第六話、夏の終わり

 京都、二日目。まずは清水寺ではなく、近くにある伏見稲荷大社ふしみいなりたいしゃに行った。伏見稲荷は、千本鳥居せんぼんとりいという鳥居がズラーッと並んでいるところが有名な神社。

「うわあ」

 赤い鳥居がズラーッと並んでいる。見る角度によっては、隙間すきまがなくなるほど。それは、もう、この世のものとは思えなかった。なんだか、異世界への入り口みたいだ。

「すごいね」

 くっちゃんも、この赤い異世界に圧巻あっかんされていた。

「ねー。すごくきれい」


 次に清水寺。僕ら兄弟たちは、清水寺の中を元気に駆けていた。観光客が多い中、人や柱をけながら。僕も駆けていたが、途中でくっちゃんの存在に気づき、スピードをゆるめた。

 僕らがそんなにはしゃいでいる理由は、ただ一つ。この先にあるは、かの有名な清水の舞台。

 弟たちに送れて来た僕の目の前には、日本人ならだれしもが見てみたい絶景が、広がっていた。

 写真で見たときとは違う迫力。感じるものもちがう。木々の葉の色は緑。この緑という色は、老いぼれた木材を若々しく彩ってくれる。春や秋とはまた違う、この風景。

 くっちゃんを両手にのせ、この絶景を肌で感じさせた。僕もこの絶景を目に焼きつけた。でも、これは一生忘れることはないだろう。


 清水寺の絶景を味わったあとは、清水坂で買い物をした。親戚や友人などへのお土産みやげのため、京都名物八はしを大量に買った。僕個人のお土産としては、京都のご当地キーホルダーや京都に行ったら欲しかったものを買った。


 もちろん、今日の事も日記に書き留めた。


京都、三日目。最終日のこの日は、金閣寺と東山慈照寺じしょうじ(銀閣寺)に行った。金閣寺は金箔きんぱくが輝いていてとても豪華だった。天気も良く、池に写る金閣寺も見ることができて、みんなよろこんていた。慈照寺は、金閣寺とはちがって、とても落ち着いていた。ゆったり、のんびりできるこの空間は、金閣寺よりも好きだ。でも、弟たちは、金ピカな金閣寺よりも地味な慈照寺に飽きている様子だ。僕はこの地味さが好きなんだけど。

 

 慈照寺も見終わり、もう家に帰るのだ。

 しんみりする瞬間。それは、遠出の旅行から帰るとき。いろんなところを巡って、歩いて、その疲労のピークを迎えるのがこの帰りの新幹線に乗っているとき。座席の椅子にこしを下ろしてまもなく、これまでの消耗しょうもうエネルギーが一気に還元かんげんされる。


 夏の旅行が終わると、夏の終わりを感じる。夏が終わる。夏が終わる。梔子の花も、くっちゃんも。

 そういえば、今日のくっちゃんは静かだった。彼女を両手にのせた。とても疲れたようだ。ぐったりしている。

「くっちゃん、大丈夫?」

「……うん、大丈夫」

 彼女の声は、だいぶ弱くなっていた。そして、着ているワンピースは、黄ばんでいた。枯れる。くっちゃんは、梔子の花のように、枯れてしまう。


 それから、三日が経つ。くっちゃんは、服だけでなく、髪や肌まで黄色くなった。そして、服は茶色く、しわしわになっていた。くっちゃんの死が急速に迫ってきていた。僕は猛烈に寂しくなって、悲しくなって、涙が止まらなくなった。

 この黄ばんで、しわしわになっていく

くっちゃんの絵を日記に描くことにした。

今日のことを書く予定のページの右側。そこに、小さいくっちゃんを描く。見ながら描くので、弱っていくくっちゃんをずっと見続けなければならなかった。正直、つらかった。心臓が破裂してしまいそうだった。

 輪郭りんかくは描けた。でも、それではよくわからないから、色鉛筆で色をぬった。これでいいと思う。なんだか、自分の

一生分の仕事をこなしたかのような気分になった。くっちゃんがいなくなったら、僕はどうなってしまうのだろう。

 そのとき、ドアがノックされた。そして、ろうがはいってきた。

「……兄ちゃん?」

「あ、ろう」

「大丈夫? ……その子」

 ろうにも、くっちゃんのことがバレてしまった。しかし、もうどうでもよかった。

 僕の目からは、涙がぶわっとあふれて出てきた。水風船を破裂させたかのように、一気あふれ出してきた。しかし、一瞬の出来事ではなく、継続的にどんどん、あふれ出てくる。少しも止まらない。

「……、全然大丈夫じゃない。たぶん、明日には死んじゃう」

 どうしようもなかった。その運命は変えられない。くっちゃんは明日死ぬ。僕はただ、その現実をちゃんと受け止めることしかできなかった。死というものは、先送りにも、なかったことにもできない。悲しいけど、しかたがない。

「兄ちゃん」

 それでも、悲しくて、悔しくてしょうがなかった。僕は、ろうの大きな体にしがみついて、顔をつっぷして泣きつづけた。ろうは、僕の背中をやさしくさすってくれた。普通、立場がちがうと思った。本来の立場は、弟が泣いてすがりついて、それを兄がなぐさめる。でも、僕らの場合は逆だった。兄であるはずの僕が、弟に泣いてすがりつき、弟であるろうに、なぐさめられている。実際に僕の方が早く生まれている。でも、体の大きさといい、心の強さといい、僕は自分が兄だとは思わなかった。ろうが長男で、僕が次男。そう思っていた。ろうに兄ちゃんと呼ばれるのに違和感を感じた。ずっと、ずっと。

 こんな情けない兄でごめん。兄らしいことなんて何一つとしてやっていない。理想のお兄ちゃん像に、何一つとしてあてはまっていない。

 なんなんだろう。僕って。『○○らしさ』なんてのに、ハマったことは、一つもなかった。兄らしくも、男らしくも、小五らしくもない。でも、幼い子供らしくもない。変な子どもだよ。だから、まわりの目は冷たくて、だれも相手にしてくれなくて、学校でもひとりぼっち。みんなみたいに、普通じゃなきゃだめなんだ。ごめん、ごめんね。


『くっちゃんは、おそらく明日、死んでしまう。そしたら、僕はどうしていけばいいんだろう。くっちゃんは死んでしまっても、僕はまだ生きている。十年、二十年、三十年、ずっと生きてきかなければならない。

できるかな? 僕なんかに』


 翌日。僕は、梔子の花畑に来た。花畑は、ひどいありさまだった。真ん中の木を取り囲む低木の花は、全てがしわしわに枯れ果てて、散っていた。低木は、緑の葉っぱのみになっていた。真ん中の木も、ほとんどが枯れ散っていた。残っているわずかな花も、しわしわで、今にも散りそう……。

「あっ」

 一つの花が、散ってしまった。他の花も、同じように散っていく。

 僕はくっちゃんを、低木の前に置いた。すると、もとの大きさになった。彼女の服はしわしわ。髪の頭のところから茶色くなっている。

「……ゆうくん」

 くっちゃんが、まったくはじけていない声で僕を呼んだ。

「わたしはもうすぐで死ぬ。その前に、君をお家(うち)に帰さないといけない」

「え、なんで。イヤだよ。僕は最後まで見届けたい」

 くっちゃんは、首を横に振る。

「だめだよ。わたしが死んだら君、どうやって帰るの? ここから、君の家まではものすごく遠いし、ここは森の中、魔法も何にもない状態で一人で行くのは危険だよ。わたしが死んだら、魔法なんて使えない。だから、その前に家に帰したい」

 何か反論したかった。でも、できなかった。

 僕のほっぺに、くっちゃんの手が触れた。

「そうだ。最期さいごにいいこと言ってあげる」

 彼女はニコッと笑った。

「前を向いて。わたしが死んでも、他に何かつらいことがあったとしても。前を向いて。ゆうくんは、とても素晴らしい存在。君は君らしく、まっすぐ進んでいけばいい。他の人のことなんて気にせずに、まずは自分の心のままに生きればいいの。たった一つの命。どうせ死んで終わるんなら、自分のやりたいことを存分にやればいい。自分に胸を張って生きて」

 僕は、彼女の言葉をしっかり受け止めた。

「じゃ」

 くっちゃんは、僕の体を全身で包んだ。

「さよなら」


 僕は、自分の部屋のベッドの上に横になっていた。僕はさっきまで、何してたんだろう。体を起こし、ベッドから出た。机の上には、ノートが置いてあった。

 『くっちゃんノート』

 この夏休みに、くっちゃんという子と過ごした日々が書かれている。僕が書いたのか。その最終日にはこんなことが書かれていた。


『最終日。

 今日、くっちゃんが死んでしまった。梔子の花のように枯れてしまった。悲しかった。

彼女は、最後にこんな言葉をのこした。

 「前を向いて」

「他人のことは気にせず、自分の心のままに生きればいい」

「胸を張って」 』


これで終わりなのか。と寂しく思い、次のページをめくった。

『ゆうくん、ありがとう』

 真っ白だと思っていたこのページには、こんなことが書かれていた。



 ひとりになった、梔子の少女。母体の花も、あとひとつとなった。彼女の目には涙が浮かんでいた。しかし、口は笑っていた。もう、動く力もなくなっていた。彼女は覚悟した。そして、彼女の肌までもが、枯れてしまった。彼女は、一ミリも動くことはなくなっていた。あとひとつの花も、しわしわになり、地面に落ちていった。梔子の少女の命は、梔子の花とともに、枯れ、散ってしまった。


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梔子のくっちゃん 桜野 叶う @kanacarp

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