第2話 「窓からの乗車はおやめ下さい」

 それは、私が大学二年生、夏合宿に向かう日のことでした。



 早朝の上野駅に集合し、8時35分発の急行列車に乗り込んだ私たち十数名の部員は、防具の入ったバッグや自分の荷物を網棚にあげ、発車までの数分間、私はというと、ホーム側の席で窓を半分ほどあげてタバコを吹かしていました。



 すると、幹部の下田先輩(財務)が、苛立った様子でひとりホームをうろうろしています。「北崎(同じく幹部)がまだ来んのだ。オレが全員の切符を持っているから、全員一緒でないと・・・。」 

(上野駅○番線ホームに集合ということでしたから、各自、自分の駅から上野駅までしか切符を買っていない。)


 そんなことを話している内に、発車のベルが鳴り始めました。


白い夜霧の 灯りに濡れて

別れ切ない プラットホーム

ベルが鳴る ベルが鳴る

さらばと告げて 手を振る君は

赤いランプの 終列車

(春日八郎 赤いランプの終列車)


「しかたがない。オレは北崎と一緒にこのあとの列車で行くから、この切符を持って先に行ってくれ。」と、全員の切符を私に渡します。

 ベルが鳴り終わり、ゆっくりとドアが閉まっていきます。


 ふと、後方を見ると、ビーチサンダルを履いた北崎先輩が、大きく手を振りながらこちらに向かって走ってきます。しかし、私の所へ来た時には、列車は人が早足で歩く速度で動いています。

 私の周りに座る桜井・杉山・小松は「押忍、先輩、合宿所でお待ちします。」なんて、あっさり諦めムード。

 しかし、ここが「日本拳法という、ギリギリのところで勝負する精神」を日々鍛えてきた者の根性の見せ所(というのは卒業後40年経った今思うことなのですが)。


 その瞬間、とっさにタバコを灰皿に押し込んだ私は、窓を押し上げてました。当時の電車は、新幹線や特急以外は窓が開き、全開にすると横1メートル、縦50センチほどの空間ができたのです。


 そして、北崎先輩のスポーツバッグをひったくる様につかむと、それを後ろの小松に渡し「先輩 !」と、声をかけました。北崎先輩は一瞬目を見開き「エェッ !」と驚いたあと、なぜかわかりませんが、ニコッと微笑んで窓枠に飛びつきます。先輩は身長155センチ体重50キロくらいですから、私一人で簡単に列車の中に引きずり込むことができました。


 次に私は、小走りで追いかけながらこの様子を見ていた下田先輩に向かって「先輩 !」と叫びます。意を決したかの如く、口にくわえたタバコをホームに投げ捨てた先輩は「おっしゃ !」と叫ぶや、列車の窓にしがみつきます。

 ところが、この先輩は重い。毎晩、巣鴨の飲み屋で幹部3人で飲み食いしているので、太って80キロ位ある。私一人で先輩の胸の所まで引き入れることができましたが、下半身は宙に浮いて、ビーチサンダルを履いた真っ黒な足をバタバタやっている。列車の後方から「ピッピッピッーーー !」と、ヒステリックな笛の音をたてながら、ものすごい形相の駅員が、赤い旗を振り回しながらホームを駆けてくる。

 私は、唖然として私の後ろに突っ立ってこの様子を見ているいる桜井たちに向かって「オイッ !」と怒鳴ります。ハッと我に返った三人は、下田先輩の腕や首に飛びつき一気に引き入れます。さすがに四人がかりとなれば、一瞬です。


 恐る恐る窓から後ろを見ると、ホームの端で、だらりと垂らした赤い旗を手にした駅員が、呆然とこちらを眺めて立っています。


 さて、窓を半分下ろし、やれやれ「007危機一髪」だったな、なんて言いながらたばこに火をつけていると、「汽笛一声新橋を」のメロディーのあとから、「ただ今、列車は定刻通り上野駅を発車し、・・・」と、車掌による各駅到着時間のアナウンスが始まりました。

 部員たちもこの騒動などすっかり忘れ、ジュースを飲んだり菓子を食ったりしながら、みな和やかに談笑しています。すると、形式通りのアナウンスが終わり数秒の沈黙のあと、こんな声が。

 「お客様にお願い申し上げます。窓からの乗車は危険ですので、絶対におやめ下さい。」


 これには、部員一同大爆笑。車内のほかの乗客たちはポカンとした顔をしています。キャプテンの生川(なるかわ)先輩(三重県出身)は「平栗、検札の時に絶対なんか言われるで。」なんて脅かします。

 私も子供の頃、校長室に呼ばれて反省文を書かされたことを思い出し「顔で笑って心は」神妙な気持ちで仲間と談笑していました。


 ところが、程なくして私たちの車両の扉を開けて入ってきた車掌さんは、人相の悪い、坊主頭で学ラン姿の私たちを見て、バカバカしくなったのか、帽子を取りペコリと頭を下げ、粛々と検札を行い、そのまま帰って行きました。



 これが、私の大学時代純粋理性体験 第一号です。


 ここで発揮された私の行動は、知性でも感性でも悟性でもない。

 あの瞬間、私には恥も外聞も無かった。

 「仲間を置き去りにしない。」「落伍者を出さない。」「みなで一緒に行こう。」なんていう感傷的で教条的なことも一切あたまになかった。

 今なら窓から乗れるという、計算された知性によるものでもない。


 では、あの時の行動とは、動物的な本能のなせる技かというと、動物とは基本的に道具を利用するということをしませんから、窓を開けて、バッグを受け取り、引き入れ、後ろの仲間を叱咤して手伝わせる、なんて一連の行動は動物ではできないでしょう。

 

長い説明は省(はぶ)きますが、ここで発揮された「理性」とは、生まれながらに備わる理性とはちがうものです。

 窓から乗るなんて、と人が顔をしかめる「世間の常識」や、法律違反・危険行為であるなどという「社会通念」なんぞ気にしないという「理性」は、確かに私という人間の中に元々あるものでしたが、あの場・あの時・あのタイミングで、その理性を理性のままに迷いなく発揮できたのは「日本拳法における殴り合い」という日々の鍛錬によるものだったのだと、あれから40年たったこの頃、列車の窓から流れゆくホームを見るたびに思うのです。


(理性とは、時に法律や社会通念を無視してもかまわない、ということではありません。「悪に強ければ善にもと」と、かの河内山宗俊は言いましたが「過ぎたるは及ばざるが如し」ともいい、純粋理性の発揮とは、加減の要るものなのです。)



2020年7月27日


平栗雅人


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