3話 薄れゆく楽園
朝になると窓ガラスに結露が目立つようになった頃、父が犬飼さんと一緒に屋敷に来た。
「結婚することにした」
父と話すのは久しぶりだった。
母がいなくなる前も、いなくなった後も、父は私との距離を測りかねているようだった。
ぎこちなく挨拶を交わし、ぎこちなく話をした。
私が楽しむ話はできないと思ったのか、いつしかそれさえなくなっていた。
「よかったね。わたしも嬉しいよ」
私は笑顔が不自然にならないように精一杯笑った。
父もぎこちなく笑った。目は合わなかった。
犬飼さんの香水が、屋敷中に漂っていた。
庭木が霜をかぶるようになっていた。
それまでゆったりと流れていた時間が、急に早回しになってしまったように感じる。
屋敷の中から、急激に暗がりが取り払われていった。
父と犬飼さんは「祖母が怪我をするといけないから」と使わない部屋にあった荷物を捨て、庭の石を片付け、蘇鉄の木を切った。
屋敷はぴかぴかになったけれど、私はなんだか落ち着かなかった。祖母は悲しそうに外を見ていた。気丈な祖母が何も言わないのが不思議だった。
犬飼さんは私に毎日話しかけてくれた。
お土産もくれた。
おはようとおやすみの挨拶もしてくれた。
犬飼さんは私のお母さん。
口に出して呟いてみた。あんなに楽しみにしていたのに、何故か胸が苦しくなった。
これでいいのだろうか?
庭の南天が真っ赤な実をつけた頃、祖母が倒れた。
祖母は赤く光るランプのついた車に乗せられてどこかに行ってしまい、帰ってこなかった。
老人ホームに入った。ここより暮らしやすいから。
父は短く説明し、忙しそうに部屋を出ていってしまった。
そこには私は行けない。
それだけはわかった。
祖母と会えないことがわかった日の夜、私は泣いた。泣きながら眠って、夢を見た。
夢の中で、私はクダと話していた。
クダの姿は見えず、声だけがした。
大人の声のようでも、子どもの声のようでもあった。
もうこの屋敷は駄目だ。
お前も早く出て行かないと。
出ていくってどこに?
尋ねようとして目が醒めた。
犬飼さんの香水とは違う、なにかのにおいがした。
いい香りではないけれど落ち着くにおいだった。
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