第6話

「悪い話ではなかろう!」

「一から十まで悪い話だ! 呆けたのか! 大臣!」

 食後ロイズスを連れて、トレミーの元へ。

 私の剣幕を観て怯んだが、人前でもあるので簡単には引けない。

「メイヨー伯は元々、お前に遠縁の婿を迎えて……」

 うん、その計画は聞いたことあるけど!

「ルイの将来設計と、大臣の勝手な計画は違うんだよ。解るか、大臣」

 暖炉の傍にあった燭台を掴んで殴りかかる仕草をしたら、顔を強張らせた。

「いや、落ちつけ! 話せば解る! バネッサ!」

「解らなかったら殴っても良いって事ですね?」

「落ちつけ! バネッサ! 勝手に、勝手に話を進めたのは悪かった! だから殴らないでぇ!」

 朝食中のロイズスからの情報によると、フローレ皇子は表面を取り繕ったあんな屑だったが、個人の技量は誰もが認める所だったのだと。

 その彼が不意を突かれたとはいえ、騎士でもなければ武芸に長けているという噂など一つもなかった皇太子妃にボコボコにされた。

 実際ボコボコにしたのは腕に覚え有り、腕っ節で食っているから強くて当然のギルバートだが、その後の私の行為も恐ろしかったのか、死ぬ前に私を観て散々恐怖を露わにしてくださったお陰で、全て私が行った事になってしまった。


 昨晩フローレ皇子を撲殺しかけた皇太子妃バネッサの名は一晩にして、城中を駆け巡って ”恐怖” の代名詞となった。


「悪かったわね」

「いいや……」

 でもまあ……トレミーのヤツ、あれで仕事は早いのでジョシュは既に騎士団を退団していた……いや、させられていた。

 大臣の権限って強大だと肌で感じることとなった。


 流石に大臣の決定をその養女が覆すことは出来ないので、私は私としてやるべきこと、成すべきことを実行に移す。


「いや皇太子妃殿下。なんで、わざわざ一緒に」

「入り組んだ事情ってのがあるのよ」

 私はジョシュと一緒に馬車に乗り込んで、ルイの元へと向かっている。

 許可を貰う際に、 ”あの晩、トレミーの邸に帰れと言わずに、メイヨー伯の邸へと帰れといえば良かったのだな” ネストール皇子からそんな言葉をいただいて、私は城を出た。出る前にトレミーの頬にストレートを入れるのは忘れなかった。

 邸といっても殆ど人もいない小さなものだが。

「初めまして、ジョシュ卿。私はメイヨー伯ルイ」

 ルイは火事で全てを失った私を受け入れてくれたときと同じ、優しい表情で両手を広げてジョシュを出迎えた。

「初めましてメイヨー伯」

 私は紅茶を淹れて、椅子に座っているルイとジョシュとギルバートに出してやる。

「私としては君のような立派な青年に後を継いで貰えることを、嬉しく思う」

「いいえ、そんな……」

 子供の頃、野犬に追われて鼻水垂らして悲鳴を上げて逃げ回っていた姿が重なり、何とも言えない気持ちになったが、そこは黙っておこう。

 語るならネストール皇子のパンツ降ろしながらアレナ嬢への愛語りとか、人を襲いつつも優雅さを気取ってい愚か者、故フローレ皇子の無様さなどだ。

 ちなみにギルバートは私が持ち込んだ中夏製の箱形鏡台の ”箱” のなかに隠れていた。内側から外は見えるが、外から中の物は見えない細工になっている。

 ”本物のバネッサ” の母親が実家で使っていた物だそうで、とても大事にしており……一人娘が引き継がないと不自然だということで、私が受け取った。

 こういう時、偽物は心が痛む。

 本当に大切にしていたらしく、年代物だけど、その年期が益々鏡台を美しく魅せていた。


「まあここからは独り言のような物なのだが……」


 そんな事を考えながら私は自分の分を淹れて、出窓に腰掛け外を眺めながら、以前自分も聞いて驚いた話を、風の音と共に再び聞くことになった。


†**********†


 ルイがバネッサを引き取ろうとしたのには理由があった。

「幸せに生活していると聞いていたので引き取ろうとは思わなかったのだが……あの火事の後に引き取ることにした。これに関しては今は亡きエミリアも納得しているはずだ」

 エミリアというのは ”本物のバネッサ” の母親で、トレミーの親戚にあたる人物。

 エミリアは連れ戻されてメイヨー伯ルイと結婚することになったのだが、二人は深い仲にはならなかった。正式な夫婦ではなかったと言ったほうが正しいだろう。

「ジョシュ、この肖像画を見てくれ。これは曾祖父で、此方は大叔父だ。私は曾祖父に似ているだろう? そして隣に立っているこの男は大叔父に似ているだろう」

「はい。似ているといいますか、瓜二つといいますか……」

 先代メイヨー伯は妻と愛人がいた。

 正妻と愛人は正反対の容姿であった。

 正妻と愛人がいることは珍しいことでもなく、両者が同時期に身籠もるのも珍しいことでもない。だが二人が同じ日に生まれたことは珍しい。

「赤子の入れ替え……」

 先に思い立ったのが愛人なのだけは、はっきりしている。

 愛人は同じ日に生まれた、同じ父親を持つ息子が家督を継げないのを悔しく思い、子供を入れ替えた。

 同じ邸で愛人にも子を産ませたのが元凶だが、

「今更言っても仕方ないだろうな」

「では……メイヨー伯は、実は……」

 それだけでは済まなかった。

「ここから大きな問題なのだが、私とギルバート……ルイは正妻の息子の子で、ギルバートは愛人の子の名前だと思って聞いてくれ。ギルバートとルイが入れ替えられたのを観ていた侍女の一人が、大慌てで再び両者を入れ替えた」

 その後、侍女が赤子を入れ替えたのを観たギルバート側の侍女が、再び赤子を入れ替えた。それを観たルイ側の乳母が再び入れ替えて、次にそれを観ていた庭師がひっそりと入れ替えて……を繰り返し、

「結局、どちらがどちらなのか解らなくなってしまったのだ」

 タチも出来の悪い笑い話だが、当事者達は笑い話では済まない。

 タチが悪いからこそ、出来が悪いからこそ、笑えはしない。

「……」 

 結果として 《両者共メイヨー伯の子であるのは確かだが、どちらが嫡子かは不明》 な状態になってしまった。

「頭髪や瞳、肌の色は同じで、生まれたてなので見分けも付かない。少し成長するまで待ってみようとなったのだが、この通りどちらも母親の特徴など一切受け継がず終いでな」

 愛人の子はギルバート、跡取りはルイと名前を用意しておき、確定するまで二人は別の名で呼ばれていた。

 どちらの母親も、どちらが我が子は解らず、自分の手元にいるのが憎い女の産んだ子であるかもしれないと思うと……となり、結局二人は殆ど母親と会うことはなかった。

 最初に行動に移した愛人が悪いのだけは確かだが、彼女は 《愛人の子》 の特徴を見極めるために罪には問われず、そして噂が立つのを恐れて邸に閉じ込められた。

「そのうち愛人は流行病で、正妻は精神を病んで死んだ」

 邸に閉じ込められていた愛人が流行病で人生を終えた理由は誰にも解らない。

 先代メイヨー伯は自らが健在であるうちに 《どちらか》 を跡取りに選ぼうとし、優秀で華やさが備わっているギルバートが選ばれそうになったのだが、堅苦しい生活は此方から断るとして身分を捨てた。

「自分から愛人の子になった」

 はっきりとした名が無く、混じり合った道を歩んでいた二人は分かれ、先代メイヨー伯も受け入れた。ただ一人受け入れられなかった、疑心暗鬼から抜け出すことのできなかった正妻は発狂して事切れた。


「私は今だに自分は跡を継ぐべき男だとは思っていない。だから結婚もしたくはなかった」


 先代メイヨー伯は受け入れ、跡取りであるルイに名家の娘を嫁がせて 《払拭》 しようとした。先代メイヨー伯本人がルイに向かって言った訳ではないが、言葉の端々に 《正統性》 を求めようとしていた事をルイは感じていた。

 相当に格上で、かなり無理をし、資産を減らしてまでも先代メイヨー伯は名門の娘を求めて、ついにグレパリン家縁のエミリアをルイの婚約者にすることが出来た。

「初めて会った瞬間から、釣り合う相手ではないと感じたよ……後で彼女と僅かながら生活したときに、彼女も嬉しい事に同じ事を言ってくれたけれどね」

 貴族同士の結婚が上辺だけでるのは珍しくはないが、エミリアはルイが望んでいないことを気にし、何時しかメルフィード卿と関係を持ち、母の形見でもある大切にしていた中夏の細工鏡台をも残し駆け落ちする。

「エミリアがメルフィード卿と逃げた時、私は追えなかった。何も知らない彼女は ”お願い!” と叫んだけれど、叫ばなくとも私は追わなかった」

 グレパリン家は婚約破棄の慰謝料として先代メイヨー伯が使った金額以上の金を寄越した。その中にエミリアが大切にしていた鏡台も含まれていた。

「先代メイヨー伯はこの事件ですっかりと老けてしまって、そのままこの世を去った」

 メイヨー伯を継いだルイは、ひっそりと隠れて過ごすことにした。

 社交界に出たところで、グレパリン家のエミリアから逃げられた男として好気の目に晒されることは確実、なる理由を盾に一人で時が過ぎるのを待った。

 たまに十二歳の頃まで一緒に育ったギルバートのことを思い出しはしたが、出て行った彼を捜すこともなく……


†**********†


 そこまで語ってルイはすっかりと冷えてしまった茶を飲もうとカップに手を伸ばしたので、

「待ちなさい、ルイ。新しいのを淹れるから」

 私は暖かい茶を淹れて、すっかりと冷えたカップを下げた。

 話を聞かされたジョシュは、驚いた顔をしているが呆然とはしていない。あの野良犬に追いかけ回され泣いていた男の子とは、精神的に全く違うことがはっきりと解った……成長した、ということだ。

「バネッサ、俺はワインを貰おうか」

「素面で語れ、馬鹿ギルバート!」

 ここからはギルバートが語ることは ”私” には解る。そしてギルバートが酔っていようが素面であろうが、変わらない事も解るが、

「酒でも飲まないと、やってられないだろう」

「良いから初対面の相手には、素面で語りなさい! 酒は後にしなさいよ! 私だって我慢してるんだから!」

「はいはい。で、しがない輸入業者のギルバートさんだ」

「は、はあ……」


 ギルバートは邸を出た後、海を渡り輸入で稼いでいる。しがない……だろうな、輸入業者としては。


 追い剥ぎとしては超一流なんだな、このギルバート。


 ギルバートの話を手短に終えて、

「以上の経緯から、意味が我が家の跡取りになってくれることは、私もこのギルバートも大賛成だ」

「俺には何の関係もないんだがね」

「はい……」

「そして、ここから問題なのだがマデリン様を妻に迎えなくてはならないのだが、君の意見を聞きたいジョシュ」

「私としては……」

「いきなり言われても答えられるわけないでしょう、ルイ! 何度か会ってみると良いよ、ジョシュ。ただし……」

「ただし?」

「マデリン姫泣かせたら、ただじゃあおかないからね!」

「わ、解った……」


 何泣きそうになってるのよ! 今の私がそんなに怖い顔してるっていうの!


「睨むなって。お前は一応美人だから、すごまれると俺でも」

「嘘付け! ギルバート!」


 ジョシュは残ってルイとギルバートと一緒に夕食を取り、私は戻りたくもない城へと戻ることに。

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