第1章③

[みさき]



 ひと晩っても、頭の中から昨日の志乃莉の声が消えない。

 ──わたしとつき合ってるのがずかしいから、だれにも言いたくないんでしょ。

(そんなこと、思ってるわけねえだろ)

 志乃莉は、口下手な俺の話も、いつしようけんめい聞いてくれて、笑ってくれる。

 そんな彼女だからこそ好きになったのだし、大切に思っている。

 俺が守ってやらなくてはと、そう考えていただけなのに……。

 ──そんなふうに思われてたんだな、俺って。

 たったそれだけ言ったところで、伝わるはずがなかったのだ。

(口下手も、ここまでくるとじゆうしようだな)

 昨夜ゆうべは、停電のせいでバイトも早めに終わったから、謝る時間はいくらでもあった。

 それなのに──。

 起きけの俺は、なんの通知も届いていないスマホを見つめて、肩を落とした。

「ごめん」と言えず、意固地になってしまっていた。

 そのくせ今は、「ごめん」を言えずにこうかいしている。

(志乃莉に会ったら、すぐに謝ろう)

 そうすればぜんぶ、元通りだ。

 弁当を受け取りに、俺は公園へと急ぐ。

 ところが、約束の場所、毎日ふたりで会うことになっている東屋には、木の葉の影がちらつくばかり。

(……まだ、怒ってるのか)

 志乃莉がれんらくもなく来なかったことなんて、つき合い出してからはじめてだった。

 いずれにせよ、学校に行けば元気な志乃莉に会えるはず。

「ごめん」とひと言謝って、また明るい笑顔が見たい。

 気を取り直して、俺は学校に向かうことにした。

 だが、しかし。



 教室に入って最初に覚えた違和感は、廊下側の最後列に、志乃莉の机がないことだった。

「……?」

 いぶかしく思っていると、えいこが教室に入ってくる。

「おっ、おはよ」

 えいこにおはようと返すのも忘れ、俺はなにもない空間を指した。

「ねえ、なんで二渡の席、ないの?」

「えっ?」

「だから、二渡志乃莉、どこ行った?」

 重ねて問うと、えいこはしんげな顔をして、俺に「……誰?」と聞いた。

「は? 『誰』……?」

 長くつるんでいるわけではないが、えいこが悪いやつでないことはわかる。

 そのえいこが、仮にもクラスメイトの女子を、「誰?」なんて言うだろうか?

(なにかおかしい)

 ただならぬ事態だと、本能のようなものが告げている。

 教室の端、ぽつんと座る國土なるこに歩み寄り、俺は強い口調で聞いた。

「二渡志乃莉の席、どこ?」

 びくりとかたをこわばらせた彼女は、ぎりぎり聞き取れる小声で言った。

「……ごめんなさい、知らないです……」

「知らないです、って……だって、仲よくしてた……!」

 彼女にめ寄る俺の言葉を、「おい、みさき」と澄夫がさえぎる。

こわがっちゃってるやん、やめとき」

 やめておけ、と言われても。

 だったらどうすればいい、どうすれば志乃莉に会える?

 がくぜんとしているところに、志乃莉の幼なじみが姿を見せた。

「大地!」

 クールを通りし、無気力だの根暗だのという形容のほうがしっくりくるクラスメイトだ。ろくすっぽ話したこともないけれど、気にしている場合ではない。

 つかみかかるような勢いで、俺は大地を問いただした。

「志乃莉、わかるよな」

「あ? 誰だよ」

「幼なじみじゃん」

「知らねえよ」

「家もとなりじゃん!」

 志乃莉のそばにいられるおまえをうらやんだことが、何度あると思ってる?

 それなのに、大地は答えようともしなかった。彼がうっとうしそうに顔をしかめたところで、すぐそばの席の鶴江が本気でめいわくそうに言う。

「あの、静かにしてもらってもいいですか」

 えいこが、「おこられてやんの、みさき」と俺を笑う。

 頭の中が真っ白になって、俺は教室を見回した。

「……どうなってんだよ?」

(そうだ……志乃莉本人に連絡してみればいいじゃないか)

 思いついた俺は、スマホを手に教室を出て、志乃莉の電話番号をタップした。

 コール音のあとすぐ電話に出たのは、聞き慣れた声だ。

『みさきくん……!』

「志乃莉!? ……よかった、つながって」

 あまりのあんに、ろうかべにもたれかかる。

 しかし、電話の向こうの志乃莉の声は不安げだ。

『おかしいんだよ、学校が変なの』

「え、学校にいんの?」

『うん……』

「どこ?」

『廊下のき当たりの、テラスにいる』

「待ってろ、すぐ行く」

 電話をつないだまま、俺は走った。

 教室が並ぶ廊下の突き当たり、とうめいなガラスのドアを抜け、テラスへと出る。

(どこだ、志乃莉……)

 だが、テラスをわたしてみても、彼女の姿はどこにもなくて──。



[志乃莉]


 つながっている電話の向こうから、廊下を走る足音が聞こえる。

 電話口の、みさきくんの息は上がっていた。

(……走ってきてくれるんだ、わたしのために)

 パニック状態だった胸の中に、ぽっとあたたかいものがともる。

 少しだけ落ち着きを取りもどし、わたしはみさきくんを待った。

 ところが、電話の向こうから、みさきくんのいきづかい、テラスに出るドアを開ける音、屋外のざわめきは聞こえてくるのに、彼の姿は一向に見えない。

『着いたけど……』

 電話口のみさきくんは、まだ整わない息で言った。

「えっ、着いたって……」

 あたりに目を走らせる。

 でもやっぱり、彼の姿はどこにもない。

「なんで……?」

 また頭がパンクしそうなわたしの耳に、電話しの声が届く。

『──さっき教室に行ったら、だれも志乃莉のこと覚えてなかった』

「え……?」

 なんだ、もしかしてみんなでわたしたちをからかってるの?

「なにそれ、ドッキリとか?」

『いや……俺がそういうのきらいだって、知ってるだろ』

「じゃあなに!?」

 高ぶってさけぶけれど、みさきくんは言葉をくしているようだ。

 わたしも、もう気持ちをコントロールすることはできなかった。

「なんなの、これ!?」

『俺だってわかんねえよ』

「だって、ぜんぶ変なんだもん!」

 考えてみれば、こんなのおかしいに決まっているのだ。

 わたしは感情の持っていきどころを失って、みさきくんにまくし立てた。

「なるちゃんとわたしは友達じゃないし、大地と鶴江さんはテンション高いし、えいこちゃんは暗いし、みんなやさしいし……!」

『とりあえず!』

 みさきくんは、興奮したわたしをなだめるように力強く言った。

『落ち着こう。俺も調べてみるから』

 たのもしい声に、わたしは冷静さを取り戻す。

「……うん」

『じゃあ、またあとで』

「わかった……」

 事態をうまく飲み込めないまま、わたしはテラスをあとにした。

 ふたたび教室に足をみ入れたとたん、鶴江さんが、「あー、帰ってきた!」とよく通る声で言う。

だいじよう? 志乃莉」

「えっ?」

 いつもなら、まわりのことになんて興味を示さない鶴江さんだ。それなのに、今はずいぶん心配そうにわたしを見ている。

「いやいや、急に教室飛び出していったから。マジで心配したんだよ」

「ああ……」

(そっか。そんなことがあったら、誰でも心配してくれるよね……)

 ありがたいはずなのに、みような気分だ。

 わたしはあいまいにうなずくと、大地が教えてくれた自分の席に座った。

 と、隣の席に座る大地が、わたしの顔をのぞき込んでくる。

「マジでどうした、志乃。なんかあったか?」

「いや、大丈夫。……っていうか、近い」

 近すぎる大地とのきよに、体を引いてわたしは答えた。

「んだよ、水くさいなあ! 俺たちの仲じゃん」

 大地は、おおげさにてんじようあおぐ。

「『俺たちの仲』って……」

「だって俺ら、生まれたときからずっといつしよじゃん? ほら、家も隣だし」

(それは、たしかにそうなんだけど)

 話を聞いていた鶴江さんが、しみじみと言う。

「いいねえ……なんかそういう、くさえん少女マンガの王道?」

 少女マンガ? わたしと大地の関係が?

 大地のほうは、「まあね?」なんて、すんなり受け入れているようだ。

 わたしはもう、完全に頭の容量オーバーだった。

(いったい、なにが起こってるの……?)

 とにかく、みさきくんも言っていたことだし、ひとまず気持ちを落ち着けよう、少しのあいだ大人しくしていようと、まっすぐに座り直す。

 そこに、クラスメイトの女子が、スマホを見せながら飛びついてきた。

「志乃莉、聞いて聞いて! 彼氏からこんなメッセージが来たんだけど、どう思う?」

「えっ」

「ねえ、あたしもー!」

 あっというまに、わたしのまわりには人だかりができてしまった。

(……この感じ、なんだか【白ウサ】みたい)

 教室の真ん中で、クラスの子たちに囲まれて、自分が言いたいと思ったことを、なおにみんなに伝えられる。ものすごく、あこがれていたことだ。そんなことができる女の子になりたいと、いつだって思っていた。

 でも──今は。

(こんなわけのわからないじようきようで、れんあい相談どころじゃないよ……!)

「ちょっと待って!」

 声を上げると、みんながいっせいに静かになった。

「ごめん。あの……須賀みさきくんって、もう学校、来てる?」

 うかがうようにたずねたところ、大地と鶴江さんは顔を見合わせた。

「須賀? 誰、それ」

「さあ?」


 ──さっき教室に行ったら、誰も志乃莉のこと覚えてなかった。


 みさきくんからそう聞いたとき、にわかには信じられなかった。

 けれど、今なら信じられる。わたしのいるところでは、誰もみさきくんのことを知らない。

「……言ってた通りだ」

 くちびるから、ぽろりと言葉がこぼれていく。

 それきりなにも言えずにいると、鶴江さんが立ち上がった。

「なんか志乃莉、テンション低いみたいだから……私、とりあえず歌わせていただきますわ!」

 張り切って宣言する鶴江さんを、まわりのクラスメイトがわっとはやす。

 鶴江さんがきようだんおどり出て、みんなはスマホのカメラを構えた。

 大地も、澄夫くんも、動画さつえいの準備は万全だ。

 教室中から、びようが聞こえる。

 えいこちゃんが、なるちゃんが、鶴江さんにせんぼうのまなざしを送っている。

 あらためてまわりを見ると、教室の中は異様なふんだった。

 なにかが決定的にちがっているわけではない。

 ただ、大なり小なり、クラスメイトみんなの印象が違う。

 そもそもどうして、えいこちゃんはあんなにえない格好で、ファッション雑誌なんて読んでるの? あの子も、美術の時間でもないのに絵をいているような子じゃなかった。この子だって、メイクに興味はなさそうにしていたのに、ポーチからは可愛かわいしよう品があふれている。

 ほかのクラスメイトの机も、同じようなものだった。

 り道具、アイドルのおうえんうちわ、ギター、スイーツ、野球のグローブ──。

「なに、これ……」

 みんながみんな、壇上で歌う鶴江さん、そうでなければ自分の手元に夢中だった。

 鶴江さんのステージは、周囲を巻き込んで過熱していく。

 教室のあちらこちらで、だれかの成果にかつさいが起こる。

(どうしちゃったの、みんな)

 この場所は、なにかがおかしい。

 わたしは、ただほおを引きつらせ、それをながめていることしかできなかった。



<続きは本編でぜひお楽しみください。>

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