第1章①

 あの告白から、半年後──。

 もうすぐ高校二年生の日々も終わる、二月のある朝。


「あー、寒いっ! 寒かったしねむいなあ、もー」

 朝の教室に入っていくと、えいこちゃんがぼやいていた。

 くりいろに染められたえいこちゃんの長いかみは、今朝もかんぺきに巻かれている。

 わたしが通う高校は、髪型も、こんいろブレザーの制服の着こなしも自由だし、アルバイトをしてもうるさくは言われない。

 わたしも、えいこちゃんのような雰囲気にはあこがれるけれど、肩の下までばした黒髪はアレンジすることなく下ろしたまま、グレーのプリーツスカートも、入学したときのたけのままだ。おづかいで足りるから、バイトだってしていない。

 えいこちゃんみたいに、服装にも言葉にも自分の考えを出せる女の子に、わたしはすごく憧れる。でも、クラスの中心の席に座るえいこちゃんに、そんなふうに話しかけることはない。わたしの席は、廊下側の最後列、クラスのいちばんはじっこだから。

「なるちゃん、おはよ」

 わたしは自分の机に荷物を下ろし、前の席のくになるこちゃんに声をかける。

「あ、ちゃん、おはよ」

 手元のスマートフォンから目を上げて、なるちゃんはあいさつを返してくれた。

 なるちゃんも、わたしと同じ黒髪女子だ。細いふちのメガネとひとつ結びの髪型を、本人は「幼く見える」と気にしているみたいだけれど、わたしはけっこう可愛かわいいと思う。

 えいこちゃんは、彼女のすぐ後ろの席の、このすみくんに話しかけた。

「ねえ澄夫、昨日の停電、マジやばくなかった?」

「最近、停電多すぎやんな。地球、ほろびるんちゃう?」

 ブレザーの下にオレンジ色のセーターを着た澄夫くんは、話すことも気がいている。

 えいこちゃんは、「ねーっ!」と同意して、

「ああいうときひとりだと、ちょっとさあ……」

 と顔をしかめた。

「彼氏作ったらええやん」

「うわ、澄夫が言うなし! ウザっ!」

 けらけらと笑うえいこちゃんたちの声は、にぎやかで明るい。そんな会話をちょっとだけうらやましく聞きながら、わたしの目は、つい〝彼〟の姿を探していた。

 クラスの中心にいるえいこちゃんや澄夫くんたちと仲がよくて、不器用だけれどやさしいところもあって、人一倍で、背の高い──。

「お、みさき! おはよー」

 えいこちゃんが明るい声をかけた先を見る。

 教室の入り口から、すらりと背の高い男の子が入ってくる。

 みさき、と呼ばれたその彼は、みんなとあいさつをわしつつ、教室の中心へ。えいこちゃんのななめ後ろ、澄夫くんのとなりの席に座った。

「ねえねえ、昨日の停電、マジでやばくなかった?」

 えいこちゃんがすかさず、彼──みさきくんに話しかけている。

「いや……気づかなかった」

「ウソでしょ!?」

「バイトのあと、すぐたからさ」

 グレーのマフラーをほどきながら、みさきくんは答えた。当然、教室の端に座るわたしには目もくれない。

 いつもの朝の風景だ。

 窓際の列のいちばん前の席、みさきくんのかたしに、幼なじみのいしだいの姿が見える。

 目元をかくすような長めの前髪、だまっていると冷たそうに見える横顔。生まれたときから隣の家に住む彼は、小学生のころはもう少し活発だった。けれど、ここのところは常にひとりで机の上にノートを広げ、なにやらいているようだ。

 視線をきようたくのほうに向けると、三つ編みおさげのつるたえこさんがいる。こちらはノートに加えて教科書も開き、今日の予習をしているらしい。


 教室って、グラデーションになっている。

 人気とか、存在感のある子が中心にいて、端にいくほどとうめいになって、いてもいなくてもおんなじで……。

 それは、絶対に混ざり合うことがない。


 教室の真ん中に目を戻すと、ゆっくりとまばたきをしたみさきくんが、ふとこちらに顔を向けた。

 ほんのいつしゆん、視線が重なる。

 わたしはすぐに、目をそらす。

 そこに、えいこちゃんの声が聞こえてきた。

「あ、そうだ。これ知ってる?」

 えいこちゃんは、澄夫くんにスマホの画面を見せている。

 澄夫くんは、えいこちゃんの手元をのぞき込む。

「なに、それ?」

「【白ウサ】ちゃん」

 遠目に見たえいこちゃんのスマホには、SNSのプロフィールページが表示されていた。

 えいこちゃんが澄夫くんに見せているのは、【白ウサ】のページだ。

「基本彼氏のノロケなんだけど、れんあいのアドバイスとか的確で、わりと人気なんだよ」

「ふーん?」

 興味がありそうな澄夫くんの横で、あきれた様子のみさきくんが息をついた。

「なにが楽しいんだよ、そんなの」

「ハイ出ました、みさきくんのSNS批判」

「いや、別に批判してねえし」

 みさきくんと澄夫くんがポンポン会話をつなげる横で、えいこちゃんが、思いついたように前の席の鶴江さんに呼びかける。

「ねえ鶴江さん、知ってる? 【白ウサ】ちゃん」

 鶴江さんは、えいこちゃんのほうをちらりとも見ずに、ばっさりと言い切った。

「私、そういうの興味ないんで」

 勉強のじやをしないで、とでも言いたげだ。えいこちゃんもさすがに、「うわっ、冷たっ!」と目を丸くしている。

 なるちゃんにも、えいこちゃんたちの会話は聞こえていたらしかった。

「私も見てる。【白ウサ】ちゃん」

 と、わたしのほうをり返る。

 なるちゃんは、【白ウサ】のとう稿こうをいくつか見せてくれた。

「この子……志乃莉ちゃん、絶対好きだと思うんだよね。キラキラしてて、『これぞ理想の高校生活!』みたいな感じで」

「へえ……そうなんだ」


〈帰り道にいつしよに食べたクレープ 中にお顔があって可愛い〉

〈なんにも言葉がかばない時は、ただ、ぎゅーってすればいいんだと思う。〉

〈当たり前って、実は当たり前じゃないんだよ?〉


 えいこちゃんの言っていた、彼氏のノロケと、的確な恋愛アドバイス。

 キラキラした言葉と画像が、なるちゃんのスクロールに合わせ、現れては消えていく。

「いいなあ……」

 画面をスクロールする指を止め、なるちゃんはぽつりと言った。

「こういう恋愛、してみたくない?」

「うーん……」

 すぐには答えられなくて、わたしは言葉をにごしてしまう。

「……わたしは、いいかな」

 なんとかがおを作りつつ、少しだけ胸が苦しかった。

 なるちゃんに──ウソをついているから。



 その日の放課後、わたしはいつもの通り、帰り道にある公園に寄った。

 よく晴れた午後の公園は、寒さも少しやわらいで、れ日があたたかく感じられる。

 あずまのベンチに座ってスマホを見ると、「もう着くよ」とれんらくが入っていた。

 もうすぐだ。

 もうすぐ彼が、やってくる。

 一日のうちで、わたしがなによりも心待ちにしている時間。

 人の気配に顔を上げると、目の前に、待っていた人が立っていた。

 背が高くて、クールで、真面目で、かっこよくて、不器用だけれどやさしくて、教室では真ん中の席に座っている男の子──。

「待たせちゃってごめん」

 立ち上がったわたしに、彼が言った。

「ううん。わたしも今、来たところだから」

(なるちゃん、ウソついてごめんね)

 だれだって、人には言えない秘密を持っている。

 わたしもそう。


 彼は……みさきくん。

 わたしの、いちばん大切な人だ。



 みさきくんとわたしは、東屋のベンチに並んでこしを下ろした。

「卵焼き、やばかった」

 彼は、わたしにランチバッグを差し出す。

「でしょ? 今日のはね、けっこう自信作」

 朝に比べて、ランチバッグは軽くなっていた。お弁当箱の中身は、今日もきれいに空になっているだろう。

「ありがとな」

 みさきくんのやわらかな笑顔に、わたしの目元も自然とほころぶ。

「どういたしまして」

 なんでもない、毎日のやりとりだ。


〈当たり前って、実は当たり前じゃないんだよ?〉


 わたしは、【白ウサ】の投稿を思い出す。

 半年前の、あの日──。


 一学期の終業式、まだはんそでだった夏の日のこと。

『……ずっと前から、好きでした。つき合ってください』

 ふるえながら告白をしたわたしに、みさきくんはおどろいた顔をした。

(振られるかも)

 きゅっと通学バッグの持ち手をにぎり、かくを決めた、そのとき。

 ろうけいこうとうがチカチカとまたたき、ふっと消えた。

 停電だ。

 あたりに首をめぐらせていたみさきくんは、ポケットの中から取り出したスマホのライトをつけた。それを見たわたしも、彼にならってライトをつける。

 真っ暗な廊下で向き合い、おたがいの姿をライトで照らした。

 いつもとちがう校内、無機質なライトの光。

 停電で生まれた非日常が、胸のどきどきを加速させる。

『……ごめん』

 彼の言葉に、わたしはひゅっと息をんだ。

(……振られるかも、じゃなくて、振られるんだ)

 告げられることのしようげきえようと、わたしは思わずうつむいてしまう。

 けれど、わたしのつむじには、予想外の言葉がかけられた。

『それ、俺から言わなきゃいけないことなのに』

 びっくりして目を上げると、正面にいたみさきくんと、まともに視線がぶつかった。

 みさきくんは、きんちようが解けたように口元をゆるめる。

 それにつられて、わたしも微笑ほほえむ。

 笑みをわしたあの日から、わたしたちはこいびと同士になった。


 いつもみんなの中心にいるみさきくんと、つき合っているなんて……。

 学校帰り、こうして手をつないで歩いていても、いまだに信じられなくなってくる。

 だまっていると現実感がなくなる気がして、わたしはどうでもいいことを口にした。

「最近、本当に停電多いよね」

 今朝、教室でも話題になっていたことだ。

 みさきくんも、「ああ……」となにかを思い返すように宙を見た。

「あのときも起きたよな。ほら、つき合い出した日」

(みさきくん、覚えててくれたんだ)

なつかしいね」

 うれしくて、わたしの口角はきゅっと上がる。

 彼がうなずいてくれたとき、わたしたちの前から、同じブレザーの制服を着た女の子がふたり、連れ立って歩いてきた。

 つながれていた手が、パッとほどける。

 みさきくんは、わたしからサッときよを取った。

 わたしたちの横を、女の子たちがはしゃぎながら通り過ぎていく。イケメンだよね、と聞こえた会話は、もしかすると、みさきくんのことを話していたのかもしれない。


 みさきくんは──かっこよくて、やさしい。

 けれどみんなに、つき合っていることはないしよだ。


 ふたりのあいだに、ちょっと気まずいちんもくが落ちる。

 それをどうにかしようと思ったのか、みさきくんがわたしに呼びかけた。

「なあ、志乃莉……【白ウサ】って知ってる?」

 これも今朝、教室で話題になっていたSNSのアカウントだ。ふだんはSNSに興味がないと言っている彼だけれど、なにか気になることがあったのだろうか。

「ああ、なるちゃんが話してたかも。すごい人気だって……よくは知らないけど」

「なんか、彼氏のノロケとかとう稿こうしてるんだって」

「へえ……」

「俺、そういうのやんないからさ、あんまりわかんないんだけど。なにが楽しいんだろうな、書くほうも、見るほうも」

「んー……わたしはなんとなく、その気持ち、わかるけどな」

「なにが?」

「みんなに知ってもらいたいんじゃないかな。てきな彼氏がいること」

「……志乃莉も、そう思ってる?」

 そう聞かれて、わたしはいつしゆん言葉にまった。

 みさきくんは、わたしとつき合っていることを、みんなにかくしたがっている。

 それなのに、こんなことを言ってしまっては、わたしが現状を不満に思っているみたいだ。

「えっ、いや、わたしはぜんぜん! 今のままでいいよ」

 あわてて取りつくろってみたけれど、みさきくんの表情は晴れなかった。

(どうしよう)

 なんとかして、みさきくんに笑ってほしい。

 あっ、とひらめいたわたしは、みさきくんのほうにスマホのカメラを向けてみた。

 赤いRECボタンをタップし、彼の動画をりはじめる。

 みさきくんはすぐ、照れたように笑ってスマホの前に手をかざした。

「なんだよ、急に」

 クラスの中にいるときは見せない、みさきくんの可愛かわいい顔。

 その表情にうれしくなって、わたしはインタビュー口調でたずねる。

「あと一か月で、みさきくんの誕生日ですけど……どこか行きたいとこ、決まりましたか?」

「やめろよ」

「いいから、ほら!」

 彼は「うーん」と考えてから、あらためて口を開いた。

「いつも通り、ふつうでいいよ」

「ダメ! ちゃんとふたりで過ごさなきゃ」

「じゃあ……とりあえず、学校終わったらいつもの公園で待ち合わせ」

「えー? それじゃあ、いつもとおんなじじゃん」

 せめて誕生日くらい、彼女らしいことをしたい。

 ちゃんと特別なことをして、みさきくんをお祝いしてあげたいのに。

 でも、みさきくんは、ふだん通りのおだやかな調子で言った。

「いいの、いつもといつしよで」

 大好きな彼の声で言われると、なつとくさせられてしまうのがくやしい。

「はぁい」

 わたしは、となりを歩くみさきくんを見上げる。

 彼の口元には、ずかしがるような、よろこんでいるようなみがかんでいて──。


〈当たり前って、実は当たり前じゃないんだよ?〉


【白ウサ】の投稿が、わたしの胸をちらりとよぎる。

(……そうだよね。当たり前のことが、幸せだって思わなきゃ)

 わたしはげんをよくして録画を停止し、ふたりが歩く公園沿いの小道に顔を向けた。

 そこにふたつのかげを見つけて、みさきくんに声をかける。

「ねえ、ちょっと待って?」

 足を止めたみさきくんに寄りい、スマホを構えて、

「はい、チーズ」

 小道に落ちた、ふたりの影の写真を撮った。

「なんで影?」

 首をかしげるみさきくんに、「なんとなく」とごまかして返す。

 みさきくんは、わかったようなわからないような顔をしたけれど、さっきのみようふんは消えていた。

 よかった、とひとまずほっとして、彼と一緒に歩き出す。

 そこでふと、だれかの視線を感じた気がして、わたしは背後をり返った。

「……?」

 みさきくんと寄り添っていたところを、クラスの子に見られたら──。

(気のせい……?)

 振り返った公園沿いの小道に、同じ制服の人影はない。

 小さく胸をで下ろして、わたしはみさきくんとふたり、家路についた。



 みさきくんとの関係を誰かに知られたかもしれないと、ハラハラさせられたからだろうか。

 帰り道に聞いた彼の言葉は、家族と一緒に夕飯を食べ、自分の部屋にもどるころになっても、耳からはなれてくれなかった。


 ──……志乃莉も、そう思ってる?


 素敵な彼氏がいることを、みんなにも知ってほしい。

 わたしだって、そう思わないはずがない。

だいじよう。SNSに興味のないみさきくんには、気づかれっこない……)

 わたしはベッドに横たわり、いつも使っているSNSアプリを起動した。


 世界には、生身の印象と、SNSでの印象がちがう人なんていっぱいいる。

 仕事として、お店のアカウントを運営している店員さんも。

 せんさいなイラストをアップして、たくさんのファンから賞賛されている人も。

 誰もが笑える動画を撮って、見る人を元気づけているクリエイターも。

 言葉も画像も自分からは発信せず、〈いいね〉だけを残していく人も。

 SNSを見ているだけでは、その人が実際に、どんな生活をしているのかはわからない。

 現実の自分とは切り離された、なりたい自分になれる場所──。

 それが、SNSの世界なのだ。


 SNSアプリのホーム画面を見る。

 自分の投稿に反応があったことを知らせる数字が、表示されている。

 わたしはプロフィール画面から、自分の投稿をかくにんした。

 反応が多かった投稿は……。


〈誕生日もいつも通りいつしよにいようね♥〉

 てんされた画像は、寄り添うふたつの影の写真。


 わたしは画面をスクロールしながら、とう稿こうに対するコメントを読んでいく。


〈仲良しが写真から伝わってきます♥〉

てき~〉

〈もう少しで1万5000フォロワーですね〉


 わたしが見ているあいだにも、〈いいね〉の数は増えていく。

 たくさんのコメントが、わたしたちを祝福していた。

 帰り道での、みさきくんの言葉を思い出す。

 ──なにが楽しいんだろうな、書くほうも、見るほうも。

(……楽しいよ。好きなことを好きだって、みんなに素直に伝えられるって……)

 てんじようの照明が、チカチカとまたたきはじめる。

 また、停電するのだろうか。

 でも今は、そんなことは気にならなかった。

 指先で、白いうさぎのアイコンをタップする。

 プロフィールページに表示されている、わたしのアカウント名は。


 誰だって、人には言えない秘密を持っている。

 だから、わたしは──。


 SNSの世界で、

 こっそり、【白ウサ】に変身する。

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