第3話 大阪あいりん地区 出刃包丁殺人未遂事件 その1

 今度は、2年前に私が遭遇した事例から「日本拳法による純粋理性」を考えてみましょう。



 大阪の新今宮駅近辺、西成警察署の周囲に広がる、いわゆるあいりん地区と呼ばれる一角は、日本でもっとも危険な場所のひとつといわれています。


 しかし、安全と思われていた場所で何の理由もない人が行われたり、考えもつかない誘拐事件が発生するなんてことは、どこでもあることです。


 昨年、ミャンマー語の第一人者といわれる方が、朝の通勤途上、信号待ちをしているときに、彼と何の関係も無い男に後ろからナイフで刺されて即死し、その数分後、犯人が現場から100メートルくらい離れた藪の中で「自殺」していた、なんて恐ろしい話がありました、しかも、このミャンマー語の通訳を殺した犯人の(警察経由)新聞に掲載された顔写真が、彼の高校時代のものであったという、かのシャーロック・ホームズも頭をひねるような奇怪な事件でした。


 また、私がアメリカに滞在中、聞いた「○○商事駐在員の妻誘拐事件」も恐ろしい。

 あのニューヨークで、比較的というか最も安全といわれるほど、数々の有名店が立ち並ぶ五番街で、しかも日曜日の真昼間、十数名の日本人駐在員の奥様方がウインドウ・ショッピングを楽しんでいる最中、一人の若い奥様が忽然と消えてしまった。新婚ほやほやの旦那は、その捜査のために3ヶ月間会社を休職申請し、自分で雇った私立探偵と捜索活動をしていましたが、その二人もまた消えてしまったというのです。


 安心の標語や安全の掛け声とは裏腹に、否、逆に安心・安全といわれるもの(道具や場所)ほど危険をはらんでいる、という警句は、かのヒッチコックの名画「舞台恐怖症」(1950年)でも言われていたことです。



 前置きが長くなりましたが、今回の「日本拳法的なる理性」の発揮は、私がこのあいりん地区のど真ん中にある、月極め安アパートに滞在していた時のことです。


 入居してはじめの一ヶ月が過ぎようとしていたころ、私はこう思っていました。「あいりん地区」というのも昔は怖いところだったらしいが、今は老人ばかりだし、二階の私の部屋の前にはデカい監視カメラが交差点の上にぶら下がっているし、あちこちにおまわりさんがうろうろしているし、今はすっかり様変わりして安全な街になっているんだな、なんて。

 その日も、閑静な住宅街かと錯覚するほど静かな番でした。


 ところが、深夜12時頃、パソコンをやっていた私は、ドンドンドンと壁をたたく音に一瞬、ドキリとしました。私の部屋の右隣には誰か住んでいるのは知っていましたが、面識はまったく無い。安心・安全の世界から、いきなり現実に引き戻されたような気持ちで、ボンヤリしていると、2・3分後、この隣人は再びドンドンドンと壁をたたき、「うるせえぞ !」と、今度は大きな声で怒鳴ってきます。

 こういうときには「反転攻勢」、売られたけんかは即買わねばならない、というのは私の経験(知性)によるものでした。


 そこで私は「文句があるなら、壁なんか叩かないで話をしに来い。」と怒鳴り返します。それに対し、壁越しに聞こえるガサゴソという音から、私は彼が部屋を出てこちらに来ることを感性と悟性によって察知します。そして「先手必勝」という知性の教えるままに、素早く自分の部屋の扉を開け、廊下に出るや、先に隣室のドアの前で「敵」を待ち構えます。


 するとその時、斜め向かいの部屋から「どないしたんや ?」なんて、のんびりとした声を出して一人のおっさんが出てきました。と同時に、隣人が勢いよくドアを開けて出てきたのですが、その両手にはデカい出刃包丁がしっかりと握られています。


 普段の私なら、その場で即対応しているところですが、向かいのおっさんが脇にいるので、立ち回りができない。この「無関係のおっさん」に怪我でもされてはまずい、という悟性と知性による判断です。

 そこで、やむなく私は、出刃包丁を握る隣人の両手を押さえながら、ずるすると後退します。この男、60歳くらいなのですが、建築関係の仕事(土方)でもやってきているのか、体格はがっしりして、首も腕も太く、ちょっとしたプロレスラー並みです。

 後退して、自分の部屋に倒れこんだ私の上にのしかかり、「殺したる、殺したる。」と、念仏でも唱えるようにして出刃包丁を私の顔面に押し付けてきます。


 ところが、このとき私は何を考えていたかといいますと「何でオレは、こんなところでインディ・ジョーンズなんかやってるんだ ?」と、心の中でつぶやいていたのです。

 刃先は目のうえ数センチのところにある,しかもオヤジは全体重をかけてくる。こんな状況の中で、むかし映画で見た「インディ・ジョーンズ魔宮の伝説」(1984年)で、インディ・ジョーンズが邪教集団の戦士にナイフを顔面に突き立てられ、奮闘する場面を思い出していたのです。


 「人はその死の瞬間、自分の人生で起きた数々の出来事を走馬灯のように思い出す」なんていわれてますが、私の場合(結果として死にはしませんでしたが)こんなことを思っていたわけです。







 









 





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