君への嘘は贅沢品

どうしてもあの男の隣にいたいと思ったのだ。

いや、いなければいけなかった。

電話口であの人は声だけ上機嫌にしてみせるけれど決まって目線が死んでいる。

お義父さまは体格が良く強面で気難しそうで、不躾ながらあの人とあまり似てないと思った。

きっとお義母さま似なのだろう。

何の因果か、お義母さまとわたしは一度も顔を合わせたことがないので、憶測の域を出ないけど。

曰く、お義母さまは自分の都合を他者のために譲歩できない性質で、どうしてもわたしと入れ違いになるらしい。


義弟さんはあの人と年齢が二十歳以上離れていて、並んだ絵面は兄弟というより親子と言い換えた方がしっくりくる。

義弟さんは明るく人懐っこい性格で、どんなときでも機嫌が良さそうに薄く笑っていた。

しかしそう顔を合わせることもなく、家族とは言え他人であるので知っているのは名前くらいだった、今日までは。

夕陽が落ちて辺りが暗くなっていく時間帯に用事を終えて帰宅すると、玄関の前に義弟さんがいたのだ。

ドアの前で体育座りをしていて、わたしは無視をするのも何となく気が引け声を掛けた。


振り向いた義弟さんは僅かに頭を揺らし、わたしに気づくと天使のような微笑を向ける。

「よかったよかったよかったよかった!」

「……どうしたの?ずっとそこにいると身体が冷えるわよ。風邪引いたら困るでしょ」

「ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさい。あの、あのあのあの。ごめんなさい。あのですね、家の鍵を無くしちゃって!中に入れなくて」

「ああ……」

困り果てたような顔をして、わたしを見つめる義弟さんに嘘を吐いている様子は無い。

仮にも旦那の血縁者なのだ。少し悩んだが、このまま放ってもおけないだろう。

誘拐でもされて後々面倒になる方が嫌なのだ。


「家族なんだから部屋くらい使わせてあげる。早く入りなよ」

義弟さんは笑顔のまま、わたしの言葉を噛み締めるように何度も頷いた。

義弟さんは家の中に入ると借りてきた猫のように大人しくなる。いつもそうだ。

夕食を出して、ミントグリーンのソファーに座らせれば、あとは放置しても問題ないだろう。

わたしには義弟さんの子守り以外にまだやることが色々とある。わたしは子供が苦手だ。

「ダメよ、えーちゃん。ワガママ言わないの。親だって子供を選べないのよ」

知らない女の声だった。キッチンからコーンスープを持ってきて、口に運ぶ。塩っぱくて変な味がした。


しばらく没頭していたが、作業の目処がついたところで時間を確認する。

机に置かれたアイスコーヒーを飲んでクールダウンすると、改めてあの人の両親に申し訳なくなった。

きっとわたしだけが悪いわけじゃない。

どうして気づかなかったのだろう。

さっさと実家に電話をかけるべきだった。

たった一人で、子供の面倒なんて見れる訳ないじゃないの。

椅子がガタリと揺れるのも構わずに立ち上がって、リビングに様子を見に行く。

義弟さんはまだ起きていて、同じ場所に腰を下ろしたまま、わたしの方へ視線だけを寄越した。相変わらず、口元の笑みは剥がれない。


「寝ていても良かったのに」

「えーとえーと、はいはいはい、あのあのあの、おかわりを!ください!お願いします!お願いします!ありがとう!」

落ち着きない喋り方から義弟さんの育ちの悪さが滲んでいる。

彼の両親は子育てに失敗したんじゃないのか?

心の中で毒づきながらわたしは何度か浮かべた笑みが破錠しそうになった。

「可哀想に。きみは本当にロクデナシだな」

うるさい。部外者が知ったような口をきくな。

そんな事を思いながらわたしは意識を手放したのであった。


「はーちゃん。ねーねー、はーちゃん。はーちゃんはーちゃんはーちゃん」

「はいはい。どうしましたか」

はーちゃんの低く穏やかな声は、心の中まで染み込んでくる感じがして、優しい気持ちになれる。

だから、大好きだ。

誰かが吹いてるのか、どこか遠くからトランペットの音色が聞こえてくる。

その旋律をハミングでなぞり、わたしは牛乳パックにストローをさす。

中身をちうちう吸いながら、最後に牛乳を飲んだのはいつだっただろうと記憶を遡った。

風もないのに、うすいカーテンが揺れる。

窓の外の景色が白い。


「すてき肉肉肉ステーキが食べたいでーす!」

わたしは空になった牛乳パックを握りつぶしながら、はっきりと言ってみせる。

純白の部屋には、はーちゃんとわたしが二人きり。

微生物汚染の原因となる他の人間は一人もいません。

わたしたちはついに、社会のために人類を生産するという過酷な運命から解放されたのだ!

その結果地球がどうなったか、本当は知っていたけど。

それは世間一般にとってただインモラルで、ひたすら悪だと理解していた。

「あー!カレーライス!わたしは!カレーライスが食べたいのだ!甘口のやつ!辛いの嫌でーす!舌がひーってなるのっ!いーや!」


「あれ、ステーキじゃなくて良いんですか?」

「それはさっきのお話!今はカレーライスが食べたいだけだけよー!にゃーにゃん!にゃっふふふふふ!」

「猫みたいだなぁ」

「んにー!かわいいでしょ!えへっ」

「まあな」

「にゃー!うにゃー!ふしゃしゃしゃー!」

爪を立てて、猫ちゃんのまねっこをしてみる。

最近のお気に入りだ。

はーちゃんの肩をカリカリと引っ掻いてみる。

ややあって、こちらを見たはーちゃんが笑う。

綺麗に笑い過ぎている。作り笑いな気がした。


「はーちゃん、わたしのこときらい?」

「なんで?」

「だって、今日もいっぱい嘘ついてるでしょ」

「そうかな。咲璃さんが思うよりもずっと、俺は咲璃さんが好きですよ。世界一愛してる。それに、咲璃さんは世間が言うほどおかしくも無いですよ。気にすんな。大丈夫大丈夫」

「ほんとー?」

わたし、人の忠告も聞かないの、人を愛することを知らない駄目なやつなんだよ。

世間という言葉を使われると、わたしは怯むしかなかった。いつだってそうだ。


「俺はどんなアンタでも愛してますよ。ずっと不安だったんですよね。だってそうでしょ?寂しくて寂しくて、みんな分かってくれないの。つらかったんですね。でも、俺の愛は嘘じゃないですよ。俺はアンタの全部を肯定する、出来る、してきたでしょ?だって、ねえ」

わたしを捉える男の瞳には、狂人特有の妄執の影がしっかりと宿っている。

完全燃焼の炎のような双眸。

みんな欺き続けて真にしたら良いんだよ。

そう付け足して、いつかの彼は青い眼を細めたのだ。

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