第1章①
あの告白から、半年後──。
もうすぐ高校二年生の日々も終わる、二月のある朝。
「あー、寒いっ! 寒かったし
朝の教室に入っていくと、
わたしが通う高校は、髪型も、
わたしも、えいこちゃんのような雰囲気には
えいこちゃんみたいに、服装にも言葉にも自分の考えを出せる女の子に、わたしはすごく憧れる。でも、クラスの中心の席に座るえいこちゃんに、そんなふうに話しかけることはない。わたしの席は、廊下側の最後列、クラスのいちばん
「なるちゃん、おはよ」
わたしは自分の机に荷物を下ろし、前の席の
「あ、
手元のスマートフォンから目を上げて、なるちゃんはあいさつを返してくれた。
なるちゃんも、わたしと同じ黒髪女子だ。細い
えいこちゃんは、彼女のすぐ後ろの席の、
「ねえ澄夫、昨日の停電、マジやばくなかった?」
「最近、停電多すぎやんな。地球、
ブレザーの下にオレンジ色のセーターを着た澄夫くんは、話すことも気が
えいこちゃんは、「ねーっ!」と同意して、
「ああいうときひとりだと、ちょっとさあ……」
と顔をしかめた。
「彼氏作ったらええやん」
「うわ、澄夫が言うなし! ウザっ!」
けらけらと笑うえいこちゃんたちの声は、
クラスの中心にいるえいこちゃんや澄夫くんたちと仲がよくて、不器用だけれどやさしいところもあって、人一倍
「お、みさき! おはよー」
えいこちゃんが明るい声をかけた先を見る。
教室の入り口から、すらりと背の高い男の子が入ってくる。
みさき、と呼ばれたその彼は、みんなとあいさつを
「ねえねえ、昨日の停電、マジでやばくなかった?」
えいこちゃんがすかさず、彼──
「いや……気づかなかった」
「ウソでしょ!?」
「バイトのあと、すぐ
グレーのマフラーをほどきながら、みさきくんは答えた。当然、教室の端に座るわたしには目もくれない。
いつもの朝の風景だ。
窓際の列のいちばん前の席、みさきくんの
目元を
視線を
教室って、グラデーションになっている。
人気とか、存在感のある子が中心にいて、端にいくほど
それは、絶対に混ざり合うことがない。
教室の真ん中に目を戻すと、ゆっくりとまばたきをしたみさきくんが、ふとこちらに顔を向けた。
ほんの
わたしはすぐに、目をそらす。
そこに、えいこちゃんの声が聞こえてきた。
「あ、そうだ。これ知ってる?」
えいこちゃんは、澄夫くんにスマホの画面を見せている。
澄夫くんは、えいこちゃんの手元をのぞき込む。
「なに、それ?」
「【白ウサ】ちゃん」
遠目に見たえいこちゃんのスマホには、SNSのプロフィールページが表示されていた。
えいこちゃんが澄夫くんに見せているのは、【白ウサ】のページだ。
「基本彼氏のノロケなんだけど、
「ふーん?」
興味がありそうな澄夫くんの横で、
「なにが楽しいんだよ、そんなの」
「ハイ出ました、みさきくんのSNS批判」
「いや、別に批判してねえし」
みさきくんと澄夫くんがポンポン会話をつなげる横で、えいこちゃんが、思いついたように前の席の鶴江さんに呼びかける。
「ねえ鶴江さん、知ってる? 【白ウサ】ちゃん」
鶴江さんは、えいこちゃんのほうをちらりとも見ずに、ばっさりと言い切った。
「私、そういうの興味ないんで」
勉強の
なるちゃんにも、えいこちゃんたちの会話は聞こえていたらしかった。
「私も見てる。【白ウサ】ちゃん」
と、わたしのほうを
なるちゃんは、【白ウサ】の
「この子……志乃莉ちゃん、絶対好きだと思うんだよね。キラキラしてて、『これぞ理想の高校生活!』みたいな感じで」
「へえ……そうなんだ」
〈帰り道に
〈なんにも言葉が
〈当たり前って、実は当たり前じゃないんだよ?〉
えいこちゃんの言っていた、彼氏のノロケと、的確な恋愛アドバイス。
キラキラした言葉と画像が、なるちゃんのスクロールに合わせ、現れては消えていく。
「いいなあ……」
画面をスクロールする指を止め、なるちゃんはぽつりと言った。
「こういう恋愛、してみたくない?」
「うーん……」
すぐには答えられなくて、わたしは言葉を
「……わたしは、いいかな」
なんとか
なるちゃんに──ウソをついているから。
その日の放課後、わたしはいつもの通り、帰り道にある公園に寄った。
よく晴れた午後の公園は、寒さも少しやわらいで、
もうすぐだ。
もうすぐ彼が、やってくる。
一日のうちで、わたしがなによりも心待ちにしている時間。
人の気配に顔を上げると、目の前に、待っていた人が立っていた。
背が高くて、クールで、真面目で、かっこよくて、不器用だけれどやさしくて、教室では真ん中の席に座っている男の子──。
「待たせちゃってごめん」
立ち上がったわたしに、彼が言った。
「ううん。わたしも今、来たところだから」
(なるちゃん、ウソついてごめんね)
わたしもそう。
彼は……みさきくん。
わたしの、いちばん大切な人だ。
みさきくんとわたしは、東屋のベンチに並んで
「卵焼き、やばかった」
彼は、わたしにランチバッグを差し出す。
「でしょ? 今日のはね、けっこう自信作」
朝に比べて、ランチバッグは軽くなっていた。お弁当箱の中身は、今日もきれいに空になっているだろう。
「ありがとな」
みさきくんのやわらかな笑顔に、わたしの目元も自然とほころぶ。
「どういたしまして」
なんでもない、毎日のやりとりだ。
〈当たり前って、実は当たり前じゃないんだよ?〉
わたしは、【白ウサ】の投稿を思い出す。
半年前の、あの日──。
一学期の終業式、まだ
『……ずっと前から、好きでした。つき合ってください』
(振られるかも)
きゅっと通学バッグの持ち手を
停電だ。
あたりに首を
真っ暗な廊下で向き合い、おたがいの姿をライトで照らした。
いつもと
停電で生まれた非日常が、胸のどきどきを加速させる。
『……ごめん』
彼の言葉に、わたしはひゅっと息を
(……振られるかも、じゃなくて、振られるんだ)
告げられることの
けれど、わたしのつむじには、予想外の言葉がかけられた。
『それ、俺から言わなきゃいけないことなのに』
びっくりして目を上げると、正面にいたみさきくんと、まともに視線がぶつかった。
みさきくんは、
それにつられて、わたしも
笑みを
いつもみんなの中心にいるみさきくんと、つき合っているなんて……。
学校帰り、こうして手をつないで歩いていても、いまだに信じられなくなってくる。
「最近、本当に停電多いよね」
今朝、教室でも話題になっていたことだ。
みさきくんも、「ああ……」となにかを思い返すように宙を見た。
「あのときも起きたよな。ほら、つき合い出した日」
(みさきくん、覚えててくれたんだ)
「
うれしくて、わたしの口角はきゅっと上がる。
彼がうなずいてくれたとき、わたしたちの前から、同じブレザーの制服を着た女の子がふたり、連れ立って歩いてきた。
つながれていた手が、パッとほどける。
みさきくんは、わたしからサッと
わたしたちの横を、女の子たちがはしゃぎながら通り過ぎていく。イケメンだよね、と聞こえた会話は、もしかすると、みさきくんのことを話していたのかもしれない。
みさきくんは──かっこよくて、やさしい。
けれどみんなに、つき合っていることは
ふたりのあいだに、ちょっと気まずい
それをどうにかしようと思ったのか、みさきくんがわたしに呼びかけた。
「なあ、志乃莉……【白ウサ】って知ってる?」
これも今朝、教室で話題になっていたSNSのアカウントだ。ふだんはSNSに興味がないと言っている彼だけれど、なにか気になることがあったのだろうか。
「ああ、なるちゃんが話してたかも。すごい人気だって……よくは知らないけど」
「なんか、彼氏のノロケとか
「へえ……」
「俺、そういうのやんないからさ、あんまりわかんないんだけど。なにが楽しいんだろうな、書くほうも、見るほうも」
「んー……わたしはなんとなく、その気持ち、わかるけどな」
「なにが?」
「みんなに知ってもらいたいんじゃないかな。
「……志乃莉も、そう思ってる?」
そう聞かれて、わたしは
みさきくんは、わたしとつき合っていることを、みんなに
それなのに、こんなことを言ってしまっては、わたしが現状を不満に思っているみたいだ。
「えっ、いや、わたしはぜんぜん! 今のままでいいよ」
あわてて取りつくろってみたけれど、みさきくんの表情は晴れなかった。
(どうしよう)
なんとかして、みさきくんに笑ってほしい。
あっ、と
赤いRECボタンをタップし、彼の動画を
みさきくんはすぐ、照れたように笑ってスマホの前に手をかざした。
「なんだよ、急に」
クラスの中にいるときは見せない、みさきくんの
その表情にうれしくなって、わたしはインタビュー口調でたずねる。
「あと一か月で、みさきくんの誕生日ですけど……どこか行きたいとこ、決まりましたか?」
「やめろよ」
「いいから、ほら!」
彼は「うーん」と考えてから、あらためて口を開いた。
「いつも通り、ふつうでいいよ」
「ダメ! ちゃんとふたりで過ごさなきゃ」
「じゃあ……とりあえず、学校終わったらいつもの公園で待ち合わせ」
「えー? それじゃあ、いつもとおんなじじゃん」
せめて誕生日くらい、彼女らしいことをしたい。
ちゃんと特別なことをして、みさきくんをお祝いしてあげたいのに。
でも、みさきくんは、ふだん通りのおだやかな調子で言った。
「いいの、いつもと
大好きな彼の声で言われると、
「はぁい」
わたしは、
彼の口元には、
〈当たり前って、実は当たり前じゃないんだよ?〉
【白ウサ】の投稿が、わたしの胸をちらりとよぎる。
(……そうだよね。当たり前のことが、幸せだって思わなきゃ)
わたしは
そこにふたつの
「ねえ、ちょっと待って?」
足を止めたみさきくんに寄り
「はい、チーズ」
小道に落ちた、ふたりの影の写真を撮った。
「なんで影?」
首をかしげるみさきくんに、「なんとなく」とごまかして返す。
みさきくんは、わかったようなわからないような顔をしたけれど、さっきの
よかった、とひとまずほっとして、彼と一緒に歩き出す。
そこでふと、
「……?」
みさきくんと寄り添っていたところを、クラスの子に見られたら──。
(気のせい……?)
振り返った公園沿いの小道に、同じ制服の人影はない。
小さく胸を
みさきくんとの関係を誰かに知られたかもしれないと、ハラハラさせられたからだろうか。
帰り道に聞いた彼の言葉は、家族と一緒に夕飯を食べ、自分の部屋に
──……志乃莉も、そう思ってる?
素敵な彼氏がいることを、みんなにも知ってほしい。
わたしだって、そう思わないはずがない。
(
わたしはベッドに横たわり、いつも使っているSNSアプリを起動した。
世界には、生身の印象と、SNSでの印象が
仕事として、お店のアカウントを運営している店員さんも。
誰もが笑える動画を撮って、見る人を元気づけているクリエイターも。
言葉も画像も自分からは発信せず、〈いいね〉だけを残していく人も。
SNSを見ているだけでは、その人が実際に、どんな生活をしているのかはわからない。
現実の自分とは切り離された、なりたい自分になれる場所──。
それが、SNSの世界なのだ。
SNSアプリのホーム画面を見る。
自分の投稿に反応があったことを知らせる数字が、表示されている。
わたしはプロフィール画面から、自分の投稿を
反応が多かった投稿は……。
〈誕生日もいつも通り
わたしは画面をスクロールしながら、
〈仲良しが写真から伝わってきます♥〉
〈
〈もう少しで1万5000フォロワーですね〉
わたしが見ているあいだにも、〈いいね〉の数は増えていく。
たくさんのコメントが、わたしたちを祝福していた。
帰り道での、みさきくんの言葉を思い出す。
──なにが楽しいんだろうな、書くほうも、見るほうも。
(……楽しいよ。好きなことを好きだって、みんなに素直に伝えられるって……)
また、停電するのだろうか。
でも今は、そんなことは気にならなかった。
指先で、白いうさぎのアイコンをタップする。
プロフィールページに表示されている、わたしのアカウント名は。
誰だって、人には言えない秘密を持っている。
だから、わたしは──。
SNSの世界で、
こっそり、【白ウサ】に変身する。
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