第三話、うちに来た

『二日目。くっちゃんに見せようと、花の図鑑ずかんを持っていった。……』

 

 図鑑を袋の中にいれ、それを両手で抱え、走っていた。わくわく感が止まらなかった。とても楽しみだった。今日もあのはじけた笑顔に会える。心とともに、足まではずんでいた。今日もあの匂いがあった。くっちゃんの魔法だ。でも、僕自身は魔法にかかっているという感覚はない。くっちゃんが放つこの匂いは、僕を彼女のもとへみちびく。


 昨日と同じ、梔子の花畑のところへやってきた。やっぱり、スピードが速くなったとか、そういうのは感じなかった。

「おはよう、ゆうくん」

 今日も彼女はかわいい笑顔を見せた。

「おはよう、くっちゃん。今日はいいもの持ってきたよ」

「え! なになに?」

 図鑑を袋から出し、くっちゃんに見せる。

「じゃーん、花図鑑」

「えー! すごいすごい!」

 くっちゃんのリアクションは、とてもオーバーだ。

 僕は彼女のところへ近づいた。彼女も僕のところへ飛んできた。図鑑を開き、一緒に見る。

「わあ、素敵。いろんなお花があるんだね。

ねえ、これ、梔子にそっくりじゃない?」

 彼女が指さしたのは、バラ。たしかに、八重咲きの梔子は、バラににている。彼女は、梔子以外の花を知らないんだろう。僕の場合は梔子を白いバラににているなと思ったが、彼女は逆だった。そりゃあ、そうだとは思うけど。

 どんどん、図鑑のページをめくっていく。どの花も魅力みりょく的で、きれい。二人で「きれい」「素敵」「いいね」などと言っていた。この図鑑に掲載けいさいされている全ての花にそう言っているだろう。実際、全ての花がきれい、素敵、よいもの、なのだ。

「あ、これ、梔子だ」

「わぁ、ほんとだー」

 くっちゃんの母体でもある梔子の花が掲載されていた。

「へー、梔子にもいろんな種類があるんだね。これなんか、あれとは全然違う」

「この種類は八重咲きじゃないんだよ。でも、おもむきはあるよね」

「まあ、たしかに」

 僕は幼いころから花に興味をもち、いろいろ調べてきた。特に好きな梔子は、一番調べているから、なんでも知っていた。もちろん、花言葉も多く知っている。梔子の花言葉は、『幸せを運ぶ』、『洗練せんれん』、『優雅』などとても幸福で、きらびやかな言葉ばかり。しあわせな匂いの、みやびな形の花にまさにぴったりな言葉たち。素敵だ。僕の心ははずんでいた。

 

「あー、おわったー」

 想定していたよりも、早く終わってしまった。全てのページを見終えると、くっちゃんは全身をぐーっと伸ばして、そのまま横になった。そして、すぐに僕の背後にまわり、抱きついた。その瞬間から、僕の心臓が固まり出した。緊張しているのか。知らない無人島かなんかに漂着ひょうちゃくし、SOSで助けを求めているかのように、落ち着きのなく、休むこともなく必死に動いていた。なんだ、なんだこれは。息も荒くなっている気がする。でも、くっちゃんはそんなことなど全く知らず、強く密着みっちゃくしていた。両手はかたを通りこして、ひじの関節をげ、僕のほっぺに触れていた。それぞれの人差ひとさし指で押していた。

「ゆうくんのほっぺたは、ぷにぷにしてて気持ちいいのよ」

 彼女はとてもしあわせそうだ。でも、僕は必死だった。心臓が破裂はれつしてしまいそうだ。

こんなこと初めてだ。彼女の体は、やわらかくて、あたたかい。そして、やさしい。お母さんみたいだ。お母さんにくっついたときみたいに、やわらかくて、あたたかくて、やさしい

感じがした。とても落ち着くそう思うと、少し落ち着いてきた。そういえば、お母さん以外の女性と密着したことはなかった。姉や妹もいないから、女の人と関わることはなかった。学校の先生や女の子くらい。でも、みんな近い距離ではない。女の子と近い距離になったのは、くっちゃんが初めてかもしれない。だから、慣れなくて、弱い。でも、イヤでもないので、されるがままでいた。


『くっちゃんは、僕のほっぺを好き勝手に触り続けていた。』



『三日目。朝まだ寝ている時、くっちゃんの声がした』


「ゆうくん。ゆうくん」

 目を覚ますと、そこにはくっちゃんがいた。

「んー、くっちゃん。どうしたの?」

「来ちゃった。ひとりぼっちは寂しいし、ずっとゆうくんのそばにいたいから」

 寝ぼけていた僕は、やっと状況が理解することができた。

「え! ちょっと待って。無理だよ。あまり君のことを知られたくないし」

「大丈夫よ……」

 くっちゃんが言い終わらないうちに、ドアが開いた。

「兄ちゃん」

 ろうだった。ろうの部屋はとなりだ。

 ヤバイと思って周囲をみるが、くっちゃんは見当たらない。

「丸聞こえだったんだけど、誰と話してるの?」

「あー、ごめん。よく覚えていないや。寝ぼけてたかもねー」

 ここは、寝ぼけてたと言い訳をし、とぼけたふりをしてみせた。

 しかし、ろうには通用しなかったようだ。

「いやいや、めっちゃはっきり言ってたし。ぼけてる感じじゃなかったよ」

 ろうはかしこいな。ちょっとのウソは通じない。……どうしよう。ヤバイ。

「まぁ、それは聞かなかったことにして。他のみんなには内緒ないしょにしてね」

 開き直って、なかったことにさせ、口封じさせた。ろうはあきれた顔になっていた。

「さあさあ、朝ごはんが出来たかもよ。早くいこ」

 僕は強制きょうせい的にろうを連れ出し、リビングに降りた。

「おはよう、お母さん」

「あーおはよう。ちょっとまって。もうすぐで出来るから」

 朝ごはんはまだできていなかった。

「まだ、出来てないじゃん」

「もうすぐ、だから」

 そう言って、テレビをつけた。毎朝見ているニュース番組にした。ちょうどスポーツのニュース、昨日のプロ野球の試合の特集がやっていた。ろうは野球のクラブに入っている。今週の土曜に試合がある。家族みんなで応援に行く。もちろん、僕も。

 トイレに行くと、ズボンのポケットから、小さくなったくっちゃんが出てきた。

「わぁ、くっちゃん。小さくなったの?」

「うん。こんなこともできるのよ」

「すごいね」

「うふ。だから安心して」

「……この、小さくなるのって、どれくらいまでいけるの?」

「これが限度ね」

 なるほど。

「あのさ、くっちゃん」

僕はトイレのドアを開けながら言う

「出てってくれない?」

「え、なんで」

 もちろん、トイレで用を足すため。さすがに女の子のいる中で下を脱ぐなど、僕には出来ない。くっちゃんをトイレの外へ、無理やり追い出した。

 用を足し終えたので、トイレの外に出た。くっちゃんは、ふてくされて壁にもたれて座っていた。

「ごめんごめん」

 そう言って、小さな彼女の前に両手を差し出す。くっちゃんは笑顔になり、両手の中に入った。僕はくっちゃんをポケットの中に戻しリビングへ戻る。

「朝ごはんできたよー」

 僕は引き返し、手を洗って。朝食を取った。


『くっちゃんがうちに来たときは驚いた。ろうにバレそうになったし、小さくなった。くっちゃんは、不思議なことが多い』

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