第1章「信じたくて信じられなくて」③

 放課後、疾斗はいつも通りさっさと帰ろうと思ったが、数学Ⅱの課題が出ていることを思い出す。今日のことで目をつけられただろうし、明日あしたも五限目に数学Ⅱの授業がある。学校で済ませてから帰ることにした。

 とはいえ、まだ教室には人が集まっている。昼休みに大声を出したこともあって、いつもよりさらにごこが悪い。

(あ、そうだ)

 ふと思い立って、教室を出て階段を上る。周りに人がいないことをかくにんして、屋上へ続くとびらの前に立つ。屋上はかぎかっていて開かない。だが。

(実はドアノブこわれてるだけで、く持ち上げれば開くんだよなぁ。確かこれ、護が教えてくれた……んだっけ? あいつ、なのに、何でこんなこと知ってたんだか)

 ふと思い返して、何かが欠けてしまったようなさみしさを感じる。そのさみしさを打ち消すように首を振り、疾斗はドアノブをつかんだ。

「よ……っと」

 ガコッという音と共に扉を持ち上げ、開く。き込んでくる風が、よどんだ気持ちをほんの少しだけ吹き飛ばしてくれた。

 座りこんでかばんから数学の教科書とプリントを出すが、やる気はさっぱりだ。それどころか日差しと風が心地よくて、ついうとうとしてしまった。

 ガコッ。

 扉を持ち上げて開く時の音が聞こえて、ふと目が覚める。一瞬ここがどこだかわからなかった。


「え……。嬉野くん……?」


 その声で一気に意識がかくせいした。

「うわっ!?」

「きゃあっ!?」

 疾斗が驚いた声に相手も驚いたようだった。

 顔を上げた先には、日廻つかさがいた。長いかみが、風でふわふわとれている。

「ご、ごめんなさい……」

「いや、その、びっくりしただけ……悪い、でかい声出して」

「ううん、こっちこそ、びっくりさせちゃってごめんなさい。嬉野くんも知ってたんだね、ここの扉の開け方。私だけかと思ってた」

 真面目なつかさが、ここのドアの開け方を知っているなんて意外だった。

「えっと……座っても、いい?」

「え……別に、いいけど」

(何でっ!?)

 その疑問をつかさにぶつけたかったが、顔には出さずにうなずく。つかさは微笑ほほえんで、スカートのしわを気にしながら疾斗のとなりに座った。

「ありがとう。勉強、してたの?」

 疾斗のそばにある、広げただけの教科書とプリントをあわてて鞄に押し込む。

「いや……。あんたこそ、何でこんなとこに? ここ、いちおう立ち入り禁止だけど」

 立ち入り禁止、という言葉に、つかさはおびえたように身を縮めた。

「えっと……べ、勉強してる嬉野くんにこんなこと言うの、ずかしいんだけど……」

 いや、してない。てただけ。とも言えず、疾斗はだまってつかさの言葉を待った。するとつかさの顔がじよじよに赤くなってくる。

 つかさはひざせた両手をぎゅっとにぎりしめ、意を決したように言った。

「ゲームが、したくて……っ! 一人で時々、ここに来るの。友達はゲームとか興味なさそうで、その、家でもあんまりできないから……っ!」

「あ、そう……」

(そんな顔して言うことか?)

 疾斗のうすい反応に、つかさはひようけしたようにぽかんとした後、赤い顔のまま微笑んだ。

「嬉野くんも、いつも教室でやってるよね?」

「……何で、知ってるんだ」

 知られていたことが少しずかしく、ぶっきらぼうに答えてしまった。つかさは疾斗がおこったと思ったのか、あせって声を上げた。

「ごっ、ごめんなさい! 勝手に見て……! でもあの、私の席から、嬉野くんのスマホ見えちゃうから、その、私も『Lv99』やってて、だから気になっちゃって……!」

(あ、もしかしてそれで、今日こっち見たのか)

 きっとストラップのモンスターも知っていると思って、つい疾斗を──というより、疾斗のスマホを見てしまったのだろう。

 黙ってなつとくしていた疾斗に、かんちがいしたのかつかさはさらに焦ったようだ。

「ご、ごめんなさい、しゃべりすぎだよね。でもゲームしてるってこと言えてうれしくて……!」

 焦ってまくし立てるつかさは、教室では見たことがない姿だった。ひかえめで大人しいたかの花が、少しだけ身近に感じてしまうほどに。

「いや……いいけど。別に俺、怒ってないし」

 怒ってないという疾斗の言葉に、つかさはホッと胸をで下ろしていた。

「ゲームぐらい、だれでもするだろ」

「そう、かな? 友達は、あんまりしないみたいだから……」

 身近に女子があまりいなかった疾斗には、女子の感覚はわからない。だが、今やゲームをする女子などめずらしくない気がする。

「……強いの?」

 ちょっとしたこうしんいてみただけだが、つかさは顔をらした。

「その……ひ、引かないで、ね……?」

 つかさはスマホを出し、ためらいがちに疾斗に『Lv99』のステータス画面を見せた。

 可愛かわいらしいツインテールの女の子のアバターが、弓を持っている。その隣にあるステータスを見て、疾斗は目をいた。


プレイヤー:*ハナ* Lv98』


「レベル……きゅ、きゅうじゅうはち……? もうすぐ99……。課金した?」

「ううん。うち、そんなにお金ないし……課金の仕方も、正直よくわからなくて」

(じゃあスキル重視のガチ勢じゃん……)

「すげえ。課金なしでここまでって、めちゃくちゃ強いんじゃん」

 思わずなおかんたんしてそう言い、ふとつかさの顔を見ると、顔が真っ赤になっていた。つかさとは反対に、疾斗の顔からは血の気が引いていく。

(まずった……!?)

「……ごめ、ん。何か、悪いこと言ったなら……」

 とつに疾斗が謝ると、つかさは慌てて首と手を横にった。

「ううん、ちがうの! ありがとう! ゲームで強いって言われるの、すごくうれしい……っ。そんなこと、言われたことなかったから」

 傷つけたわけではないらしい。ホッとして、つい疾斗もうなずいた。

「それは、わからなくもない」

「だよねっ! 嬉野くんは、もうカンストしてるの?」

 ほんわかした高嶺の花から『カンスト』なんて言葉が出てくるのが意外で、ちょっとおもしろい。笑いをこらえ、疾斗もスマホを出してアプリを起動する。

「いや、俺もレベル98で止まってる」

 疾斗がそう言うと、つかさは少し小首をかしげておそる恐る口を開いた。

「カンストするのってちょっとさみしくて、ためらっちゃわない……? これ以上レベル上がらないって思うと、さみしいし、経験値になっちゃうし……私だけかな?」

「それも、わかる……」

「だ、だよね! よかった、私だけじゃなくて!」

(もしかしてこの人、めちゃくちゃゲーマーなんじゃ……?)

 これはほかにもゲームをやりこまないと出てこないセリフのような気がする。

 思わずつかさを見ていると、つかさが大きな目で見つめ返してきた。

(やべ……っ、こんなに見てたら、あやしいやつだよな……)

「あの……嬉野くん」

(ほら来たよ……ごめんなさいすいませんでした)

 つかさが何か言う前に、内心で謝りたおして心の準備をしておく。

「よ、よかったら、いつしよにやらない? マルチプレイ」

「…………………………えっ?」

 予想外の言葉に、脳の処理がおくれた。今、何て?

「──あっ! いやじゃなければだけど!」

「別に、嫌じゃない、けど……」

「ホント!? よかった! じゃあ、ID教えてもらっていい?」

 決して、嫌ではないのだが──

(だから何でっ!? 何で俺なんかと高嶺の花が!?)

 その疑問で疾斗の頭はいっぱいになる。自分の今のじようきようがよくわからなくなってきた。

 しかし顔には出さないよう、疾斗はつかさに『Lv99』のIDを教える。

かかわりたくない……はずなのに……)

 教室とは違う彼女のがおを見ていると、どうしても断れなかった。

 IDを教え合い、相手をフォロー。これでマルチプレイができるようになる。

「この『ハヤト』だよね?」

「う、うん。そっちは……この『*ハナ*』? 何でハナ?」

 何気なく訊いただけだったのが、つかさはひどく恥ずかしそうに顔を真っ赤にさせた。

「その、私、チョコチョコ動画で音楽くのが好きで……れるりりさんって人の曲が好きでね、『のう漿しようさくれつガール』っていう……」

「あ……その曲知ってる。中毒性高いやつ」

「ホント!?」

 疾斗の言葉に、つかさは目をかがやかせた。その勢いに少しおどろく。

「……俺も、よくチョコ動で音楽聴くから」

「そうなんだ! その楽曲が小説になっててね、その主人公の名前なの。すごく強くて、かっこよくて可愛い女の子だから……オ、オタク、だよね、私……」

「別に、そんな恥ずかしい理由じゃないと思うけど……」

 というか、理由としてはメジャー。疾斗はただ何も思いつかなくて『ハヤト』にしただけ。今さらひねりがなくて面白くないなと思ってしまう。

 つかさはうつむきがちだった顔を上げて、ホッとしたように笑った。

「……ありがとう」

 周りにはゲームをする友人も、音楽のしゆが似た友人もいないのだろうか。

 自分の好きなことを一緒に楽しむまでとはいかなくとも、それを認めてくれる人さえいないなら、毎日きゆうくつではないのだろうか。




<続きは本編でぜひお楽しみください。>

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