第六話、夏の終わり
京都、二日目。まずは清水寺ではなく、近くにある
「うわあ」
赤い鳥居がズラーッと並んでいる。見る角度によっては、
「すごいね」
くっちゃんも、この赤い異世界に
「ねー。すごくきれい」
次に清水寺。僕ら兄弟たちは、清水寺の中を元気に駆けていた。観光客が多い中、人や柱を
僕らがそんなにはしゃいでいる理由は、ただ一つ。この先にあるは、かの有名な清水の舞台。
弟たちに送れて来た僕の目の前には、日本人なら
写真で見たときとは違う迫力。感じるものもちがう。木々の葉の色は緑。この緑という色は、老いぼれた木材を若々しく彩ってくれる。春や秋とはまた違う、この風景。
くっちゃんを両手にのせ、この絶景を肌で感じさせた。僕もこの絶景を目に焼きつけた。でも、これは一生忘れることはないだろう。
清水寺の絶景を味わったあとは、清水坂で買い物をした。親戚や友人などへのお
もちろん、今日の事も日記に書き留めた。
京都、三日目。最終日のこの日は、金閣寺と東山
慈照寺も見終わり、もう家に帰るのだ。
しんみりする瞬間。それは、遠出の旅行から帰るとき。いろんなところを巡って、歩いて、その疲労のピークを迎えるのがこの帰りの新幹線に乗っているとき。座席の椅子に
夏の旅行が終わると、夏の終わりを感じる。夏が終わる。夏が終わる。梔子の花も、くっちゃんも。
そういえば、今日のくっちゃんは静かだった。彼女を両手にのせた。とても疲れたようだ。ぐったりしている。
「くっちゃん、大丈夫?」
「……うん、大丈夫」
彼女の声は、だいぶ弱くなっていた。そして、着ているワンピースは、黄ばんでいた。枯れる。くっちゃんは、梔子の花のように、枯れてしまう。
それから、三日が経つ。くっちゃんは、服だけでなく、髪や肌まで黄色くなった。そして、服は茶色く、しわしわになっていた。くっちゃんの死が急速に迫ってきていた。僕は猛烈に寂しくなって、悲しくなって、涙が止まらなくなった。
この黄ばんで、しわしわになっていく
くっちゃんの絵を日記に描くことにした。
今日のことを書く予定のページの右側。そこに、小さいくっちゃんを描く。見ながら描くので、弱っていくくっちゃんをずっと見続けなければならなかった。正直、つらかった。心臓が破裂してしまいそうだった。
一生分の仕事をこなしたかのような気分になった。くっちゃんがいなくなったら、僕はどうなってしまうのだろう。
そのとき、ドアがノックされた。そして、ろうがはいってきた。
「……兄ちゃん?」
「あ、ろう」
「大丈夫? ……その子」
ろうにも、くっちゃんのことがバレてしまった。しかし、もうどうでもよかった。
僕の目からは、涙がぶわっとあふれて出てきた。水風船を破裂させたかのように、一気あふれ出してきた。しかし、一瞬の出来事ではなく、継続的にどんどん、あふれ出てくる。少しも止まらない。
「……、全然大丈夫じゃない。たぶん、明日には死んじゃう」
どうしようもなかった。その運命は変えられない。くっちゃんは明日死ぬ。僕はただ、その現実をちゃんと受け止めることしかできなかった。死というものは、先送りにも、なかったことにもできない。悲しいけど、しかたがない。
「兄ちゃん」
それでも、悲しくて、悔しくてしょうがなかった。僕は、ろうの大きな体にしがみついて、顔をつっぷして泣きつづけた。ろうは、僕の背中をやさしくさすってくれた。普通、立場がちがうと思った。本来の立場は、弟が泣いてすがりついて、それを兄がなぐさめる。でも、僕らの場合は逆だった。兄であるはずの僕が、弟に泣いてすがりつき、弟であるろうに、なぐさめられている。実際に僕の方が早く生まれている。でも、体の大きさといい、心の強さといい、僕は自分が兄だとは思わなかった。ろうが長男で、僕が次男。そう思っていた。ろうに兄ちゃんと呼ばれるのに違和感を感じた。ずっと、ずっと。
こんな情けない兄でごめん。兄らしいことなんて何一つとしてやっていない。理想のお兄ちゃん像に、何一つとしてあてはまっていない。
なんなんだろう。僕って。『○○らしさ』なんてのに、ハマったことは、一つもなかった。兄らしくも、男らしくも、小五らしくもない。でも、幼い子供らしくもない。変な子どもだよ。だから、まわりの目は冷たくて、だれも相手にしてくれなくて、学校でもひとりぼっち。みんなみたいに、普通じゃなきゃだめなんだ。ごめん、ごめんね。
『くっちゃんは、おそらく明日、死んでしまう。そしたら、僕はどうしていけばいいんだろう。くっちゃんは死んでしまっても、僕はまだ生きている。十年、二十年、三十年、ずっと生きてきかなければならない。
できるかな? 僕なんかに』
翌日。僕は、梔子の花畑に来た。花畑は、ひどいありさまだった。真ん中の木を取り囲む低木の花は、全てがしわしわに枯れ果てて、散っていた。低木は、緑の葉っぱのみになっていた。真ん中の木も、ほとんどが枯れ散っていた。残っているわずかな花も、しわしわで、今にも散りそう……。
「あっ」
一つの花が、散ってしまった。他の花も、同じように散っていく。
僕はくっちゃんを、低木の前に置いた。すると、もとの大きさになった。彼女の服はしわしわ。髪の頭のところから茶色くなっている。
「……ゆうくん」
くっちゃんが、まったくはじけていない声で僕を呼んだ。
「わたしはもうすぐで死ぬ。その前に、君をお家(うち)に帰さないといけない」
「え、なんで。イヤだよ。僕は最後まで見届けたい」
くっちゃんは、首を横に振る。
「だめだよ。わたしが死んだら君、どうやって帰るの? ここから、君の家まではものすごく遠いし、ここは森の中、魔法も何にもない状態で一人で行くのは危険だよ。わたしが死んだら、魔法なんて使えない。だから、その前に家に帰したい」
何か反論したかった。でも、できなかった。
僕のほっぺに、くっちゃんの手が触れた。
「そうだ。
彼女はニコッと笑った。
「前を向いて。わたしが死んでも、他に何かつらいことがあったとしても。前を向いて。ゆうくんは、とても素晴らしい存在。君は君らしく、まっすぐ進んでいけばいい。他の人のことなんて気にせずに、まずは自分の心のままに生きればいいの。たった一つの命。どうせ死んで終わるんなら、自分のやりたいことを存分にやればいい。自分に胸を張って生きて」
僕は、彼女の言葉をしっかり受け止めた。
「じゃ」
くっちゃんは、僕の体を全身で包んだ。
「さよなら」
僕は、自分の部屋のベッドの上に横になっていた。僕はさっきまで、何してたんだろう。体を起こし、ベッドから出た。机の上には、ノートが置いてあった。
『くっちゃんノート』
この夏休みに、くっちゃんという子と過ごした日々が書かれている。僕が書いたのか。その最終日にはこんなことが書かれていた。
『最終日。
今日、くっちゃんが死んでしまった。梔子の花のように枯れてしまった。悲しかった。
彼女は、最後にこんな言葉をのこした。
「前を向いて」
「他人のことは気にせず、自分の心のままに生きればいい」
「胸を張って」 』
これで終わりなのか。と寂しく思い、次のページをめくった。
『ゆうくん、ありがとう』
真っ白だと思っていたこのページには、こんなことが書かれていた。
ひとりになった、梔子の少女。母体の花も、あとひとつとなった。彼女の目には涙が浮かんでいた。しかし、口は笑っていた。もう、動く力もなくなっていた。彼女は覚悟した。そして、彼女の肌までもが、枯れてしまった。彼女は、一ミリも動くことはなくなっていた。あとひとつの花も、しわしわになり、地面に落ちていった。梔子の少女の命は、梔子の花とともに、枯れ、散ってしまった。
梔子のくっちゃん 桜野 叶う @kanacarp
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