第1章②

[みさき]


 朝の空気は、きらいじゃない。

 とくに、寒い冬の朝。新聞配達のアルバイトに向かうために早起きすると、はだすような冷たい空気で、きの頭がすっきりするのだ。

 けれど、どうやら俺に早起きのイメージはないらしい。

 高校に入ったばかりのころ、朝が好きだと口にすると、「みさきには早起きしてるイメージがない」と、さんざんからかわれたことがある。

 それ以来、学校のやつらにバイトのことは言っていない。自分のことをよく知りもしない外野から、なんだかんだと言われることは、気分がいいものではないからだ。

 好きなものは好き。

 大切な気持ちは、自分の中だけにしまっておくほうがいい。

 誰かにからかわれたり、口を出されたりすることがなければ、好きだというじゆんすいな気持ちだけを、ずっと持ち続けていられる。

(そうは言っても……)

 俺にだって、たまにはゆううつな朝がある。

 たとえば、前日の夜、って帰った母親が、居間のコタツで寝入っている朝──今日のような朝のことだ。

 バイトに出かける準備をしながら、俺は母親をちらりと見やる。

 散らかった部屋の中、自分のいだ洋服や、飲み終わったビールの空きかんもれるようにねむる母も、女手ひとつで俺を育てて、大変な思いをしているのだろう。

 俺はため息をつき、家を出た。

 アパートの階段を下り、バイト先の新聞はんばい店へと急ぐ。

 今日の放課後は、居酒屋でのバイトも入っている。まかないはスタミナがつくものをたのもうと、かすかに色を変えはじめた明け方の空をながめつつ、俺は配達用の自転車をぎ出した。

 自分の学費は、自分でかせぐ。

 そう決めてから俺の毎日は、バイト・学校・バイトのり返しだった。

 新聞配達を終え、自宅に戻って制服にえると、登校前に高校近くの公園に寄る。

 俺と志乃莉は、学校ではふたりの関係を秘密にしていた。だから、登校前と下校時に、ここで待ち合わせをしているのだ。

 ふたりの約束の場所にしたのは、屋根とベンチのあるあずまだ。

 雨の日や、しが強く照りつける日でも、彼女がつらくないように。

 そう思ってここを指定したのだと周囲にバレたら、またからかわれてしまうだろう。

 たどり着いた東屋のベンチには、すでに彼女が座っていた。

 俺の姿を見たとたん、ぱっと花がくようにみをこぼした彼女は──。

 半年前、ふるえながら俺に告白してくれた、クラスメイトのふたわた志乃莉だ。

「おはよ」

 朝の空気みたいに清らかな笑顔で、志乃莉は言った。

「おはよ」

 笑顔を返すと、志乃莉は「はい」とこんいろのランチバッグを差し出してくる。

 こうして彼女が弁当を作ってくれることになったきっかけは、俺が彼女の家に新聞を配達しに行ったとき、たまたま顔を合わせたこと。志乃莉は、いつもコンビニのパンを昼食にしていた俺をづかって、俺のぶんまで弁当を作ってくれるようになった。それがつき合いはじめてからも続いている。

「……ありがと」

 礼を言って受け取ると、志乃莉は、

「じゃあ……また、学校で」

 とはにかんで、俺の前から走り去った。

 その後ろ姿を見送りながら、俺は半年前までの、味気ない生活を思い返す。

 俺の生活は本当に、家と学校、バイト先の往復でしかなかったのだ。

 彼女──志乃莉と、出会うまでは。



 志乃莉の弁当を食べられる昼休みは、至福の時間だ。

 はしを動かす俺のとなりでは、小此木澄夫がスマホで動画を見ながら笑っている。

 ディスプレイに映っているのは、黒いシルクハットに黒い仮面、黒いマントがトレードマークの動画クリエイター、おなやみ解決【ハレルヤクレイ】だ。

「みさきも見てみろって」

 澄夫はこうして、ことあるごとに、動画を見ろとすすめてくる。

「いいよ、俺は」

 友達が楽しげにしているのはいいことだが、俺は志乃莉の手作り弁当に集中したかった。

「めっちゃハマってんだよねえ、【ハレクレ】」

 澄夫はまた、画面に見入って笑っている。

 俺は、あらためて弁当に向き合おうとして──それを作ってくれた本人、教室のはしで、國土なること弁当箱を開いている志乃莉のほうに目をやった。

 志乃莉も、俺の視線を感じたのかもしれない。

 彼女は、ほんのいつしゆんこちらを向いて、ふいと顔をそらしてしまう。

 ……ふたりのことを、ないしよにしようと言ったのは俺だ。

 まわりに知られれば、ちやされたり、いろいろと聞かれたり、めんどうなことしかない。

 バイトに明け暮れる毎日で、俺には正直、ゆうがなかった。ふたりのことでだれかにうるさく言われ、志乃莉がいやな思いをしていても、俺は気づけないかもしれないのだ。

 大切な彼女を、守り切ることができない。

 そうなってしまうことだけは、絶対にけたかった。

(それに……)

 ふたりの時間は、誰にもじやされたくない。

 俺は、志乃莉の作ってくれた弁当のおかずを口に入れる。日に日に上達する料理をみしめていると、教室の真ん中の席に、宇保地えいこがもどってきた。

「まーた【ハレクレ】見てんの?」

 えいこも、澄夫のハレクレ中毒にあいかしかけているようだ。

「だってこいつ、マジでおもしろいんだもん」

 動画を箸の先で指す澄夫に、えいこは「見過ぎだって」とうんざりした声を出す。

「それよりさ。これ、見てよ」

 えいこは澄夫に、スマホの画面を見せた。

「おっ、【白ウサ】やん」

 えいこは画面をにらみながら、「この子、絶対うちの生徒だ」と断言する。

 澄夫が、きょとんとして聞いた。

「え、なんで?」

「だってこの写真、うちの高校の近くの公園だもん」

 澄夫はえいこのスマホを取り上げ、「こんな写真じゃわからんやろ」と難しい顔をする。

「ええっ? ねえ、みさきも見てよ」

 味方を増やそうとでもいうのか、えいこは俺にスマホを押しつける。

「いいよ」と断ったところで、澄夫が俺を指差した。

「いや、見せてもわかんねえだろ。こいつ、SNSとかやってねえし」

 もっともだ。安心してふたたび弁当をつつきはじめると、【白ウサ】の写真を見ていたえいこが、みようなことを言い出した。

「しかも、これさ……みさきに似てない?」

(似てる? 俺に?)

 箸を止めて画像を見ると、写っていたのは予想外のものだった。

 登下校時にいつも立ち寄る、見慣れた公園。

 昨日歩いたばかりの小道。

 寄りい合う、ふたつのかげ

(これ……昨日、志乃莉がってた……!)

 ざわっ、と背筋があわ立った。

 けれど、ここでどうようを見せてしまえば、余計なことまでついきゆうされかねない。

「そんなわけねえだろ」

 平静をよそおい、写真から視線を外した。しかしえいこは、そんな俺に追いちをかけてくる。

「でも……ほら、〈誕生日もいつも通りいつしよにいようね♥〉とか書いてあるし。来月、みさき、誕生日じゃん!?」

「これはアヤシイですねえ」

 澄夫がえいこに悪ノリした。

「……意味わかんねえし」

 あせりが口調に出ていると、自分でもわかってしまう。

「じゃあ、誕生日の予定は?」

 えいこはさらに、とどめのような質問をした。

(なんだよ、それ……)

 ──ちゃんとふたりで過ごさなきゃ。

 誕生日について話す志乃莉の、ちょっとねた顔を思い出す。

 ──じゃあ……とりあえず、学校終わったらいつもの公園で待ち合わせ。

 俺だって、そう約束したはずだ。

 だが、俺たちの関係がバレたとき、彼女を守り切る自信がない。

 そうだとすれば、誕生日の予定を聞かれたときの、正しい答えは──。

「……別に、ないけど」

 そう言ったとたん、えいこが「やったー!!」とかんせいを上げた。

「じゃあ、みんなでどっか行く?」

 えいこと澄夫は、カラオケ行こう、なに歌おう、と具体的な相談まではじめてしまった。

 そんな彼らに気づかれないよう、俺は教室の端に目を向ける。

 志乃莉は変わらず、國土とがおで弁当を食べていた。

(予定はないって……彼女を守るためについたウソなのに)

 約束を破ることになれば、結果、志乃莉を悲しませてしまう。

(……どうすればよかったんだ?)

 考えてみても、うまいやり方は思いつかない。

 そんな自分が、なかった。



[志乃莉]



 その日の放課後。

 校舎前の道を公園に向かって急ぎながら、わたしは今朝のできごとを思い出していた。

 公園で、みさきくんにお弁当をわたした直後……。

 登校中、めったにないことに、幼なじみの大地に会ったのだ。


 大地の姿に気がついたのは、彼がわたしを追いしていったからだった。

『おはよう、大地』

 反射的に声をかけると、大地はちらりとこちらをり向いた。

 ところが彼は、なにも言わずにもくもくと歩き続ける。

(あれ……聞こえてない、ってわけじゃないよね?)

 同じクラスで、家もとなりどうとはいえ、最近はろくに話もしていなかった。

 ひさしぶりに近づいてしまったきよを、どうあつかっていいのかわからない。

 ちんもくえかねて、わたしは必死に言葉をいだ。

『なんか、なつかしいね。こうやってるとさ、小学校の登校班みたいで』

 共通の思い出を引き合いに出してみても、大地の反応はいまひとつ。彼はむしろ、ぐっと足を速めて、学校のほうへと歩き去った。

『ええっ……?』

 その場に取り残されたわたしは、ぼうぜんとしてしまったのだけれど。


 今朝、そんなことがあったからだろうか。

(お昼の時間、大地の視線を感じたんだよね……)

 本当に見られていたかどうかはわからない。でも、いちばん前の席の大地は、ちらちらと教室内を振り返り、わたしと──みさきくんのほうを、気にしていたように思うのだ。

 もしかすると、大地はわたしたちの関係に、気がついているのだろうか。

(気づかれてるなら、そのほうがいいのかも?)

 大地とは、たしかにここのところ親しくしてはいなかった。

 でも、決定的になかたがいするようなことがあったわけじゃない。

 もしも大地と、昔のように楽しく話せる仲に戻って、みさきくんとのことを聞いてもらえたら……そんなことを想像しながら、わたしは公園のあずまを目指した。

 東屋に着いてみると、みさきくんはすでにベンチに座っていて、手元のスマホをいじっている。みさきくんにしてはめずらしく、SNSを見ているようだ。

「ごめんね、待った?」

「……いや、別に」

 いつもより低い声のみさきくんは、気もそぞろな様子だ。

 どうしたんだろうと思いつつ、わたしは彼の隣に座る。

 いつもならスムーズに会話がはじまるところなのに、なんだか今日はうまくいかない。

「あっ、ねえ、誕生日! どこ行きたいか決まった?」

 なにを言えばいいかわからなくなって、わたしは昨日の話題を持ち出した。

 するとみさきくんは、どうしてだかイラついたように言う。

「行けなくなった」

「えっ……それ、どういうこと?」

 おどろいて、わたしは目を見張った。

 みさきくんは、こちらを見ないまま続ける。

「誕生日、澄夫とかえいこたちと遊びに行くから」

「ふたりでお祝いしようって、約束したじゃん」

 しかも、昨日の帰り道で取りつけたばかりの約束だ。

 それなのに──みさきくんは、深いため息をつくばかり。

 そんな彼が心配になってきて、わたしは言った。

「ねえ……なにかあった?」

 みさきくんは、言いにくそうに切り出した。

「志乃莉さ……俺に、かくしてることない?」

「……えっ?」

 ほんのいつしゆん、【白ウサ】のことが頭にかんだ。

 みさきくんに隠していることなんて、それしかない。

 けれど、ほかでもない、みさきくんとの思い出をとう稿こうしているアカウントだからこそ、彼に【白ウサ】のことを話してしまうわけにはいかなかった。

「なに、急に。ないよ……」

 ふいをかれて、うろたえてしまう。

 そんなわたしをどう思ったのか、みさきくんは静かに言った。

「志乃莉なんだろ、【白ウサ】って」

「……!」

 まさに【白ウサ】のことを問いただされて、わたしは声を失った。

 みさきくんは、たんたんと続ける。

「えいこに、写真見せられた。俺たちのこと、ぜんぶネットに上げてたんだ?」

「……それは」

「ちょっとひどくね? 俺たちふたりだけのことじゃん。なのに、俺にだまって勝手にさ」

 彼は、「マジでありえない」とつかれたように言った。

 こちらを責める彼の態度に、わたしの中でも、隠そうとしていたものがふくれ上がってくる。

「……ふたりだけのことにしたいのは、みさきくんでしょ」

 わたしの口調に、みさきくんがまゆを寄せた。

「は?」

 この関係を、ふたりだけのものにしたいのは、みさきくんだ。

 できるならわたしは、堂々とみんなに言いたい。

 こんなにてきな人が、わたしの彼氏なんだよって。

 でも……。

 それがかなわないから、【白ウサ】として、思っていることをき出すしかなかったのに。

「わたしとつき合ってるのがずかしいから、だれにも言いたくないんでしょ」

「そんなわけねえだろ」

「じゃあ今、えいこちゃんたちに伝えられる!? わたしたちのこと!」

 勢いあまって声をあららげると、彼はついに黙ってしまった。

「……ほらね、言えないでしょ」

 みさきくんは、思いつめたような顔をして、「……もういい」とベンチを立つ。

「冷静に話せないなら、これ以上はムダ」

「えっ……ち、ちょっと……!」

 あわてて引き止めようとすると、みさきくんは、大人びた表情で──ううん、冷ややかな顔つきで、わたしのほうに向き直った。

「そんなふうに思われてたんだな、俺って」

「……、っ……」

 わたしが返事に困っていると、彼はくるりときびすを返した。

「みさきくんってば! ねえ、ちょっと待って……」

「悪い。バイトだから」

 きっぱりとした声にきよぜつされ、両足がすくんでしまう。

 小さくなっていく彼の背中を、わたしは見送ることしかできなくて──。



(なんで、こうなったんだろう)

 公園からの帰り道を、わたしはひとり、とぼとぼと歩いた。

 なんとか家に帰り着き、のろのろと自室に入ると、ベッドの上にたおれ込む。それでも、自問自答は続いている。

 居酒屋のバイトに入っている彼は、お客さんの注文を取ったり、料理を運んだりといそがしい時間帯だろう。いつもなら、そんな彼のスマホに、「がんばってね」なんてメッセージを送っておく。そうすると、きゆうけいのときに「ありがとう」という短い文章が返ってくる。

 そんな、気持ちの通ったやりとりができるはずだったのに。

(なんで、こうなっちゃったんだろう)

 こんなことになるのなら、早く「ごめん」って言えばよかった。

 みさきくんのことが大好きだから、誰かにまんしたかった。

 ふたりとも幸せだって知ってもらって、みんなに祝ってほしかった。

(でも……それは、みさきくんに黙ってやっていいことじゃなかったよね)

 冷静になれば、こうして素直になれるのに──。

「ごめん」って言えなくて、意固地になってしまっていた。

 そのくせ今は、「ごめん」を言えずにこうかいしている。

 泣きたい気分でまくらに顔をうずめていると、ベッドサイドに置いたスマホが、小さくふるえた。

(みさきくん……!?)

 飛び起きて、スマホを手に取る。

 けれど、通知内容に書いてあるのは、SNSの投稿へのコメントだ。


〈白ウサさん絶対美人〉

〈1万5000フォロワーまであと10人!〉

〈とてもなごみます大好きです〉

〈彼氏さんと仲が良くてうらやましいー!!!〉

〈理想のカップル〉


 SNSアプリを立ち上げて、指先でコメントをスクロールしていく。

 顔も知らない遠くの誰かだけが、いつも欲しい言葉をくれる。

【白ウサ】が、ニセモノだって知らずに……。

 タイムラインを流れる文字が、ぼんやりにじむ。

 えきしように、ぽたり、ぽたりと、おおつぶなみだが落ちる。



〈二人のような幸せなカップルになれますように〉


「わたしだって……なりたいよ」

 つぶやいた声は、涙をふくんでれていた。

 部屋の照明が、チカチカとまたたく。

 ああ、あのスイッチひとつでパチンと消える、電気みたいに……。

 どうにもならない自分なんて、いっそパチンと消えちゃえばいいのに。

 SNSの世界にいる【白ウサ】が、ホントの自分ならよかったのに。

 震える指で、わたしは新しい文章を打ち込んだ。


〈こっちがホントならいいのに〉


 照明が、いっそう激しくまたたきはじめる。

 投稿の表示をタップした、その瞬間。

 ブレーカーが落ちたように、部屋の明かりがとつぜん消えて……。


■□■


 停電は、けっこう大規模なものだったらしい。

 それでも、アラームの音に目を覚ますと、まぶしすぎる朝が来ていた。

(みさきくんに会ったら、すぐに謝ろう)

 そうすればぜんぶ、元通りだ。

 ランチバッグにお弁当箱を入れ、わたしは公園へと急ぐ。

 ところが──。

 約束の場所、ふたりで会うことになっているあずまには、木の葉のかげがちらつくばかり。

(まだ、おこってるのかな……)

 みさきくんが連絡もなしに来なかったことなんて、つき合い出してからはじめてだ。

(……早く仲直りしたいよ)

 わたしはランチバッグをかかえ、東屋のベンチにひとり、こしを下ろした。



 しばらく待ってみたけれど、みさきくんは公園に現れなかった。

 わたしは仕方なく、学校に向かうことにする。

 どちらにしても、学校に行けば会えるはず。お弁当だってこっそりわたせるかもしれないし、なにより、元気な姿を見て安心したい。

 みさきくんと会えなかったこと以外は、いつもとなにも変わらない朝だ。

 でも、教室に入ってみると。

「おはよ~、志乃っ!」

 ろう側の最後列、自分の席に着こうとしたとき、ポンとかたたたかれてぎようてんした。

(……志乃?)

 それは、幼いころのわたしの呼び名。

 わたしの肩を叩いたのは、ふだんのもくふんとは正反対、明るくおしゃれに制服を着くずした大地だったのだ。

「なにしてんだよ。志乃の席、あそこだろ?」

 大地が指し示したのは、教室の中心──いつもは、みさきくんが座っている席。

 目を見開いたまま固まっていると、大地はわたしの手を取って、教室の真ん中へといざなう。

「ほら、行くぞ。なんでちがえるんだろうね?」

「え……えっ……?」

「ここだよ、ここ」

 わたしにかくにんさせるように、大地はコンコンと机を叩く。

 人違いをしているんじゃないかと思うほどのひようへんぶりに、わたしはおそるおそる聞いた。

「あ……あの、大地……くん、だよね?」

 すると今度は大地のほうがぽかんとして、次のしゆんかん、声を上げて笑った。

「なんだよ、その反応。ウケるんだけど!」

 満面のみを見せる大地に、わたしはさらに混乱する。

 そこにたたみかけるように、「志乃莉!」と大声で呼ばれた。

 ぎょっとしてそちらを向くと、こちらもいつものおさげではなく、さらさらのかみをなびかせた鶴江さんが、わたしに活を入れるように言った。

「まだぼけてんじゃないの? シャキッとしな、シャキッと!」

「鶴江さん……?」

 こんわくしているあいだにも、「志乃莉、おはよー」と、話したこともないクラスメイトが次々に声をかけてくる。

 なにがなんだかわからない。

 ぼうっと教室をながめていると、いつもなら大地がいるはずのはじっこの席に、ストレートの髪をひとつにまとめ、背中を丸めたえいこちゃんが座っている。

「……?」

 なんとなく、かんを覚えた。

 いつも明るいえいこちゃんが、おどおどしているように見えたから。

 はたして、ファッション雑誌をめくっていた彼女は、目が合うとそそくさと顔をせてしまった。本来なら鶴江さんがいる席では、やっぱりいつもより元気のない澄夫くんが、うつむきがちに教科書を開いている。

「えいこちゃん……澄夫くん……?」

 動転したわたしは、登校してきたなるちゃんを見つけ、すがるようにけ寄った。

「なるちゃん! ねえ、みんな、どうしちゃったの?」

 明らかに、みんながおかしい。まるでいつもと、性格が逆転してしまっているようだ。

 そう思ってたずねたのだけれど、なるちゃんはおびえたように視線を泳がせ、

「ごめんなさい……なんの話? 二渡さん……」

 との鳴くような声で言った。

 まどったのは、こちらも同じだ。

「え……二渡さんって、きよ感じるんだけど……」

「だって、あまりお話ししたことないから」

「えっ……?」

 わたしは、荷物を抱えたまま立ちくす。

「どうなってるの……」

 つぶやいた自分の声さえも、違う人の声みたいだった。

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