彼の足元には屍体が埋まっている
ハビィ(ハンネ変えた。)
本編
君がこちらを見たのはあの日だけ
「かあさん、ないてるの?おれのせい?おれがぜんぶわるいの?おれがしねばいいの?」
ぎゅって握られた手は小さくて暖かくて、ずっと繋いでいたかったんだけど、大好きなあの子は死んじゃった。
実の母親に殺されたんだってさ。
ぐちゃぐちゃ、ぐちゃぐちゃ、どろどろ。
わたしは寝室に鍵をかけて、ほとぼりが冷めるまでやり過ごそうとした。
大事なことは目を眇めて見る、わたしはいつだってそうしてきたのだ。
ドンドンと響くのは誰かが何かを叩く音。
「ずっと好きでした。今もそうです。愛してます。諦めようとしたのに……あんなに優しく声をかけて、可愛く抱きついてくるアンタが悪いんじゃないですか……」
気持ち悪い、とその時やっとそう感じたのだ。
目の前で喫煙をしていようが、至近距離で顔を覗き込んでこようが、全然動じたことは無かったのに。
夢に見るのはいつだって似たような光景だった。
今日は一段と懐かしいなぁと、わたしは夢の中でさえぼんやりしている。
あの男が何を考えていたか、わたしは知る由もないことだったけど、わたしは腐っても大人だから、彼とは幸せになれないと理解していた、立派なのです。
これは盲目していいことなんだけど。
本当にそうだろうか?
わたしが服飾関係の会社に就職したのは特に動機も無く、本当にたまたま採用されたからで、必要以上に就活を長引かせたくないという不純な理由だった。
販売職なので働く為に必要な資格など無かったことも大きい。
他人と関わるのは苦手だけど、生きる為にはお金が必要だからね。
笑顔がすてきね、とか知らないおばあさんや小さな子供にも褒められた。
職場の人間関係は良好だったし、看板娘でも気取ってみようかと調子に乗っていたのだ。
それなりに順調だった、あの時までは。
その日もいつものようにレジを締めて、家に帰ると玄関のドアの前に見知らぬ紙袋が置かれていた。
誰かの忘れ物だろうか。開いて確認すると包装紙に包まれた長方形の箱があって、ぴちっと貼られたテープに爪をひっかけて剥がすと中身はミニカーの五台セットだった。
意味がわからない。
箱はさらに薄いビニールで覆われている。
未開封なのは一目瞭然だ。
都会じゃないのに変質者だなんて、ましてわたしのような普通の人間に。
「そうやって現実から目をそらすな」
うるせえよ馬鹿、だなんて面と向かって言わない。
社交性とは本音を隠し続ける能力だ。
外では誰にも気付かれないように、ニコニコと取り繕っていたわたしは役者も向いていたのかもしれない。
それから二週間、見知らぬアドレスからメールが届くようになった。
俺だよ、俺。覚えてる?、まもなく終了!現金百万円プレゼント中☆、まだ怒ってるかな?どうしても話したい事がある。、早めに確認したんだけどメールできる?、【収入UP!】自宅で簡単副業を始めませんか?
どれもちょっとずつ不気味だったけれど、内容が支離滅裂だから読み飛ばしていたのだ。
そのうち、変なメッセージは他のSNSでも届くようになった。
週末には玄関の前に男児向けのおもちゃが置かれている。
わたしは三年前から一人暮らしで、子供はおろか恋人すら居ないはずなのに。
もしかしたら本当にストーカーで、わたしのことを探りに来ているのかもしれない。
捨てるのも面倒臭くて、おもちゃの箱は全て玄関に置きっぱなしだ。
もしもの時は証拠に使えたりしないだろうか。
自分の子供時代を思い起こしてみると、両親に知らない大人についていくと殺されると脅された記憶が蘇り、急に具合が悪くなる。
わたしはコーヒーでそれを流し込み、一息ついてから、ミントグリーンのソファーで横になった。
「誰だって自分だけが大丈夫ならいいんだろ」
アルコールでも無いのに、酔っている。
そうだ、たしかにわたしは夢に酔っていた。
「うなされてましたよ。大丈夫ですか」
瞼を持ち上げると見知った男が逆さまで、心配そうにわたしを見下ろしている。
宝石はダイヤモンドやサファイアなどの一般的に有名なものしか知らないが、彼の青く濡れた瞳もそんな艶美さが込められていた。
重く垂れ込めた雲の裂け目から夕焼けが滲んで見える。
春とも思えないような肌寒い日だったのに、わたしは汗をかいていた。
幼少期から馴染み深い大きな滑り台は、現在は使用禁止の張り紙が貼られている。
気がつくと児童公園のベンチで寝転がったまま気絶していたらしい。
俗に寝ていたとも言うのだが、身体は酷くだるかった。
「咲璃(さくり)さんは馬鹿なんですか。女性が外で寝るなんて危ないですよ」
「はーちゃん」
「……。はい、あなたのはーちゃんです。大丈夫ですか?風邪引いちゃいますよ。アンタは昔っから体調管理がなってないんですから」
はーちゃんが隣に腰を下ろす気配がする。
そしてわたしの頭に右手をのせた。多分きっと。
予測しか出来ないのは、ひらりと薄く光る蝶が目の前を横切ったからだ。
わたしは、はーちゃんのことが好き。
どれくらい好きかっていうとすごく好きだ。
具体的に言うと、給食の揚げパンよりもいっとう好き。美味しさに感動するレベル。
つまり、わたしはそのくらい自分の旦那のことを愛してるってお話だ。
「んあー、はーちゃんはーちゃんはーちゃん」
「はいはい、なんですか。はーちゃんここに居ます。そんなに呼ばなくても聞こえてますけど」
わたしは、はーちゃんの前だと思考が蕩けてしまい、否が応でも幼児退行気味になる。
香色の髪を梳くように頭を優しく撫でられた。気がする。
はーちゃんの手首からカチカチと時計の針が動く音が聞こえた。
わたしの旦那は左利きなのに、右手から時計の音が聞こえるなんて珍しいな、と考える。
「にゃーん」
猫の鳴き真似をしてみた。このまま、はーちゃんに飼われるにゃんこになりたいな。
はーちゃんじゃないものなんて、わたしはいらないのだ。
「最近、減り方おかしくないですか。デパスってそんなガバガバ飲むもんでもないでしょ」
「にゃふふふふふふ!ぎゅるるがー!あひー」
「聞こえてます?……ぁさん聞こえる?……あーあ、オー……スって、ずっとや……ない……」
ザザッとノイズが走って、音が近づいたり遠のいたりしている。
何を言っているのか分からないのに、一応喋ろうとしている意思は伝わることがおかしくて、わたしはきゃらきゃらと笑う。
ちゃんと起きているはずなのにずっと夢を見ているような奇妙な錯覚に陥る。
いつからか、わたしはずっとそうだった。
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