れ「パソコンのキーボードの音か ?」と聞きます。オヤジはさっきまでとは打って変わった小さな声で「違う。」と言う。
「じゃあ、トイレ(この木造アパートはシャワーは共同ですが、各部屋にトイレは付いている)の水を流す音か ?」と言うと、これも「違う。」
「なら、トイレの扉を閉める音か ?」と言いながら、扉を勢いよく閉める。すると、これも「ノー」。
じっさい、私のパソコンは静音キーボードだし、夜の10時以降はトイレの水を流さない、扉の開け閉めも音を立てないようにしているので、うるさいと言われることは絶対にないはずなのです。
そこで私は、「じゃあ、今度はあんたの部屋を見せてもらおうか。」とオヤジに言いながら、彼の部屋へ、勝手にずんずん入っていきます。と言っても、入り口に一畳ほどの台所(流し)のついた四畳半一間です。このとき、オヤジは出刃包丁を流しの横に置いたのですが、そこには生活の匂いというものがない。日々料理をしているような形跡がないのです。また、部屋には本棚も棚もない。テレビが一台あるだけです。そして、彼の布団は私の部屋の壁にピタリと沿って敷いてある。これだけがらんとした部屋なのに、なぜ部屋の真ん中ではなく、わざわざ私の部屋の側の壁にピタリと沿って布団が敷かれているのか。「ワトソン君、これは何を意味するのかな。」というところです。
さて、このあたりに住んでいる方々とは、生活保護で生活している人が圧倒的に多い。そういう人間というのは、自分で工夫して部屋を改造しようとか、毎日安くて美味くて健康的な料理を作ろうなんていう意欲がまるでない。自分で自分を楽しくしようという気力がないのです。
ですから、彼らは自炊などすることなどない。このアパートのロビーには電子レンジが置いてあるのですが、それさえも、ここの住人たちは、ほとんど使っている様子がない。
一般のスーパーの半額で買える「玉出」というスーパーの惣菜を朝5時に行って買うくらいの気力があればまだ元気がある方なのですが、そういう人は、結局、パチンコ屋に並んで、終日、ぼんやりとギラギラ光るパチンコ台を眺めている。生活保護というのは、人を無気力にするものなのでしょうか。
このオヤジの部屋も、質素とか簡素とかシンプルだとかいう以前に、貧乏でも自分の生活を楽しもうとか、ちょっと工夫して生活にリズムをつけようという、前向きな気力や意欲が全く感じられない。台所にはコンロも電子レンジもヤカンもない。カップラーメンの湯でさえ、おそらく一階の共同ポットにあるお湯を使っているのでしょう。
そんな人間が、なぜ、デカい鯖や鯛をさばくのに使う大きな出刃包丁なんぞを持っているのだろうか。
オヤジの部屋を出た私は、ますます「疑惑」を深めました。
これまでの約30分間、これだけ大騒ぎをしているのに、20名(室)ほどの他の住民は息を潜めて黙っていますが、これが普通なのです。私がそういう人たちの一人であったなら「殺してやる」なんて声がしてら、絶対に部屋から出たりしないものです。しかし、あの仲裁に入ったオッサンは、なぜすぐに部屋を出てきたのか。しかも、そうまでしていながら、なぜ私が「殺される一歩手前」まで傍観していたのか。
私は、今の今まで殺されかかっていた側であるにもかかわらず、「ふーん。まあ、うるさいと言うのなら、これからはオレも10時以降は寝るようにしよう。」なんて言いながら、自分の部屋に戻ろうとします。
すると、オヤジは「あんた、手から血がぎょうさん出とるで。」と私の右手を指さします。オヤジの包丁を受けた時、その刃の根元に私の右手の親指と人差し指の間の部分が当たり、あとで自分のズボンに付いた血糊から推測すると、ヤクルト一本の半分くらいの血が流れ出たのでしょう。
血管を切ったのでなければ、血というのは、肉が切れたその瞬間、かなり勢いよく流れ出るものですが、止血なんかしなくてもすぐに止まる。むしろ、切った時には、しばらく血を出した方が良いのです。
私は「ああ、これは大したことないよ。」言い、続けてオヤジにこう言いました。「あんたな、理由はどうであれ、出刃包丁で人を刺そうとしたのは事実だ。警察沙汰になれば、あんたに前があるなら執行猶予はつかないはずだ。こんどは殺人未遂で行くことになるぜ。」と。
彼は黙って部屋へ戻っていきました。
さて、手の血を出すだけ出したわたしは、この晩、書いていたものの続きを再開し、結局、寝たのは二時半。翌日もその翌日も、一時半頃までパソコンをやっていました。もしまた、難癖をつけられたら、その時はその時と思い、自分のペースは崩さず、平常通りやっていました。
一週間後、隣のオヤジは引っ越して行ったようです。斜め向かいのオッサンとは、それ以後、廊下で会うということもなく、やがて私の短いあいりん地区滞在は終わりました。
2020年7月28日
平栗雅人
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