第1話「それは幼なじみの恋のゆくえ」④

「束ちゃん、おはよう」

「寧々おはよう」

 翌朝、顔を合わせた寧々に私はいつもどおりに挨拶をした。

 寧々はみを浮かべてくれたけれど、昨日もねむれなかったのか今日も顔色はすぐれないままだった。心配だけど、かける言葉が見つからなくて私はそのまま口を閉じた。

 ──うまくいけば今日で片がつくはず。

 そうだといいなぁと思っても、どうなるかわからないのも事実だ。

 でも、少しでも寧々にとっていい方向に進めばいい。そう思っている。

「束ちゃん、今日はお昼どうするの?」

「今日は約束があって……」

 大事な大事な寧々のための約束だ。すっぽかすわけにもいかない。

「そっか。じゃあ今日もクラスの子と食べようかな」

 ちょっとだけ悲しそうにまゆを下げた寧々に心のなかでいっぱい謝りながら、私は早くお昼になってすべてが解決すればいいと願った。


 三日連続で訪ねることとなったカウンセラー室で、私は先生に言われるままにお茶の準備をしていた。

 準備といっても、ペットボトルのお茶を紙コップに注ぐだけだからすごく簡単だ。

「来ますかね?」

「来てもらわないと困るがな」

 初山くんには登校してすぐに先生の言葉を伝えてお願いした。

 昨日の今日だ。緑間くんが来るかどうかはすべて初山くんのしゆわんにかかってる。

 しばらく待っているとコンコン、と規則正しくノック音が部屋にひびいた。先生が入室をうながすと最初に初山くんが、そして次に緑間くんが姿を現した。

「人見先生、連れて来ました」

「……結野?」

 緑間くんは部屋のなかにいる私の姿を認めるなり、軽く眉をひそめた。

「ふたりとも座りなさい」

「なんで結野がいるんですか?」

「今回の相談者が結野だからだ」

 先生の言葉を聞くなり、緑間くんのけんのしわがさらに深くなった。

 もしかするとなんの用事で呼ばれたか、だいたい察したのかもしれない。

 ──こんな調子で彼はなおに話してくれるのだろうか?

 やや不安を感じつつも、私はお茶を配って先生のとなりに座る。

 なんだかきんちようしてきた。先生は「さて」と会話を切り出す。

「まず、緑間に話を聞きたい」

「俺は何も答えられません……」

 聞く前からきよの言葉。やっぱり緑間くんにはつうに聞くことはできない。

 しかし、先生はひるむことなくたんたんと言い放った。

「友情を優先させた結果、その友情がほうかいすると言ってもか?」

「なっ!」

「は?」

 緑間くんと初山くんが反応したのはほぼ同時だった。

「結野はふたりの言葉を聞いて、ほぼ見当がついたようだが」

 先生に話をられて私は小さく頷くと、はっきりと緑間くんを見た。

 私のなかで引っかかっていたのはふたつ。緑間くんに覚えたかんと彼が言いかけた言葉だ。

 初山くんの言葉をこうていしたとき、緑間くんは初山くんが別れたことを知っているということについてなにも言わなかった。別れた翌日に初山くんが知る確率はかなり低いはずだ。それなのに緑間くんはどうして知っているのかを聞き返さなかった。ずっと感じていた違和感はこれだ。

 そしてあとひとつ。

「このまえ、初山くんが緑間くんを呼び出したでしょ? あのとき『言えないもなにも橙里こそ』って緑間くんが言いかけてたけど、そのあとに続く言葉って『言わなかっただろ』──なんじゃない?」

「な、んで、結野が……橙里っ!」

「初山くんが言ったわけじゃないよ。私があの場所にいただけ」

 私があの場所にいたとは思っていなかったのか、緑間くんはおどろきといかりをにじませた声をあげた。私はそんな緑間くんを気にせずに話を続ける。

「ねぇ、緑間くん。なんでいま、私が緑間くんたちの会話を知ってることに驚いたのに、初山くんがふたりが別れたことを知ってたことには驚かなかったの?」

 なぜ、緑間くんは驚かなかったのか。

 その事実を初山くんに知っていてほしかったのなら?

「緑間くんは初山くんが寧々を好きだったことを知っちゃったんでしょ?」

 そう言い切ると、それまでかたくなに眉を寄せていた緑間くんの表情が図星をかれたかのようにきようがくの表情に変化した。

 別れたことを自分からも伝えることはできたはずだ。でもそれをしなかったのは、緑間くんはまだ寧々が好きだから。だから別れを切り出した本人もまた、ひどく落ち込んだと考えれば、すべてはつながる。

 私は緑間くんから視線を移して、その隣に座る初山くんを見た。

「いや、ちょっとありえないんだけど……」

「緑間は初山が花川のことを好きだとなんらかの形で知ったんだろう。緑間と初山の付き合いは長いと聞いた。それなりのしんらい関係はあるだろうし、友情も固い。どうするべきかとなやんだ結果、ひとり突っ走ってこうなったと考えるのがとうだろう」

 まどう初山くんに、先生が私の言葉を引きいで声をかける。

 しばらく、だれも口を開くことはなかった。

 だけど、そのちんもくを破ったのは初山くんだった。

「廉、おまえ何様なの? 俺、そんなのたのんだか? 頼んでないだろ」

「いやっ……」

 初山くんの怒りを滲ませた声に、私もふつふつと緑間くんに対して怒りがこみ上げてきた。彼は寧々のことをなんだと思ってるんだろう。

 寧々は物じゃない。はいどうぞとわたせるわけがない。

「緑間くんは寧々のことバカにしてるの?」

「なっ! 鹿になんてするわけなっ」

「現にしてるじゃない。寧々は緑間くんが好きなのに。別れたところで初山くんのこと好きになると思ってるの? そんな、軽い女だと? 女の気持ちをないがしろにする男なんて最低だよ」

「結野さん落ちついて」

 き出したところで先に冷静になった初山くんの言葉が耳に入る。まだまだ言い足りないけど、キリがない。私はしぶしぶ口を閉じた。だけど、これぐらいはっきりと文句を言ってもバチはあたらないはずだ。それだけ寧々も傷ついてる。

 じっと目をそらすことなく緑間くんを見つめると、彼はしばらくして口を開いた。

「──フェアじゃないと思ったんだ。俺は橙里が寧々のことを好きだったことを知らなかった。でも、橙里は全部知ってた。もし、俺が全部知ってたら、橙里が寧々に気持ちを伝えてたら……」

「ばっかじゃないの」

 ポツポツと話し出した内容に、私は盛大にあきれた。緑間くんがすべてを言い切るまえに言葉を切り捨てた。

 私と同じように先生や初山くんも呆れたように緑間くんを見ていた。

 でも、初山くんの表情は呆れのなかにしょうがないなぁという感情が混じっていた。

「もしもで考えて、ひとりで思い悩んで決め込んで暴走して、また悩んで。結野さんが言うとおり、ほんと馬鹿だよお前。廉が別れたってうまくなんかいくはずねーじゃん。花川さんだってお前が好きなんだから。それとも、俺に取られてもいいっていう軽い気持ちだったわけ?」

「ちがうっ!」

「初山くんの言うとおりだと思う。否定したところで緑間くんの行動はそう見えるよ」

 私の言葉に緑間くんはくやしそうに顔をゆがめてだまった。

「で、結野さん、どうする?」

「ここは一発、たたきたいところだけど」

「それは俺が部活で放課後、叩きのめすからかんべんしてあげて」

 初山くんがしようするのを見ながら改めて考える。

 どうするべきか──そんなのすでに決まっている。

 私の目的はただひとつだ。

「誰にもとられたくないならさっさと寧々に事情全部話して、謝って、許してもらってきなよ。私は寧々が元気ならそれでいい」

 正直なところ、今回の一件で私の緑間くんの評価はかなり低くなっていた。でも、この先どうするかを決めるのは私じゃなくて寧々だ。それに、私が緑間くんはやめたほうがいいと言ったところで寧々は聞く耳持たないだろう。あの子もあの子でがんなのだ。

 緑間くんは太ももの上に置いていたこぶしをぎゅっと力強くにぎると勢いよく立ち上がった。

「悪い、結野……先生も、お手数おかけしました」

 そう言って深くおをした緑間くんは勢いよく部屋を出て行った。それに続いて初山くんも少しあわてたように立ち上がる。

「俺も様子を見に行きます。あのままひとりで行かせたら花川さんが大変なことになりそうだし。人見先生、お手数おかけしてすみませんでした。また来ます」

「早く行ってやれ。暴走しても私は知らんぞ」

 先生の言葉にうなずくと初山くんは私にもお礼を言った。

「結野さんもありがとう」

 あまりの勢いに返す言葉も出てこないまま、私はぜんとしながら初山くんを見送った。

 そして部屋のなかには、私と先生だけが残った。

「君は行かないのか?」

「……あまりにふたりの勢いがすごくて行くタイミングをのがしました」

「まあ、君が行かなくとも初山がなんとかするだろう」

 ──そういえば昨日、先生は寧々との関係性より初山くんの関係性を気にしていた気がする。

「先生。先生はどうして寧々じゃなくて初山くんのほうを気にしたんですか?」

 私の質問に先生は右手をあごにおきながらどこかためすように目を細めて口を開いた。

「昨日の質問は覚えているか?」

 そう聞かれて私は昨日のおく辿たどる。

「えーっと……運命の糸の話、ですか?」

 あまりにとつぴようもない質問だっただけに覚えている。

 そしてあのとき、先生は言葉をにごしていた。

「運命の糸と今回の件がどう関係するのかを聞いたと思うんですけど」

 私がこの言葉を口にしたしゆんかん、先生はニヤリと口角をあげた。

「そうだ。人は無数のえにしで繫がっている。もちろん切れることも、消えることもあるが。今回の件も例外ではない」

 先生の言葉にらぎはなかった。どうしてそこまではっきりと言い切れるのか。

 まるで、先生には運命の糸がえると言わんばかりの。

「もしかして──先生には視えるんですか? その、運命の糸が」

 先生は私の戸惑いをふくんだ言葉に満足そうに頷いた。

「正解だ。君にゆうれいが視えるように、私にも無数の運命──縁の糸が視える」

 まさかと思って聞いたことが本当だった。私はおどろきで目を見開く。

「いまも、目の前にあるんですか?」

「もちろん。れんあいなら赤い糸、友情なら黄の糸といったように」

「え? 友情にも糸があるんですか?」

「ある。私の場合、視るだけじゃなく、れればだんぺん的で制限もあるがおもいを読み取ることもできる」

「……それ、私なんかに話してよかったんですか?」

 そうそう人に話していいようなことじゃない気がするのは気のせいだろうか?

てきしてきたくせになにを言っている。君には話すだけの価値はあると思ったからな。それに誰かに話したところでうわさばなし程度の話題にしかならないだろう。君の幽霊が視えるということのほうがよっぽど信ぴょう性は高く感じるからな」

「じゃあ、寧々と緑間くんの糸はどうなってたんですか?」

 私の問いに先生は心底げんなりとして、投げやりに答えた。

「緑間の糸は視たが切れてなどいるものか。それどころかれいに赤く染まっていた。切れる気配も消える気配もなかったしな。ただけんしているバカップルと言っても過言ではない」

「バカップル……」

 とっさに気になったことを口にしたとはいえ聞くんじゃなかったと少しだけこうかいした。

 このあとの寧々たちふたりをとても見たくないと思うのはきっと私だけじゃないはずだ。

 現実から目をそむけたくて遠い目になる。

「むしろ、初山と緑間の糸の方が切れる兆候を見せていた」

 きっとこれが昨日言っていたことだろう。

「初山くんに仲が良くない人がいるかどうかを聞いたのも、糸を見て判断したんですね」

「そうだ」

「でも兆候って、切れるかどうかなんて事前にわかるんですか?」

「わかる。はっきりと色が変わるからな。初山が緑間に不信感をつのらせて色が少しずつ変わりはじめていた。かいにゆうしないまま別れた理由がていして、なにひとつ緑間が言わなかった場合、糸はそのまま消えていただろう」

 そこで「ん?」と私は首をかしげた。

「消えるということは、接点があるからと言って縁の糸があるわけじゃないんですか?」

 てっきり人との縁は出会った時点でずっとつながるものだと思っていたけれど。

 言葉から察するに、どうやらちがうらしい。

「もちろん。縁の糸はおのれの人生でえいきようがある者に現れるからな。ふくえんの可能性があれば糸は切れたまま残るが、それがなければ糸も必然的に消える」

 先生はテーブルに置かれていた紙コップを手に持つと立ち上がった。

「今日はここまでだな。君もそろそろ教室にもどるといい。授業におくれるぞ」

 指摘されてかべけの時計をかくにんすれば、れいまであと五分とせまっていた。教室までのきよを考えるとそろそろ出るべきだろう。私は立ち上がると先生に深くお辞儀をした。

「先生、いろいろとありがとうございました」

「またなにかあれば来るといい。ただ、やつかいごとすぎても私が困るがな」

 部屋を出る寸前にそう言われて、私はり返って元気よく返事をするとそのまま部屋をあとにした。

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