第1章「信じたくて信じられなくて」②

 ただただ教室にいたくなくて、目的もなく早足でろうを歩く。

(うざい、うざい、うざい。何なんだよあいつ。何でいつも俺に構うんだ。クラスで人気だからって、俺もしたってるとでも思ってんのかよ)

 つかさを巻き込んでまで、疾斗をイジって楽しいのだろうか。

(俺も、何で見ちまったんだよ。──何で、こっち見たんだろ……)

 つかさも、疾斗を見てあきれただろうか。そんなことを気にした自分をあざ笑う。

(別にきらわれたところで、今と何も変わんねえだろ)

 これ以上、つかさとのきよが縮むはずもない。その距離を変える気も、疾斗にはない。

 だれかを信じたり、関わったりすることがわからない。わからなくなった。

 以前──護と仲がよかった頃は、疾斗ももっと人と上手く付き合えていた気がする。人当たりのいい護のそばにいたから、疾斗も他人とく関われていたのだろうか。

 これでは、護がいないと何もできないみたいだ。

(ちがう……護がいないからじゃない。あいつが、俺からはなれてったから、わからなくなった……)

 誰よりしんらいしていた親友が、信じられなくなった。幼なじみさえ離れていってしまうのに、そんな自分が他人とどう関わっていいかわからなくなった。

 信じたくて……信じられなくて。

 傷ついたり、自己けんしたりしてしまうなら、最初から人との関わりなんてない方が楽。

 いつからか、疾斗はそんなふうに考え、誰とも関わろうとしなくなっていた。


 自然と足が止まっていて、角を曲がってくるひとかげに、疾斗は気付かなかった。

 うつむいていた疾斗に気付き、その人物はとつに足を止めたようだ。

「お……っと。すまない」

「あ、いや、こっちこそ……すみません」

 あわてて顔を上げてから、せんぱいだと気付いて敬語になる。

 交友関係がほぼない疾斗でも知っている有名人だった。


 眼鏡の奥から、切れ長でれいな目が疾斗を見下ろしていた。無表情でいると整った顔も相まって神経質そうに見えるが、彼が人に向ける表情は常にやさしい。

 つややかなくろかみに、すらりと長い手足と長身。モデルにでもなれそうな整った容姿。

 ひじかたづる

 全国模試でも上位に入るほどのしゆうさいであり、何をしてもトップレベルの結果をたたき出す。しかしそれを鼻にかけることもないひとがらが彼にはあった。先生達が手を焼くような生徒も、彼の言うことなら聞くという。人をきつけるカリスマ性にあふれ、一年の時から生徒会長として生徒をまとめているらしい。

 彼のうわさを聞くたびに、こんなにかんぺきな人間がいるのかと、つい疑ってしまう。


 悠弦の優しさは、他人の疾斗にさえも例外ではないらしい。

「俺もよそ見してたから。ごめんね、嬉野くん」

「いえ……って、え? 何で俺の名前……」

「嬉野疾斗くん、だろ? 知ってるよ。──護の幼なじみだよね?」

 その言葉は悠弦の背後に向けられていた。悠弦の後からやってきた人物と目が合う。

 染めたわけではない、昔から色素のうすかみ

 悠弦に向けられていたおんこう微笑ほほえみが、疾斗を見て消える。

「疾斗……」

 髪と同じく色素の薄い、あわい色のひとみ。幼いころは女の子にちがえられたぐらいにたんせいな顔立ちが、疾斗を見つめていた。彼と顔を合わすことすら久しぶりだった。


 物心つく頃からいつしよにいた幼なじみ、正道護。

 親友だったのは、一年ほど前までの話。

 ケンカらしいケンカをしたわけではない。ただ、護は疾斗から離れていった。

 護はそれまで疾斗と同じようにゲームが好きだった。が、ある時から護はぱったりとゲームをやめた。代わりに幼い頃から続けていたけんどう、進学のための勉強にぼつとうし、生徒会にも入って、実生活をじゆうじつさせはじめた。

 そんな護の様子は、疾斗から見れば少し異常だった。何かから、必死で目をらしているような、忘れようとしているような。

「お前、何かあったのかよ?」

 思い切ってそうたずねたこともあったが、護は笑って首を振った。

「何もないよ。ただ、ゲームばっかりしてちゃいけないって気付いただけだよ」

 違う。

 それだけじゃないはずなのに、どうしてかそれ以上、疾斗は護にみこめなかった。

 疾斗にもゲームをやめるようさとしてきた時期もあったが、それもあきらめたのか、だいに護との会話はなくなり、距離も離れていって、今ではすれ違ってもあいさつさえしなくなっていた。

 きっと、疾斗と護は生きる世界が違ったんだ。二人とも子どもだったから、気が合ってただけ。


 悠弦は疾斗と護を取り巻く空気を感じ取ってか、それ以上はつっこんでこなかった。が、疾斗の顔を見てふと心配そうにまゆを寄せる。

「嬉野くん。何か、顔色悪くないかい? だいじよう?」

「……大丈夫です。すみませんでした」

「そんなに気にしないでいいから。じゃあね」

 悠弦ががおでそう言って歩き出す。護も悠弦の後を追って歩き出すのかと思ったが、彼はまだその場にいた。視線は合わないが、何か言いたげだった。


 ふと、クラスの女子にたのまれたことを思い出した。

 今、護は彼女がいるのか。

 疾斗も少し気になっていたところだ。今朝見た夢で、護は誰かのことを好きだと言っていた気がする。……どうして今まで忘れていたんだろう。

「……あのさ、クラスの女子に頼まれたからくけど」

 目を逸らしていた護が、不思議そうな目で疾斗を見る。

「お前って今、彼女いんの?」

「……は?」

 護は心底おどろいた顔をしてから、顔をせた。そのせつ、見えた表情に疾斗は目をみはる。

(え……)

 ゆがんだ表情はひどく傷つき、泣きそうだった。

 護はぐっとこぶしにぎりしめてから顔を上げた。口元は笑みを作っているが、目元はまったく笑っていない。

「……いない、よ。作る気もない」

 平静を装っているが、無理をしているとわかる微笑。

(まさか……こいつがフラれた? でもそれならうわさになってないわけないし、それに……)

 いつしゆん見えたあの傷ついた表情は、女の子にフラれただけの顔じゃなかった気がする。疾斗はそんな護の様子に思わずついきゆうの言葉をかけようとしたが、あわてて口をざす。

(俺が訊いて、どうなるもんでもない。俺なんかに話すつもりもないんだろうし)

 何かあったとしても、護に解決できないことを、疾斗が解決できるはずもない。

「あ、そう……。じゃ」

 疾斗が先に歩き出し、護のそばを通りすぎたその時。


「疾斗」


 きんちようしたような声が背中から聞こえて、思わずり返ってしまった。護は疾斗に背を向けたまま言葉をかけてきた。

「……まだ、あのゲームしてる?」

「は? 何?」

「『Lv99』だよ」

 疾斗は答えなかった。次の護の言葉はわかっていたからだ。

「……早く、やめた方がいい。それが疾斗のためだから」

 これまでに何度も言われてきた言葉だ。将来のための勉強をしろとか、もっと周りに目を向けろとか、そんなことが理由らしい。

 きっと護の言っていることが正しい。勉強は必要だし、疾斗は人に気をつかえるような性格でもない。でも。

 護からすすめられて始めた『Lv99』をやめろと言われると、ゲームをしてきたことだけではなく、護との楽しかった思い出もすべて捨ててしまえと言われているようだった。

(何で、そんなに簡単にやめられるんだよ……!)

 今さらやめられない。

 こんなみじめな自分も、ゲームの中でならだれかにたよってもらえる。強くいられる。

 こちらを向こうとしない護の背中に、疾斗は言った。

「……お前に、そんなこと言われる筋合いない……っ」

 護も疾斗の答えはわかっていたのか、反応がなかった。


「護ー? 早く先生のところに行かないと、昼休みが終わってしまうよ?」

「あ、はい! すみません」

 何か言おうとしていたのかもしれないが、悠弦が護を呼ぶ声が聞こえてきて、護は早足で悠弦の方に向かっていった。


 護は成績も学年上位。剣道部ではエースであり、最近では個人優勝もしている。次の生徒会長は護だとうわさされていた。

 そんな幼なじみとはちがって、疾斗はいてもいなくても同じ、とうめい人間のような存在。

 現実リアルに居場所なんかない。誰にでも好かれ、頼られる護にこんな気持ち、わかるはずがない。

 疾斗が人とつながれるのは、ゲームの中だけなのに。


 ──どっちが先にレベル99になるか、競争しようよ!


 護との繫がりでさえ、今はあの競争だけのような気がして、今も疾斗は『Lv99』を続けているのに。

「お前なんかに、わかるかよ……っ!」

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