4話 終わりが来る

 屋敷の中のものが毎日減っていく。

 がらんとしてしまった廊下に立ち、私は辺りを見回した。心地よい暗がりを作っていた納戸の行李も、屋根裏の葛籠も、客間に積まれていた座布団もなくなった。

 この頃にはクダの気配は殆ど絶えていて、注意深く庭を歩くとようやくひとつふたつくらいの痕跡を見つけられるくらいになっていた。



「菫ちゃん。明日このお屋敷を取り壊すの」


 おやすみを言いに来てくれた犬飼さんが言った。

 私はお布団に寝たまま犬飼さんを見つめた。


「ここを売って引っ越すの」

「もうそんなことしなくていいだろ」

 父の声がした。

「お袋も施設に入ったし、古臭い因習は終わりだよ」

「この部屋に子どもがいるって体で演技してきたから、挨拶したくなっちゃって」

「やめてくれよ。そういうのはお袋だけで十分だ」

 父は鼻で笑い、そしてすぐに眉間にシワを寄せた。

 私は怒った父を見るのも初めてで、できるだけ身を小さくして布団の中で丸まった。

「ガキの頃からクダ家の子どもだって陰口叩かれて、こっちは参ってんだ。クダ家の奴に関わると殺されるっていうばかげた迷信だよ。親父の商売敵が死んだのも偶然だ。そんなもんもう誰も信じてない」

 父はイライラした手つきで私の鏡台に並んだ化粧品を手に取った。

「こんなものまで買ってきて、お前は大した役者だよ」

 それは私のお気に入りの、蓋のところに宝石みたいな石がはまったマニキュアだった。

 父はそれを乱暴にゴミ袋に放り込んだ。

 やめて!

 私は叫んだ。

 父は、犬飼さんが買ってくれたものをどんどんゴミ袋に詰めていく。犬飼さんも止めてくれない。

 やめて!捨てないで!私の宝物!!

「勿体無い。殆ど使ってないんだし、フリマアプリで売ればいいのに」

「使ってない?」

 父の手が止まった。

 父は薔薇色のチークのコンパクトを開いた。

 それは私がよくつけていたものだ。


「減ってる。使ったのか?悪戯はやめてくれよ」

「あたしじゃないわよ!」

「お袋の仕業かな……」

 二人は声を潜めて何事か話し合い、部屋を出ていった。


 私は泣きながらゴミ袋から宝物を取り出し、抱えて寝た。頭が痛い。何か思い出さなきゃいけないことがある。私は——。


 ——もう終わりだよ。早くこの屋敷を出て行かないと。


 クダが言った。


 奇妙な揺れで私は飛び起きた。

 地震かと思ったが、それは庭を我が物顔で行き交う奇妙な車のせいだとわかった。

 車にはシャベルが付いていて、それが、庭を掘り返していた。


「いいんですかあ?まだ荷物残ってますよお?」


 同じ服を着た何人もの人が屋敷の中を出入りしている。


 屋敷の塀のところに犬飼さんと父がいた。


「構わないから、中のものは全部処分してください」


 固い声で父が言った。


 帰って!来ないで!やめて!


 私は力一杯叫んだが、その人たちは土足のまま私の部屋に上がり込み、鏡台や机を運び出した。


 私は足元に縋り付いて止めようとしたが、誰もやめてくれなかった。


 ——もう遅い。お前は騙されたんだよ。


 クダが言った。

 男のような女のような、大人のような子どものような。そんな声でクダが言った。


 ——いつまで人間のフリをしているんだ。


 私は何歳だっけ?

 なんで私は学校に行っていないんだっけ?

 いつからこのお屋敷にいるんだっけ?

 私は——私は——。


 この屋敷は終わりだ。次の屋敷に移ろう。



 私の頭の中でクダの声がこだまし、そして視界が真っ白になった。


 夢の中で嗅いだ、獣の匂いが辺りに充満した。


 私は血で染まった口元を舐めた。

 私には牙がある。爪もある。

 この爪で、牙でこの屋敷に仇なすものを食い殺してきたじゃないか。


 私はクダ。


 人がそう呼ぶもの。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る