第7話

 避暑に向かう前に、民衆に手を振る。これは基本的な公務。

 民衆はこれから皇太子と皇太子妃は仲良く一緒に避暑に向かうと思っているだろうが、城壁を出てある程度進んだところで私は馬車を乗り換え、皇太子とは別の場所へ避暑に向かう。

 避暑は休みも兼ねている、そして暑いので体調を崩さないように、過ごしやすい場所へと向かう。皇太子は当然体の弱い愛妾アレナ嬢を連れて行きたいし、連れて行くらしい。

 というか、アレナ嬢は先に出発して馬車の乗り換え地点で待機しているそうだ。

 途中途中休憩を入れないと熱が出るんだって。大変な体だなあ……と健康その物の私は思う。

 歓声を通り過ぎ、街道の静けさに包まれてから、私は持って来た本を開いた。

 ちなみに私の目的地はギルバートの邸。

 ルイと一緒にいた頃は、夏から秋頃まで滞在していた。今回はルイの他にジョシュ、そして互いを知るためにとマデリン姫が来る。

 私はジョシュとマデリン姫の間を取り持つ役割を受け持つ予定だ。

 二人が仲良くなるも、ならないもどうでも良いが、久しぶりにマデリン姫に会えるのが嬉しい。マデリン姫は ”ネストール皇子と過ごさなくて良いの?” と尋ねて来たが、過ごす必要なんて無いんだよ。

 それらを嘘をついて誤魔化すのが非常に心苦しかった。

「ネストール皇子が提案してくれたの。マデリン姫がずっと邸に閉じ込められ……じゃなくて閉じこもってるって聞いて、心配したみたいよ。これを秘密にするのは、下手に事情を知っていて笑いものにしようという人が居ないとも限らないから」

 と、言うことで、ネストール皇子に良い人になってもらった。本当に心苦しいし、嫌だし、納得いかないけれども仕方ない。ネストール皇子なんて、このくらいしか使い道ないのも事実だが。

 ともかくマデリン姫は私にありがとうと言い、ロイズスは久しぶりに妹が外出できるように説得してくれてありがとう! と私に言い、

「あの元騎士との婚約は押し通すからな」

「うるせえ、ジジイ」

「皇太子妃がそんな言葉を……わっ! 悪かったから! 杖を構えるな! バネッサ!」

 トレミーは何か言ってた。知るか!

 標識が見えたので真剣に読んではいなかった本を手持ち鞄に入れ、降りる用意を始めた。


†**********†


 ……ここ、何処?

 見覚えない天井が視界に広がる。私は眠っていたのだろう。

 周囲を見ようと首を動かそうとしたら、激痛で動きが固まった。……切られたという痛みではなく、打撲の痛みが……あ、擦り傷の痛みが顔に。

 どういう事だろう?

 怪我をして少し記憶が無くなっている……らしい。

 ゆっくりと考えたら直ぐに戻って来るだろうと、私は痛みから気を逸らしながら考えた。

 今居る建物は訪れたことはない。

 窓から日差しが差し込んでくる。朝ではないが、昼前なのか昼過ぎなのかは解らない。夜に怪我をしたのだろうか? それとも昼に怪我を?

 私は確か……自分だけの目的地があって、それで……

 全てを思い出すどころか、全く思い出せていないところで扉が開いた音がした。どうしようかと考えて、まだ眠っているふりをすることに。

 自分が皇太子妃であることは忘れては居ない。この怪我を負った前後を忘れているだけ。

 もしかしたら誘拐されたのかもしれない。

 その場合は抵抗……抵抗?

 ともかく目を瞑り、手首の脈を計り、額の濡れタオルを新しくして、部屋に入ってきた人が出て行くのを待つ。

 手の感じからして、間違い無く男性。

 動くと薬の匂いがしたから、盗賊などではなさそうだ。

 扉が閉ざされ、向こう側から小さな声が……ネストール皇子の声のようだ。

”意識は?”

”まだ戻ってません。部屋から離れて下さい”

 意識不明になってたのか、私。

 ネストール皇子と会話していた、私の手首に触れた……恐らく医師なのだろう男の声に聞き覚えはない。

 聞き覚えがないということは、城にいる医師ではない。

 医師の顔と声は全員覚えている。……町医者? 皇太子妃の私が町医者にかかっている? そしてネストール皇子?


 身体中が軋むように痛いけれども、取り替えられた額の濡れタオルから香るこの匂いが……これは……それよりも喉渇いた……ああ、寝たふり……ではなくて、意識を失ったふりをするんじゃなかった!

 面倒だけれども、声を出して人を呼ぼう。

 体は打撲のせいか重くて動かない。

「だれか……」

 死にそうな弱々しい声が出た。

 風邪引いて高熱を出した時でももう少しまともな声だった記憶が。こんな声じゃあ、扉の外へと届かないかもしれない……こんな事ならさっき人が来た時に!

 そう思ったけれども、枕元に声を拾う管があって、それが院長室に繋がっていたのだそうだ。

 患者が入院用の部屋にいる際は、必ず人が待機しているのだそうで、

「目が覚めて良かったですね」

「痛くてたまりませんけどね」

 私は喉を潤すことが出来た。

 私の前にいるのは、この医院の院長。

 もちろん医院の医師はこの院長一人だ。ネストール皇子と私が別々の馬車に乗り換える予定だった街に住んでいる、東の国から来た医師。


 それで私の怪我の理由は、私が馬車から飛び降りたのが原因。

 私にそんな行動を取らせた原因はネストール皇子。


「まさか飛び降りるとは思っていなかったようですな」

「皇子のお気に入りは体の弱い方ですから、こんな行動を取ることはないでしょう。ですから思いつかなかったに違いありません」

 熱に浮かされつつ言いながら、体の弱い愛人なんて何の関係もないよね。


 私は馬車から飛び降りた。いや ”飛び落ちた” と表現した方がいいに違いない。何故私が走行中の馬車から飛び出したのか? 理由は簡単、馬車が止まらなかったからだ。

 街で止まり、私は違う馬車に乗り換える予定だったのに、馬車が止まらず走り続けた。

「皇子、馬車が止まらないのですが」

「馬車は止まらない」

 私は ”街で違う馬車に乗り換え、マデリン姫に会いに行く” つもりだったのだが、ネストール皇子が予定を勝手に変えたのだ。

「どういうおつもりですか!」

「どうも、こうもない。お前は私と共に避暑地へと向かう。当然のことだ」

 ネストール皇子がこれもまた勝手に決めたのだ。

 これが好意を持っている男がしたことなら許す……私は許さないけれど、普通のお姫様は許すにちがいない。話は逸れたが、好意を持っている相手なら 《サプライズ》 で済むが、私のようにネストール皇子に対して軽蔑しかない者にとっては鬱陶しい以外なにものでもない。

 それに連れて行かれた先に何があるか、解ったものでもない。多分自分勝手な「喜ばせる為のイベント」や「同じく喜ばせるための贈り物」などを用意しているかと思うと、虫酸が走る。

 喜ばせることも、楽しませることも、驚かせて笑わせることも、全て信頼から成り立つものであって、私とネストール皇子にはその土台がないから何を行っても駄目なのだ。

 こんな理不尽なことを黙って受け入れてやるつもりなどない私は、馬車の扉を開いて飛び出した。

「危ない!」

 そんな間抜けな叫びを聞きながら、地面に届いた所で気を失う。

 危ないことなんて知っている。

 死ぬかも知れないことなんて、理解している。

 命と引き替えにしても、あんたとなんか一緒にいたくない。それだけだ。


「まさかあの様な行動を取るとは」

「私も軽蔑しましたよ。全く……喜ぶとでも思ったのですか? 世の中の女は全て貴方の描いた贈り物やイベントに微笑むとでも? あんな行動をとって喜ばれると思えるとは……貴方の頭の中は常世の花畑ですか? ネストール皇子」

「常世とはなんだ? バネッサ」


 煩いなと思いつつ、鬱陶しいので目を閉じた。

 私はこの小さな街で夏の休暇を過ごすことになった。ネストール皇子には本来の避暑地へと向かう。

 マデリン姫と過ごせなかったのが残念で仕方ないが、怪我をしたなどと報告したくはないので……ああ、返す返すも憎たらしいネストール皇子。

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